間章05『追憶』

「……それで、最後の一つの理由は何なんです?」


 未だ走り続けていた一行は、もう基地内を半ば捜索し切っていた。翔は息を切らしながらもフィルヒナーにそう質問した。事が大事になった理由の最後のひとつを。


「先程言った通り、あの白衣はあの子アンリ以外にとっても特別なものでな……。


 簡単に言えば、あれはただの白衣ではない。あれにはあの子の母親が残した、暗号化されたメッセージが隠されている」


 その言葉を聞いても翔はすぐにその意味が掴めなかったが、彼女の母親というのが誰を指すのかに気付きハッとする。


「……『朝比奈遥』の遺言……!?」


「そうだ。その内容は定かではないが、この世界の『外』に蔓延るガスに関してのことだとから聞いた」


 本人、つまりは朝比奈遥とフィルヒナーは面識があったのか、と翔は驚く。勿論同じ基地に住んでいれば全く互いのことを知らない、などということは無いだろうが、それほどの機密情報を話されるということは、それだけ信頼されていたということの裏付けでもある。


「……フィルヒナーさん、朝比奈遥と、仲が良かったんすね……」


 その言葉を聞いて、フィルヒナーが思い浮かべたのはいつの情景であっただろうか。二十五年前、まだ幼かった彼女に、突拍子もなく話しかけてきた、その少女のことを思い出していた。


「ねぇ、あなた、フィルヒナーちゃんでしょ?

 ヒナちゃんって呼んでいい?」


 その少女は高校の制服の上に白衣を纏っていた。あまりにも陳腐な見た目であったが、その実彼女が日本の救世主、朝比奈遥であった。


 幼かったためか、フィルヒナーはその少女のその言葉に後ずさりした。すると少女は少し残念そうな顔をしてから、またニッコリと笑ってこう言った。


「私、アサヒナ。アサヒナ、ハル。

 フィルーとアサ。私達、名前が似てるわね!」


 思えばだからどうした、といった理論であった。昔からその女は自分だけの謎理論で話をするものだった。しかし何故かその言葉が、フィルヒナーの幼心にとても暖かく聞こえたことを覚えている。


「……別に、大したことは無いさ」


 フィルヒナーは一つため息をして気持ちを切り替えた。


「昔の話さ。遠い昔の、もう忘れててもおかしくないような遠い昔の話だ。なのに、何で覚えているんだろうな」


 その時彼女フィルヒナーがどこか遠くを見つめてたのを、翔は見逃さなかった。


「……先を急ぐぞ。ここまで走り回って見つからないということは、アンリがいる場所はもう知れたようなものだ」


 フィルヒナーにそう言われ、今一度翔は踏ん張り、足を動かすのだった。



 ********************



 フィルヒナーと翔、そしてフィーリニの三人組がその戦いの跡地に到着したのは、その会話のすぐ後のことであった。


 蹲る一人の男はショックで気絶しており、至る所に爆発の痕跡があることからフィルヒナーはそれらがアンリの戦いの残骸であることに気付いた。


「……だとしたら一体どこに……」


 肝心のアンリが行方不明となっては意味がない。フィルヒナーは途方に暮れていると、その時その場に倒れていたその男が意識を取り戻した。


「ひぃ! ゆ、許してぇ!」


 翔にはそれが何か虚言を言っているように思えたが、フィルヒナーはそれがアンリがこの男をいじめ抜いた結果であるとすぐに推測した。フィルヒナーはその男に詰め寄り、その胸ぐらを掴みその男に尋ねる。


「おい、お前。

 あの子アンリはどこに行った?」


「ひぃ!」


 そのフィルヒナーの、目の前の男を射殺さんとするほど鋭い眼差しに男は正気を取り戻し、歯がガタガタと震えるのを何とか押さえつけながらたどたどしくも答える。


「……俺の仲間に追われて、向こうの方に走っていった……」


 男の指差す方向にあるのはただ一本の道、そしてその先にあるものは、この基地に来てからおよそ半年になる翔にもすぐに分かった。そこは立ち入り禁止キープ・アウトの区域。そして……


