第五章 ポンヌフ

第五章 <Ⅰ>

 りんは怖くて眠れなかった。


 まぶたを閉じると、さっきの夢に逆戻りしそうだ。

 でも、このまま布団にくるまっていたら、きっと眠ってしまう。


 上掛けと毛布をはねのけた林は、床にすべり降りた。

 ベッドを背にして坐り、膝にノートパソコンを開く。

 朝まで、お気に入りの海外ドラマを見よう。


 両耳にイヤホンを差すと、細い指がキーボードを滑る。

 ディスプレイから放たれた青白い光が、林の瞳に明滅して流れた。


 エンディングの曲が流れる。前シリーズの最終回のフラッシュバック。

 青白い顔で横たわる美しい青年。親友の悲痛な眼差し。

 静寂の次の瞬間、青年がまぶたを開ける。灰色の瞳がウインク。

 そしてお馴染みのテーマ曲が高らかに流れだす。


 ――やっぱり生きてたんだ。


 幸せなため息を漏らしたとき、林の両のてのひらがキーボードの上で弛緩しかんした。

 操る糸が切れた人形のように、ことりと頭を落とすと、既に林は寝息を立てていた。


 不自然な微睡まどろみを破ったのは、カサカサと紙のこすれる音だった。


 林は、はっと目を覚まして耳をそばだてた。

 夜明けの気配はまだ遠い。


 ビリッと紙の破ける音が、背後から聞こえた。


 ――ベッドの下!


 林の膝から、音を立ててパソコンが転がった。

 立ち上がろうとしたが、おかしな姿勢で眠ってしまったせいで足が痺れている。


 ――ママ! ママ!


 どうして声が出ないの? 林は自分の喉をつかんだ。


 カサカサという音が激しくなったかと思うと、ガサリと大きな音がした。


 ――出てきた!


 林は、もがくようにベッドに這い上がり、毛布を頭からかぶった。


 目をかたく閉じて、耳を澄ます。


 自分の鼓動以外、なんの音も聞こえない。

 聞こえない。聞こえない。聞こえない。

 苦しい。呼吸が止まりそう。

 毛布の外を見ては、だめ。


 ――でも、いつまでも、こうしているの?


 とうとう耐えられなくなった林は、ほんの少し、毛布をずらした。

 わずかな隙間から、冷たい夜気が流れ込む。



 「それ」 はベッドの端から、こちらを覗いていた。



 ――リン。


 なつかしい子グマの声が、自分の名を呼んだ。


 ――リン。帰ろう。

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