第16話 令嬢と感情

「なんで来るんだい、きみは」


 頭が痛い、とばかりに額を抑える魔王。

 少女は肩をすくめて誤摩化した。なんだか今日は肩をすくめてばかりね、心の中で舌をだす。

 くるりと周囲をみまわして、けむくじゃらの魔人をみつけると、この人がルンベね、とあたりを付ける。ルンベはなぜか、戸惑うように魔王を見つめていた。


「案内したのよ。あなたの女性を」


 紹介するように、両手で令嬢を指し示す。

 それを合図に、少女の後ろにいた令嬢が前に進み出た。

 そして、愛を歌うように、両手を広げる。


「魔王さま、おひさしぶりです」


 感極まったように、魔王を見つめる。魔王は玉座から令嬢を見下ろした。少女には魔王がなにを考えているのかを計り知ることはできない。しかし、二人の目線が合っているのは事実だ。


「こんな所に閉じ込められて、おいたわしい」


 令嬢が涙をぽろぽろ零し始めた。

 その態はえらく唐突に感じられたけれども、愛らしさに少女の胸はしめつけられる。まるで、演劇の一コマのようだわ、と一歩引いて全体を眺めた。


「魔王さま、こんなところからは出て行きましょう。わたくしでよければ、どこまでもお供いたします。魔王さまには多くの人の上が、もっと輝かしい場所が、お似合いです」


 それに、同調するようにルンベも声をあげた。


「そうですとも。勇者ごときにここに閉じ込められる必要なんてありますまい。魔王様にはもっと適当な場所がございます」


 皆が魔王を求めている。これが王というものか。

 少女は感激した。

 ところが、魔王は。

 眉間にシワをよせて、少女の事を睨んだのだ。


「僕の女性とは、いったい何のことだい?」


 不機嫌を通り越して、なにやら暗黒物質でも出てきそうだ。この人ってこんな風に睨めるのね…。その泥沼のような瞳に力がこもったのを見て、少女は目線をずらす。


「ええと。……どういうことかしら」


 予想とちがった反応に少女は困惑する。

 令嬢が少女から魔王の視線を奪い取ろうとしたのか、少女の前にでる。


「わたくしは、予言によって、魔王さまの伴侶となるべく精進してまいりました。ようやく、再会することがかないました」


 令嬢は必死だ。

 けれど、残念なことに魔王はそんなことを考慮してやるほどやさしくはなかった。ばっさりと斬り捨てる。


「予言…? 知らないな。それはなんのことだい?」


 令嬢の代わりに答えたのはルンベだった。


「たしかに、そういう予言がなされております。この女が魔王様御身を救うことになるだろうと。わざわざお耳に入れても気を重くさせてしまうかと思い、黙っていたのですが。今回、この女が一目でもお会いしたいと…」


 ですから、魔王さまに一目会わせてやろうとここに連れてきたのです、ルンベが結ぶ。

 魔王は二人に対して、感情のこもらない視線を投げる。


「予言がなされたから、だから、どうしたの? 自分たちの都合のいいように扱えるんだから、予言も便利なものだな」


 言葉を区切る。そして、魔王は酷薄にも言い切った。


「そもそも、きみは、だれだ?」


 その視線はまっすぐに令嬢を見つめている。

 少女には前に立つ、令嬢の体がこわばったのが分かった。


「たしかにきみは魔王軍にいた。でも、それだけだろう? どうして僕に執心しているんだ」

「あ、あの」


 あ、痛い…。

 少女はなんだか悲しくなった。

 なおも令嬢が必死に言い募る。


「魔王さま、もしお疑いになるのでしたら、わたくしにウソが喋れないよう、魔法をかけてくださいませ。この心が魔王さまにあることを証明してみせます」


 祈るように令嬢が手を組み合わせた。

 魔王はもはや令嬢を見ていない。わざとらしく、ため息をつく。


「そういう話をしているんじゃない。…いいや」


 そこで、口の端を歪める。


「そうだ、きみの望み通りにしてあげようか。きみの心を魔法で暴くなんて無粋なことをしないよ。その代わり、僕を信じてくれる?」


 右手を胸元にかざすと、口元を小さく動かす。

 途端に、勢い良く燃え盛る青い焔が手のひらに現れた。


「でも」

「避けないで、立っていて。そうすれば、僕は救われる」


令嬢に焔をぶつけるつもりだ。

 なんて、悪趣味な。


「…ああ」


 金髪が小刻みに揺れる。

 令嬢は、震えていた。

 恐怖か、絶望か、はたまた歓喜か。

 少女は、それを知ってみたいと思った。

 この美しく、そして強い令嬢はこのまま、ここに立ち続けるのだろうか、それとも。少女とは違い、魔王を思っている彼女は、どうするのだろう?


「この子のことを傷つけないで」


 それでも、魔王を止めた。魔王なら、もしかしたら、ほんとうに殺してしまうかもしれない、そんな恐怖が胸のうちをよぎったからだ。

 魔王は伏し目がちに黙っていたが、やがて、音もなく焔を消した。

 そして、出口を指し示す。


「ここから出て行くかい?」


 それは問いかけの形を持った、断定だった。


「でも」


 反論しようとした令嬢が凍り付く。

 魔王の顔を正面から見たのだ。彼は、笑みを浮かべていた。その笑みは令嬢になんらかの変化をもたらしたものか。

 令嬢は体をわなわな震わせると、やがてか細い声で一言だけ告げた。


「分かりました」


 せっかく、運命の相手に会いにきたというのに。その邂逅はとても彼女が望んでいたものとはほど遠いことだろう。令嬢はいまにも倒れそうな表情で、出口に向かってよろよろと歩をすすめた。

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