E10 金髪のあの人

 精神的ダメージを受けたひなぎくだったが、がんばって、女子チームを温泉から部屋へと向かわせた。

 新しい土地に来て、珍しいホテルの温泉に入ったりして、皆も疲れているのだと慮った。

 ホテルのエレベーターを使って五階まで移動できるので、湯冷めしないで済みそうだとも思った。

 ひなぎくは、自分が小児喘息だったこともあって、健康管理には敏感だ。


「はい、お部屋の番号を覚えているかな?」


「五〇三ですね」


 虹花ちゃんより細くて小さな澄花が声を上げた。


「あら、澄花ちゃんの正解。よくできました」


 澄花が大人しいのにはっきりとお話ししたので、よしよしと頭を撫でた。


「虹花も分かっていたもん」


 ぶうっとふくれてしまった。

 それも可愛いから笑いをこらえるのにひなぎくは大変だった。


「そうよね、虹花ちゃん」


「もう、子どもですみません、ひなぎくさん」


 間髪を入れず、蓮花がフォローを入れて頭を下げた。


「うううん……。羨ましいな」


 子沢山の夢のあるひなぎくにとって、それは本音だった。

 五階はあっと言う間だった。


「誰かいるかなー?」


 五〇三号室は、ノックをすると、和が開けてくれた。


「おう、皆、入れよ」


「女子チーム、無事帰って参りましたー」


 蓮花が明るくそう言うと、和も笑っていた。

 ひなぎくは、微笑ましいと思った。

 やはり、兄弟は兄弟が好きなんだとも。


「さっき聞いた飲み物を下へ行って買って来るわ。待っていてね」


「うん、ありがとう」

「ありがとうございます」

「お願いします」


 ちょっと廊下の角を見ると、黒樹が何かしていたので、様子を見に行こうとした。

 和は、何も言わずに、OKサインを出して、内側から静かに施錠した。


「男子チームも帰って来たのだよ、ひなぎくちゃん」


 チャリンチャリンと小銭を入れてガコンと落ちたビールを買う黒樹に肩を叩かれた。


「これは、部屋の鍵だ」


 預かっていた鍵をぶら下げて渡した。


「和くんが開けてくれましたよ。五人ともお部屋にいます」


「OK、ひなぎくちゃん」


 黒樹がビールにほくほくしている時、聞きたかったさっきのこととあの夢の話を持ち出した。


「混浴に、金髪美人さんがおいででした?」


 ひなぎくは、まったりとしてこわばった顔だ。


「急にどうした。こんな田舎に金髪美人? ビーナスなら……。と、これはこれは、ひなぎくちゃん」


 黒樹は、何を怒っているのかさっぱり分からなかった。

 いくらオヤジでも、子ども達のいる手前冷やかすのは父親らしくないと思った。


「金髪の美人さんが好きなのでしょう」


 かなり妬いているなとひなぎく自身も思った。


「え? 今、何の話をしているの?」


 黒樹は、チンプンカンプンだ。

 ホテルは海外の方へも英語で対応しているが、今日は金髪美人なんて知らない。

 むしろ、金髪美人とお知り合いになったら、お尻を触らせてくれと頼んでいるに違いないと今頃混乱していた。


「シテ島のノートルダム大聖堂で、金髪の美しい人を見つめていましたね」


「それは……」


「どなたでしょうか」


 黒樹は、湯上りの薄い頭を掻きながら、気まずそうな顔をしていた。


「元妻の再婚を陰ながら応援していたのだよ。俺との三人の子ども達だって置いて行きたい位のいいヤツなのだろう。ツラ、見せろってな」


「ああ、あれは夢ではなかったのですね」


 何だか疲れたひなぎくの眼差しが憂いて、黒樹は気になった。


「夢だって?」


 ひなぎくにあのノートルダム大聖堂の挙式については教えていなかったから、見たはずはないと不思議に思った。


「よく同じ夢を見るのですが、何かの間違いかと思いまして。事実を見た夢をリフレインしているのなら、構わないです」


 憂いたまま、ふうっとため息をついた。


「では、可愛い黒樹チームが待っていますので。フロントで飲み物について聞いて来ます」


 ひなぎくは、深入りをしたくないと切り替えた。


「おいおい、俺も黒樹だが」


 自分をアピールしてビール片手に指差ししたが、ひなぎくにはまったりと対応された。


「小さいお子さんは、寝かしつけてもよろしいでしょうか?」


 暫し考えてから、黒樹は足りないものを思い出した。


「まあ、それも構わないだろうな。四年前から、母親を知らないんだ。頼む」


 おふざけな黒樹が、頭を下げたのだから、ひなぎくも親になることを深く考えた。

 自分が産んだ産まないはともかく、家庭に子どもが欲しいだけで、自分が親になることを少しも考えていなかった。

 反省すべき点である。


「プロフェッサー黒樹。あの……」


 蓮花さん、和くん、劉樹お兄ちゃん、虹花ちゃんに澄花ちゃん。

 皆、とても可愛いから、私の心は揺さぶられるわ。


「なんだい?」


 黒樹は、ガマンがならず、ここでビールでプッシューと喉を潤した。


「あの……。再婚のお相手はおられるのですか?」


 もじもじとしながら、黒樹に聞いた。


「まあ、それについては。ひなぎくちゃんがバーで付き合ってくれるなら話すよ」


 黒樹は、ごくりごくりと喉を冷やす。


「おいでなのですね。お相手がおられるのでしたら、バーへは、又、今度に致します。私は、不倫をしたくありません」


 ぶっ。


「思わず吹いたよ。誰が不倫をしていると? 俺がか? それともこれからそういう関係になりたいのか?」


 口髭に泡がまとわりついたので、ひなぎくは桜柄のハンカチを渡そうとしたが、そっと拭いてやった。

 優しく拭いていると、黒樹がひなぎくの手首をつかんだ。


「よその男にこんなことをするな。それだけは約束しろ」


 おちゃらけた黒樹と違って、真摯な眼差しでひなぎくはとらえられ、瞳が泳いでしまった。


「は、はい……。申し訳ございません」


 腕を引っ張られた。


「あ、およしになって……」


 くちづけを迫られてしまったひなぎくは、何の抵抗力も自分にはないのだと分かった。


「ひなぎくちゃん、そろそろ、べーべちゃんを卒業したらどうかい?」


「あっ」


 咄嗟に顔をそむけた。


「ちゃんと俺を見ろよ。いつ……。いつになったら、プロフェッサー黒樹から俺を黒樹悠にしてくれるんだよ」


 ひなぎくは、かなり困ってしまった。

 黒樹のことを想っているのに、上手く言い出せない。

 今、何て言ったらいいの?

 黙っていてはいけないわ。


「ごめんなさい……。ごめんなさいしか言い表せないです」


 黒樹の束縛は解けた。

 ぐっとビールを飲み干して、缶ゴミ箱にカランと捨てた。

 ヤケになっているようだ。


「先に部屋へ行く。話があるから子どもが寝たらバーへ来るように」


 逡巡してから、ひなぎくはゆっくりと頷いた。


 バーでは何を。

 まさか、プロポーズを。

 その前に、再婚の問題が。

 こうして、旅行をするのも初めてのひなぎくは、想いにあふれていた。

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