第3話『魔剣の試運転』【前編】


――魔法都市 アルトアイゼン


    アイゼルネ・ユングフラウ城。



 かつて魔界の皇帝が、地上侵攻作戦のために建てたくろがねの城。今や人類と戦うための最前線基地となり、魔界への扉を守るための最後の砦となっていた。


 最後の砦といっても、地上側からの侵攻はほんどなくなっていた。


 皇帝が地上侵攻作戦を断念し、魔界へ戻ってしまった今となっては、ここを攻め落とすメリットが失われてしまったのである。

 


 皇帝に代わってこの城を護るのは、かつて魔族の戦将であり、数多くの戦場で名を上げた歴戦の暗黒騎士、騎士団長ガレオンだった。

 漆黒の鎧で顔まで覆った暗黒騎士は、魔王としてアイゼルネ・ユングフラウ城の主として君臨し、地上からの侵攻に備えていた。



 

 一方、魔族から世界を守り、地上を制した人間達は、あらゆる種族の頂点となり、覇者となった。


 そしていつしか国家間の戦争は沈静化を始める。

 小さな紛争は未だにあるが、大戦時と比べればごく小規模なものと化した。


――国家間の戦争が沈静化したのには、原因がある。


 その要となったのは、各国が作り出す嗜好品だ。

 嗜好品は、その国家がどれだけ裕福・豊かさを表すバロメーター。

 人々は、豪華で、珍しく、機能美溢れる嗜好品を作り、その品の出来栄えで争うようになったのだ。


 戦争で血を流すのではない。


 どれだけ優れた商品を作るかで、互いの優劣を争い始めたのだ。

 初めは各国の王の間だけの、どんぐりの背比べだった。しかし、それが次第に貴族や騎士へ、各国の国民へと範囲を広げ、気がついた時には国の一大産業と化していたのだ。


 戦争は国内の経済を疲弊させ、地道に蓄えた国庫を一気に消費してしまう。互いに貧乏国家になるくらいなら、いっそ国のプライドを賭けて、最高の嗜好品を作って外貨を稼ぐほうが、割に合うと考えたのだ。


 これが後に語られる、産業戦争の始まりである。


 だが嗜好品を売りさばくのは、王でも貴族でもない。その道のプロである、商人。彼らの協力が不可欠だった。


 各国の王は、商人が安心して国内へ入れるよう、最大限の配慮を始める。

 国内の治安がいかに保たれているのかアピールし、手厚い保護やサービスを開始したのだ。


 まずは治安を良くするために、国民の生活基準の底上げを行う。生活保護や職業斡旋場の登場により、明日に困る国民が急激に減少し、餓えで死ぬ者も少なくなった。


 もともとは犯罪者を減少させ、商人のための治安改善が目的だったが、国民の生活が豊かになったことにより、国内の需要が高まった。最終的に経済がより良く回るという、思わぬ副産物を齎した。



 かくして、各国の経済が発展し、治安が改善されたことにより、大規模戦争の時代は影を潜めたのであった。



――――――

――――

……


           ◇


「――というのが、今の世界情勢です」


 レイブンが作業台のカインフェルノをレストアしながら、ユーミルへ社会情勢を説明していた。

 ユーミルは作業台の上に腰掛け、興味深そうに聞き入っている。


「でもそんな簡単に、戦争が無くなるものかしら。 聖地奪還とか言って何百年も遠征軍送るのが、人というものでしょ?」


「それをしようとしているのが、現在のエルフですね。人間たちに聖地を奪われ、辺境へと追いやられましたから」


 レイブンは制作したパーツを組み立てながら、カインフェルノと合わさるかを確認する。


「まずこの産業戦争ですが、ある意味、民族的な戦いと言える節があります。ご当地品であり、各国の文化的な色合いが強い嗜好品。それが諸外国でブームになれば、その国の文化と歴史が認められた事になります。自国の文化が他国でムーブメントを起こすのは、自尊心をくすぐる最高のカタルシスでしょう。それを喜ばない国民はいません」


