第一章10『女』
目が覚め、翔の目に最初に映ったのは気を失ったフィーリニの姿であった。手に重さを感じるので見てみると、翔の手には手枷がついていた。そして見てみると、不自由なのは足もであった。
最後の記憶に残る男のセリフにこの状況。どうやらあの謎の防護服に連れ去られたらしい。ここは翔とフィーリニを捕らえておくための牢屋のようなものか、と翔は推測する。
目の前には鉄格子。距離は5mほどだが、そこまですら縛られた枷の長さで届きそうもない。それでもなんとか手を前に伸ばすが、やはりその手は空を切るばかりだ。
と、突然、どこかでドアが開く音がした。
瞬時に翔は意識を失ったままの演技をする。その行動は半ば反射であった。ここに入ってきたのが何者かは分からないが、まだ気を失ったフリをしていた方が良さそうだと翔は考えたからであった。
カツン、カツンと足音が鉄格子の向こうで少し止まり、また遠ざかっていった。その速度がやけに遅く感じられたのは、翔自身緊張をしていたからであろう。
額を汗が伝う。この猛吹雪の世界で、運動をしないで汗を流すことになるとは思いもしなかった。最もそれは冷や汗と呼ばれるものであるから、どのみちこの世界が冷たいものであることには変わりないのだが。
暫く足音が響いてから、またドアの開く音と閉じる音がした。その場に誰もいなくなったのを薄目で確認してから、また翔は身体を起こした。
──こっちを確認していった……?見回りみたいなものか……?
だったら身の振り方には気をつけなければならないだろう。わざわざ翔とフィーリニをここに入れたあたり、気を失っているふりをしていればひとまず何もされることはなさそうだ。二人を殺す気ならばもうしているだろう。
──まぁ、殺す気は無いにしてもこれは好意的な歓迎ではないな。
屋内であるから外の猛吹雪の世界よりは暖かさを感じられるが、それでも鉄格子に地面も冷たいコンクリート製だ。彼らはひとまず翔達をここに捉えておくことにしたようだ。その目的までは計り知れないが。
──ひとまず、思考を整理しよう。
いつまでもこんなところに寝転がってもいられない。翔は気を失ったフリをしながら自問自答した。
──まず、ここはどこだろうか。
謎の連中に囚われたのは失敗だが、ここは屋根があり、風雪は凌げる環境であるのは不幸中の幸いだな、と翔は思った。
そして同時に、恐らくここは地下なのだろう、と翔は推測していた。先程見回りを見送った時、この空間の上に登る階段のようなものが見て取れた。外へ通じる窓のようなものがないため、それは翔の推測でしかないが。
ここが地下だとするならば、翔達がここから脱出したいのならばあれを登らなくてはいけないのだろう。もっとも、脱出をするためにはまずこの枷をどうにかしなければどうにもならないのだが。
──ひとまずどうにかしないとな。
翔は隣にいるフィーリニを、なるべく静かに起こそうと試みた。数分後、何とか彼女は意識を取り戻し、うすらぼんやりと翔を見た。
「……フィル、この鎖引きちぎれるか?」
翔は小声でそう囁いた。フィーリニは腕に万力の力を込めそれを引きちぎらんとする。翔の期待通り、ピキピキという音とともに鎖にヒビが入り始める。
が、その時翔は先程とは違い油断をしてしまっていた。そのため、その鎖が千切れるか千切らないかといった時、上階からのドアが静かに開かれていたことに気付かなかったのだった。
「妙な真似はしないことをオススメする」
階上のその女からの言葉は紛れもなく翔達への警告であった。そこに立っていたのは、金髪碧眼、見るからにキツそうな性格をしている美女であった。
あれが恐らくここのリーダー的存在なのだろうと翔は推測した。それにしても、見た目は完全に外国人、アメリカかそこらの出身のように見えるのにああも日本語を流暢に話すのはやはり翔は違和感を覚えた。
──まぁ、そんなもの異世界の鉄板ではあるから許容はするさ。
などと翔は心の中で冗談を言ってはいたが、その実余裕はなかった。起きていたこと、そして脱走を試みていたことがバレてしまった以上、そう易々とここから脱出ができなくなってしまった。
しかし目の前の女の指示に従わなかった場合、どんな仕打ちを受けるとも分からない。翔はフィーリニに目配せし、鎖にかけていた力を解かせた。
「やはり言葉が通じるか。なかなかよく出来たスパイらしい」
目の前のその美女がそう言いながらこちらに近づいてくる。カツ、カツと小気味いい足音とともに、後ろで束ねられた髪がゆさゆさと揺れる。同時にその下についた大きな胸部の脂肪も…
「どこを見ているんだ下衆が」
と、氷点下の視線で睨まれ翔は縮こまる。引き笑いをしつつ、翔は目の前の女を観察する。
改めて日本人離れしているが、異世界人と言うにはあまりにアメリカンな人間だ。その女は目つきの厳しさに似合ったスーツのようなものに身を包み、足には先程の音の原因となっていたヒールのようなものが履かれている。改めてこの世界の文化レベルの高さが立証できたところで、翔はその女の観察をやめた。
その美女は鉄格子の前まで歩いてきてぴしりと止まった。そして口紅か何かで薄らと赤く染まったその唇が、また開いた。
「その牢屋の環境はどうだ?原始人」
一瞬言葉の意味が分からなかったが、どうやら原始人というのは翔の事のようだ。攫われた時と同じ格好、つまり学ランの上にマンモスの毛皮に身を包んでいるのだ。確かに一見すればさながら原始人であろう。
「……まずまず、ってところかな。
これでこの手枷足枷がなくて、ついでに鉄格子が無ければ最高だ」
とりあえず翔は目の前の女の役割も、ここがどこかも、これから翔達がどんな事をされるかも分からない。分からないならば、目の前のこの女から探っていくしかないだろう。
「……いくつか質問をしてもいいか?
