ある意味、地獄からの招待状
「えーっ。
ご夫婦なんですかー?
見えませんでした。
なんだかよそよそしくてー」
翌日の昼、大学が終わってからやってきた
なんだろう。
可愛らしい笑顔で嫌味がないが、恐ろしいほど天然な予感がする、と厨房のテーブルで
いや、まあ、昨日の言動により、想像はついていたのだが……。
なんで、そんなによそよそしいんですか? とか突っ込んで訊かれる前にと、芽以は立ち上がり、彬光に訊いた。
「水島くんはお昼、食べてきた?」
「あ、彬光でいいです。
お昼は食べてきましたけど、美味しそうですねー」
と芽以たちが食べている賄いを覗き込み、笑顔で言う。
「僕、昨日、思ったんですよ。
この店の料理、パクチー抜いたら、すごく美味しそうだなって」
と笑顔で言う……。
いや、それ、私も思うんだけど、此処、パクチー専門店だからね……。
「彬光はなにかこういう店での経験はあるのか?」
そう逸人に問われ、はいっ、師匠っ、という勢いで、彬光は振り返った。
「高校時代、ちょっとバイトしてましたっ。
家の近くのファストフードの店で」
逸人は、そうか、と頷いたあとで、
「お前は厨房をやりたいのか?
それとも、ホールをやりたいのか?」
と彬光に訊く。
なんかあの、詰問口調なんですけど、これで、この人、普段通りですからね。
彬光が怯えてしまわないだろうかと窺ってみたが、彼は、まったく気にしていないようだった。
「厨房入ってみたいですけど。
まずは芽以さんを手伝って、ホールの仕事をやりながら、マスターの仕事を拝見したいですっ」
マスターって……喫茶店ではないんだが、と苦笑いしながら思っていたら、彬光はそんな芽以の表情を見て笑い、
「ああ、そのマスターじゃなくて。
ほら、拳法の達人とかのイメージなんで、師匠。
ああいうのって、はいっ、マスター! とかって、弟子が言うじゃないですかっ」
と左の手のひらに右の拳を打ち付け、少し頭を下げながら、言ってくる。
いや、なんかいろんな映画が混ざってる気が……。
っていうか、此処は武道場じゃなくて、レストランなんだが……。
大丈夫だろうか、私が居ない日、と芽以は固まっていたが、逸人はさすが顔色ひとつ変えてはいなかった。
いや、この人、いつもこうだから、実は内心、動揺し、雇ったことを後悔しているのかもしれないが。
「芽以さん、マスター、よろしくお願いいたしますっ」
彬光は深々と頭を下げてくる。
ああいえ、どうもどうも、と芽以も頭を下げ返した。
まあ、自分のやりたいことを見つけたせいか、元気になってよかったな、と思いながら。
すると、頭を上げた彬光が、ふと思いついたように訊いてきた。
「ああ、そうだ。
芽以さんじゃなくて、奥さんって呼んだ方がいいですかね?」
え、えーと……。
店内で、みんなの前で奥さんって呼ばれるとか、どうなんだろう、と芽以は思う。
私、たぶん、常連さんたちにも、ただのバイトかなにかだと思われてると思うんだけど。
っていうか、こんな形ばかりの夫婦なのに、みんなの前で、奥さんとか恥ずかしいような、と思い、芽以は、すすす、と視線を逸人に向けてみた。
逸人は無表情だった。
……まあ、いつものことだが。
私、動揺してますが、貴方、動揺しないですか?
そう、ちょっと片言な怪しい日本語のイントネーションで訊きそうになる。
逸人は、しばらく微動だにせず、黙っていたが、
「いや……それはいい」
と言ったあとで、突然、立ち上がり、
「彬光、食べるか」
と言って、IHの方へと向かった。
はいっ、ありがとうございますっ、と言って、彬光は、仔犬のように逸人について行く。
芽以は、そんな彼らの後ろ姿を見ながら、でも、なんだか考えちゃうなーと思っていた。
いつまで、こんな状態なんだろうな、と。
形ばかりの宙ぶらりんな夫婦だけど。
逸人さんは、圭太と家のために、私と結婚したんだろうから。
もしかして、あっちが落ち着いたら、私、ポイされちゃうんでしょうか? と思っていると、いきなり電話が鳴った。
はいはい、と立ち上がり、芽以が電話を取ると、
『ちょっと、あんた、来ないでよっ』
という女の声がいきなりした。
ん?
間違い電話?
いや、この声は何処かで聞いたぞ、と思っていると、
『今から、そっちに食事会の招待状が行くと思うけど。
あんたは忙しいって断って』
と相手は言ってくる。
「……もしや、日向子さんですか?」
まず、名乗れ、と思ったとき、誰かが裏口をノックした。
はい、と逸人が出ようとしたが、
「あっ、わたくしが師匠っ」
と逸人の手を止めないよう、彬光が走っていく。
いや、マスターじゃなかったのか……と思いながら見ていると、ドアが開き、
イケメン声の神田川が現れた。
「こんにちは。
神田川です」
うむ、よく響くいい声だ、と思っていると、彼は、
「あれっ? 君は誰?」
と人懐こい笑顔で、彬光に訊いていた。
「はいっ。
先生の弟子の水島彬光と申しますっ」
と彬光が笑顔で答える。
また呼び名が変わっているが……と思いながら見た神田川の手には、白い封筒があった。
「逸人さんと芽以さんに、招待状です。
と苦笑いしながら言ってくる。
……なるほど、これか、と思いながら握る受話器の向こうから、
『来ないでよっ。
絶対、来ないでよっ』
とわめく日向子の声が聞こえている。
『圭太も居るのよ。
来ないでよっ。
私が圭太をメロメロにさせたあとなら、こっち来てもいいわよっ』
聞こえていたらしい逸人が、
「じゃあ、永遠に行けないな」
といつもの淡々とした口調で言い、同じく聞こえていたらしい神田川がその横で苦笑していた。
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