「そして争っていた隣国からしたら、敵国が認められるのはおもしろくないものね」


「――だからこそ。各国は自国の民族とプライドを賭け、他国よりも洗練された良いものを作ろうとして、相互成長するわけです。領地を広げることはできませんが、戦争の目的の一つである、国益は十分潤います」


「より良き嗜好品を作って売って、その金貨で殴りあう戦争というわけね。いったいいつまで続くことやら……」


「現在の寧日は、奇跡的なバランスで保っています。したがって天秤が傾けば、終わるでしょう。どっかの国が大コケして財政が火の車になって、国民の鬱憤うっぷんが溜まるか。もしくは嗜好品が飽和状態になって、みんな似たようなものしか作らなくなったら、産業戦争の終焉と見ています。」


「まるで儚い夢のよう」


「召喚された私からすれば、この世界そのものが、儚い夢のように感じます」


 ユーミルは意外な返答に笑みを零す。


「フフフ、そうね。異世界から来たあなたとって、ここはお伽話の世界だものね。ウフフフ……」


 レイブンは「そんなに可笑しかったですか?」という顔をしながら、組み立ての最終段階に入る。パーツを一つ一つ手動で組み立て、不具合がないか慎重に確かめる。

 ユーミルがその作業を覗き込み、レイブンに問いかけた。


「直ったの?」


「欠けた部分はマナプールに浸したので、問題なく、簡単に修復できました」


 レイブンは欠けていた剣の刃をユーミルに見せる。彼の言う通り、欠けていた部分は何事もなかったように、綺麗に元通りになっていた。


「たったそれだけで、直るものなの?」


「自己修復機能まで備わっているのには、魔剣とはいえ驚く他ありません。鍛冶屋の職人が見たら、卒倒すること、間違いないでしょうが」

「マナプールに浸すだけで壊れた部分が直れば、鍛冶屋も苦労しないものね」


「問題は新造パーツが、このカインフェルノに馴染んでくれるかどうかです。うまく同調してくれればいいのですが……」


「いいの? 勝手に改造しちゃって?」


「可能であれば、カインフェルノを完全な状態に修復させたいのですが……肝心のパーツが揃っていません。揃えるだけの人員も時間も圧倒的に不足しており、オリジナルの状態を復元するのにも、様々なものが不足しています。どの道そのまま修復したとしても、あの勇者には勝てません。妥協案としては、これが最善の策です」


「地下神殿であなたに襲いかかった勇者ね。また戦う気?」


「向こうから来ます。なにせ、彼が一番大切なものとするプライドが傷ついたのですから。這いつくばってでも来ますよ」


「懲りない勇者様なこと。あの人、どこの国から来たのかしら?」


「エストバキアです。向こうでは覇動の勇者、もしくは衝撃のダエルと呼ばれています」


「覇王ダエルと同じ名前なんだ。彼、その事を知ってるの?」


「知っていてわざわざ、覇王の名を受け取る物好きはいません。勇者はこの世界の歴史を知りませんから。その事実を知れば、さすがの彼でも怒るでしょう」


「知ったらどうなることやら……」


 レイブンは改造したカインフェルノを背負う。改造された魔剣に合うよう、鞘も新しいものが用意された。

 鞘には小さな文字で『To care and protect』と書かれており、その下には反転した文字で『To punish and enslave』という刻印が彫られている。複合繊維のナノカーボン製で、見かけによらず意外に軽かった。

 それを実証するように、レイブンは大型の鞘を軽々と担ぎ、背中に背負う。そして鞘の中にカインフェルノを収める。


 レイブンはユーミルへと振り向くと、「しばらく留守にするので、ここをよろしくお願いします」と告げた。


 それを聞いたユーミルはほっぺを膨らませ、不機嫌な素振りを見せる。


「あら、まさか私を一人にさせる気なの?」


「申し訳ありません」


「ウフフ。冗談よ、冗談。気をつけて行って来るのよ」



 レイブンはメガネをかけ直し、ユーミルに健闘を誓った。



「それでは、死なない程度に頑張りたいと思います」




 レイブンが部屋から出ると、部屋の入口を警護していた近衛兵が姿を現す。二人はレイブンとユーミルの警護役となっているが、実際は二人に不審な動向がないか目を光らせている。護衛という名の監視役だ。


