第28話『魔王の勇者 VS 劫掠の勇者』
まるで巨人の拳を、連続で受け止めているかのような衝撃。それは対勇者用に設計された猟銃、レイジングウルフからの攻撃だった。
エアバーストモードで炸裂する榴弾――その爆発に晒されながらも、ダエルはドームという絶対安全圏の中から、襲撃者に向けて啖呵を切る。
「その程度の攻撃がどうした! この衝壁はなァ、神竜級の攻撃ですら完全に防――」
ガラスを叩き割るような音が、ダエルの背後で鳴り響いた。
そしてダエルの高らかなプレゼンテーションは、突如、強制的に終了させられる。――彼の頬に拳が喰い込んだのだ。その渾身の一撃に、ダエルは身構えることすらできず、顔がくの字に折れ曲がる。
「ぐへあッ?!!!」
ダエルは無様に殴り飛ばされ、砕け散った衝壁の破片と共に転がる。彼はボタボタと鼻血を流しながら急いで立ち上がり、殴りかかった男にガンを飛ばす。
「ゲハッ! ぅグッ! 俺の衝壁を突破しやがっただと?! ……ハハハハハッ! ギャハハハハハハッ! おもしれぇ! やっぱおめぇおもしれぇよ! この糞野郎が!!」
狂喜の笑みで発せられる罵声。それを吐きかけられた人物は、どこ吹く風と涼しげな顔で冷笑した。
「最強の盾……でしたっけ? それにしては随分と脆弱な魔法構造ですね。私の拳すら防げないような欠陥防壁では、とても話にはなりませんよ」
その姿を目にしたダークエルフ達から、大地を揺らすほどの歓声がどっと沸き上がる。
勇者ダエルに唯一対抗できる存在――レイブン。その彼が無事、大砦に帰還を果した。
しかもただ帰還しただけではない。我が物顔を誇っていたダエルの顔面に、邂逅早々、爽快な一撃を喰らわしたのだ。
まるで痛快娯楽劇のような登場の仕方に、拍手と歓声が湧くのはごく自然な流れだった。
勇者帰還に沸く歓声の中で、ダエルは口に流れ込んだ血を吐き捨て、レイブンに問いかけた。
「ペッ! なぜ俺様の衝壁を突破できた。 あれは魔法も物理攻撃も防ぐ絶対防壁――トリックがあんだろ?」
「わからなかったのですか? まぁ教えてあげてもいいのですが、私はテレビに登場するような、手の内を簡単に晒す悪役には成り下がりたくありません。どうかその頭で、時間の許す限りご推察下さい」
ダエルは煽り立てられが、彼は怒りを抱かなかった。それよりも、自分を楽しませてくれる猛者が現れたのだ。
送り込んだ歴戦の部下を殲滅させる程の力量。そして死を繰り返す輪廻の中、観測者からハイテクノロジーを享受したという、妄言のような異色の経歴。
このわくわくさせる挑戦者との再会に、ダエルは込み上げる悦びを隠しきれなかった。彼は両端の口角を上げ、狂気染みた笑みを浮かべる。待ち望んだ宴が、ようやく開幕したのだから――。
「あぁそうかよ! ま、いいや。どんなトリック使ったのかは知らねぇが、俺は最強の矛と盾を持ってんだ!! たとえ盾は駄目でも、まだ矛がある!!」
ダエルは秘剣レーヴァテインを共振させる。少女の悲鳴のような共振音を引きずりながら、レイブンに斬り掛かった。
「前に戦った時は偽物の聖剣だったが、てめぇのアドバイス通り今度は本物の聖剣だ!! 秘剣とかいう胡散臭いネーミングだが、いい美声で泣きやがるんだぜ。この剣、ほんとマジそそるわ~」
レーヴァテインから発せられる悲鳴。まるで剣自体がダエルを拒絶し、誰かに助けを求めているかのようにさえ聞こえる、凄惨かつ悲痛極まるものだった。
レイブンはその耳障りな斬撃を躱しながら、付かず離れずでダエルとの距離を保つ。一切攻勢に出ようとはせず、ダエルに攻撃をさせ続けた。
「おいおいなんだよ、避けてんじゃねぇよ! それじゃ斬れ味試せねぇじゃん。もしかしてビビッてんの?」
「出血熱に感染しているとはいえ、わずか数秒で戦いを終わらせる気ですか? 戦闘狂のあなたにしては、ずいぶんと雑な冗談ですね」
「なら、張り合いのある振る舞いしたらどうだ? 俺に殺意と憎しみを存分にぶち撒けてよぉ! スリル満点の戦いしようぜ! さもないとお仲間の女共、目の前で一人残らずバラバラになっちゃうかもよ~」
ダエルはレーヴァテインを共鳴させ、思わせぶりな台詞を口にする。それは、レイブンの心を揺さぶるのに十分なものだった。
「今までお前は、俺に負け続けたんだよな? お前は俺になにをされた? ん? 当ててやろうか。 負けた連中の目の前で、大切にしているものを片っ端からぶっ壊されたろ!!
