青春は灰色
野黒鍵
第1話
「ストロベリーパフェとチーズケーキを二つ下さい」
かしこまりましたと口にして綺麗な店員さんは頭を下げ、テーブルから離れて行った。
「………………」
「………………」
気まずい。何とも気まずい。今すぐにでも帰りたいというのが本音である。
目の前には親しくないクラスメートが二人。辻由香里さんと朝比奈響子さん。この二人とはろくに会話もしたことがない。というか顔もちゃんと見たことがなかった。
辻さんは黒くて長い綺麗な髪を一本に縛っている。女子の髪型に詳しくないが、おそらくポニーテールというやつだろう。目鼻立ちがしっかりしていて美人だと思う。
朝比奈さんは対照的に茶色のふんわりとした長い髪。ウェーブってやつだろうか。辻さんと同じように目鼻立ちがいい。辻さんはキリっとした印象に対して、朝日奈さんは垂れ目もあってか穏やかな印象を受ける。まさに癒し系だろう。
そんな顔をしていたのかと思うくらいに二人と接点は無く、放課後にこうしてファミレスに寄るような仲では決してない。
二人が口を開かないので、とても気まずい。
パフェもまだ来ないので、どうしてこんな状況になったのか少し思い返してみることにする。
※
ホームルームが終わり、友人の上田哲郎と軽く雑談をしていた。
哲郎はサッカー部に所属していて、放課後の練習が始まるまで少し雑談をするのがいつもの流れだ。部活が始まるまでの数十分の間会話をして哲郎は練習のため運動場へと向かった。
俺は俺で帰宅部に所属しているので、哲郎が部活に向かったタイミングで俺も自宅へと向かう。帰宅部だからな。もちろん皆勤である。
部活に勤しむため鞄を背負った時、二人の女子が歩いて来るのが見えた。
俺の席は窓側、教室の奥の席なので、彼女達が歩いている方向から俺に用があるのかと一瞬思うが、哲郎以外に仲良く話す間柄のクラスメートはいない。きっと窓か景色に用があるのだろう。
彼女達に構まず部活に向かおうとした時だった。
「ちょっと、無視するなんてことしないわよね?」
「え……?」
鞄を掴まれて声を掛けられた。まさか本当に俺に用があるとは思わなかった。
俺は慌てながらも冷静に答える。ここで焦ると更に怒らせるかもしれないからな。
「ああ、ごめんごめん。まさか俺に用があるなんて思ってなくて」
「そうよね。まさか君がアタシ達を無視するなんて有り得ないものね」
有り得ないんだ。
辻さんはそう言いながら怖い笑顔を浮かべていた。しかも辻さんの物言いは『悪いことしたんだから無視なんて出来ないよね』と言わんばかりである。
敵対心を全く隠さない辻さんを受け止める気概も無いので、そっと隣にいる朝比奈さんに視線を移す。朝比奈さんは両手を組んで足元を見つめていた。
あれ? 俺、なんかしたっけ?
