外に居るんですか?
逸人が中に入ると、茶色い革の眼鏡ケースを手に降りてきた芽以が、急いで裏口のドアを閉めた自分を見て、心配そうに訊いてきた。
「……逸人さん、もしかして、外に居るんですか?」
気づいていたのかと、どきりとしたが、芽以は、
「なまはげ」
と言ってくる。
居ると思うのか、このボケが、と思いながら、はい、と眼鏡ケースを渡してくる芽以を見た。
こんな街中の店の裏口に、深夜、お面つけて、刃物持って立ってる奴が居たら、通報されるだろうが。
「いや、夜は、そのくらい物騒だから、不用意に外に出たりするなという意味だ」
ある意味、なまはげよりも恐ろしい奴が居たりするからな。
芽以を外に出したら、襲われるかもしれん、と実の兄を狂犬扱いで思いながら、いりもしない眼鏡を受け取ると、芽以は裏口の戸を窺いながら言ってきた。
「そういえば、夜中に口笛を吹くと、蛇が来るとか、人さらいが来るとか言いますよね」
「吹かなきゃいいじゃないか」
と言うと、
「いや、私、口笛吹けません」
と芽以はまだ戸口の方を見ながら言ってくる。
……じゃあ、そもそも心配するな、と思ったとき、芽以が、じっと自分の手にある眼鏡ケースを見ているのに気がついた。
かけないで居ると、芽以を追い払うのに取ってこいと言っただけだとバレるだろうか、と思いながら、
「いや……たまには磨かないとな。
冬だし、曇っているかもしれん」
と言い訳のように、よくわからないことを言ってしまう。
銀食器か、と思いながら。
すると、芽以が、
「かけないんですか?」
と訊いてきた。
「特にかける予定はないが……」
と言うと、何故か、
「せっかく取ってきたのに」
としょんぼりする。
しょんぼりする意味がわからないんだが、と思いながら、逸人は眼鏡ケースを手に立っていた。
「せっかく取ってきたのに」
と呟き、芽以は、逸人の手にある眼鏡ケースを見つめていた。
かけてくれないかなー。
絶対、似合うよなー、と思っていたのだが、それを言うのも恥ずかしく、なんだか言い出せなかった。
チラと裏口の戸を見る。
外に圭太が居たようだが、もう帰ったようだな、と思いながら。
何故、なまはげ扱いなのかは知らないが……。
圭太も会社を継いだり、嫁姑の間に入ったりでいろいろ大変そうだから、逸人さんに愚痴りたかったのかな、と思う。
だったら、中に入ってくればいいのに。
上手くいかなくて落ち込んでいるところを人に見られたくないのだろうか。
……それにしても、磨くと言ったくせに、この人、ケースからも出さないが、と思いながら、芽以は、厨房の棚に置いたまま、明日の仕込みの確認をしている逸人を眺めていた。
ああ、言えないっ。
夫婦なのに、眼鏡かけてみてください、の一言がっ。
芽以は、おのれのヘタレを呪いながら、
「戸締りしてきます……」
としょんぼり呟いて、厨房を出た。
神棚で拝んで、部屋に戻った芽以が、さて、寝ようかと布団に入ったとき、誰かがドアをノックした。
いや、誰かって、逸人しか居ないが。
「はい」
ともう暗くしていた部屋の中で、返事をすると、逸人がドアを開け、
「さっきから元気がないが、どうかしたのか?」
と訊いてくる。
いや、元気がないんじゃなくて、言い出せなかった自分の不甲斐なさに落ち込んでいるだけです、と思いながら、
「なんでもないです。あの……」
と言いかけた。
廊下の明かりを背に立つ逸人に、今、言おっかなーと思ったのだが、やはり、上手く言葉には出来なかった。
絶対、格好いいから、眼鏡かけてみてくださいっ、とか、今、逸人さんには言えないなー、と思う。
日向子さんが、最初から逸人さんを好きだったんじゃないかとか言い出すから、意識してしまうではないですか、と思い、芽以は赤くなった。
あーあ。
日向子さんなら、サラッと言えるんだろうになー。
『あら、逸人。
眼鏡なんて持ってたの?
ちょっとかけてご覧なさいよ』
とか言って。
ああっ。
日向子さんがうらやましいっ、と思った気持ちが、思わず、口からもれていた。
「私、今、日向子さんになりたいです……」
溜息をついて、おやすみなさい、と布団の上に手をつき、正座したまま、頭を下げた。
逸人は、目の前で、土下座なんだか、猫のごめん
ちなみに、猫のごめん寝とは、手の手の間に猫が顔を
この間、テレビで見たそれに、今の芽以は似ていて可愛いが。
あれは、なにか困っていることがあると飼い主に訴えているポーズだと聞いた気がする。
俺になんの不満があるんだ、芽以っ。
いや、俺は芽以の飼い主ではないが。
そういえば、今、日向子になりたいとか抜かしたか?
あんな凶悪な女王様になりたいと言う意味かっ?
いや、日向子と入れ替わって、圭太と結婚したいという意味かっ?
とぐるぐる考えていると、顔を上げた芽以が、いつまでも、なにも言わずに立っている自分を見て、不思議そうな顔をした。
「あ、ああ、すまん。
おやすみ」
と言いながら、ドアを閉めたが、なんとなく、もやもやした気持ちが残った。
……芽以の気持ちがわからない。
こんなんじゃ、まだまだかな、と思いながら、『あれ』が隠してある自分の部屋のドアを見つめた。
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