んん~? おっとその顔は……どうやら正解らしいな。 まぁ無理もねぇ、あの瞬間は最高にゾクゾクするからな~」
ダエルはサディスト特有の見下した視線で、邪悪な笑みを浮かべる。
「――ていうことは、お前も味わったんだな? その敗者の屈辱ってやつをよぉ!
なぁなぁなぁ、俺にさぁ、どんな事だされたんだ? 教えてくれよ~。幸いあの砦には女共がたんまり、たぁ~くさんいるんだぜぇ~。俺様直々に実践してやるからよぉ!! ほらほらほら、早く早く早くぅ! ウヒッ、ヒャハハハ!!! ギャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!」
ダエルの狙い通り、レイブンの瞳に殺意が宿っていく。ポーカーフェイスだった眉間にシワが寄り、微かに不機嫌を匂わせる顔になった。
それを確認したダエルは、今がその時とレイブンに向かって走りだす。心を乱した者は判断能力が鈍る――とくに、普段冷静沈着で冷徹な仮面を付けている人間ほど、一度心にヒビが入れば驚くほどの速さで、その亀裂は広がっていく。ダエルは数多くの拷問を愉しむ中で、そうして人が壊れていく様を目の当たりにし、学習していたのだ。
ダエルは斬り掛かると見せかけて180度回転――バックロールターンでまんまとやり過ごす。そして彼はそのまま、レイブンの横を素通りし、ある場所へと向かって行く。
ダエルは勘付いていた。
レイブンがたった一人で砲撃を行い、その隙に後方へと回りこんでストレートパンチを下す――そんな事は不可能だ。
誰かもう一人、陽動のため砲撃支援を行った人物がいる。ダエルは射撃の方向から大方の採算をつけ、その人物から始末しようと目論んでいた。
主道の外は舗装されておらず、敵の侵攻を鈍らせるため、鍾乳石や岩がそのままの状態で放置されていた。足元が悪いその場所を、ダエルはエンチャント魔法で加速を掛け、標的を探して疾走する。
そして彼の予測は的中した。折れた鍾乳石の影に身を隠す、エレナの姿を見つけ出したのだ。
「ヨッシャあ! 見つけたァ! さっきはよくもバカスカ撃ちこんでくれたな!」
「――ッ?!」
「おかげでゲロぶち撒けそうになったじゃねぇか!! たっぷりと、その礼はさせてもらうぜ!!」
エレナはレイジングウルフを構え、ダエルに向けベオウルフ弾を撃ちこむ。初弾と二発目こそ外したが、三発目がダエルに命中する。
ベオウルフ弾は自爆し、大量の破片をバラ撒く。
だがその爆炎の中から、衝壁を展開したダエルが姿を現した。
ダエルは衝壁によって四発目の爆風も無力化させながら、エレナとの距離をさらに詰めていく。
そして彼は想像する。
この女が死ぬ時、奴の仮面は心と共に粉々に砕け、その本性が露わになる――その時、奴はどんな顔をするのだろうか?