この状況は俺が悪いことをして朝比奈さんを傷付け、それに怒った辻さんが詰め寄っている図だ。
まともに話したことの無い相手なので普段の会話などで怒らせたという可能性は低い。それならどこで辻さんを怒らせるようなことをしでかしたのだろうか。
心当たりは全く無いが、ここは大人しく様子をうかがった方がいいな。
こっちに心当たりがないからと無視して帰ってもいいが、流石に明日の教室が怖い。元々友達の少ない俺が女子の反感を買うというのは自殺行為に近い。女子の怒りを買った男子が取り巻きの男子からも嫌われるなんてことが有り得るのだ。
内心ビビッている俺が何も言わずに二人の出方をうかがっていると、辻さんがようやく口を開いた。
「まあいいわ。ここじゃ人の目をあるし、どこかに場所を移しましょう」
有無を言わさず辻さんは踵を返して教室を後にした。朝比奈さんも辻さんに続いて教室から出て行く。
俺も行かないと駄目なんだろうなあ……。
うーん、ついて行っても碌な目に遭わないのは目に見えてるが、その選択肢は初めから用意されていないのは明白である。
仕方ない。今日は部活をサボって彼女達について行くことにしよう。せっかくの皆勤だったのに。
そんなことを考えるくらいにはまだ余裕があるんだなと少し笑えて来た。
俺も少し遅れて二人を追いかけて行った。
※
閉じていた目を開き目の前の状況を確認する。先程と変わらず目の前の二人は黙っていた。
……分からん! 思い返してみても、何故二人と一緒にファミレスに来ているのか明確な答えは出なかった。
分かっていることと言えば、二人は俺に用があること。しかもそれは良い話じゃない。
とは言っても、俺は二人と接点が全くと言いほどに無い。席も遠いし、まともに話したのも今回が初めてのはず。
どちらかと言えば哲郎の方に接点がある。
何かをしでかしたとしたら哲郎だろう。それなのに辻さんは俺に怒っている様子。
うーん、困ったなあ。
話したこともなければ間接的に関わったこともない相手に呼び出されるなんて経験始めてだぞ。
もしや同じクラスというだけで怒っているのか? もしそうだったら立ち直れる気がしない……。
「お待たせ致しました。ストロベリーパフェとチーズケーキになります」
独り考えを巡らせていると、注文していたスイーツがテーブルに並べられた。綺麗な店員さんは俺の前と辻さんの前にケーキ、朝日奈さんの前にパフェを並べた。確かに見た目で判断するなら的確な配置である。
仕事を終えた綺麗な店員さんは頭を下げてテーブルから離れて行った。
綺麗な店員さんが離れたのを確認し、朝日奈さんの前に置かれたパフェを俺の前に置かれたケーキとそっと交換する。こういう子行動ですら怒らせる可能性がある。
人が怒っているのにパフェだろうがケーキだろうがどっちでもいいだろう、と。だが、俺にはどうでもよくない。どうせ怒られるなら好物であるパフェくらい食べさせて欲しい。
そんな心配をよそに二人は相変わらず黙ったままであす。
ファミレスに入ってから注文の時以外に二人は口を開いていない。用があるのはそっちだろうに、と不満に思いつつもパフェを口に運ぶ。二人も一口ケーキを口にしていた。
なんだこの無言の食事会は。親しくない二人と無言のままスイーツを食べる。それなら一人で食べさせて欲しい、と独り不満に思っていると辻さんがやっと口を開いた。
「滝口雄介君」
「あ、は、はい」
まさかフルネームで呼ばれるとは思わず、ちょっと吃ってしまった。しかも敬語で。
そんな俺の返事を気にせず辻さんは続ける。
「あなた、上田哲郎君と仲が良いわよね?」
またもフルネーム。距離を取ってますよというアピールだろうか。
俺もフルネームには気にせずいつものように答える。
「哲郎? まあ仲良いと思うよ。小学校からの付き合いだし」
他に誰か仲が良い人はいる? という質問をされたら無視を決め込むところだったが、そんな質問はされなかった。
そんな予想とは全然違う言葉が辻さんの口から発せられた。
「じゃあ何で呼ばれたか分かるわよね?」
頬杖を突きながら、こちらをジッと見詰め答えを待っている。
「………………」
え、分からないんですけど?
哲郎と仲が良いか聞かれただけで、この状況を説明出来る奴が居たら変わって欲しい。名探偵か超能力者の称号を授けよう。
俺の戸惑いなんてお構いなしに辻さんは視線を外さず、こちらを真っ直ぐ見ている。
なんだなんだ? この二人は哲郎の親衛隊で俺が仲良くしていることが気に食わないって言うのか?
