登下校Lovers
タンたろー
飛躍
12月4日(月)午前7時42分、東光ライナー石蔵寺駅。
東京メトロから直通乗り入れの下り列車が1分遅れで到着すると、同じ制服を着た高校生たちがわらわらとホームに降り立つ。
英稜高校2年 特進R組 鈴木正親も、ホームの端に一ヶ所だけの改札口に向かってなんとなくできた列の中、いつも通り、コンパクトサイズの参考書をダッフルコートのポケットにしまい、その手で毛糸の手袋を取り出して装着、マスクをした口元をマフラーの中にさらに埋めるようにして、少し上目使いに前を向いた。
そして、メガネを押し上げた。
ピッピッとなり続ける電子音に学生特有の嬌声が重なる喧騒の向こう、売店の吊り下げ商品の影で、同校2年A組向井あかりは前髪調整に余念がなかった。
あかりがそこにいることに気づいた男子生徒は、互いに小突き合ったり、或いは黙ってチラチラと盗み見たりなどしながら通りすぎていく。
(朝からいいもの、見たわー)
(あーやっぱ、かわいいわ)
と……。
整えた前髪の間から生徒たちの流れを眺めていたあかりが唐突にその身を割り込ませたのは、ちょうど正親の目の前だった。
毛先が緩くカールした艶やかな髪がふわりとたなびき、辺りに甘い香りが漂う。
(ほぉぉぉぉ)
正親の横を歩く男子生徒が、恍惚のため息を洩らすも、マスクにマフラーのダブルガードを施した正親には何の恩恵もなく、正親はただぼんやりと前を行くあかりの後ろに続いて改札を抜けた。
ーーーーー
12月5日(火)午前7時39分、東光ライナー下り列車内。
車内アナウンスが、次の停車駅を石蔵寺駅と告げると、正親は開いた参考書から車窓へとちらりと視線を移した。
そして、メガネを押し上げた。
扉のそばに立つあかりがゆっくりと瞬けば、ふっくらした白い頬に長い睫毛の小さな影がひらりと舞う。
どこか物憂げで色っぽいその表情を間近で見ていた男子生徒は、鼻の穴を指で抑えて上を向いたが、あかりが黒目がちな瞳を向けた先で、正親は再び参考書に視線を落としていた。
ーーーーー
12月6日(水)午前7時48分、石蔵寺駅前商店街。
今朝も正親は、コートにマフラー、マスク、手袋と完全防寒の出で立ちで歩いていく。傍目にはぼんやりしているようにも見えるが、歩速は比較的速く、また脳内では数学的帰納法による証明問題が再生されている。
(nがK+1のとき……ん?)
ややうつむき加減の正親の視界で、すらりと細く極めて形の良い2本の脚がつと止まる。
既視感があった。
正親は、メガネを押し上げる。
(確か昨日も……)
漸化式の解法パターンを反芻していたときに同じ現象を見て、メガネを押し上げた。
正親は前回同様、進路を30度程左にきった。立ち止まった美脚の主を迂回すべく。
(nが1のとき……)
「鈴木くん!」
美脚の主の声と思われた。
正親が振り返る。
と同時に、半径25メートル以内の同校男子生徒10名程が彼女を見た。内1名は期待に満ちた目をキラキラと輝かせている。おそらくは『鈴木』姓であろう。
正親はメガネをぐいと強めに押し上げると、前に向き直ってそのまま歩き始めた。
「鈴木くんだよね?えっと……まさおやくん?だっけ?」
そう言いながら小走りに駆け寄ったあかりは、正親の横に並んで歩く。
「……」
「林間のキャンプファイアでフォークダンス、ペアになったよね?」
「……」
「え、あれ?違ったっけ?」
「それはまあ……いや、どうだったか……」
「なったじゃん!」
(フォークダンスというものの特性上、学年の4分の3の異性とペアになると思われるのだが、どうだろう)
反応に困る正親にはおかまいなしに、あかりは「今まであまり話す機会がなかったけれど、最近よく会うよね」などと話し続ける。
「あ、新作」
ドーナツ店の前で足を止め、店頭に貼られたポスターを指さしながら、あかりが言った。
「これ、食べたい!今日の帰りに一緒に寄らない?」
(飛躍)
「ね、ね、寄ろうよぉ」
「残念ながら、今日は塾だ」
「じゃあ、明日」
「明日も塾がある」
「んじゃ、明後日」
「……」
「やったー」
あかりは、ピョンと跳ねた。
なんだかんだ、それなりに会話を交わしながら、例えば好きな音楽やらはまったマンガやら嫌いな先生やら、そんな話をしながら肩を並べて登校した。
正親とて男、悪い気はしない。
英稜高校には各学年一クラスの特進組があり、その教室は全て校舎の右側にまとめて配置されている。一般組は校舎の左側だ。そして、下駄箱を境に右側の特進組エリアへの一般生徒の立ち入りは禁じられている。その廊下には黄色の太いビニールテープが貼ってあり、『これより先、偏差値60以下の生徒の立入を禁ず』と立看板が立っている。
そこでの別れ際、正親は言った。
「まさちかだ」
「え?」
「まさおやではなく、まさちかと読む」
「え?そうなの?やだ、ごめんなさい。当て字なんだー。そっかー、ごめーん。ホント名前って難しいよねー」
じゃあね、バイバイと手を振って、あかりは校舎の左側へと姿を消した。
(当て字ではない)
正親は、右側へと向かいながら考えた。
(バカ、なのか……?)
(いや、違うな)
案外と趣向の近かった音楽やマンガの、好きな歌詞、感動したポイント、そして世界史の橋本を厨二病と評するあたり、それから正親の沈黙を都合よく同意と解釈する狡猾さ、彼女は決してバカではない。おそらく、極端に知識がないだけだ。
正親は、そう結論づけた。
(さすれば、一体、なぜ……)
正親の疑念をよそに、その日の放課後、あかりは正門で正親の帰りを待ち伏せていた。
「今日は塾だと伝えたはずだが」
(人の話を聞いていない。すなわち……、やはりバカか)
「駅まで一緒に帰ろう」とあかりは言った。
塾があることは、どうやら承知しているらしい。
(やはり、バカではないらしい)
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