「……この先にあるのは換気扇だけで、つまりはこの先は行き止まりデッド・エンド……」


 アンリの運動能力の高さは翔はあまり知らないが、成人男性おとなの本気からそう長時間は逃げられるとは思えない。何よりもこの先には、逃げるための『道』がない。


 そう結論付けてから、翔が駆け出すまでは早かった。そしてそれに呼応しフィルヒナーがその男を組み伏せ、フィーリニは翔に伴って走り出した。


「カケル! 私はこの男を拘束してからそっちに行く! あの子を、アンリを頼んだ!」


「了解です!」


 翔はそう返事し、フィーリニと共にアンリの進んでいった先へ進んでいく。それを見送ってから、フィルヒナーは眼下の男を見る。


「……さて、お前を拘束するにあたって、もう一度気を失ってもらうのと凍気フリーガスで身体まるごと凍らせるのではどちらがいいだろうか」


 男は少女に受けた恐怖に加え、今自分を組み伏せているこの女のその冷徹な言葉によって、もう戦意を喪失していた。


「……痛く、ない方でお願いします……」


 何とも情けない声で男がそう返事をすると、フィルヒナーは一つため息をして言った。


「それは困ったな。私は、


 その嗜虐的な言葉に、男はかつて聞いた伝説の戦士のことを思い出し、戦慄する。


「ま、まさかアンタ……! あの伝説の……!」


「なんてな、安心しろ。さっきのは冗談だ。

 まぁどの道、裏切り者おまえらについて洗いざらい吐いてもらう時に、痛い思いはしてもらうがな」


 そう言い嗤う女を見て、男は自らのその憶測が不運にも的中していたことを悟り、そしてその瞬間、その場には男の声にならない叫びが轟いた。



 ********************



「……うわ、フィルヒナーさんやっぱおっかねぇ……。思えばよくあんな人にタメ口で話してたな、初期の俺」


 走る翔は、聞こえてきた男の悲鳴断末魔に身震いしながらも前へ前へと足を動かす。走る通路の至る所に発砲の痕跡があることから、敵が銃を持っていることを確認し、その事実にも身震いした。


「……アイツ、大丈夫かよ……」


 たとえ科学知識が膨大であったとしても、『天才アサヒナハル』の血を継いでいたとしても、所詮は十やそこらの少女だ。拳銃ハンドガンを持った大人相手に勝てるはずもない。それどころかその身の無事すら保証はできない。


「まぁ、それでもちゃんとした知識があるんだったら、どこぞの不幸少年みたいに『熱膨張って知ってるか?』みたいなこと言わず逃げてくれてるかな」


 もしくはどこぞの空手少女のように銃弾を避けようとしないか、などというささやかな不安もあるが、少女がそれほど無茶はしないことを翔は願うばかりだ。


「……とにかく、急がねぇと」


 翔はそんなことを考えながらも走る速度を緩めなかった。伊達に体力バカの遠征隊で数ヶ月訓練を積んでいないのだ。そうして走り出してから間もなく、例の突き当たりにぶつかる。


「……いない、な」


 しかし少女の姿は見当たらない。困惑する翔の視界に、上へと伸びていく階段が入った。


「……ここって確か……」


 以前フィルヒナーに基地内を案内してもらった時のことを思い出す。この基地の人間の信用を勝ち取った時のことではなく、危うく彼が誘拐されそうになった事件のあとのことだった。


 翔は疑問に思っていたのだ。外には有毒ガスが満ちている。しかしこの基地には大勢の人間が住んでおり、彼らはこの基地の空気を吸って生きている。ならばこの基地のどこかに、


 その翔の疑問は正しかった。そしてその空気浄化システムが、この階段の上にあるとフィルヒナーに教わったのだ。


「……逃げ道はそこしかない、か」


 階上には浄化する空気を取り込む換気口とそれを浄化するゴテゴテとしたもの機械しかない。しかし裏を返せばそれは少女が一人隠れるには絶好の場所である。


「……アンリ、今すぐ助けに行くぞ」


 意気込み、翔はその階段を登り始めた。


 そしてその翔の頭上、少女アンリは最上階、換気口の眼前まで追い詰められていた。


「……『詰み』だよ。アサヒナ・アンリ」


 その裏切り者の言葉に、アンリはニヤリと笑ったのだった。

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