お客さんと心がひとつになりました



 年も明けたし、そろそろ夫婦らしいことをしてみても、いいんじゃないか?

と言おうかと思っていた。


 逸人はひとり、自分の部屋で寝転がり、さっきの出来事を思い出していた。


 でも、実際、芽以を目の前にすると、なにも言えなかった。


『ええっ!?』

とか言って拒絶されても嫌だし。


 もふもふのあったかそうなパジャマをこの寒いのに脱がすのも可哀想だし、とか思ってしまって。


 結局、あけましておめでとう、とだけ言って、去ってしまったのだが。


 ……なんでもわりと、スマートにやりこなせる方だと思っていたんだが。


 どうも芽以が相手だと上手くいかない。


 昔からだ、と思いながら、逸人は目を閉じる。


 アラブでは、パクチーは千夜一夜物語に出て来る媚薬として有名だ。


 時間が来たからというより、なんとなく、芽以の前で言うのをためらって、その話をせずに黙ってしまった。


 そんなことを思い出していたのだが、やがて、疲れからか、うとうとし始める。


 すると、戌年なのに、何故か、もふもふの羊のパジャマを着た芽以がやってきた。


 自分は、そのもふもふの芽以の口に大量のパクチーを突っ込み続け、芽以が嫌がって泣いている


 ……という夢を見た。


 朝、目を覚ました逸人は、今のが初夢か? と思う。


 あまり縁起の良くなさそうな夢だ。


 だが、二日の夜から、三日の明け方にかけて見るのが、初夢だという説もある。


 そっちを信じよう、と逸人は思った。


 まあ、その説、一日目の夢が気に食わなかった奴が言い出したのかもしれないが。


 今の自分のように……、と思いながら、逸人はベッドから起き上がった。


 今日も寒い。


 まだ、二日なので、近くの神社が流しているのか、正月らしい雅楽の音が微かに聞こえていた。





 今日もいい天気だなあ。


 芽以は料理を運んだあと、チラと外を見た。


 凧でも浮かんでいたら似合いそうな、気持ちのいい正月の空だ。


 あと少しでお昼はオーダーストップかな、と思ったとき、その声はした。

 

「あらー、流行ってるじゃないのー」


 大きな声だったからか、その女が派手だったからか、まだ食べていた客たちが、ぎょっと入り口を振り向く。


 そこには、艶やかな美女が立っていた。


 店内の老若男女が、同時に、チラと厨房に居る逸人の方を見る。


 その女と逸人がそっくりだったからだ。


 ……どうなってんのかな、此処んちの遺伝子は。


 全部同じ顔が出るとか、と思っている芽以の側に来た彼女は、ぽんぽん、と女にしては大きな手で芽以の腕を叩いてくる。


「あら、芽以。

 似合うじゃないの、それ」

と制服を見て言った。


「お、お久しぶりです、砂羽さわさん」


 逸人と圭太の姉、砂羽だ。


 年が離れているので、もう結構いい年ではないかと思うのだが、相変わらず、若く見えるし、綺麗だ。


「もうすぐ休憩よね?

 じゃあ、それまで静かに、なにかいただいとくわ」


 いや……既に静かじゃないですが、と芽以の顔にも逸人の顔にも、お客さんたちの顔にも書いてあった。


 店内が一体となった瞬間だった。


 窓側の席に座った砂羽は、メニューを見ながら、

「じゃあ、このランチAで。

 あ、パクチー抜きね」

と言う。


 ふたたび、芽以と店内が一体となった。


 いや……だから、貴女、此処に、なにしに来ましたか、と思ったのだ。


 だが、逸人はこの姉に逆らうのがめんどくさいらしく、言われるがままに、パクチー抜きのランチを作っていた。


 美味しそうだ……と芽以はパクチーのない炒飯やサラダを見つめる。


 そんな物欲しそうな芽以の顔を見たせいか、砂羽が、

「ああ、あんたたち、まだお昼食べられないのよね?