 レイブンが歩き出すと二人の警護役も歩き出す。だがもう一人の兵士が「お前はここに残れ」とボディランゲージで指示を出した。指示を受けた兵士はそれに従い、ドアの前に残る。


 レイブンに警護役の兵士が付き添う形となり、二人は無言で廊下を歩む。


 警護役の兵士は、頭部を覆うバレルヘルムの兜に、城内の近衛兵を意味する赤いサーコードを羽織っていた。右手にはハルバート。左手は全身を覆う大きさの、カイトシールドを装備している。


 後から付いてくる近衛兵が、ふと、レイブンが背負っていたカインフェルノに視線を移す。

 レイブンはおもむろに立ち止まると――


「気になりますか?」


 彼の問いに近衛兵は狼狽える。まるで自分の行動が見透かされたように感じたのだ。

 レイブンは近衛兵に、こうなった経緯を説明する。


「騎士団長の証を、人間であるこの私が所持しているのです。気になるのも無理はありません。私がカインフェルノを所持しているのは修復を頼まれたからであって、決して、私が騎士団長になったからではありません。彼女の立場や地位を奪うような真似は絶対にしないので、どうか、ご安心を……」


 そう告げたレイブンは再び歩き出し、目的地へと足を進めた。



           ◇



 彼らが向かった場所は闘技場だ。


 皇帝時代に建設されたもので、捕虜になった人間同士を闘わせるために使われていた場所である。地上との戦争が沈静化した今では、魔族の訓練場となっており、若い騎士や魔都を護る治安部隊育成のための場所として、解放されていた。


