パクチーの王様

櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん)

残念だが、お前とは結婚できないことになった

 



「残念だが、お前とは結婚できないことになった」


 クリスマスイブの夜。


 仕事終わりに待ち合わせ、美味しくインド料理など食べて、イルミネーションの輝く街を歩いていたら、突然、幼なじみの相馬圭太そうま けいたがそんなことを言い出した。


 杉原芽以すぎはら めいはちょっと状況についていけずに立ち止まりそうになる。


 ん? 誰と誰が結婚できなくなったって?


 一瞬、誰か友だちの話かと思ったのだが、圭太は、はっきりと、『お前とは』と言ったようだった。


「え……、私と、誰が?」


「俺が」


 貴方と私が?


 ……そもそも私たち、結婚する予定などあったでしょうか? と芽以は思ったのだが、圭太は足を止め、大真面目な顔でこちらを見ている。


「だから、お前、逸人はやとと結婚しろ」


 ……なんだって?


 相馬逸人は、圭太の二つ下の弟だ。


「たぶん、そうなるんじゃないかと思っていたが、親の勧める相手と結婚することになった。


 長い間、お前を待たせていたのに、こんなことになり、本当にすまないと思う」

と圭太は頭を下げてきた。


 なにあのイケメン、なんでクリスマスに女の子に頭下げてんの?

という目で女子高生たちが見て行く。


 いや……待ってなかったけど、たぶん。


 ……と思うんですけど、たぶん。


 っていうか、そもそも、貴方が私のことを好きだとは知らなかったんですが。


 知った途端にフラれてしまうという奇異な体験をクリスマスイブの夜にしてしまった。


「だから、お前、逸人と結婚しろ」

と圭太は繰り返し、よくわからないことを言ってくる。


「……なんで?」

と思わず、訊いてみた。


「そしたら、俺と親戚になって、盆暮れ正月には会えるだろうがっ」


 なんかしょうもないことを言っているのだが、圭太の顔は言葉に似合わず、真剣だった。


 しかし、人はそのような理由により、結婚しなければならないものなんですかね……?

とぼんやり思っていると、あまり反応のない芽以の手を取り、圭太は叫び出す。


「会いたいんだっ。

 盆暮れ正月くらいっ。


 このままお前がどっかわからない家に嫁いで、遠くに行ってっ。

 二度と会えなくなるなんて、絶対に嫌だっ!」


 ありがたいような、軽く錯乱しているような……。


 いや、私もしている気がしてきた、と芽以は思う。


 そう言われてみれば、クリスマスイブの夜に誘われたので、なんとなくこういう話があるかな、とは思っていたような気がする。


 いや、弟と結婚しろとかいう無茶な話ではなく――。


「でも、圭太。

 なんで突然、結婚なんて」


「いや、前から話はあったんだ」


 会社の都合でちょっと、と圭太は言う。


 圭太の実家は会社を経営している。


 古参の企業ではあるが、長く続いた不況のせいで、いろいろあるのは知っていた。


「そんな話、お前にはしたくなかったし。

 親にもごまかし、ごまかし来たんだが」


 なんだかわからないまま、圭太の必死さに、黙って手を握られ、話を聞いていた芽以だったが、


「相手が妊娠してしまって――」


 まで聞いたところで、とりあえず、殴ってみた。





 いやー。

 好きだったかと訊かれたら、よくわからないんだが……。


 なにか衝撃的なことがあった気がするのに、いつも通りに、一人暮らしの部屋の洗面所で化粧を落としながら、芽以は思う。


 人間って、こういうときにもちゃんと、やるべきことはやるんだな、と思いながら。


 いや、こういうときだから、ぼんやりしたまま、常日頃やっていることを繰り返しているだけなのかもしれないが。


 それにしても、ずっと一緒だったから、突然居なくなるとか言われたら、寂しいかな……。


 そんなことを思いながら、拭き取り用のコットンを手に、腕に問題があるので、化粧してもしなくても、あまり変わりのないおのれの顔をぼんやり眺めていると、濡れないよう棚の上に置いていたスマホが鳴り出した。


 はいはい、と取ってから気づく。


 逸人からだ、と。


「……もしもし?」


 逸人がかけてくるなんて珍しいな、と思いながら、スマホに出たあとで、ハッとした。


 まさか、圭太め。

 錯乱したまま、逸人にまで同じことを言ったとか?


『芽以と結婚してやってくれっ』

とあの勢いで言って、クールな弟に追い返される圭太の姿がリアルに頭に浮かぶ。


 すると、案の定、

『さっき、圭太から電話があって、お前と結婚しろと言ってきたぞ』

と逸人が言ってきた。


 しかし、相変わらずだな、と芽以は思う。


 『もしもし』も、『こんばんは』もないのか。


 逸人は大抵、なんの前置きもなく、しゃべり出す。


 そして、言いたいだけ言って切るのだ。


 気配りの男と言われる圭太とは対照的な男だった。


 こんな感じで、昔から、女子にもあまり気を遣うことはなかったが、圭太とよく似たその顔で密かに人気はあるようだった。


 圭太と逸人は、昔から、双子でもないのに、よく似ている。


 醸し出す雰囲気はまるで違っていたが。


 陽気で人当たりのいい圭太と、なんだかわからないが、常に、なにか苦いものでも噛んでんのか? と問いたくなる顔をしている逸人。


 だが、逸人のそういうところがいいという女子も少なからず居ることは知っていた。


 いや、なんか巻き込んでごめん、と迷惑そうなその口調に言いかけたとき、


『いいぞ、今すぐ、来い』

と逸人が言い出した。


 ……はい?


『今すぐ来い。

 気が変わりそうだから』


 逸人さん、今、なんて言いましたか?


 さっきの圭太の言葉よりも理解できない。


 逸人は年下のくせに、いつも私を見ては、溜息をついているような男だったはずだが、と芽以は耳から離したスマホを見つめながら固まる。


 だが、よく通る逸人の声は、離れた位置からもよく聞こえた。


『断ったら、圭太がうるさいから』


 とりあえず来い、今すぐ来い、と言う。


 この弟は兄を絶対、兄とは呼ばない。


 昔から呼び捨てだった。


 いや、そういえば、最初からではなかった気がするが。


 小さな頃は二歳の差は大きかったはずなのに、逸人の方が落ち着き払っていて、圭太以上になんでも出来たから、圭太も弟が呼び捨てにするのを許していたようだった。


『今すぐ来い。

 中通りのバス停前の、白い壁に緑の看板の店だ』


 は? 店? と芽以は時計を見る。


 もう十一時半を回っている。


 呑み屋かな? と思っていると、

『俺の店だ』

と逸人は言う。


「……俺の店」


 莫迦みたいに、逸人の言葉を口の中で繰り返す。


 ちょっとなにを言われたのかわからなかったからだ。


 逸人は確か、圭太とともに、父親の会社に居たはずだが……。


『白い壁に緑の看板。

 住所は中通3-9……』


 相変わらず、マイペースな逸人は、いきなりツラツラと住所を言い出す。


 ひーっ、と慌てて芽以はメモを取りに、リビングへと走った。



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