流石に訳も話さずにこんなところに入れるなんて、おもてなしにしては少し過激だと思うんだが」
目の前の女はその言葉にピクリと眉を動かした。
「……しらばっくれるか」
ボソリと呟いたその言葉は、翔の耳には届かなかった。
「……いいだろう。ただし三つまでだ。その三つの質問には、私が知り得ることを全て話してやろう」
目の前の美女はそうも毅然として答えた。冷酷そうな見た目をしているが案外慈悲深いのかもしれない。最も、それが翔達を騙しているという可能性もあるのだが。
ひとまず、翔は思案する。この訳もわからない状況で、ひとまず三つだけは、真実を知る権利を得たのだ。この世界のこと、その疑問の全てを三つの質問で解決することは不可能であろうが、それでもその得られた真実が翔達にとってとても重要であることには変わりないだろう。
さて、ともすると最も重要な問題は、その三つの質問の内容である。目の前の美女が「三つ」と強調した通り、恐らくそれ以上の質問は認められないだろう。翔は元々弁論術などに優れているわけでもないが、仮に優れていたとしても目の前の女を言いくるめることは不可能であろう。目の前の女はそういった強さを持っているだろうと、初対面ながらに翔は悟った。
さて、ならば三つの質問をどうするか。その三つで翔の疑問をなるべく解決させておきたい。そんな三つの質問のセレクトについてだ。どんな質問をするか、それが問題である。
まず第一に、質問は「YES」「NO」で答えられる形態より5W1H、つまり詳細に返されるものの方が良いというのは考えがついた。例えば箱の中に何か果物が入っているとして、「ここに入っているのはリンゴか?」と聞くよりも「ここには何が入っているんだ?」と聞いた方が質問の数が省けるのは言わずもがなであろう。
ならば疑問詞、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」。これらを駆使して質問を構築するのが第一条件であろう。
ならば次、この状況で聞くべきことは、翔には二つに分類されると考えた。この世界についての疑問、つまりは単純に知的好奇心などを満たすもの。それともう一つ、相手の情報、つまりはここから脱出するための鍵となるものである。
前者は知ればこの先のこの世界での生活は幾分か変わるだろうが、そもそもこの牢屋から出られなければ意味が無い。後者は今ここから脱するために必要な情報ではあるが、ここから脱してしまえばほぼ使えない情報となる。ならばどちらも聞けば、この場も脱することが出来、引いては今後の翔の生活も変えることができるだろう。
そして最終段階、具体的に何の質問をするか、である。この世界に対する疑問ならば、「ここはどこだ」なり「何故ずっと吹雪いているんだ」なりいくらでも聞くことがあるだろう。後者の脱出のための情報としては、目の前の女の所属している団体、その内容や組織図、またはこの基地のようなものについて詳しく聞いてもいいだろう。組織の目的自体が分かればそれを上手く使い交渉することが可能であろうし、その他の情報でもまた然りだ。
と、そこまで思考を巡らせてから、目の前の女がこちらを覗いているのに気付いた。
「……随分と考え込んでいるようだが、生憎愚図に使う時間はない。
早く質問しなければ、三つも質問に答えないかもしれないぞ?」
挑発的に女は笑ってそう言った。確かに彼女の言うことも最もだ。早く結論を出さなければいけない。質問のチャンスを逃さず、そしてそのチャンスを最大限利用する方法を、考えねば。
最初の質問はやはりこの世界についての疑問だろう。一番の疑問、「ここはどこなのか」。やはり最初の質問は、それにしようか。ここが地球なのか、異世界なのか、はたまた別なのか。それを知るだけで、色々と立ち回りも変わってきそうだ。翔が知りたいことの最重要事項でもある。そうしてやっと、翔は重い口を開いた。
「……じゃあ、最初の質問だ。
ここは……」
と、そこまで口に出してから翔はあることに気付いた。そして、質問の内容を咄嗟に変えることにした。
「……ここは、
そう、翔はにやりと笑って聞いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます