スピリチュアル・ダーリン
矢田川怪狸
第1話
ウチには付き合って三年になる彼がいる。
三年一区切り、三年目の浮気とか、そういうのはウチらには関係ないの。
だってウチのダーリンはちょっと特別なんだもん。
朝、モーニングコールをくれたダーリンが言った。
「冴、今日は家を出るとき、右足からな」
「え~、なんで~、右とか左とかめんどくさい~」
「お前、俺の能力を忘れたの? 視えるんだよ、左足から出たお前がどんな不幸に会うのかが、さ」
「え、マジ、こわい~、うん、右足からね」
そう、うちのダーリン、未来予知?ができる人なのね。あと、動物の言葉もわかる、ってか、聞こえるんだって。
ウチには欽ちゃんって猫がおるんだけど、これ、ダーリンが助けてあげたのよね。
あれは冬の寒いときね、捨てられてた欽ちゃんはすごく弱ってて、今にも死にそうだったの。でもね、私は欽ちゃんを死なせたくなくていろいろ頑張ったんだよ。
だけど欽ちゃんは衰弱していく一方で、もうダメかもって思ったとき、ダーリンが言ったの。
「こいつ、生きることをあきらめてるな」
「ええっ、どういうことなん?」
「つまりさ、自分はもうダメだって知ってるんだよ。だけど、死んだらお前が泣くだろ、だから死ねないんだってさ」
それからの私はもっと頑張ったんだよ。欽ちゃんの生きる気力の元が私なら、私が頑張れば欽ちゃんは元気になるんだって信じて頑張った。
そのおかげで、欽ちゃんは今も元気だよ。
そんな不思議で素敵なダーリンだから、クラスでも人気ものなの。
今日も私が学校につくと、ダーリンの机の周りには人が集まってた。だけどダーリンはそんな人の壁を投資したみたいな正確さで立ち上がり、私に手を振ってくれたの。
「冴、どうだった?」
「うん、ダーリンの言ったとおり、右足からお家を出たよ」
「なんにもなかった、だろ?」
「そうだねえ、何にも起きなかった」
「あれが左足から出ていたら大変だったぞ、まずは家を出てすぐに犬のうんこを踏む」
「そういえば、犬を散歩させてるおじさん、いたかも。あのうんこを踏んじゃうところだったの?」
「そうだ。だけどお前がいい子で俺のいうことを聞いたから、運命は変わった」
「すご~い、またダーリンに助けられちゃったね」
「気にすんなよ、お前を助けるのは俺の仕事……だって、カレシだろ?」
周りが「ひゅ~っ」って盛り上がる中、ダーリンは私を抱き寄せてくれたんだ。最高にドラマチック。
ね、素敵なダーリンでしょ。
そんなダーリンの彼女である私も素敵女子なわけで、ダーリンがいるのに告白してくる男子が結構いる。
だから、同じクラスの高屋君に呼び出されたのも、いつも通りの告白だと思ったんだ。呼び出された場所も人気のない空き教室だったし。
でも、すでに待ちかまえていた高屋君は、私が教室に入るなり不快そうに眉を寄せた。
「まあ、立ち話もなんだから、座ってよ」
適当な机に座る。高屋君とは対面の席だ。
そういえば教室の戸、私、閉めたっけ?
