僕はゾンビの姉妹に何度だって恋をする
上下左右
第1話 僕はゾンビの姉妹と出会う
日差しで乾ききった道路の先、小高い丘の上に安藤雄一の目指す場所はあった。用水路に生える水草と道路沿いに生い茂る低木が、この場所を人の寄り付かない地の果てだと証明しているようだった。
安藤は病院を目指すべく歩を進めるに連れて、カラスの鳴き声が大きくなっていく。それだけでなく、道路脇で車に撥ねられた動物の死骸が腐った匂いを漂わせ、彼を病院から遠ざけようと何か不思議な力が働いているかのようだった。
「憂鬱だ……」
安藤は独り言を漏らす。これから彼は二人の姉妹と会うことになっている。姉妹は彼の幼馴染であり、つい先日、彼の母親の再婚により、戸籍上の姉妹となった。だが元幼馴染と云っても、最後に会ったのは二年も前の話である。人見知りの彼にとっては見ず知らずの他人に会うに等しい緊張を覚えた。
長い道のりを経て、病院へたどり着く。整備のされていない道中と比べ、病院の中は田舎にありがちな老人の医者がポツリといるだけということもなく、最新の機材と若くて優秀な医療スタッフが忙しく働く姿は、大学病院にさえ匹敵していた。
安藤が受付の女性に姉妹の名前を伝えると、病室の番号と、そこへの行き方を親切に教えてくれる。女性に一礼し、病室へ向かう道中、彼はどうしても姉妹のことを考えてしまった。
姉妹は安藤の知る限り、最も美しい女性たちだった。それはこの街一番というだけに収まらず、芸能人やモデルまで含めたあらゆる女性たちよりも美しいと確信できるほどに、彼女らの存在は眩しかった。
そんな彼女たちに再会できることを、安藤は楽しみに思う反面、不安でもあった。カバンから一枚のプリントを取り出し、今日のホームルームでの出来事を思い出す。
●
「赤崎彩さんと赤崎沙耶さんのお二人は、深刻な病気にかかり、入院しています。もちろん入院していると云っても、私たちのクラスメイトであることに変わりはありません」
担任の遠坂が悲しみを含んだ声でそう口にする。彼女は外見のフワフワした雰囲気からも分かる通り、人は皆、善人だと信じている、残念になるほどの博愛主義者であった。彼女は言葉を続ける。
「二人は死人病という病気に感染しています。どんな病気かは皆さん知っていますね?」
「知っているぜ。ゾンビ病だろ」
クラス一のお調子者である藤田聡が手を挙げて答える。金髪にピアス。さらには整った容姿で一部の女性から人気のある男だ。軽薄という言葉が似合う性格で、安藤とは悪友と云える仲だった。
「ゴホン。ゾンビ病と云う俗称で呼ぶ人もいますが、あまり感心できる呼び方ではありません。以後使わないように」
「はーいっ」
「では死人病について先生から軽く説明します。良く覚えておくように」
そう言って、遠坂は死人病について語り始める。
死人病は治療方法が発見されていない不治の病だ。完治することはありえず、一度感染すると、一生を病院で過ごすことになる。ほとんどの感染者は一〇代から二十代のうちに症状が悪化して死に至る。
死人病は様々な俗称が存在する。どれほどの美男美女でも一度感染すると、ゾンビのような外見に変わるためゾンビ病と呼ばれることもあれば、発症の感染源となった場所が群馬県であるため群馬病と呼ぶ者もいる。
「そんな可哀想な赤崎さんたちに学校からの連絡プリントを届けてくれる人を募集します」
「ちょっと面白そうだし、俺がやっても良いぜ」
「意外だな……」
安藤が率直な感想を漏らすと、クラスメイトたちからも同意の声が挙がる。
「だってさ、赤崎姉妹と云えば、この街一番の美人だって話だ。お近づきになりたいだろ」
「けどゾンビみたいな外見に変わっているんだろ」
藤田と仲の良い村上が口にする。
「そっか……なら俺はいいや」
「自分の欲望に素直な奴だな」
「村上に権利を譲ってやるよ」
「いらねぇよ。それに死人病に俺まで感染したらどうするんだよ?」
