第2話

 写真部の部室は、古びた部室棟の片隅にひっそりとある。

 一時期活動を休止しており、さらに部員が千仁と政志だけと少ないせいか、ほかの部室にくらべて、半分ほどの大きさしかない。ひっそりと活動している写真部にふさわしく、こじんまりとした部屋だ。


 ふたりが話をしていたのは、部室の窓際だった。古びたカーテンが、風をかすかに受けてゆれている。終業式の日であるせいか、いつもよりも静かな気がした。

 ふたりの低い声が聞こえてきたのは、千仁が部室に入ろうとしたときだった。


 那智は大学生で、千仁たちの先輩だ。ときどき写真部の面倒をみてもらっているが、ここのところ見かけることはなかった。

 珍しいと思いながら入ろうとしたのだが、ふたりの声音が思いのほか、深刻そうだったので、千仁は足を止めていたのだ。

 そのままドア横の壁にはりついて、耳をすませてしまう。


「……先生、本当に行くんですか」

「ああ。怪奇現象が起きるっていうなら、なおさらだろう」

「でも、ひとりで? あの広い学寮を?」

 那智の声音はすこし苛立っているようにも聞こえる。ふだん、けだるそうに日々を過ごしている那智が声を荒らげるのは珍しかった。

 対して諸泉は、いつも以上に落ち着いた声だった。不自然なまでの落ち着きぶりだ。


 那智の言う学寮とは、ときどき研修で使われる、海近くの宿泊施設のことだろうか。

 千仁は入学してすぐに行った学寮をおぼろげに思い出しながら、ふたりの会話に耳をすませる。

「ほかに人がいないんだ。それに……噂が本当なら、誰かを巻き込むわけにはいかない」

 諸泉の落ち着いた声に、熱がこもるのを感じる。いつもどこか生気のない諸泉が、熱のこもった声を上げるのは、さらに驚くべきことだった。

 いったい、学寮になにがあるのだろう。ドアの向こうでは、不自然なまでの沈黙がひろがっていた。ふたりの緊張感が、こちらにまで伝わってくるようだ。


「先生の覚悟はわかりましたよ。だけど、ここにもうひとりいるじゃないですか」

 那智のどこかあきらめたような声が、緊張感を破っていた。

「だが……、巻き込む訳には……」

「巻き込んでくださいよ。先生はもっと人を使っていいんですよ。何だったら部活の合宿にしたって……いや、それはだめか」

「やめろ。まあ……建前上は部活の合宿にしないと駄目だろうな。まあ、写真部は合宿をしないだろうし、ちょうどいいかもしれないな」


 それからふたりは、日程などをこそこそと話し始める。そんなふたりの話を聞きながら、千仁は呆然としていた。

 怪奇現象。

 思い出してみればそんな噂も流れていた気がする。千仁はあまり興味がなかったので、詳しくはわからない。ただ、ホラー映画さながらの現象が起きているという噂であることは知っていた。


 あの噂に、諸泉たちはどう関わっているのだろうか。あの話からすると、諸泉は噂に関わっているようである。

 さらに合宿と聞いて、千仁の心は跳ねていた。

 諸泉の言う通り、写真部では、今まで合宿を行ったことはない。何せ二人しかいないからだ。

 難しいこととは分かっていたけれど、部活動に熱心な友人が合宿の話をしているのを聞いて、千仁も合宿をしてみたいと思っていたのである。


 もし泊まり込みで部活動ができるなら、早朝や深夜の撮影もできるかもしれない。諸泉に話を聞くことだってできるだろうし、今よりも、もっと近づくことができるかもしれない。

 思いはふくらむばかりだったが、テスト期間で部活動はなかった。テストが終わっても先生は忙しいらしく、姿を見かけることはなかった。それで、終業式の今日まできてしまったのだ。


 今日こそ先生を探して、合宿のことを言おう。

 決心して探した結果、先生は部室にいることを知った。こんなに探したのに、まさか目的の部室にいるとは。何はともあれ、先生を探し出すことはできた。後は相談するだけだ、と思っていたのだ。

 だがこれでは、合宿のことを相談することは難しくなってしまった。きっと相談したところで、のらりくらりとかわされるに違いない。

 けれど、ここまで聞いてしまった以上、何もなかったことにするということは、できなかった。


 合宿をしたいということもあるけれど、何よりも、先生のことが気になって仕方がない。あの先生の「何か」が、怪奇現象に関わっている。

 千仁はかすかに唇をかみしめていたが、とあることを閃いていた。

 のらりくらりとかわされるなら、こっそりと後を追っていったほうが、うまく近づけるのではないだろうか。何時に集合する、という話を聞きながら閃いた考えは、とても良いものであるように思えた。

 いや、先生たちに近づくにはむしろこれしかないのではないか。これこそ名案。

 あとは政志を巻き込むだけだ。


 ぐっと拳を握りしめた千仁のまえで、ゆらゆらと何かが動いたように感じられた。

 え、と声を上げたつもりだったのだが、声は音にならないまま、消えてしまったようにも思える。

 空気が揺れたのは幻だろうかと思った千仁の視界。


 もう一度、まるで陽炎のように大気が揺れて、そして唐突にその空間が破れていた。

「は?」

 今度は声がでた。千仁がひとこと発している間にも、千仁が立つ空間が破れ、そして消えてゆく。むしゃりむしゃりとまるで何かに食べられていくかのようだった。破れた空間は、夜のような闇に塗りつぶされていくのだ。

 あまりのことに、恐怖という感情すらわきおこらなかった。逃げるという選択肢もなく、ただ闇を見上げるだけだ。


 視界が闇におそわれそうになったとき、ゆらりと尾びれのような何かが、泳いでいったような気がした。

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