それを確認する間もなく、高屋君は話始めた。
「きみさあ、あのカレシ君の言うこと、信じてるの?」
「ああ、未来予知? 信じてるよ、だって、今まで何度も助けられたもん」
「ふうん、助けられた……ねえ」
「あ、高屋君が疑うのも無理はないと思うよ、普通の人は未来予知とか、動物の死期がわかるとか、スピリチュアルだもんね、胡散臭いよね」
「まあ、そうだな」
「ダーリンもね、テレビの超能力とかは嘘だって言ってる。ああいう嘘つきの人ばっかりテレビに出るから、ダーリンみたいな本物の能力者の肩身が狭くなるんだって」
高屋君が笑った。すっごく冷たい表情で。
「ふふん、すごいな、君のカレシ君は」
何だろう、教室の中が急に寒くなったみたい。体がガタガタ震えてくる。
高屋君は急に身を乗り出して、囁くような声で言った。
「忠告だ。あまり浮かれないほうがいい」
「え、それってどういう意味?」
「例えば君に死を見通すような能力があったとして、『あの人もうすぐ死んじゃうよ』なんて軽はずみに口に出すか?」
「わ、わかんないけど、言っちゃうかも。だって、未来がわかるのってすごいじゃない!」
「ふ、ここまで子供だったとはな。案じた僕がバカだったよ」
高屋君は姿勢を崩さず、声だけで私に命じた。
「さあ、話は終わりだ、出て行きたまえ」
「え、告白じゃないの?」
「告白? 僕は確かに君に好意を寄せている、それゆえに『忠告』した。だけどそれだけだ。僕は負けるとわかっている勝負はしない主義なんだよ」
「よくわかんないけど、告白じゃないのね」
「いいから、もう出て行きたまえ」
だから私は、ドアを左手で開けて、その教室を出た。
おばあちゃんの容体が急変したという知らせを受けたのは、その三日後のことだった。
さっそくダーリンに相談する。
「あ、ちょっとおばあちゃんがヤバいかも」
ダーリンは電話の向こうでずっと黙っていた。
階下でお母さんの怒鳴る声。
「冴、早くしなさい、飛行機に間に合わないでしょ!」
それが合図だったみたいに、ダーリンは声を出した。振り絞るみたいに苦しそうに。
「冴、喪服の用意をしていけ」
「え、それって」
「ああ、おばあちゃんはもうだめだ。死ぬよ」
ウチは「ふ~ん」と思っただけだった。おばあちゃんはもう年を取って長い間入院していたし、そのうち死ぬんだろうなって覚悟はできていたし。
ただ、ダーリンの言う通りに喪服を荷物に突っ込んでおばあちゃんのところについた。
案の定、ウチらが着くとおばあちゃんの生命維持をいつ止めるかの話になっていた。
だからそのままお葬式になって、喪服を持ってた私は用意の良さをみんなに褒められたりもして、完全勝ち組だったわけ。
それから数日後、部屋でダーリンとまったりしている最中に、お母さんが入ってきた。
お母さんは少し髪を振り乱して、さっきまで泣いていたのか目が真っ赤だった。
おばあちゃんのお葬式が終わってからずっとこんな感じ。たぶん精神のどこかをやられちゃってるんだと思う。
だから私はお母さんを避けていたんだけど、この時はもう逃げられないように、お母さんは部屋のドアを塞いで立っていた。
「冴、あんた、おばあちゃんが死ぬのわかっとったと?」
「ああ、うん、ダーリンから聞いたから」
お母さんはすごく怖い顔でダーリンをにらんだ。
「あんたは、なんでわかっとったと?」
「あ、いえ、わかっていたというか、視えるというか」
「だったらなんで、教えてくれんかったとね」
「ひ、人の運命っていうのは決められていて、抗うことは……」
「猫は助けたのに?」
「あれは……」
「うちは知っとおよ、あんた、うちの子をそそのかして、猫が生きるのをあきらめてるとか言いよったけん、うちの子はこづかいまではたいて治療しよったとよ」
「で、猫は助かったじゃないですか」
「じゃったら、なんで今回は助けてくれんと?」
「それは……」
お母さんが後ろ手に回していた手を、ゆっくりと前に差し出した。そこにはぐったりとだらしない肉の塊となった欽ちゃんがぶら下がっていた。
「お母さん、なんてことを!」
「なんでカレシさんは、助けてくれんかったと? こうなる前に止めに来ればよかあに」
お母さんが投げた欽ちゃんの死体は、ダーリンの足元に転がって恨めしそうな目で天井を見上げていた。
部屋にはただ、短く痙攣した悲鳴だけが響いていた。
スピリチュアル・ダーリン 矢田川怪狸 @masukakinisuto
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