「その心配は無用ですよ」
教師の遠坂は話の流れがマズイ方向に進んでいると判断して口を挟む。
「死人病は真祖と呼ばれる感染源か死人病患者が血を吸わない限り感染をしません。つまり同じ空間にいても感染することはありえません」
「けどそれって裏を返せば、死人病患者が感染させようとすれば感染させられるんだろ。安心だって言うなら、先生が持っていけばいいじゃん」
「先生は……いろいろと忙しいのです。藤田君以外に持って行ってくれる生徒はいませんか?」
遠坂は問いかけるが、今の藤田とのやり取りを聞いて、手を挙げる者などいるはずもなかった。膠着状態が続き、誰もが口を閉ざす。そんな静寂を切り裂いたのはやはり藤田であった。
「そう云えば、安藤の母親が赤崎の父親と再婚したんだろ」
「誰から聞いたんだ?」
「情報源は秘密さ。それよりも安藤は赤崎姉妹と家族なんだから、お前が届けるのが一番自然だ。そうだろ、皆?」
皆が自分でなければ誰でも構わないと、藤田の言葉に同調し始める。断れる雰囲気ではなかった。
「まぁ、安心しろ。安藤の顔はゴリラにそっくりだから、ゾンビも怖がって襲ってこねえよ」
「うるせぇ」
その後、何とか断ろうとするも、クラスメイトたちからの圧力に屈し、安藤は病院へ行くことに同意するのだった。
●
赤崎姉妹の入院している病院は群馬県と埼玉県の県境にある星空市に位置していた。星空市は人口が二五万人と埼玉県では草加市の次に人口の多い都市で、人が集まるのには理由があった。
一つは新幹線で東京から一時間と交通のアクセスが良い点。もう一つは死人が支配する群馬県への唯一の出入り口である点だ。群馬県は中の死人を外に出さないために、県境を囲うように天に届くような巨大な壁で覆われている。そんな群馬県に許された唯一の出入り可能な門を持つ星空市には、研究者や軍人、死人病から新薬を生み出そうとする企業やそこに群がる大勢の人々が集った。
そんな都会の星空市にあって、赤崎姉妹の入院する病院は、対照的なほどに周囲に何もない場所に建てられていた。というより死人病患者のみを収容する星空病院があるために、近くに家や商店を作ろうとする者が現れなかった。それでも病院が金に困ることはない。莫大な補助金と患者家族の寄付金のおかげで星空病院は最先端の医療施設を導入したとしてもお釣りが出る程に儲かっていた。
そんんあ金回りの良い病院の廊下を進み、目的の病室へとたどり着く。「失礼します」との声と共に中に入ると、そこには病院服を着た一人のゾンビがいた。ゾンビは腰まである長い黒髪と小柄な体格のおかげで女性だと分かるが、顔写真だけなら、肌が紅く変色し、歯が剥き出しになっているせいで、女性だと気づけないだろう。
ブラインドのついた大きな窓を見つめていたゾンビは来訪者に気づき、驚きの表情を浮かべる。
「赤崎彩さんですか?」
安藤がためらいがちに訊ねる。
「はい。そうですが……」
「俺は安藤――」
「覚えているよ。あっくんだよね」
「あ、ああ。久しぶりだな」
「あっくんだー。あっくんが来てくれたー」
自分と再会できたことに無邪気に喜ぶ彩を前にして、安藤の中から死人病の感染者に対する恐怖は完全に消え去っていた。
「俺なんかが来ても良かったのか?」
「良いに決まっているよ。お見舞い来てくれる人も随分といなかったから、顔を見せてくれただけで泣きそうなほどに感動したよ♪」
「それはなによりだ。今日俺が来たのは、これを渡すためなんだ」
あらかじめ用意しておいた学校の連絡事項が記載されたプリントを手渡す。内容を確認すると彩は悲し気な表情で俯いた。
「修学旅行の連絡か。一年後、私生きていられるのかな……」
「一年もあれば死人病の特効薬も開発されて元気になってるさ」
「そうかな……」
「きっとそうさ」
