Pieces of tale

明日原 藍

祈り屋

「お祈り一つ、どうですか」

そう言って少女は私の袖を摘んだ。

「宗派や対象は問いません、お祈りはどうですか」

ブロンドの髪にイチイの瞳、擦り切れた緑のワンピースを着た童女。腰には、銅貨を入れるためのポーチをつけていた。神や精霊といった類が廃れてもう何百年と経つ今、余りにも珍しい乞児である。

「お祈りを売っているのかい」

「ええ」

「一つ何ギメルだね」

「10ギメルです」

「祈れば、奇跡でも起こるのかね」

「いいえ、奇跡は信仰によってなされます」

「ではこれは無意味なことだ」

「いいえ、無意味ではありません。祈りとは信仰であり、貴方の信仰の代行となるのです」

少女の瞳の奥はどこまでも深いオニキスの様だった。10ギメルはたいした額ではない。この好奇心を満たすには充分な対価である。

「では、一つ頼もうか」

「宗派は何になさいますか」

「何個も種類あるのか」

「そうです」

「実はその宗教について自分は何も知らなくてね」

「では、無宗教の方のお祈りをさせていただきます」

「そんなものまであるのかね」

「ええ、そうです」

10枚の銅貨を、一枚一枚数えながら渡す。

「10ギメルたしかに。わたくし、おじさまの為に精一杯祈らせていただきますわ」

少女は一歩二歩と軽やかな足取りで下がると、天を仰ぎ、両手を高く上に上げた後、胸で組むとそのつぶらな瞳を瞼で覆い隠した。さぁっと一陣の風が彼女と私の間に吹いた。祈る少女には不思議な美しさが宿っていた。と、その瞬間に彼女は年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべ、「おじさまに幸運がありますように!」と言うとどこかへ駆けていってしまった。それまでの時間があまりにも短くて、私は全く拍子抜けしてしまった。

気を取り直して、友人と待ち合わせをしている珈琲が美味な喫茶店へ向かうと、何やら道に光るものが落ちている。拾ってみれば、それは純銀製の、緻密な彫金がされたボタンであった。家で磨けば、見る価値のあるガラクタになるだろう。私はそれをポケットに入れてまた歩いた。

喫茶店に着けば、丁度友人も入ってくるところだった。私はここまでに起きたことを話すと、友人は笑いながら「やぁさっそく効果があったじゃないか」と言った。私は最初その意味がわからなかったが、どうやらこのボタンのことだと理解した。

「確かに売れば80ギメルくらいになるだろうか」

「どうだろうね、最近は銀の価値は下がっているだろうし」

「しかも一つだけだ、揃っていない。きっとそれでまた価値は下がるだろうね」

「いいじゃないか、綺麗なのには代わりない」

「まぁ―」

それきりこの話は終わりになった。

その日から、このボタンを見る度、あの少女のことを思いだすようになった。小さな慰みは果たして彼女の祈りの賜物なのだろうか。いや、ただの偶然に過ぎない。そんなことをごたごたと考えていた。

ある日、私は船で別の国に渡ることとなった。出立する直前に、何とはなし、気まぐれに銀のボタンをそのポケットに入れた。最初は順調だった船旅だが、次第に天候が悪くなっていった。とうとうそれは嵐になり、船は荒れ狂う波に揉まれ、翻弄されることしかできなくなった。この船は沈むのではないかと思われた時、無意識にポケットの中のボタンを握りしめ、私は少女の祈りを思い出した。彼女がやっていた様に、両手を天に掲げ、目を閉じ、胸の前に組むと、一心に無事を祈った。

気がつけば眠っていたらしい。温い潮風が頬に当たり、目を開ける。空は一片の雲もなく澄み渡り、波はすっかり穏やかになっている。船は大した傷も無く浮き、帆は心地よい風を受けて進んでいった。

旅から戻って、私はボタンを大事にガラス箱に入れ、目に付く棚の上に飾った。これからこのボタンに祈ることが日課となるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る