第二章40『代理』

 水に揺蕩うような深い眠りから意識が覚醒してから、翔がその朝取った行動は平常の時のものとは同じようで違っていた。その目が最初に確認したものが傍らに置かれた時計であることには変わりなかった。しかし時計を見るその目は、その時計が指す日時を見る前から既に憂鬱を含んでいた。そしてその日時を改めて確認してから、翔は改めて絶望的な気分となる。それはその時計が示す月日、否、が、翔の願いに反したものであったからであった。


「……西暦年、か」


 その四桁の数字を見て、翔はまた一つため息をつく。それでもまだ楽観的思考を捨てきれずに、翔はその時計の電池が抜けていないかだとか、どこか故障しこわれていないかだとかを入念に点検する。だがやはり、その時計には何の以上も見当たらなかった。


 最後に残された希望として、翔は自らの頬を思い切りつねる。だがそんな淡い希望も、その瞬間生じた鈍い痛みによってかき消されたのだった。


「時計の故障でもない。よく出来た夢、って訳でもなさそうだ」


 そう分析してから、翔は頭を抱えて呟く。


「……ってことはじゃあ、やっぱりなのか」


 そう、などと指示語でその事態を表現しようとしても、それは直接的な事態の解決にも現実逃避にもならない。そう諦めてから、翔は改めてその状況に嘆息した。


「……俺は、また未来に飛んじまったんだな」


 その翔の言葉は、昨日自らの身に起こった出来事が、夢であれば良かったのにという願いを含んでいた。否、正確にはそらの出来事は『昨日』の枠には収まらない。正確にはもの月日を経た『昨日』である。とはいえ翔にとってその一連の悲劇が起こったのは正に『昨日』であり、だからこそその記憶は鮮明に、鮮烈に、翔の脳裏に焼き付いていた。


 そう、どれだけ実際に月日が経っていたとしても、翔にとってそれは前日の出来事。翔はその全てを覚えていた。未知の知能を持つ、化け物のような強さの『新種』の獣に遭遇したことを。その『新種』に対して自らが勝手な行動をしたせいで三人の先輩に怪我を負わせたことを。その内の一人が、翔達生き残りを逃がすために命を賭して『新種』に立ち向かっていったことを。そして何よりも、その一人の勇士の行動を蔑ろにするように、翔が他の遠征隊を連れて未来の世界に逃げたことも。


 頭の中に次々と浮かんでいくそれらの情景シーンに翔はその気分をさらに憂鬱にしながらも、それらを振り払いなんとか身体を起こす。そしてカプセル型のその寝床をなんとか這い出してから、一つ伸びをしてから呟いた。


「……一〇時から事情聴取、だっけ。急がないとな」


 その翔の言葉通り、その日予定されていたのは遠征隊と基地との情報交換、という名のフィルヒナーの質問攻めの時間であった。昨日遠征隊が基地に帰還した時、基地側の人間フィルヒナーも遠征隊もその状況の整理をしたがっていた。しかしその時点で時刻は既に深夜に差し掛かっており、また遠征隊が二人の怪我人を背負ってもいたため、詳しい話は翌日にしてその日は各々身体を休めることとなったのだった。


 翔自身も今の基地の現状をフィルヒナーから改めて聞くこと自体は、望んでいた。自らが引き起こしてしまった事態であるが為に、その償いをするべきなのが翔なのは明白だからであった。しかし翔がそうして憂慮しているのは、その状況整理の段階で、『時間跳躍』の秘密について遠征隊の人間にも明かさなければいけないということだった。


「……もう隠し通せる方法も無いし、そんなことする権利もないのはそりゃ分かってるけど……」


 翔は不安だったのだ。その秘密を明かした時、遠征隊が翔にどんな感情を抱くか。翔がどんな好奇の目に晒されるか。遠征隊かれらが、翔を気味悪がるか否か。


「……まぁ、嫌われるそれだけの事をしたんだから当然か」


 翔はその自らに渦巻く不安を無理やり押さえ付けて、改めて立ち上がった。そして少しずつ、しかし確かな足取りで、その事情聴取の行われる場所である『会議室』へと向かい始めた。


