第11話 少女と竜とお話と

 少女は飢えに弱い。

 飢えを感じ始めると、決まって人生で一番食べ物が足りなくて飢えていたあの時期を思い出す。のど元過ぎると忘れる性質の少女の中で残っているのだから、飢えとは相当なものである。

 だから、魔王の城の中庭に作ったハンモックの上で昼寝をしながら、その夢にうなされていた。

 つまり少女は今現在、飢えているのである。

 原因は食料の不足だった。

 魔王は空腹にならないからいいが、少女はそうもいかない。じゃがいもと肉と魚と庭の片隅に生えているしなびたハーブだけでは、少女の方も干涸びてしまうのだ。


「ぎゃあ」


 うなされる少女だったが、突如ハンモックから転がり落ち、目を覚ますことになった。

 突然起きた突風にハンモックがあおられたのだ。

 目をこすりながら上半身を起こした少女が見たのは、城から様子を見に来たらしく戸口から頭をのぞかせる魔王と、次いで中庭に鎮座する象ほどもある、まるっこい胴体をした飛竜だった。サファイアの色と光沢の鱗を持つドラゴンだ。その背中には小荷がくくりつけられている。

 ドラゴンは体をふるわせると、ゆっくりとその翼を収納した。

 少女は顔を輝かせた。


「久しぶりじゃない」


 歓声をあげて、ドラゴンの体に飛びつく。

 ドラゴンは嫌がってその巨大な爪をたてるそぶりもなく、悠々とそれを受け止めた。そして、やはり嬉しいのか目を細める。のどからぐるぐると音がする。

 ドラゴンは少女の友だちだった。半年ほど前に、火山の噴火口近くの村で会って以来の久々の再会だ。どうやら、少女のことを追ってきたらしい。


「まあ、わたしの荷物をもってきてくれたのね!」


 背中の荷物を確認した少女が声をあげる。

 少しでも竜の体がラクになるように、荷を降ろす。

 厳重に包まれたなかには、さまざまな商品が入っていた。何より驚いたのが少女の物語士の仕事道具一式が入っていたことだ。少女は自分がお腹をすかせていることさえ忘れて、よろこぶ。


「…ああ。わたし、ここに忘れていったのね」


 自分の間抜けさに、少女がなんとも言えない気分になる。ついでに、少し前の苦労も思い出した。

 腰元の袋にヤシの実ほどの大きさもある正方形の機械をしまう。これで、記憶と本体の両方が揃ったのだ。物語を記録したり、再生したりすることができる。


「きみは物語士じゃなかったの?」


 城の入り口にもたれかかってドラゴンと少女を眺めていた魔王が言う。その目線の先にはトマトの苗や、とうもろこし、花の種などさまざまな野菜と種が入っている籠が置いてある。


「それだけじゃ家計が足りないから、行商もやっていたのよ。これで野菜が作れるわね。ついでに花も植えましょう。まあ、ちゃんと肥料も入ってるわ」

「そっちは?」

「友だちよ。わたしに会いにきてくれたみたい」


 友だちを紹介出来ることが、誇らしいような気がしたが、少女は魔王がテガミネコを殺した事を思い出し、そそくさと自分の背後に隠した。もっとも、ドラゴンの巨体を隠しきれるわけもなく、少女の後ろでふしぎそうに大きな頭を傾げている。

 魔王はドラゴンを見て言う。


「きみが来てから生き物がよく来るなあ」


 びくりと、少女が固まる。


「心配しないで。殺さないから」


 その言葉にとりあえず、胸を撫で下ろすが、続けて言われた言葉に固まった。


「どうしてそれを支配しないの?」


 魔王は少女の目には見えない魔法の流れを読み取ったらしい。

 竜を使役するために支配の契約をする人間は多い。確かに、少女とドラゴンは主従の契約を結んでいなかった。


「どうしてって、…わたしは、この子より賢いかもしれないけど、この子はわたしよりも強いもの。支配をする必要はないわ。支配をしなくても、この子が竜だということを忘れなければ、わたしに危害をくわえない」