 近衛兵を観覧用バルコニーに待たせ、レイブンは一人闘技場へと降り立つ。鞘からカインフェルノを引き抜くと、剣先を闘技場へと突き刺した。

 レイブンは腕や手首をほぐし、準備運動を行う。


 そして地面に突き刺したカインフェルノへ手を伸ばすと、グリップを深く、しっかりと握りしめた。


「前回は出力調整で、十分な力を発揮させる事ができなかったが……今回は――」


 レイブンがグリップ部分をひねる。

 まるでバイクのエンジン音のような音が鳴り、小さなエアインテークのような場所から、光り輝く粒子が排出された。

 それは剣内部に内蔵された、魔導機関の燃焼光だった。

 魔導機関に触発されるように、刀身が青白く輝き始める……。もう一度グリップを捻り、魔導機関を数回かす。すると燃焼させる度に、刀身の輝きが増していく。


 レイブンは息を吸いながら集中力を高める。そして地面に突き刺していたカインフェルノを引き抜き、息を吐きながらゆっくりと構えた。

 構えた先には、木の板で作られた人型の標的が立っている。

 脇を軽く閉め、体重を両足の先にかける。そして剣の先を標的の喉元へと向けた。これは剣道における基本的な姿勢、中段の構えだ。


 レイブンはさらに集中力を高めていき、狙いを標的へと定める。


 だが唐突に、レイブンは魔導機関の炉の灯を落とした。剣の青白い輝きが消え、元の色合いを取り戻していく。


 バルコニーで見守っていた近衛兵が「何事だ?」と凝視した――その時である。


 地鳴りが地下に響き渡り、闘技場全体が震えたのだ。

 闘技場の壁にヒビがが入り、オベリスクが轟音と共に倒壊する。

 レイブンはその砂埃の舞う中、狼狽えることなくその場に留まり続けた。


 そして地中から巨大なサンドウォームが出現する。


 サンドウォームは円口の歯を大きく広げ、レイブンに喰らいついた。その勢いは止まることを知らず、爆進したままレイブンを壁へと叩きつけた。

 闘技場の壁が崩落し、観客席までサンドウォームが乗り上げる。

 サンドウォームは巨大な体の身を起こすと、円口状の口が大きく開いた。



「ふぅ! なぁ~んだ。勇者って言っても所詮この程度なのね。拍子抜け」



 大きな口の中から女性が姿を現す。


 サンドウォームの口内に居たため肌が滑り、テカっている。サンドウォームが人間を誘き寄せるための女形疑似餌に見えるが、そういった器官ではない。サンドウォームの口から現れた女性が、この巨獣を動かしている本体であった。


 彼女はスリヴァーと魔族の間に産まれた、特異な魔族である。サンドウォームのような巨大なモンスターに寄生し、体内からそれを動かす魔族――パラサイトキャリアーだ。


 闘技場に降り立った獣魔族の女が、パラサイトキャリアーに向かって啖呵を切る。



「馬鹿アーシア! てめぇ、開始早々いきなりなにしてんだ!」



 露出度の高いビキニアーマー。そして腕と脚をトラ模様の毛に覆われた筋肉質の女性。彼女はストームタイガーのゼノヴィアだ。


 不手際だと指摘されたアーシアは、ムキになってこう反論する。


「相手は勇者なんだから、こんくらいやんないと駄目だよ」

「お前がやる『こんくらい』は、スケールが桁違いなんだよ! 見ろ! 闘技場がめちゃくちゃじゃねぇか!!」

「なによ! あなたがモタモタしてるから切り込んであげたのに! この恩知らず!」

「なにが恩知らずだ! 俺は『様子を見てから一気に攻めるぞ』って言ったんだ馬鹿アーシア!」

「ば、バカって言うな馬鹿ゼノヴィア! 文字読めないくせに!!」


 ゼノヴィアは、文字が読めないことを酷く気にしていた。アーシアにそれを指摘され、憤慨する。


「人が気にしてること言うんじゃねぇよ木偶のワーム!! やんのか?! ぁあ?!」

「いいわよ! 私のほうが四天王として格が上だってこと! 今日ここでハッキリさせようじゃないの!!」 


 二人の痴話喧嘩を止めるため、三人目の魔族が闘技場へと降り立つ。


「待ちなさい! ゼノヴィア! アーシア!」


 悪魔のような翼を羽ばたかせた彼女は、サキュバス族のリリムだ。

 ゼノヴィアがサキュバスに気付き、その方向へ向き直りながら、二人は弁明合戦を開始する。


「だってグレイフィア! アーシアが先走って!」

「グレイフィアお姉さま聞いて下さい! 筋肉馬鹿のゼノヴィアが私の事バカだって言うんです! 自分がバカのくせに!」


 アイゼルネ・ユングフラウ城を護りし、四天王を束ねる智将――グレイフィアだ。

 いつものやり取りにグレイフィアは呆れつつも、慣れた様子で二人の仲介へと入った。


「やってしまったものは仕方ないわ。そもそもあなた達二人に、デリケートな仕事をさせるべきではなかったわね……」


 そう言いながらグレイフィアは、視線を二人から勇者が押し潰されたであろう方向へと移す。アーシアの突進によって闘技場は砂埃で遮られており、一時的に視界が悪い状態だった。


「本当に残念。彼の実力を知りたかったのに――」


 闘技場に立ち上る砂塵。見通しの悪い中、グレイフィアの後ろから四人目が姿を見せる。



「私の力が見たいのは構いませんが。せめて、自分の名を名乗ってから、攻撃してもらいたいものですね」


 グレイフィアの後ろから現れたのは、アーシアが押し潰したはずのレイブンだった。



「なッ?!」


 グレイフィア、ゼノヴィア、アーシアの三人は無傷のレイブンに驚きつつも、瞬時に距離を置き、身構える。


 ゼノフィアは跳び退きながら、獣腕の爪を剣のように伸ばす。そしてグレイフィアも、スカート下から分割されたロッドを取り出す。そのロッドを瞬時に組み立て、着地と同時に殺陣を決めた。


 アーシアが二人の邪魔にならない場所まで後退しながら、「そんなはずは!」と叫んだ。


「私の攻撃を受けたはずなのに! こ、コイツ生きてる!」


 レイブンはカインフェルノを肩で担ぎながら、アーシアの言葉を否定した。


「いいえ、突進攻撃は確かに受けましたよ。この剣でそらしましたが」


 レイブンは砂埃まみれの体をポンポンとはらい、自分の体よりも、担いでいた剣のほうを気にかける。


「剣に複雑な機構を組み込んでいたので、強度面に不安がありましたが……」


 カインフェルノの新造部分に傷はなく、魔導機関も問題なく作動した。それを確認したレイブンは、安堵の息を吐き、満足気な視線をカインフェルノに向ける。


「内部機関も破損している様子は見受けられません。強度テストは、クリアと言っていいでしょう。残る最後の課題は――」


 ボソボソと独り言に興じるレイブンに、ゼノヴィアが噛み付く。


「さっきっからなんだ、剣に向かってブツブツ気色悪い! 魔王様が召喚された勇者だって言うから、ちったぁ期待してたんだけどなァ!」


「なにを言っているのです? 名乗りもせず襲いかかる輩に、気色悪いと言われる筋合いはありません。下級魔族ならまだしも、あなたは上級魔族ではないのですか? それと忠告しておきますが、人を外見で判断すると痛い目を見ますよ」


「んだとてめぇ!」


「私の名はレイブン。アルトアイゼン防衛のため、ガレオン陛下に召喚された勇者です。あなたのお名前は?」


 レイブンはわざと腹の立つような言い方で尋ねる。その挑発に、ゼノヴィアが我慢できるはずもなく、歯茎を剥き出しにして激怒した。


「コイツ! ば、バカにしやがって!」


 グレイフィアはゼノヴィアの前にロッドを出し、彼女を制止させる。そして『相手のペースに乗せられては駄目よ』と優しく耳打ちした。


「私の部下が失礼したようね。彼女の名は獣将ゼノヴィア。彼女の後ろにいるサンドウォームが、地将のアーシアよ。そして私は、彼女達を束ねる智将であり淫将――グレイフィアよ。よろしくね、勇者様☆」


「アルトアイゼンを守護する四天王――その三人に会えるとは、恐悦至極。それで、私になにか御用ですか?」


「あなたが闘技場で訓練してるって聞いたから、思わず駆けつけちゃった☆ 一人だとなにかと不便でしょ? だから手伝ってあげようと思ったの」


 グレイフィアは友好的な笑みで微笑んだが、それを聞いたゼノヴィアとアーシアは悪心丸出しの顔で嗤っている。二人の表情に善意はない。純粋な悪意に満ちていた。

 レイブンは二人の笑みを見たが、あえて見なかったことにする。


「先程の攻撃は、魔族流の歓迎かなにかですか?」


「私から見ても、あれはちょっとやりすぎだったと思うわ。気分を悪くしたでしょうね、ゴメンなさい。あなたは勇者だから、あの程度なら大丈夫だと思ったのよ」


「そうですね。普通の人間だったら潰れていたでしょう。相手が相手なら戦線布告と捉えられ、外交問題に発展してもおかしくありませんよ。今後、部下には手加減と礼節、交戦規定等の常識を覚えさせて下さい」


 レイブンは獣将ゼノヴィアに、冷たい視線を向ける。


「それと。自分の名を他人の――ましてや上官に名乗らせるなんて、良い笑い者でしかありませんよ。規律の歪みは組織の歪みであり、ひいては国家の歪みに通じています。無法者を国家防衛に回すほど、危険なものはありませんから」