 待っててあげましょうか」

と言ってくれた。


「いえいえ。

 温かいうちにお召し上がりください」


 どうぞどうぞ、と言いながら、そういえば、ちょっとやかしまい砂羽だが、子どもの頃、みんなで遊んでると、お菓子とか差し入れてくれたりしてたっけなーと思い出す。




「なんか上手くいってるじゃない」


 休憩時間になり、美味しかったわ~と自分でランチのトレイを下げてくれた砂羽が言ってくる。


「まあ、芽以ならやれると思ってたわよ。

 あんた、意外とできる子だもんね」


 いやー、意外とってなんですかー、と思いながらも、実は、できる女の砂羽に言われて、ちょっと嬉しかった。


「でも、芽以。

 まだ会社に出ないといけない日もあるんでしょう?


 その日は、この店、どうするの?」


「それがちょっと困ってるんですよねー」

と言うと、


「私が手伝ってあげましょうか?」

と砂羽が言い出す。


 いい、いい、と逸人と二人で手を振った。


「あら、なんでよ?」

と砂羽は言うが。


 いや、なんとなくだ。


 なんとなく……。


「でも、芽以。

 逸人でよかったの?」

とさすが砂羽、いきなり核心に触れてきた。


 逸人が、なにを言い出す、姉、という顔で、IHの前から見ている。


「圭太、略奪しちゃえばよかったのにー」


 砂羽は、悪びれもせず、そう言ってくる。


 相変わらず天上人てんじょうびとのような人だ……。


 そのうち、パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの、とか言い出しそうだ。


「だって、圭太は小さな頃から、あんたが好きだったのに。

 公立の小中学校に行ったのも、あんたが居たからだもんね」


 えっ?


「いろんな人の居るところでやってみたいとか言って、お祖父様がおおそうかって感心して、入れちゃったんだけど。


 単に、私立の説明会に行くときに、待ってる間、公園で一緒に遊んだあんたが気に入って、公立にしただけで。


 逸人は、じゃあ、お前もって、ついでに公立に放り込まれただけだから」


 余計なこと言うなよ、という顔で逸人が見ている。


「『ねーちゃん、僕、めーちゃんと結婚する』ってずっと言ってたのにねえ。

 可哀想に」


 圭太……。


 ちょっとしんみりしてしまった。


「でも、芽以、乗り換えるの早いわね」

と砂羽に言われ、芽以は、ええっ? と彼女を見た。


「さっきからの仕事ぶり見てたら、息の合った若夫婦に見えたわよ。

 あんたも圭太のこと、少しは好きだったんでしょうに」


 気持ちいいくらいズバズバ言ってくれるなー、と苦笑いしながら、

「いや、乗り換えたとかじゃ……」

と芽以が言いかけると、逸人が後ろから援護射撃をしてくれた。


「そうだ、姉貴。

 芽以は俺に乗り換えたわけじゃない」


 逸人さん、ありがとう、と振り向こうとした瞬間、逸人が言った。


「圭太に捨てられただけなんだから」


 援護射撃どころか、後ろから撃たれましたよ……。


 逸人さん……。

 貴方が私にトドメを刺しています……と思っていると、砂羽が、


「あらー、私は逸人で当たりだと思ってるわよ」

と言い出した。


 えっ?


「圭太はちょっとね。

 優しすぎるから」


 いやー、それだと逸人さんが人でなしのように聞こえるのですが。


「圭太は優しいから、日向子を振り切れなかったのよ」


 それで、妊娠させるのもどうかと思いますが、と思っていると、逸人が、

「優しくはないだろ。

 芽以を不幸にしたんだから」

と言ってくれる。


 いや……不幸なんですかね?


 私は此処で結構楽しくやってますよ。


 あのクリスマスの夜、圭太に結婚することになったと言われたとき、凍りつかなかったといえば、噓になる。


 でも、なんだか、あれから怒涛の展開で、泣く暇もなく。


 ずっと逸人さんが側に居てくれて。


 なんだか救われた。


「私は……逸人さんの方が優しい気がします」


 私のことなんて、好きでもないのだろうに、家のためにか受け入れてくれて。


「お茶、淹れますね」

と芽以は逸人を避けながら、湯沸かしポットに水を入れに行った。






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