仲間が死んだ絶望に、その心を犯されるのか。
それとも冷徹紳士の仮面を脱ぎ捨て、死んだ女の名を叫ぶのか。
ダエルはそれを想像しただけで、嬉しさと愉しさが込み上げ、嬉々として顔に現れてしまう。
「無駄無駄無駄ァ! 雑魚がどう足掻こうが、勇者様に敵うはずねぇだろ!! 死ねぇえぇぇえぇ――――ッ!!!」
ダエルは跳躍で飛び上がると、レーヴァテインを大きく振りかぶる。そして衝壁に使っていた魔力を収束させ、そのすべてを刃の一線に集中させた。甲高い悲鳴のような共振音――それがエレナに向け、渾身の力と共に振り下ろされる。
だがその刃が、エレナに届くことはなかった。
ダエルの右腹部に、17000ジュールの殺意が喰らいついたのだ。
それは圧倒的破壊力で肉を抉り、内蔵を肉片へと加工しながら脊椎を分断――そして左腹部に大きな射出口を形成させ、体内から飛び出していった。
エレナを殺すと豪語していたダエル。だが彼は空中で上半身と下半身に分断され、臓物を撒き散らしながら地面を転がった。
◇
「ふぅ! あっぶねぇあっぶねぇ! 間一髪だったぜ」
ダエルを仕留めた人物は、このヒヤヒヤする展開に肝を冷やしていた。無理もない。ぶつけ本番でいきなり、この大役を担わされたのだ。
エストバキア最後の勇者を葬ったのは、
ゼノヴィアはM82 バレットのスコープ越しから、エレナの無事を確認しようとする。
スコープの中では、レイブンがエレナの元へと駆け寄り、彼女の無事を確認していた。レイブンとエレナはゼノヴィアの方向へ振り向き、手を上げて無事であることを報せてくれた。
ゼノヴィアはスコープの中に映るその姿に、ほっと胸を撫で下ろした。
「――にしてもレイブンの野郎、無茶言いやがるぜ。俺に『二人で勇者の気を引くから、その隙にとどめを刺せ』だなんて。このマスケット銃を持つのでさえ、今日初めてなんだって言うのに、よっと!」
ゼノヴィアはそう言いながら飛び上がる。
獣魔族特有の跳躍力を活かし、倒壊した鍾乳石の柱や岩の上を飛び、レイブン達の元へと駆けつけた。
その降り立ったゼノヴィアを、レイブンが称賛する。
「ゼノヴィア、実に見事な射撃でした」
ゼノヴィアは手渡された称賛を受け取るが、その顔は浮かない表情だった。
「レイブン。えっと……あ、あんがとよ。でも本当にこれでよかったのか? お前の手で復讐するのが筋ってもんだろ? なのにそれを、俺なんかが手を下しちまって……」
「優先すべきは一刻も早く零戦で空へ上る事です。個人の復讐心と多くの仲間の命。優先順位の天秤に載せるまでもありません」
「そうだけど……でもこれじゃ! お前がスッキリできないだろ! アイツは、お前の事を何度何度も殺しやがった宿敵なんだろ! そんな憎むべき相手を、無関係な俺なんかが……」
ゼノヴィアは感極まって言葉を詰まらせてしまう。どうしてもこの終わり方に、納得できずにいたのだ。
確かに彼の言う通り、レイブンやエレナが囮になる作戦は、あの現状でもっとも早期解決できる最善の策だった。
そして敵国の騎士を討つ事は名誉であり、それを束ねる者となれば最高の誉れだ。その機会を与えてくれたレイブンには、ゼノヴィアも心から感謝している。
だが果たして、これでよかったのか?
レイブンが今まで味わってきた苦しみ――その積年の憎悪を無へ還す機会は、失われた。
彼は宿敵を討てなかった未練と共に、生きていかなければならないのではないか。そうした不安が拭いきれず、彼女の心に重く伸し掛かっていたのだ。
それを察したレイブンは、ゼノヴィアの頭をそっと撫でながら、彼女の優しさに痛み入った。
「ゼノヴィア……あなたは本当に優しい
ですがその復讐にこだわり、グレイフィアやアーシアを救うことができなかったとしたら……それこそ私は、一生後悔しながら生きなければなりません。
もうこれ以上、あの殺人鬼に人生を引っ掻き回されたくはないのです。ましてや、そのせいで仲間を失うとなれば尚の事です」
レイブンは視線をゼノヴィアからエレナ、そして勝利に沸き立つダークエルフ達へと移す。城壁沿いにはシルエラを始めとするダークエルフ達が並び、その中にエストバキア弓兵の姿も確認できる。レイブンは歓声に応えるべく、彼女達に手を振って健在であることを報せた。
「ゼノヴィア。私には……この勝利だけで十分満足なのです。どんな形であれ、因縁に決着を付けることができればそれで――」
「――おっと、そいつは嘘だな。建前で言ってる臭いが、ここまでプンプン臭ってきやがる」