 貶されたゼノヴィアは笑顔を取り繕うが、その内心は、はらわたが煮えくり返っていた。バカにされた挙句ここまで貶されたのだ。それを無視するほど、彼女の度量は大きくない。

 それでもグレイフィアの手前、ゼノヴィアは激昂したい衝動をなんとか押し殺す。彼女はギリギリのところで平静さ保ち、レイブンの嫌味を聞き流した。


 グレイフィアはレイブンのご機嫌をとるため、営業スマイルで彼を持ち上げる。


「アドバイスありがとね☆ ねぇねぇそれにしても、アーシアの攻撃を退けるなんてすごかったわ! さすがは陛下の召喚された勇者様。噂以上の腕前ね♪」


「お褒めに預かり光栄です」


「私達も是非、あなたの訓練に参加したいのだけど……ダメかしら?」


「なるほど。訓練を口実に私の実力を見計らうつもりですね」 


「まさかそんな――」


 レイブンはグレイフィアの弁明を遮り、強めの口調で彼女達の神経を逆撫でした。


「いいですよ、先程のように殺す気で来てもらっても。実戦に近いほうが、こちらとしても、テスト環境としては最適ですし。手加減されては、戦う上で歯ごたえがありません」


 ゼノヴィアは、あまりにも生意気なレイブンの言動に、笑みを浮かべながら非難する。

 いくら勇者とはいえ3対1。

 この不利な状況で、魔族を相手に豪語しているのだ。誰がどう見ても命知らずも甚だしい、無謀な言動だった。


「おいおいそんなこと言っていいのかよ? 血を見ることになるぜ!」


「大丈夫です。あなたが血を流さないよう、こちらで手加減しますから」



 挑発に挑発で返されたゼノヴィアは、ついに我慢の限界を越えてしまう。



「て、てめぇ!! さっきっから言わせておけば、いい気になりやがって!!」



 ゼノヴィアはたった一蹴りで空中へと飛翔する。それは獣魔族の名に恥じることのない、人外な跳躍だった。彼女は重力に導かれ、落下しながらも空中で体を捻り、回転させる――回し蹴りだ。


 レイブンは大剣であるカインフェルノを盾代わりに、ゼノヴィアの回し蹴りを防いだ。


 自由落下で加速したゼノヴィアの蹴りが、カインフェルノに炸裂した。


 その容赦無い一撃によって、カインフェルノが限界までしなる。

 続けてゼノヴィアの正拳突きがカインフェルノを揺らす。

 立て続けに拳が打ち出されるが、それを受け止めているカインフェルノが砕けることはなかった。



「くそ! なんて固い剣だ!!」



 ゼノヴィア今までに経験したことのない剣の硬さに、狼狽える。彼女の経験上、仮に剣で一撃を凌げても、大抵は二撃目でパッキリ折れるものだったからだ。


 レイブンは盾として使っていたカインフェルノを、闘技場へと突き刺す。そしてグリップを捻り、魔導機関を燃焼させた。


 聞き慣れないエンジン音に、ゼノヴィアは戸惑う。だがここで臆することを良しとしなかった。もうこれ以上、レイブンに舐められたくなかったのだ。

 


「小細工しても無駄なんだよ!!!」



 ゼノヴィアはそう叫びながら、レイブンへ向かって駆け出す。そして全力で走りながら腰を捻り、拳を大きく振りかぶった。



「吹ッ飛べ! ひょろ案山子がァ!」



 ドム!!!



