宵待ち姫
来冬 邦子
緒
海の底のような暗い部屋で、二人はながく抱き合った。
深くひだを寄せた暗紅色のカーテンが、窓辺を覆い隠している。
フードの縁からのぞく幼い瞳は、とめどない涙に濡れている。
――
乙女がうなずけば、なめらかな黒髪が華奢な肩に流れおちる。
濃紺の
この夏いくども触れたその手触りは、愛おしいほどに林の掌に馴染んでいた。
――待っててね。きっと、すぐに帰ってくるから。
ときおり風に窓ガラスが音をたてる。林の瞳にまた涙が盛り上がった。
空っぽになった子ども部屋に、幼児用の高椅子がぽつんと置き忘れられていた。
林はマントを翻して、床に置いたボストンバッグに屈みこんだ。
小さなバッグには、片時も手放せない宝物が二つ入っている。
ひとつは焦茶色のクマのぬいぐるみ。もうひとつは古い絵本だった。
ぬいぐるみを抱き上げた林は、小脇に抱えて厚地のカーテンを引きあけた。
広く張り出した出窓から、やわらかな薄日が差し込む。内側の白いレースのカーテンが、かすみ草の花束のように窓枠をふちどっている。
高椅子を窓辺に引きずってきて子グマを坐らせると、林は乙女を振りかえった。
――ほら、ここから見てて。ポンヌフと一緒に。
窓ガラスの向こうには、楓の紅葉が燃える炎のように風に揺れている。
その幾重にも重なる梢をくぐって、黒く艶めく車体がすべり込んできた。
――ああ、来ちゃった。どうしよう。
林の震える指が、いま置いたばかりの親友を抱きしめる。
――大丈夫だよ。
胸元から子グマのいかにものんびりした声がきこえた
林を見上げる、ガラスの瞳が笑っている。
ポンヌフの声は、林と乙女にしか聞こえないらしい。
――だって。すぐ帰ってくるんでしょ。
ちいさいポンヌフは「ひっこし」がなんのことか分からない。
いつもの「ちょっとしたおでかけ」だと思っているらしい。
ポンヌフを心配させないように、林は口角を無理に上げた。
――うん。すぐだよ。
ウソじゃない。わたしはここに絶対に帰るんだと、林は心に決めた。
一人でも電車に乗って帰ってくるんだ。どんなにママが怒っても。
――そしたら、ポンヌフは、おねえちゃんと、ここで待ってるよ。
子グマがあくびをしながら言った。お昼寝をする時間だったから。
――お土産、買ってくるからね。
――チョコレートがいいな……。
うとうとと眠ってしまったポンヌフの可愛らしさに、林と乙女は頬笑み交わした。
「――」
階下からママの声が、さっきからもう幾度も、林を呼んでいる。
聞き慣れた足音が、階段を上がってくる。
林は呼吸の仕方を忘れたように何度も喘ぐ。
ほろほろと零れる涙が、いくつも珠になってマントを跳ねた。
――おねえちゃん。
朱鷺色の背に柔らかな白い
――おねえちゃん、大好き。
泣きながら林は、乙女につぶやいた。
――わたしは、林が、キライ。
凍りつくような冷たい息が、林の耳元でささやいた。
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