それから安藤と彩は色々な話をした。彩が病室で起こった出来事、安藤が学校で体験した出来事。そしてクラスメイトたちが彩のことを心配しており、プリントを届ける係も立候補して何とか勝ち得たものだと彼が話すと、彼女は「……優しいな」と嬉しそうにはにかんだ。
「姉さん。あれ? お客さん?」
扉を開けて病室に入ってきたのは一人の少女だった。少女は綺麗な黒髪を頭の上で纏め、髪型だけなら活発な印象を与えた。しかし紫色に染まった死人病患者の肌と、真っ白な病院服のせいで、活発な印象は打ち消されてしまっていた。
「もしかしてパパ?」
「久しぶりだな」
安藤が振り返ると、少女は残念そうな表情の後に疑問の言葉を口にする。
「……誰?」
「咲ちゃん。あっくんだよ! あっくん! 昔、一緒に遊んだでしょ」
「いたわね、そんな人も」
安藤は姉妹揃った二人の姿を見て、何だか安心する。彼は姉妹が死人病に感染し、心までゾンビになってしまったのではないかと危惧していた。しかし彼女らは外見こそゾンビのような姿になってしまったが、温厚な姉と活発な妹の内面までは大きく変わっていないように思えたのだ。
「で、そのあっくんが何しに来たの?」
「学校のプリントを持ってきてくれたの」
「そうなんだ。てっきり怖いモノ見たさで、ゾンビになった醜い私を見物しに来たのかと思ったわ」
「咲ちゃん!」
安藤は先ほど感じたことが間違っていたと知る。昔の咲は決して自虐の言葉を口にするような性格ではなかった。
「久しぶりに会えて嬉しいよ、咲」
「そ、そう。それなら良いのだけれど」
安藤のまっすぐな言葉に、咲も嘲笑が含まれていないと気づいたのか、少しだけ態度が柔らかくなった。
「今日二人に会いに来たのは連絡を伝えるためだけではなく、もう一つ重要な話があるんだ」
「重要な話?」
「ああ。もしかすると父親から聞いているかもしれないが、俺の母さんと二人の父親が再婚することになった。つまり彩は俺の姉に、咲は俺の妹になる」
学年は三人とも同じなのだが、彩は四月生まれ、安藤は九月生まれ、咲は三月生まれであるため、このような関係性になっていた。
「あっくんが家族になったんだね。私はとても嬉しいよ」
彩は安藤が家族になることをすんなり受け入れる。一方、咲の反応は許容でも拒絶でもなかった。
「パパ再婚したんだ……」
咲は残念そうに言葉を漏らす。思えば咲は子供の頃、いつも父親にべったりだった。父親も彩より咲を溺愛していた。
「そっか。そうだよね。きっとパパもママが死んでから寂しいはずだもんね」
咲は机の上にポツリと置かれた花柄の写真立てを手に取り、悲し気な表情を浮かべる。写真には子供の頃の咲と彩、そして幸せそうに微笑む両親の姿があった。
「その写真立て、可愛らしいデザインだな」
「パパが子供の頃にくれたの。昔はパパも私のことを愛してくれていたから、こんなプレゼントを幾つもくれたの」
「今でもきっと愛しているさ」
「そんなはずないわ。もう一年もパパと会っていないの。それにパパが私を見る目、まるで化け物でも見ているようだったわ」
「…………」
安藤は何も口にすることができなかった。彼も二メートル近くある身長と筋肉質な肉体、そしてゴリラのような醜男に生まれたせいか、両親から愛情を注がれることはなかった。だからこそ咲の気持ちが人一倍理解できた。
「そうだ。安藤にお願いしたいことがあるのだけど」
「なんだ? なんでも遠慮なく言っていいぞ」
「この作者の別の本を買ってきてくれない。パパがくれた本なんだけど、この人の作品とても面白かったから」
「フランツ・カフカか。『審判』で良ければ家にあるから持ってきてやる」
「ありがとう。楽しみにしているわ」
咲は笑顔で礼を云う。安藤は彼女の手に持つ本に視線を巡らせる。握られていた本のタイトルは『変身』。家族が化け物になり、家族に嫌悪され、家族に殺される話だった。
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