 殴りかかるゼノヴィア。だが吹き飛ばされたのはレイブンではなく、彼女だった。


 レイブンは突き出されたゼノヴィアの拳を躱し、懐へと潜り込む。そしてカインフェルノに魔力を収束させ、斬撃を放ったのだ。

 それもただの斬撃ではない――、魔剣に衝撃魔法を織り込んだ特殊攻撃だった。

 混戦時に距離を詰められた際、敵兵との距離を離す魔法。レイブンはその範囲魔法を刃に収束させ、斬撃と同時に解き放ったのである。


 振り終えられたカインフェルノは急速冷却システムを作動させた。蒸気のような湯気がプシュー!と吹き出し、剣からもくもくと白い煙が立ち上る。

 その煙の中。レイブンはメガネのブリッジを中指で押し上げ、こう呟いた。


「やはり、あの攻撃に対処しましたか。さすがはインファイトのエキスパート。攻撃態勢から瞬時に防御へと移行し、腕でカインフェルノを受け流した手際の良さ。そしてそれに対処するだけの肉体の反応速度。『素晴らしい』の一言に尽きます。伊達に、接近戦で場数を踏んでいませんね」


 賞賛されたことを知らないゼノヴィアも、レイブンの戦闘力を買っていた。


「やるじゃないか、ひょろ案山子! ただの虚仮威しこけおどしだと思ったが、ちったぁ見直したぜ!」


「ありがとうございます。私も貴女の力を見くびっていました。あの距離で攻撃を防いだばかりか、腕で太刀の軌道を変えさせたのはお見事と言う他ありません。さすがです」


 まさか称賛されると思っていなかったゼノヴィアは、ほんの少しだけ照れくさそうな表情で顔を赤く染めた。人差し指で顔をポリポリと掻きつつ、自慢気に胸を張った。


「あ、あの、えっと……その……。い、いいか! よく覚えておきな! 格闘戦で、俺の右腕に出る者はいないんだからな!!」



 その微笑ましい光景を、クスクスと笑う女性がいた。



「あらあら、二人でそんなにいちゃついちゃって、妬けるわね☆ 接近戦なら私も強いのよ」


 鼻孔をくすぐるほどの甘い美声が、レイブンの鼓膜を震わす。

 レイブンは甘い声がした方を振り向くが、そこには誰もいなかった。


「こ っ ち よ♪ おバカさん!!」


 耳を愛撫する声。

 まったく違う方向からグレイフィアの声が響き、続けてロッドが突き出された。

 レイブンは飛び込み前転で回避する。

 立ち上がろうとする彼を、ロッドの猛攻が襲いかかった。レイブンは軌道を見極め、それをすべて避けきる。


 レイブンは態勢を立て直そうと、グレイフィアとの距離を離そうとした――が、彼女はそれをさせまいと、執拗に喰らいついていく。

 グレイフィアのデフォルトウェポンであるロッドは、彼女の背よりも長く、そしてカインフェルノよりも遥かに軽かった。

 素早く攻撃を連続で繰り出せる利点。それを最大限に活かし、レイブンが攻勢に出る隙を一切与えさせなかった。


 突然割りこまれ、戦いを盗られてしまったゼノヴィア。そんな彼女がグレイフィアに向かって叫ぶ。


「ちょっと待ってよ!! そいつは俺の獲物だ!」


 グレイフィアはサキュバス特有の悪戯めいた淫美な微笑みと共に、ゼノヴィアにこんな言葉を返す。


「獲物? まだ射止めていないのだから、彼は誰のものでもないじゃない。違って?」 


 その正論に対し、ゼノヴィアは「そ、そんな……」というしゅんとした表情を浮かべる。そして耳と尻尾を力無くしおらせた。


 だが二人のやりとりを聞いたレイブンが、彼女達にこんな提案を持ちかける。


「構いませんよ。時間短縮も兼ねて、まとめて掛かって来たらどうです。そちらのほうが、あなた方にとっても有利でしょう」


 まさかの言葉に、グレイフィアは耳を疑った。


「冗談でしょ?! 四天王二人を同時に相手にするって言うの!」


「二人? いいえ残る一人もちゃんと加えてあげて下さい。戦場では順番待ちはありませんから」


 そして彼は、最後にこんな言葉を付け加える。




「殺す気で来てもらって構いません。演習は実戦さながらにやるからこそ、意味があるのです。そうでしょう?」




 レイブンは自信に満ちた瞳でそう告げると、グリップを捻り、カインフェルノを唸らせた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る