 ──もう俺が、英雄ヒーローだなんて存在ものじゃないのは分かってる。けどだったら、だからこそ、償わなきゃいけない。


 そうして翔はその会議室の前に立ち、その扉に手をかけて呟いた。


「……謝って許されることじゃないってのは分かってる。けど、せめて必死に謝らないとな」


 それは翔が一晩悩んで固めた、せめてもの贖罪の決意だった。勿論翔は謝ること自体がその事態の解決になどなり得ないことは分かっていた。しかしだからといって、翔にその事態を打開する力など無いし、その事態を改善する方法も思い付いてはいなかった。ならば翔にすべきことは、翔が唯一できること、その誠意を見せる他ないと考えたのだった。


 その決意と共に、翔はその扉にゆっくりと力をかけ、その扉を開けた。


 その扉の向こうの世界で、その決意の甘さを突き付けられるなどとは知らずに。



 ********************



 翔にとってその部屋は、存在は知りつつも入ったことは無い不思議な部屋であった。会議室という名称の通り、部屋の中央に置かれた長机や無機質な内装が特徴的なその部屋は、一説には基地のリーダーたるフィルヒナーの私室化しているらしかった。


 それもそのはず、そもそも会議室そんなものが設置されているのが奇妙な程、この世界ではその部屋の有用性はほとんど無い。この猛吹雪の世界では、ただ椅子に座って何かを考えているだけでは凍死するのみだ。正に弱肉強食、食うか食われるか。そんな世界において話し合いの場など何の使い道もない。それこそ今現在、翔達が直面しているような奇妙な事態に遭遇した場合を除いて。


「……さて、では始めましょうか」


 その長机の中心、翔の正面に座ったフィルヒナーがそう口火を切った。その一言に、翔とその横に並んで座る遠征隊の面持ちが緊張の色をはらみ始める。話を切り出したフィルヒナーも、真面目な面持ちで遠征隊を見る。その口火から数秒後、フィルヒナーは自らの左前方に座る元二の方を見て言った。


「まずは遠征隊あなたたちの話を聞かせてもらいましょうか。先の遠征で、貴方達の身に一体何が起こったのか」


「……わかった」


 そのフィルヒナーの言葉に、元二は頷いて返す。


 そうして元二は、その遠征で起こった悲劇について、詳細に語っていった。もちろんその話の中に、三年もの時間を超えたことに関しての話はない。それもそのはず、元二達遠征隊は未だ翔の『時間跳躍』の力の存在を知らないのだ。しかしその元二の話を聞いて、フィルヒナーはこの状況が翔の引き起こしたものであるであろうと気付いたらしく、途中その目線を翔の方に鋭く向けてきた。


「──っ!」


 そのフィルヒナーの冷たい視線に、やはり自らにはもう逃げ場など残されていないのだと翔は自覚する。フィルヒナーは数少ない、翔の『時間跳躍』を知る人間である。そんな彼女にとっては、先の元二の話から何が起こったのかを推測することはそう難しいことではなかった。


 しかし彼女も、その鋭い視線を向けられ暗い表情になる翔の様子を見て何かを悟ったのか、『時間跳躍』の存在には言及をせずひとまず呟いた。


「……そうか。ご苦労だったな、遠征隊。昨日は話も聞かずに怒鳴り散らして悪かった」


 そのフィルヒナーの冷然とした謝罪の言葉に、元二は頭をポリポリと掻きながら答える。


「……いんや。まさか遠征の最中に三年も時間が経ってたとは思ってもなかったからさ。こっちこそ長く基地を空けて悪かった。怖い思い、させちまったよな」


 その元二の言葉に、フィルヒナーは苦い顔になる。その顔色を見る限り、元二が心配した通り遠征隊のいない三年は基地の人間にとって相当大変なものだったらしい。その事に気付いた元二は、話を逸らすように兼ねてから頭によぎっていたその疑問を口にした。


「……それにしても、何で遠征隊おれらは三年も未来の世界に来ちまったんだ?」


「──っ!」


 その元二の、何も知らない素朴な疑問に翔は悲痛な顔で押し黙る。


 ──言わなきゃ、いけない。


 遠征隊がいよいよその疑問を持ちかけた今、翔には彼らに真実を告げる義務がある。翔のその力、『時間跳躍』のことを告白しなければいけない。


「……あの、隊長」


「お?」


 突然そう切り出した翔に、その場の視線が一気に集中する。とは言ってもその場にいるのはフィルヒナーと重傷を負っていない遠征隊員、つまりは翔と元二とベイリーの三人ほどしかいなかったのだが。