哲郎が関係しているとなると心当たりが一つあると言えばあるが、哲郎の問題なので考えが当たっていても俺の口からは言えない。
こんな情報量の少ない状況で歩くのは地雷原を目隠しで歩くことと変わらない。
まずは怒らせてもいいから、丁寧に状況を整理する必要がある。
「えっと、俺が哲郎と仲良くしているのが気に食わないとかそういう話?」
現状で推測出来るのはそのレベルのことだろう。もし俺の予想が当たっていたなら二人を刺激しないようにこの場を納めれば任務完了である。
だけど俺の質問は的を射てなかったようで、辻さんは眉間に皺を寄せていた。
「何言ってるの? あなた達が仲良くしようがしまいが、どうでもいいわ」
ですよねー。
俺の質問で機嫌を損ねてしまったようだ。これは仕方ない。明日からの学校生活の安寧さえ守れるのなら、ある程度辻さんに嫌われるのは覚悟するしかない。
気を付けなくてはいけないのは俺の所為で哲郎まで嫌われてしまうという事態だ。こんな奴と友達なら哲郎も駄目人間なんて思われるのだけは避けなくてはならない。
だが、このままでは状況は改善しない。助けを求めるように朝比奈さんを見るも、視線を下げて小さくケーキを見詰めていた。
……援軍は無いようだ。
とにかく現状打破だ。哲郎との仲を聞かれたのだから、哲郎絡みなのは間違いないだろう。そこから活路を見出すしかない。
「えっと、じゃあ哲郎が何かしたとか?」
俺が二人に何かした覚えはないとなると、哲郎が何かをしてしまったか。それで仲が良い俺が呼び出されどうにかしろ、という可能性が浮かんだ。
とはいえ哲郎が二人を怒らせることをしたとは思えないが。
「……本当に心当たりがないの?」
質問の答えが帰って来ない代わりに辻さんからの質問が返って来た。
質問に質問で答えないで欲しいが、今は辻さんの質問に答えるしかないようだ。
「心当たりがあるなら、とっくに話してるって。察しが悪くて申し訳ないんだけど、一から説明してくれる?」
何で俺が謝っているんだと思うが、辻さんの目が怖いので必然的に俺が頭を下げてしまった。
俺の俺で初めからそうすれば良かったなと反省。分からないなら聞く。これ社会に基本。
「ふーん、嘘じゃなさそうね。仕方ないわ。面倒だけどちゃんと話してあげる」
めっちゃ上からの物言いに引っかかるものがあるが、ここで何かを言っても話が進まない。
ここは俺が大人な対応を見せ黙ってご説明を願おう。決してビビっている訳ではない。
「話す前に聞いておきたいのだけれど、あなたは共犯者?」
共犯者? 何の共犯だ?
え、哲郎って何か悪いことしてるの?
共犯なんて物言いだから、何か罪を犯しているのだろうか。
俺の知らぬ間に哲郎が犯罪者になってしまったのか?
と、とにかく何のことだか分からないが俺は無実だ。
「俺は何もしてないよ」
内心の動揺を隠しながら冷静に答える。ここで動揺が見えるようでは共犯者です、と言っているようなものだ。
というか共犯かどうかは説明してから聞くべきだと思うが。
「そう、それならいいの。ねえ、滝口君にお願いがあるの」
俺の思いもむなしく説明はなされない。
しかも説明を省略していきなりお願いってどういうことだ。
物事には順序というものがあるのだ。まずは説明を聞かなくてはお願いも何もない。
「えっと、お願いの前に説明してくれるかな?」
「お願いが説明にも繋がるわ。だからお願いを聞いてくれるかしら?」
そう言いながら優しく笑う辻さんに嫌な予感しかしないが、どうやら頼みを聞くと言うまでは話が進まなそうだ。
仕方ない、ここは素直に頷いておこう。どんどん泥沼にはまっているような気がしないでもない……。
「あー、俺に出来ることなら、まあいいよ」
とは言っても怖いので予防線は張っておく。
「ありがとう。誤解してたわ。滝口君は良い人なのね」
あ、フルネームじゃなくなった。やっぱりフルネームは距離を置いてますよ、という意思表示のようだ。
辻さんは俺の言葉をお気に召したようで優しい笑みを浮かべている。嫌な予感がビンビンする笑顔だが、美人の笑顔に少しドキッとする自分が悲しい。
「そ、それでお願いって言うのは?」