水を差す言葉によって会話が遮られる。
エレナがそれを行った人物を目にし、「そんな馬鹿な!」と喫驚する。そのエレナに続くように、レイブン達もまた、戦慄と悪寒に襲われる。
――そこには、体を分断されたはずのダエルが、何事もなかったかのように立っていたのだ。
大口径の弾丸によって分断されたのが嘘のように、その体は血の一滴どころかかすり傷一つもない。――まるで、上半身と下半身が分断されたのが嘘のように、彼はヘラヘラと嗤いながら、その場に立っていたのだ。
だがダエルには、対物狙撃銃が着弾した痕跡が刻まれている。
Raufoss Mk 211の貫通によって、身に付けていた鎧やインナーは吹き飛ばされ、まるで剣闘士のように上半身肌の状態だった。
それはまさしく、12.7mm NATO弾をその身で受け止めた、なによりの証である。
ダエルは布切れとなったインナーを千切り棄て、吹き飛ばされた箇所をさすった。そして絶句しているレイブン達を見て、愉快愉快と嘲笑う。
「いやぁ~さすがにビックリしたぜ! まさかこの異世界で、銃をお目にするとは夢にも思わなかったな! あー、その銃ってあれか? ベジタ―とかいう観測者からプレゼントか?」
「ベジタ―ではありません、ビジターです」
「どっちでもかまいやしねぇんだよバァ~カ。人の揚げ足を取ってんじゃねぇよクソメガネが! 空気読めよ空気!」
ダエルは転がっていた薬莢を拾い上げ、まるでペン回しのように手の中で弄びながら、レイブンを煽った。
「にしてもそいつらのテクノロジーも、全ッ然大したことねぇのな。ビームライフルでもレーザー銃でもなくて、実弾のしょぼい銃をよこすなんてよ。――それともアレか? お前ってさぁ、魔族だけじゃなくてビジターにも嫌われてんの?」
「嫌われているということに関しては、あなたに遠く及びませんよ――」
レイブンはそう言いながら、ダエルから見えないよう腰に手をまわし、城壁にハンドサインを送る。宛は零戦の使い方を知るシルエラだ。
戦いは延長線にもつれこんでしまった。そのため少しでも時間を短縮すべく、いつでも零戦が発進できるよう準備を進める指示を出したのだ。
使用しているハンドサインは、エストバキアで使われているものだ。ダークエルフも独自のハンドサインを使用しているが、精密さではエストバキアに軍配が上がる。なにせ必要とあらば、モールス信号のように言語でのやり取りもできるのだ。
レイブンは密かにハンドサインを送りながら、ダエルにビジターの科学技術がいかに優れているのかを説いて見せる。
「ビジターの持つテクノロジーは、我々の世界の比ではありません。彼等の世界ではプロトン砲や重力素子射出砲、ニュークリアカタストロフィーが実戦配備されています。それを使えば、あなたを消し炭にするのは容易いでしょう」
「ほら、やっぱり嫌われてんじゃねぇか。信頼されてれば、俺みたい聖剣やら秘剣やらを好き放題に使わせてもらえるんだよ」
「正気ですか? 地上を汚染し、生物が住めない世界にしてまで勝とうとは思いません。
ビジターとはいえ、無作為に協力してくれるわけではないのです。
提供できる兵装は、私のいた世界における既存の
「じゃあなにか? その未来が見える
レイブンは敢えてなにも言わず、肩を竦めるに留めた。
ダエルは過小評価されたことに苛立ち、腹立ちまぎれに地面に唾を吐く。自分で吐いたそのツバを足で踏み躙りながら、怪訝な顔で吐き捨てた。
「おいおいおい、ずいぶんと舐められたもんだな。たかが未来を予測できるだけで、この俺様が斃せるだと? フンッ! そんなもん、圧倒的な力の前じゃ無意味なんだよ。未来を見れる人間が、たった一人で大軍勢と戦って勝てるか? いくら未来が見えても無理だよな? どう足掻いても一人の力じゃ、俺みてぇな
そんなこと言いながら、ダエルはゼノヴィアが構えている無骨なM82 バレットを見て呆れ返る。
「しっかも、対戦車ライフルまで持ちだしやがって。ま、力しか取り柄のなさそうな筋肉女の脳筋ちゃんには、お誂え向きの武器か」
バカにされたゼノヴィアは、眉を顰め、まるで汚物をみるような蔑視の視線を注ぐ。
ダエルはその視線に気付くが、怯むどころか余裕綽々の表情で、武器選択の無能さとセンスの無さを語り始めた。
「どうせこの世界に持ち込むなら、K‐11複合ライフルのような高性能武器を選べよ。あの銃は世界最高峰の
