第23話 誤解と思惑

 屋敷ごと揺れるような地響きに、ゼジッテリカは身を震わせた。部屋の中からでも、外のまばゆい閃光がちらちらと目に入る。赤い瞬きは血の色を連想させ、ますますゼジッテリカを不安にさせた。

 魔物が襲ってきたらしい。それは誰に聞かずともわかることだった。屋敷外にいる護衛が戦っているようだが、どちらが優勢なのかは見当もつかない。

「シィラ……」

 たたずんだまま思わずぎゅっとシィラの服の裾を掴むと、大丈夫だと言わんばかりにその手に触れられた。先ほどからシィラはずっと天井の辺りを睨み付けている。まるでそこに何者かがいるかのようだ。

「魔物が来てるの?」

「はい、そうですね。現時点で十はいるようです」

「え、そんなに!?」

 思わずこぼした問いかけに、シィラは静かに答えた。再び窓硝子がガタガタと揺れる。ゼジッテリカは身を縮ませながら、一度固く目を瞑った。

 まぶたの裏に焼き付いた赤い閃光。足下から感じられる小刻みな揺れ。全てが恐ろしい。それらは今にもゼジッテリカの命を奪おうとしている。何故自分たちが狙われているのかと、急に泣きたくなった。

「的確な結界が張られていますから、今のところは大丈夫です」

 ふいと、頭を抱き寄せられた。はっとして目を開けると、白い布地が目の前にある。シィラの腕の中に抱え込まれたのだと理解した途端、体から力が抜けた。どうしてシィラの傍はこんなに安心するのだろう。

「それに、私がいます」

 包み込むようなシィラの力強い言葉が、ゼジッテリカに染み入った。これだけの魔物が来ているというのに、シィラは全く動揺していない。それが不思議だ。

「でも、シィラ……」

「不安になるのは仕方がありませんが、そうですね……では先にこちらをお渡ししておきましょう」

 すると顔をのぞき込んできたシィラが、どこからともなく何かを取り出した。それが短剣であるとわかったのは、涙でにじんだ視界に鈍い光が映った時だった。瞬きをすると、冷たい滴が頬へとこぼれ落ちる。

「私からの贈り物です」

 シィラの手の中にある短剣は、ゼジッテリカが持つには少し大きかった。文様のようなものが彫り込まれている鞘は、父の部屋で見た装飾品に似ている。

「リカ様」

 そっと視線で促されて、ゼジッテリカはそれを受け取る。手にしてみると案外軽かった。まるで鞘の中は空っぽであるかのようだ。

「私が作った剣です。リカ様の危険を察知して、結界を張って守ってくれます。大事に持っていてくださいね。大丈夫です、これで人は切れませんから」

 ゼジッテリカは驚いた。シィラはこんな物まで作れるのか。そういえばクッキー作りの際に、物を作るのは得意だと言っていた。あれはこういうことだったのか。

「私が側にいればそれは不要ですけれど、念のためです」

 そう付け加えてシィラは片目を瞑った。今まさに外で戦闘が続いているとは思えぬ悪戯っぽい調子だ。ゼジッテリカはこくりと頷く。どうしてシィラにはそんなに余裕があるのだろう。

「うん」

 頷くと同時にまたガタガタと窓枠が揺れる。ゼジッテリカはびくりと首をすくめた。硝子の向こうで、厚い雲を背にちりちりと赤い炎が輝きながら散っている。

 ここは無事だとしても、外の護衛は大丈夫なのか? 急にそんなことまで気になりだした。テキアのことも心配だ。ゼジッテリカが一人取り残されてもどうしようもない。

「ねぇ、叔父様は?」

 思わずシィラに問いかけてしまってから、無理難題を押しつけたことに気がつく。シィラは何でも知っているような気がしてしまうが、そうではないはずだ。大人が完璧ではないことを、ゼジッテリカは知っている。

 それなのに何故だかいつもシィラは例外なように思ってしまう。

「大丈夫ですよ」

 すると背をかがめたままシィラはゆっくり相槌を打った。

「テキア様もおそらく無事です。テキア様自身は気を隠していらっしゃるのでわかりませんが、バンさんの気は揺らいでいません」

 シィラにそう断言されると、ゼジッテリカはようやくまともに息が吐けるようになった。こういう時、テキアの傍にいられないのは不安だ。いつ魔物が襲ってくるのかわかればいいのだが。

