Ⅰ ラブ∞家族

E03 日本へ時の旅

 ――二〇一七年九月。


 アトリエデイジーの立ち上げ目前、ひなぎく二十八歳、黒樹四十五歳の秋。


「どうした? ひなぎくちゃん。パリから東京までは長旅だ。コーヒーでも貰おうか」


 今は、EAE航空の機内だ。

 ひなぎくは、黒樹と二人で国際線に乗り込んだ。

 十三時三十五分、飛行機が地面を蹴って飛び出した所、そろそろ退屈になって来た。

 到着は九月十二日九時二十五分、時間はまだまだある。


「うふ。プロフェッサー黒樹は、カフェオレマックスお砂糖がお好きなのではないですか?」


 ひなぎくは、思わずクスリと微笑んでしまった。

 旅が好きなのだが、誰と行くかで楽しさが違って来る。

 こんなに素敵な旅はないと嬉しさを隠せないでいた。


「いいだろう。今日位、カッコつけたって」


 すねた黒樹も可愛いものだとひなぎくは思った。


「ミルクは頼みましょうね」


 優しくキャビンアテンダントに一言付け加えた。


「ひなぎくちゃんに子ども扱いされたくなーい!」


 黒樹にちょっと大きい声を出されたので、ひなぎくは、びっくりしてしまった。

 普段、おとなしく小声で話すものだから。


 飛行機は、ゴウゴウと目的地へと進んで行った。

 ひなぎくと黒樹の夢の詰まった『アトリエデイジー』は、T県の二荒神町ふたらしんまちに建てるができているので、成田空港へと向かっている。

 まだまだ、時間が掛かりそうだ。

 暫く、ひなぎくと黒樹はこれからについて話していた。


 

 ――ひなぎくは、うとうととして来た。


 甘ったるい夢を見始めた。 

 あれは、ひなぎくが二十五歳の頃だ。


『思い出します。プロフェッサー黒樹……。黒樹悠教授。パリのシテ島で、おとことして貴方の寂し気な背中を見たのを』


『どなたかの結婚式を見つめていましたね。その方はとても美しく、キラキラした瞳で結った金髪もベールから輝いていました。胸元には、美しいブーケ。私みたいな控えめ過ぎるタイプとは違うハツラツとした方でした』


『プロフェッサー黒樹……。好きな方が……。愛してやまない方がいらしたのですね』


『でも、私はこのままでも構いません。一緒にいられるだけでいいとさえ思っています。父が命名してくれた白咲ひなぎくと言う立派なフルネームがあるのですが、ひなぎくちゃんと子ども扱いに呼んでくださいますね。それでも、嬉しいものなのですよ』


『私には夢があります。二十九歳には、日本に帰って、大学生時代に訪れた二荒神町に、プロフェッサー黒樹に教わって沢山作ったレプリカで、美術史を学べるアトリエデイジーを立ち上げること』


『ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから、お茶などをお出しして、一所懸命お客様と楽しい美術を語り合いたい』


『プロフェッサー黒樹、私の夢にお付き合い願えますか?』



 ゆっくりと瞼を起こすと、黒樹が、ひなぎくの寝顔を見て微笑んでいた。


「ふう、飛行機に乗っているだけでも十二時間近いものな。来年の五月十五日で二十九歳のおばさんにはこたえるだろう」


 ひなぎくは、誕生日だ二十代ラストだとからかわれる度に、二十九歳になるのだと実感した。

 同級生もさっさと結婚して行く中、ひなぎくは、生涯独身かと思われている節がある。

 ひなぎくの男性遍歴は、惚れっぽいらしいけれども、いつも言い出せないで頬を染めるだけで終わるタイプだ。


 高校一年が初恋だった。

 お相手は、同じ美術部の三年生だった神崎亮かんざき りょう先輩で、その次に好きになったのは、亮先輩の大学へ行ってお知り合いになった仲村慧なかむら けい先輩だ。

 年上であればある程、好きになりやすい傾向がある。


 幼稚園の頃から絵を描くのが好きだった。

 学校の他に、近くの絵画教室の風月和香ふうげつ のどか先生に師事した。

 私立源八千代みなもとやちよ幼稚園の時は、喘息で体が弱く、思うような生活はできなかったが、四葉大子よつばたいし町立南四葉みなみよつば小学校、私立ふじ中学校、私立ふじ高等学校の間では、絵画教室へ通えた。


 国立上野うえの大學藝術学部げいじゅつがくぶに受かった時は、うさぎみたいに跳ねた。

 そして、国費留学でパリへ、アール大学大学院と進学して行った。

 その留学したばかりの時に、プロフェッサーとしての黒樹と知り合い、次第に人には言えない想いを抱くようになった。


「私もプロフェッサー黒樹も年を取るのですよ」


 ひなぎくは、又、からかわれてしまったと思っているのだが、大抵をまったりとして返すので、黒樹はからかい甲斐がそれ程ないと感じている。

 けれども、黒樹は、女性であれば話すのを止められないのだから仕方がない。


「あら、プロフェッサー黒樹。おじさま推定年齢四十何歳になられるのではないですか?」


 ひなぎくは年上の方にどうも惹かれてしまい、ついつい二人で年齢の話をする。


「ふー、はははは。まだまだ薄くもないし、漢としても何でもできますよ」


 ひなぎくは、何となく黒樹がもたれかかっている窓辺の席は寒そうだと思い、自分の分まで毛布を掛けてみた。


「俺に気なんか遣うなよ」


 一種の照れなのか、黒樹はありがたく毛布に包まれて、飛行機の真っ黒な外を見ていた。

 ひなぎくもよかれと思うことはするようにしている。


「これから、アトリエデイジーをがんばって作りましょうね」


 頷いたのか分からないが、黒樹がコクリとした気がした。


 旅は、始まったばかりだ。

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