それを聞かされたレイブンは『無知蒙昧な戯言を……』といった顔で、ダエルのお国自慢を真っ向から否定した。
「あのK‐11が世界最高峰? 世迷い言も甚だしい。言っておきますが、米軍はXM29としてOICWを完成させています。配備されなかったのは重量面の問題が解決できず、計画を部門別に分けたのです。
あと、あなたは知らないようなので補足しておきますが、実戦配備されていたK‐11も、この問題を解決できていません。
しかもそれに加え、欠陥や作動不良の多発や発射による部品の欠落。挙句の果てには磁石を近づけただけで炸裂弾が暴発する
技術大国? それはユーモアに富んだジョークですね。
まさにK‐11は、癒着や汚職まみれの国家だからこそ産み出せた、史上最悪の劣悪兵器。そんなモノ、手に触れる価値すらないのですよ」
レイブンはこれでもかとダエルの言葉を否定しながら、関節視野で防壁にハンドサインが届いたことを確認する。
エストバキア弓兵の一人であるポニーテールの少女が、シルエラにハンドサインの内容を伝え、シルエラが行動に移す。指揮権をエステラに譲渡すると、彼女は急いで鳳凰の間へと向かった。
シルエラは超空の神兵こと、神威実島守備隊ととても仲がよかった。彼等を匿う上で次第に交流が深まり、親しくなった整備員やパイロットから、零戦の整備の仕方や発進方法を学んでいたのだ。
一方、己の無知さを曝け出されてしまったダエル。
なにせ知識人を装っていたら、その仮面をあっさりと奪われたばかりでなく、その顔面に恥を塗りたくられたのだ。それは学と教養のなさをコンプレックスとする人間にとって、もっとも惨めで、屈辱的な行為だった。
しかもそれに加えて、人を激怒させる三原則『国・宗教・政治』の国と政治を踏み躙られたのだ。
ダエルは強者を自負し、弱者の言葉を気にも留めない様子を装っている――だが微かに眉は下がり、中央へ引き寄せられていた。それは明らかに怒りが込み上げている現れである。
レイブンと出遭えた喜びは消え失せ、憎悪と殺意に取って代わろうとしていた。
ダエルは、レイブンを斬り刻む妄想を掻き立てながら、その命知らずな無謀さを称える。
「お前ってほんとおもしろいな。そうやって俺に喧嘩売るバカは、もうこの世に存在しないと思っていたぜ」
「なにぶん、あなたに何万回も殺されているので」
「だからビビることを忘れたってか? おっとそいつは一大事じゃねぇか! なら、これから何回死んでも忘れないように、その糞みてぇな魂に永遠に刻み込んでやるよ!!!」
まるでその言葉が合図だったかのように、地鳴りのような轟音が轟き始める。
最初は微かな震動――だがそれは次第に大きなものとなり、震源は自らの意思を持って、大砦に出現した。
黒いタールのような液体が、地下迷宮の出入口からドバッと噴出する。まるで土石流のように流れ込んだ液体は、文字通り骨格となるエンシェント・ドラゴンの骨を、液体の中で組み立て、ヴェノムドラゴンとして地に脚を下ろした。その衝撃で鍾乳石柱が倒壊し、洞窟の壁や天井の一部が崩落する。
崩落によって砂埃が舞い上がり、魔鉱石の光を背景に、ヴェノムドラゴンの全貌が露わとなる。
禍々しい巨大なドラゴン。その姿に、大砦のダークエルフ達は悲鳴を上げた。
鍾乳洞内に反響する、喧騒とした悲鳴の狂騒曲。
まるでその悲鳴に呼び寄せられるように、ヴェノムドラゴンは「グゴゴゴゴ……」と、まるで舌鼓をうつかのような喉を鳴らす。そして巨大な脚でゆっくりと歩み出し、大砦に向かおうとする。
エレナとゼノヴィアが進撃を喰い止めるため、レイジングウルフとM82 バレットを構え、即座に迎撃体制をとる。
「レイブン! 時間切れだ!!」
「ついに来やがったか! コイツは俺達が引きつける!! 行け!!」
そんな戦々恐々する者たちを差し置き、ダエルは平然とヴェノムドラゴンの前に立ち塞がり、その手をかざした。
「おいSTOPだ、そこで止まれ!」
ダエルの命令に従い、ヴェノムドラゴンは足を止めた。そしてその巨体をゆっくり動かし、彼のボディランゲージに従って後退していく。
エレナはその光景を目の当たりにし、すべてを理解した。なぜ体を分断されたはずのダエルが、何事もなかったかのように生きているのかを――。
「レイブン、やはりコイツは!」
「――えぇエレナ。薄々勘づいてはいましたが……残念ながら、その予感は的中しています」
ダエルは恐れ慄く者たちに、愉悦な笑みを浮かべる。そして自慢げに事の