「……うん」

 もう、一人にはなりたくない。これ以上身近な人が亡くなるのを見ていたくない。父の葬儀を思い出し、ゼジッテリカはぎゅっと短剣を抱きしめた。

 戦いが終わればシィラがいなくなる。それをずっと寂しく思っていた。だがそれは戦いが終わることを確信していた証だ。自分はどうもシィラは決して負けないと思い込んでいるらしい。

 しかしその前提は間違っている。何かが終わったとしても、犠牲が出る可能性はある。だからゼジッテリカはもっと欲張らなければならない。全てが終わった時、皆が無事でいること。自分の望みはそれだ。

「大丈夫です、リカ様」

 震える体を、再びシィラの腕が包み込む。確かに、この中なら安全なのかもしれない。

 けれども自分のことだけを考えていてはいけないのだと、気づいたからなお恐ろしいのだと伝えたいのに、ゼジッテリカの唇はまともに言葉を紡ぎ出してくれなかった。

 誰ももう死ぬことがないように。そっと祈りを込めて、ゼジッテリカは冷たい鞘に額を当てた。屋敷の揺れる音が、またひときわ大きくなった。




 戦況は大きく変わらなかったが、疲労が護衛たちを襲っていた。屋敷内の者たちが外に飛び出してくるのを横目に、ギャロッドは歯がみする。

 一体何度結界を生み出したことだろう。もう数えるのは諦めた。大体、相手の数が多すぎる。最初は二匹だけだった魔物に加勢が現れた時は、本気で絶望しそうだった。

 それでもそのまま思考を放棄せずにすんだのは、アースのおかげだ。相手が何匹であろうとも彼は狼狽えなかったし、戦い続けても動きが鈍ることはなかった。とんでもない精神力と体力だ。味方ならこれほど頼もしいものもない。

「しかし、一体どうなってるんだ」

 それでも愚痴をこぼさずにいられないのは、魔物の動きが奇妙だからだ。数を揃えてきているのは、どうやらアースを足止めするのが目的らしい。先ほどから藍色の長髪の男は、姿を消しては現れ、といった奇怪な動きを繰り返している。

 まるで見えない誰かと戦っているかのようだ。まさか例の救世主がどこかにいるのだろうか?

 ギャロッドには何も感じ取れなかったが、いないとは断言できない。夜の襲撃の際も、誰もその気配を掴んではいない。

「ギャロッド殿!」

 と、右手から名を呼ぶ声が聞こえた。慌ててそちらへと目を向ければ、目にまばゆい黄色の長衣が視界に入る。薄暗くてもわかりやすい。あれはバンだ。

「バン殿!?」

 どうして彼がここにいるのか? 何が起こったのかと辺りへ視線を巡らせたが、バンの傍にテキアの姿は見当たらなかった。あの自由な依頼人はどこにいるのか? 動じたままでいると、バンはこちらへと一直線に走り寄ってきた。

「テキア殿を見失いました。気は隠したままのようです。おそらく屋敷内にいると思うのですが」

「どういうことですか!?」

 まさかの申告に、思わずギャロッドは声を張り上げる。同時に、頭上でまばゆい光が瞬いた。またアースの放った炎球が魔物に直撃したのだろうか。

 ちらと視線を上げれば、アースの長剣が四つ足の魔物の体を切り裂いたところだった。真っ赤な鮮血が吹き上がり、その飛沫が近くの砂利にも落ちてくる。思わずギャロッドは片目を閉じた。

 先ほどからアースの動き鋭さを保ったままだ。炎を囮や目くらましに使いつつ、隙を突いて剣で切り捨てることを繰り返している。尋常ではない動きだ。雲の向こうでは日が沈もうとしている頃だが、血と炎によって辺りは赤く照らし出されている。

「実は屋敷の南側が破損しまして。ゼジッテリカ様の部屋に行く通路がふさがれました。それで、慌てて飛び出して行かれまして」

 地が震える音と共に、バンの声が鋭く空気を揺らした。ギャロッドは息を呑んだ。それは最悪の状況ではないか。

 シィラはゼジッテリカの傍についていると信じたいが、その確証もない。まだギャロッドはゼジッテリカの気を覚えていなかった。あの特徴的なシィラの気が無事であることはわかるのだが。

「ギャロッド殿!」

 不意に、バンの声が耳元で響いた。同時に、誰かの生み出した結界が黒い光を弾き返した。ギャロッドのすぐ目の前だ。驚いて眼を見開けば、バンから叱咤の声が飛んでくる。

「ぼーっとしている時間はありませんぞ!」

 その通りだ。頭上で戦っているアースには、さすがに屋敷の方まで気にかける余裕はない。あのシゲンダルと名乗った魔物のせいだ。そうなると攻撃の余波がいつ何時襲ってくるのかわからなかった。これが厄介だ。

 魔物は隙あらば屋敷を目指してくるから、その点でも油断はできない。常に四方八方を意識するのは骨が折れる。

「しかし奇妙ですな。これだけの攻撃の割に、屋敷の守りが多い」

 再びバンの結界が黒い矢を防いだ。彼が何を言っているのかわからず、ギャロッドは顔をしかめる。守りが多いとはどういうことか?

