嫁を例えるのに、もっと良い言葉はないのですか
鼻歌を歌いながら実家に寄った砂羽は、鬱陶しい物体に出会い、引き返そうかと思ってしまった。
圭太だ。
広い屋敷の廊下の果てに居ても、圭太から発せられている、どよんとした空気を感じる。
あれが、名家の娘をもらって、会社を継ごうとしている男の姿だろうか……。
人が聞いたら、前途洋々の人生だろうに。
さっき、店に居た二人とは大違いだな、と思う。
クリスマスイブの夜に、圭太に、いきなり放り出された芽以。
圭太のために会社を辞め、その圭太に押し付けられる形で芽以を
どう考えても、あの二人の方が問題ある状況なのに。
っていうか、あのパクチー専門店。
ひとりもパクチー好きが働いていないのは問題があるような、と思っていると、圭太がこちらに気がついた。
ちっ、このまま逃げようかと思ったのに。
姉として、一声かけるべきだろうか、と思いながら、仕方なしに砂羽は圭太に近づく。
「元気そうじゃない」
いや、どう見ても元気ではなかったのだが、元気ないじゃないと言ってみても、どうにもならないので、そう言ってみた。
「ああ、まあね」
と圭太は返してくる。
今から日奈子の実家に行くのだと言う。
「ああそう。
頑張ってね」
と砂羽は返した。
日奈子は日奈子で昔から知っているし、別に義妹になっても困らない相手だ。
家柄も容姿も釣り合っているし、なんだかんだで似合いのカップルだと思う。
結婚当初はゴタゴタしても、いずれ、それなりおさまるところにおさまるのだろうと、砂羽は軽く考えていた。
ところが、
「行ってくるよ。
もし、芽以が来たら、教えてよ」
と圭太は言い出した。
いやー、あれは来ないと思うけどなー、と砂羽は思う。
逸人が連れてくる気がないからだ。
芽以は、あの性格だから、まだ両親に挨拶していないことを気にしているのだろうが。
だが、圭太は、ひとり、ブツブツと言っている。
「来るはずなのにな、芽以。
なんで来ないんだろうな」
……弟よ。
目がうつろだが、大丈夫か?
いつの間にか、自分よりずいぶん大きくなっている弟を見上げ、砂羽は、
「ねえ」
と声をかけた。
このまま訊くまいかと思っていたことを訊いてみる。
「あんた、なんで、芽以に逸人と結婚しろって言ったの?」
盆暮れ正月に芽以と会いたいからとか阿呆なことを言ってたが、それだけが理由ではあるまい、と思い、訊いてみる。
すると、案の定、圭太は、
「……芽以は子どもの頃から、逸人が苦手だったからだ」
と言ってきた。
「逸人なら、芽以が本気で好きになることはないと思ったのね?」
なんというせこい考え……。
だが、それを思いつくことが、家と芽以との間で板挟みになった圭太の精一杯だったのだろう。
確かに芽以は、昔から、逸人を前にすると緊張していた。
苦手といえば、苦手だったのかもしれないが。
それは、逸人が嫌いというのとは違うのではないかと思うのだが。
……まあ、今、言って、トドメを刺すこともあるまいと思い、砂羽は黙った。
「気をつけてねー」
と日奈子の家に行くという圭太を送り出す。
しかし、日奈子も、幾ら圭太が好きとは言っても、こんな状態の圭太でいいのだろうかな、と思いながら。
好きな相手が手に入れば、なんでもいいのだろうか。
逸人のように――。
圭太の大きな外車が出て行くのを見送りながら、小さく呟く。
「行ってらっしゃいー。
日奈子にそれ以上、生気抜かれないよう、頑張ってー」
まあ、本人に聞こえてはいないだろうが……。
今日もよく働きましたっ。
及第点かどうかは知りませんが、と思いながら、芽以は、チラと厨房で片付けをしている逸人を見た。
ボールを棚に置きながら、
「芽以」
と逸人が呼びかけてくる。
はいっ、と畏まり、芽以はホールからダッシュする。
「速いな、犬か」
と手を止め、逸人はこちらを見た。
……嫁を例えるのに、もっと良い言葉はないのですか、と思いながらも、芽以は忠実な飼い犬のように、逸人の次の言葉を待っていた。
「今日は早めに上がったし。
正月でも開いてる店があるから、行ってみるか」
いきなりそう言われ、芽以は、言葉の意味がつかめずに、はい? と逸人を見返す。
「年末年始、働き詰めだから、何処かへ呑みにでも行くか? と訊いてるんだ。
それとも、家でゆっくりしたいか?」
と逸人は言ってきた。
「いっ、行きたいですっ」
多少は正月らしい華やぎも欲しいと思っていたので、芽以は勢い込んでそう言った。
「じゃあ、すぐに支度をしてこ――」
「はいっ。
今すぐにっ!」
と逸人の気が変わらないうちにと芽以はダッシュした。
は、逸人さんと二人で呑みに行くとか初めてかもっ、と思いながら。
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