「不思議だろ? なぜコイツが俺の言うことを聞くのか。実はあのダンジョンの中で、得体の知れない触手に襲われてよぉ、その時、
ダエルの上半身――その皮膚下を、触手こと魔界のヒルがモゾモゾと這いずりまわる。それは遠目から見ているレイブン達にも、ハッキリ目に取れるほどに。
「――この触手ちゃんは生意気にも、俺のこと摂り込もうとしやがったんだ。でも俺は逆に、コイツらを乗っ取ってやったんだ! 今じゃこの俺様が、触手の御主人様よ。
どうやらこの触手、人の意志に反応するらしくさ。意志の弱い他の連中は、み~んなこの触手に摂り込まれちまったんだ。なぁ?」
ダエルはヴェノムドラゴンに向かって問いかける。するとヴェノムドラゴンの頭部がボコボコと泡立ち始め、その中から、ダエルの仲間の顔が次々と浮かび始めた。
彼等は
『出してくれ! 誰かここから出してくれぇええぇ!』
『助けて! 助けてくれぇ!』
『俺、いったいどうなっちまったんだ?! なんなんだよ……なんなんだよこれぇ!!』
『リーダー助けてくれぇ! 苦しいぃ!! 苦じいよぉ!!』
『こんなの嫌だぁ!! 頭のなかに誰かが入ってくる?!! やめろぉ!やめて下さいお願いだから!! ひギィい! ギャァアァアァアァ――――ッ!!!』
『俺の体がない! 俺の体どこいっちまったんだよ!!』
『ひぃいいい! やめてぐれぇえぇえええぇ!!』
『もう耐えられない! 誰でもいいから殺してくれ!! 殺してくれぇ! 殺してくれぇえぇええええぇ!!』
身の毛もよだつ戦慄の光景――まるでドラゴンの顔は、この世に再現された悪夢だった。だがダエルは仲間達の慟哭をBGMに、ごきげんな口調で語り始める。かつての仲間など、微塵も気に留めることなく……。
「見ての通りだ。いやぁ~実に愉快愉快、心が洗われる気分だ~。ヒャハハハ!!」
ゼノヴィアがダエルの姿勢に猛反発する。自分の背を任せる大事な仲間に対し、なぜこうも残虐な仕打ちができるのか――それが理解できず、怒りとなって噴出したのだ。
「そいつら! お前の仲間じゃないのか! てめぇ……自分の仲間になんてことしやがるだ!!」
「仲間だぁ? 違うな! コイツらは俺の無能と罵り、事もあろうに、この俺様を殺そうとしやがった! リーダー様に楯突いた代償は高くつくって事を、じっくりその体に躾してやってんだよ。これは慈愛に満ちた部下への教育なんだよ、きょ・お・い・く」
ダエルは腕に集まった魔界のヒルを撫でながら、自分がどれだけ優れた種へ昇華したのかを語りだす。
「にしてもこの触手すげぇよ! 摂り込んだ奴の意識まで吸収して、自分のものとして同化させちまうんだ。そいつの意識や記憶だけじゃなくて、魔力や魔法、技術や経験、誰にも見せることのなかった、心の奥底にある本音や性癖、狂気にいたる負の情念――ありとあらゆるもろもろ全部が、今や俺様の手の中にあるわけよ! ハッ! 最ッ高に御機嫌だぜ! くぅ~ヒャッハーッ!!!」
今や彼の脳には、仲間の記憶が自分のものとして収められていた。彼等がどうやってレイブンに殺されたのか――死の間際の会話からレイブンの戦法にいたるまでのすべてを遡り、まるで自分が経験したかのように垣間見ることができる。
勇者達の記憶は、ダエルという意志の元に総一化され、完全に一体化していたのだ。
そしてダエルは本題へと入る。
「さて、これで少しは置かれた状況が分かったかな? 砦とお前達の命運は、今や俺の手の中ってわけよ。そこで提案なんだけどさぁ、そろそろ白黒つけねぇ? 最強の勇者は、果たしてどっちなのかを。
お前も勇者である前の一人の騎士だろ? なら騎士として決闘といこうや! もし俺が負けたら、大人しくここを去ってやる。だがお前が負けたら――」
絶対になにか裏がある。仮に負けたとしても大人しく去るはずがない。ゼノヴィアは、ダエルが約束を守るはずがないと確信を持ち、レイブンに警鐘を促した。
「そんなの嘘だ! 騙されるんじゃねぇぞレイブン!」
「
ヴェノムドラゴンという怒りの代行者が、前脚を振り上げ、力任せに巨大な脚を振り下ろす。近くにあった岩が、重圧によって粉々に粉砕された。
――その姿はさながら、ジャッジ・ガベルを振り下ろす裁判官だ。
この場のイニシアチブは俺の手の中にある。ダエルはヴェノムドラゴンという代行者を遣い、それを知らしめたのだ。
「……そうだ! お前が負けたら、砦の女どもは全員触手の苗床にしてやろう。ヒヒヒッ! やっべぇ最高なんですけど! マジでウケる!!