「ここまで数を揃えてきているのなら、屋敷に侵入してもよいでしょうに」

 バンは右手を空へと掲げた。さらりと恐ろしいことを呟いてくれる男だ。ギャロッドの肝は冷える。しかし実際その通りだ。あの瞬間移動の技があれば、今すぐにでも屋敷内に入り込むことができるはずだった。

 それを阻む物があるのか。それとも何かを恐れているのか?

「まさか救世主が?」

 そうであればいいと願いたくなる。正体不明の者に戦況をゆだねるのは馬鹿げたことだが、今は何にでも縋りたい気分だった。心を強く持つための希望は、いくらあってもいい。

「何故だ、どうしてあいつは出てこないっ!」

 すると頭上でひときわ大きな声が響いた。シゲンダルと名乗った男だ。思わず視線を向けたギャロッドは、違和感を覚えて眉根を寄せる。

 何故魔物の方が憤り、動じているのか? シゲンダルの気に溢れているのは色濃い焦燥感だ。動きまで止めていることにも気づいていないらしい。信じがたいことだった。

 やはり彼らは救世主を探しているのか? 藍色に染まりつつある雲を背にした男の姿には、余裕など微塵も感じられない。だがそれはアースを相手取っているからではないのだろう。彼らは常に別の存在を念頭に置いて動いている?

「あいつ?」

 ギャロッドは独りごちた。それは未知なるものを呼ぶ時のものではない。魔物たちはもしや探しているのが何者なのかわかっているのか? その正体に気づいているのか?

 そう考えたのはアースも同様のようだった。空中で静止したアースの気に怪訝な色が混じる。

「そうだ、レーナだ。あいつがここにいるんだろう? それはわかっている。お前ら、一体どこに潜ませた!?」

 どうやらアースが何かを尋ねたらしい。怒声を発したシゲンダルの気が、ますます膨れあがった。ギャロッドは喫驚する。まさか魔物は、ギャロッドたちが「救世主」をかくまっていると思っているのか?

 つまり、いつどこから襲い来るかわからぬあの刃を警戒しているのか。だからあの長髪の男は一定の場所にいないのか。ようやくギャロッドにも掴めてきた。この誤解をうまく利用すれば道が開ける。

「とぼけるなっ!」

 再び、シゲンダルの声が冷たい空気を震わせた。同時にその右手が振り上げられるのが見える。咄嗟にギャロッドは結界を生み出した。また余波をくらってはたまらない。

 太い腕から放たれた黒い光弾。しかしその動きは、今までよりも単調だった。冷静さを失っているからに違いない。無論、それをアースが見逃すはずもなかった。

 ひらりと最小限の動きでアースはそれらをかわす。ついでシゲンダルの腕から伸びた黒い帯には、剣を叩きつけることで対応した。

「くっ」

 ギャロッドは小さく呻く。咄嗟に生み出した結界に、小さな黒い光が次々と直撃した。その度に重々しい煙のような何かが広がる。これでは上空の戦況が確認できない。

「やりましたな!」

 しかしバンは違うようだった。隣から上がった歓声が、ギャロッドに現実を伝えてくる。はっとして気を探ったギャロッドは固唾を呑んだ。鋭さを増したアースの気と、魔物の気が交錯するところだった。

 ――いや、違う。その次の瞬間、魔物の気が消えた。おそらく、あの長剣がシゲンダルの体をとらえたに違いない。

「シゲンダル!?」

 刹那、すぐ頭上で声がした。弾かれたように視線を向ければ、屋根の上にいつの間にかあの長髪の男がたたずんでいた。その目は大きく見開かれ、空を凝視している。

 これで魔物の作戦はおそらく失敗だ。彼らも救世主を警戒しながらアースと対峙するのは避けたいところのはずだ。もちろん、こちらも満身創痍には違いないのだが。

 長髪の男の舌打ちが聞こえるような気がした。ギャロッドは頬へと落ちた汗をぬぐいつつ、息を整えた。

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