 あなたと違ってね、内心付け加える。


「ふうん、なれ合いの関係ってわけ。ネコとそれに差なんてないんじゃないの?」

「ひにくれた見方ね。信頼って言ってよ」


 それにテガミネコだって、別に支配していないわ、と噛み付きそうになる。


「でも、そうだろう?」

「そうかもね。人間はひとりで生きていくには弱いから」


 それを愛と呼ぶか、弱いが故の生き延びるための策略と呼ぶか。愛と呼べば、いかにも耳に心地よくなじみやすい。それが、耳障りのいい言葉だからだ。

 むかっときた少女が尋ねる。


「あなた、友だちは?」

「いないよ」

「でしょうね」

「いたかもしれないけど、みんな、死んだ」


 それを聞いて少しでも胸が痛むような気がするのは、自分が単純すぎるのか。少女は悩む。


「あら……、ごめんなさい」

「なにが?」


 微妙な空気がイヤになったのか、魔王が提案した。


「それよりもさ、きみの旅や家族の話をしてよ」

「…わかったわ」


 食材や植物の種を一旦置いておいて、少女は自分の話をすることにした。

 後で片付ければいいわ。

 ドラゴンは飛びつかれたのか、唯一生えてる木の下でいそいそと丸くなる。少女と魔王もそれにならって、木陰のもとに腰をおろした。



 ドラゴンの寝息の躍動を背に感じながら、少女は自分の一族について思いを馳せる。

 彼女の一族はとても、恋多き一族だ。そして、それ故にとても移り気だ。

 みんな自分の好奇心のままに行動するから、一カ所にじっとしていられないのだ。

 少女は自分の昔について、考える。


「わたしは、学校をでているけど、やっぱりじっとしているのが性に合わなくて、旅に出たの。本を読むのはすきだけど、やっぱり、ほんものって、違うじゃない?」


 そのじっとしていられない性根ゆえに、軽蔑されることも多い。人は定住していないと不安なのだ。


「普通は、安定したお仕事や土地、家族が必要なの。盗みは悪い事、ウソをつくのはわるいこと、そうした教えで自分を囲む事が大切なのよ」


 でも、わたしたちはそうじゃない人が多い、少女は言う。


「君たちの一族が盗みや、ウソをつくのはいいことだとしているわけでもないんだろう?」

「ちがうわ。それらは当然守られるべきルールでしょう。でも、なにかしら心惹かれるほうにずるずると行ってしまうの。本能をまえに、理性がどういうものなのか、忘れてしまうのよ」


 ほう、と息を吐く。


「感情が強すぎるのかしら。どうしたら賢く生きられるのかを知っているのに、そうすることをしないの。いいえ、できない、って言う方が正しいわね。それでも、自分で生きる道を作り出して私たちは生きている…それがうまく行かなかった人々は、愚か者、と軽蔑されているわ。私たちの特徴は目立つから、ひとくくりにして差別されてしまうこともあるけどね」


 緑色の目。

 赤い髪。

 その組み合わせは、分かりやすい目印だ。

 喜ばれることもあるけど、簡単に差別の対象にもなりはてる。


「その色、きれいだと思う」


 ありがと、と少女は礼を言った。

 自由民は論理や法といったものに興味をもたない人が多い。そこに、嫌らしさを感じてしまうからだ。

 それでも、それらに守られているのは純然たる事実だ。

 地位は低いけれども、優秀な者が多い自由民に多くの国は好意的だ。法は自由民のためだけに特別な決まりを作り、保護している。だから、自由民は国々を自由に渡り歩ける。そして倫理が法では埋めきれない溝を覆い隠すことで、自由民は人の心のぎりぎりのところを渡り歩ける。じっさい、昔に迫害されていた自由民を助けたのは、法であり、「良心」と「良識」をもった人々だった。


「あなたは…ウソをつく必要も、盗みを働く必要もなさそうね」

「うん、ないよ」

「どうして王になったの?」


 この人以上に向いていない人はいないだろう、そんな気持ちで少女は尋ねる。


「気付いたらなっていたんだ。僕が有能だからかな」


 有能さ以外に必要なモノが抜けているじゃない、そう少女は思った。

 けれど、それを言わないだけの良識はさすがに少女にもあったのだった。

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