俺の中に居るこいつらも大賛成らしい。俺の腕の中でモゾモゾ蠢きまくって『繁殖したい、繁殖した~い』ってザワついていやがるぜ! 女どもに孕む悦びってやつを、ぶっ壊れるほど教えこんでやるよ!!」
決闘を申し込まれたレイブン。
彼に決闘を受ける以外の選択肢はなかった。
拒否すればダエルは迷うことなく、ヴェノムドラゴンで大砦を破壊するだろう。
さすがのレイブンも、あの巨大なドラゴンに対抗しうる力はない。例えヴェノムドラゴンと対抗しようにも、ダエルがそれを許さないはずだ。
今やダエルはただの勇者ではない。
魔界のヒルに寄生されているだけでなく、主従関係の地位を確立している怪物なのだ。ツノツキの王にならんとした、あのバルド以上に苦戦するのは必至だった。
レイブンはダエルに、「話し合う時間をくれ!」と要求する。そしてエレナとゼノヴィアを自分の元へ集めた。
「エレナ、ゼノヴィア、よく聞いて下さい。魔界のヒルはハイブマインドであり意識の集合体なのです。そしてその魔界のヒルは、宿主となるはずだったダエルに摂り込まれ、ヤツの意のままに操られています」
「つまり?」
「ダエルは、魔界のヒルの女王蟻であると同時に女王蜂。魔界のヒルを従えている王なのです。つまり統率しているヤツを斃せば――」
「なるほど。王の亡き国家は亡国の骸と化し、総崩れとなるわけか!」
納得するエレナの一方で、ゼノヴィアが払拭できない懸念を告げる。
「でもアイツ、自分がやばくなったらヴェノムドラゴンを使うはずだろうぜ。なにせヤツは、正々堂々と掛け離れたクソ外道だからな」
「えぇ、それに関しては大いに賛同します。ゼノヴィア、まだヴェノムドラゴンの外殻は未形成です。我々には切り札がある。もし彼が約束を破棄した時は、それを迷うことなく使用して下さい」
「わかった」
「ダエルは私が抑えます。あとは臨機応変、出たとこ勝負で行きましょう」
三人は、勝機という希望の光を見出す。
まだ負けたわけではない。15人もいた勇者が、今はもう1人しかいないのだ。そう考えれば、複雑だった状況はここまで単純化している。
斃すべき相手はダエルただ一人。その障害さ突破できれば、グレイフィアとアーシアの元へ飛び立つことができる。ここが正念場だった。
レイブンは覚悟を決め、ダエルの元へ向かおうとした。
だがそれを、エレナが呼び止める。
「待てレイブン!」
「なにか問題でも?」
「お前はアルトアイゼンの騎士だ。騎士には……剣が必要だろ?」
エレナは、魔剣カインフェルノをレイブンに託す。
「騎士にとって剣とは、己の心であり、陛下への忠誠の証――私の半身をお前に預ける。だから必ず、お前の手で返しに来い! いいか! 絶対にだからな!!」
「……光栄です。アルトアイゼン騎士団長 エレナ。私からも、是非
レイブンはジャケット裏から懐中時計を取り出し、それをエレナに差し出した。
「もうこの
レイブンはエレナの瞳を真っ直ぐに見据えた。
そして、すべての世界線で出逢った彼女達に感謝を捧げるように、言葉一つ一つに大切な想いを籠め、こう告げた。
「問題は“外”ではなく、自分の“内”にあった。私は勇者達に何度も殺される中で、『自分では絶対に勝てない』『自分には力がない』という疑念に苛まれ、負の連鎖に陥ってしまった。
そして煉獄の中で、自分自身のなにもかもを信じることができなくなっていたのです。――でも、今はもう違いますよ。他でもない
「え? 私が?!」
「ええそうです。『未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことである』――貴女の