 それでもその三つの視線が全て自分に向けられたことで、翔は一瞬物怖じする。フィルヒナーは既に『時間跳躍』のことを知っているとはいえ、その翔の告白はこの事態を引き起こしたのが他でもない翔であると立証するものでもある。そして生き残った遠征隊にとっては、その告白は新たに知ることとなる驚愕の事実となる。その言葉の重みを改めて実感しながら、翔は震える声で続ける。


「……実は、俺、俺は……!」


 だが、その続きの言葉は翔の前に伸ばされたフィルヒナーの手によって遮られる。突然のそのフィルヒナーの行動に翔が驚くと、フィルヒナーは冷静な口調で言った。


「その話はひとまず後回しにしましょう。……とても、長い話になるでしょうから」


 そのフィルヒナーの言葉に、それが最もな言い分であると思った翔は押し黙る。その翔の行動に了承の意を読み取ったフィルヒナーは、一つ咳払いをしてから話し始めた。


「……それでは次に、三年の間の私達基地側の人間の動向をお話しましょうか。どうやら、それが気になってる人も少なくはないみたいですし」


 そのフィルヒナーの言葉通り、翔や元二はその三年間の生活に疑問を抱いていた。遠征隊という最高戦力を欠いた彼らが一体どうやって暮らしていたのか。


「……特に、食糧だよな。遠征隊おれらが居なかった間、どうやってそれを手に入れてたのか」


 その元二の呟き通り、翔の最も大きな疑問はそれであった。食糧の獲得は何よりも重要な遠征隊の仕事の一つである。外に出て猛獣けものを狩り、その肉を基地に持ち帰る。最高戦力たる遠征隊が居なかった間、その危険な役目を誰が引き受けていたのか。


 その元二の言葉に、フィルヒナーは淡々と答える。


「やはりそこが気になりますよね。では、手始めにそこから話をしましょうか」


 その言葉を皮切りに、フィルヒナーは淀みなく話し始めた。


遠征隊あなたたちが居なくなったとなってから、やはり最初に生じたのは食糧の問題でした。幸い貴方達が居なくなった頃は『新種』の捜索のため度々遠征に行っていた時期ではありましたので、最初はその有り余る備蓄食糧を食いつないでいました」


 そのフィルヒナーの言葉に、翔は遠征隊があの時期に姿を消したことが不幸中の幸いであったことを悟る。フィルヒナーの言葉通り、あの遠征前翔達は嫌という程遠征に度々行っていた。その回数の多さから、一度に獲って来る食糧の量は普段よりも少なめであったが、それでもその日々の中で大量の食糧の備蓄が出来ていたことには変わりない。


 そうして翔が数奇な運命に少し感謝をしているさなか、フィルヒナーは話を続けた。


「……ですがやはり、三年もの月日をその備蓄のみでやり過ごすことは不可能でした。基地で栽培しているのは少しの穀物と食料のみ。やはりどうやっても食糧確保のための遠征が必要、そう考えた私達は、代理の遠征隊を立てました」


「代理……?」


 そのフィルヒナーの言葉に、翔はそう呟く。それにフィルヒナーは冷然として答えた。


「代理と言っても、その内の一人は貴方達もよく知るフィーリニ様です。貴方達が出発してから少しして目を覚まして、数日後には問題なく動けるようでしたので遠征をお願いしました」


 そのフィルヒナーの言葉に、翔は暗に自らの相棒の無事を知って密かに安心する。が、その話の本題はそこではなかった。


 と、その時、その部屋に小さくノックの音が響く。


「入っていいぞ」


 その音を聞くやいなや、フィルヒナーは小さくそう言う。それと同時にその扉は開かれ、その向こうにいた二人の人物が姿を現した。


 その二人のうち、一人は白髪の少年であった。身長は既に翔と並ぶであろうか、少し幼さの残るその顔立ちに、翔はどこか既視感を覚えた。


 もう一人はまだ幼い少女であった。その黒髪やどこか優しい印象を覚えるその目尻に、翔はまた既視感を覚える。


「……?」


 しかし翔がその違和感の正体に気づくより前、フィルヒナーが話し出した。


「彼らが代理の遠征隊です。といっても、貴方にとっては顔かもしれませんね、カケル」


 そのフィルヒナーの言葉に、何かが繋がったかのように翔は気付いた。その二人の、代理遠征隊の正体に。


「……キラ、コハル……?」


 その翔の呟きに、少年は冷然と答えた。


「久しぶりですね。


 ……カケル、


 そうして翔は、三年前自らが救ったその子供と、予期していなかった形で再会することとなったのだった。

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