これからという時に、ダエルからの横槍が入る。
「おい早くしろよ! このバカでっかいドラゴンが、俺様の忠実な下僕だってこと、まさか、忘れたわけじゃねぇだろぉなァ!!」
悪質な
「話は済みました」
「んで? どうすんの?」
「決闘の申し出を受け入れます」
「いいねいいね! そうこなくっちゃ! お互い邪魔なしの一対一、正々堂々の勝負だ! これでお前が勝てれば、スッキリと因縁に決着がつけられるじゃん! よかったなおめでとう! ――ま、それも勝てればの話だがよぉ~、ヒャハハハ!!」
「勝たせて頂きます。あなたの下劣な笑みとも、今日で最後です」
レイブンはダエルと戦うため、その一歩を踏み出そうとする。
だがその後ろ姿を見ていたエレナに、ただならぬ不安が過った。
計算に取り憑かれ、床に数式を書き殴っていた老人――あの悪夢が、彼女の脳裏に霞めたのだ。
このまま彼を行かせてはならない。
このまま行かせては、彼はまた、ダエルの手によって殺されてしまう。
――なぜかそう思えてならなかった。
根拠はない。だがレイブンが離れていくにつれ、その不安がさらに募っていく。いつもなら『所詮、あれは夢だ。自分の弱気が見せた幻影にすぎない』と、自分に言い聞かせ、納得することができた。しかし今は、それができない。それどころか、現実になると確信を持てるほど、不安が増していった。
まるで欠落した“なにか”を埋めるかのように、エレナは意を決し、ある行動を起こす。
それは彼女の愛読している、恋愛小説の一節で行なわれた行為――。戦地へ向かう愛しき騎士のため、ヒロインである姫が行ったある
エレナはそれを行うため、レイブンの腕を掴む。そして強引に自分の元へ引き寄せると、彼の耳元でなにかを囁いた。それを終えると、エレナは恥ずかしげに俯きながら、急いで大砦へと退避していく。
ゼノヴィアは何が起こったのか分からず、レイブンに何を告げたのか、エレナを質問攻めにする。
「おい、ちょ、待てよ! エレナ? レイブンになに言ったんだ! 作戦に関わるなら俺にも話してくれよ! おい待てったら! 逃げんなよおい!」
――などと叫びながら、エレナの後を追いかけていった。
エレナになにかを囁かれたレイブン。彼は目をまん丸にし、その場で硬直していた。
そして彼は、誰にも見えないように俯くと、満足気な笑みを浮かべた。
まるでその言葉を彼女から聞くために、今日、この日まで生きてきたかのような、充足と満足に満たされた笑みだった。
顔を俯かせ、動かなくなったレイブン。そんな彼に嫌気が差し、ダエルから再び催促の抗議が入る。
「おい! おいてめぇ! なに突っ立ってんだ! 殺る気あんのかおい! ………チッ! いちゃついた挙句に、
苛立ったダエルは、手の中で弄んでいた薬莢を指で弾き、レイブンへと飛ばした。
薬莢はくるくると回転しながら、レイブンへと向かう。
「―――――――フンッ!!!!」
レイブンは、ありえない速度でカインフェルノを振るい、飛んで来た薬莢を、まっ二つに斬り裂く。
まるで竹を割ったかのように両断された薬莢は、金属質な音と火花を上げ、地面を転がった。
そしてレイブンは、カインフェルノの剣先を地面に突き刺し、グリップを大きく捻り上げ、魔導機関を燃焼させる。
轟く魔導機関の咆哮。
レイブンの瞳には、すでに勇者ダエルに勝つ未来が見えていた。
それは演算によって
彼が願い、彼が行動することによって創りだされる――
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