内面のドキドキを誤魔化すようにお願いの内容を聞き出す。
「頼みというのは上田哲郎君……上田君を止めて欲しいのよ」
あ、フルネームが面倒になったな。
それよりも哲郎を止めるか。
共犯者かどうか、なんて聞いたりして来たのだから哲郎が何かをしているのは間違いないだろう。
「……哲郎が何をしているんだ?」
「本当に何も知らないのね。上田君、イジメをしているのよ」
哲郎がイジメ? そんな馬鹿な。
イジメなんて見つけ次第止めるような奴が加害者になるとは思えない。
「何かの勘違いじゃないか?」
「何、アタシ達が嘘を吐いていると言うのかしら?」
いやいや、当然の疑問を口にしただけなのに、この剣幕。美人の怒り顔って迫力あるなあ。
「嘘吐いてるなんて言ってないよ。ただ、勘違いしているんじゃないかなって思って」
内心の恐怖を隠しながら答える。
「勘違いなんてしていないわ。だって被害者がいるもの」
流石にイジメられている本人から言われたのなら勘違いという可能性は低いか。
高校に入って哲郎は変わってしまったのだろうか。長い付き合いでクラスも同じだから一緒にいる時間は長いとはいえ全てを知っている訳じゃない。
哲郎がイジメなんてことを本当にしているのなら、辻さんに頼まれるまでもなく俺が止めてやる。
「その被害者っていうのは?」
「ここにいる響子よ」
「ええ⁉ 朝日奈さんがイジメの被害者⁉」
「そ、そうよ。そんなに驚いてどうしたの?」
あんなに冷静だった辻さんが俺の驚き具合に若干引いている。
俺も今まで冷静を装っていたのに、この騒ぎようだもんな。俺も自分の驚きにビックリした。
それにしても信じられない。
他の誰かをイジメることがあるとしても、朝日奈さんをイジメることだけは有り得ない。
もしかして特殊な趣味が……? いやいや、そんな馬鹿な。
とりあえず今は俺が驚いたことについて説明しなくては。
「あ、いや。まさか被害者が女子だなんて思わなくて。大きい声だしてごめん」
「まあそうよね。仲良しの友達が女子をイジメているなんて信じたくないわよね」
辻さんは俺の説明に納得したようで目を瞑って頷いていた。
ふう……。何とか誤魔化せたようだな。
勘違いだと説明したいのは山々だが、その為には哲郎の事情を話す必要が出て来る。
それにまだ勘違いだと決まった訳じゃない。哲郎を信じてはいるが、一応明日話を聞いてみよう。
今は二人を刺激しないように気を付けながら、撤退しよう。
この場はお願いを聞くと言えばやり過ごせそうだ。
ただ哲郎を止めると約束するのは後々に問題が出る可能性がある。イジメていない場合、俺は哲郎の何を止めればいいんだ、という話になる。
ここは約束の内容を明確にせず幅を持たせる必要があるな。
「辻さんの頼みは分かった。俺も哲郎がイジメをしているなら見過ごせないし、明日話を聞いてみる。それでいいかな?」
「ありがとう。初めは無視とかするから嫌な人かと思ったけれど、滝口君は良い人なのね」
良い人かどうか分からないが、このまま見過ごせる状況ではないことは確かだ。
「よ、よろしくお願いします」
朝比奈さんもお礼を口にして頭を下げる。
そういえば今日初めて朝比奈さんの声を聞いたな。目をギュッと瞑ってお願いする様は可愛らしいと思う。小動物のような印象を受けるな。
正直なことを言えば辻さんや朝比奈さんのことはどうでもいいが、哲郎のことが心配だ。
どうにかこの場を丸く収まって良かった。
イジメなんて信じないと言って帰っても良かったのだが、俺にも二人に嫌われてはいけない事情があるからな。
「あー、いや。うん、気にしないで」
はあ、疲れた……。
二人は楽しそうに会話をしながら残りのケーキを食べている。
俺も残りのパフェをつつきながら今日のことを考えていた。
何がどうなってこんな状況になったのか。
哲郎がイジメをしているとは絶対に思えないが、何故そんな勘違いをされているのか。
お前、一体何をしているんだよ……。
ファミレス呼び出し事件があった翌日の昼休み。いつものように哲郎と屋上で昼食を取っていた。
哲郎と会話をしながらも頭の中は昨日のことでいっぱいだった。
昨日のことをどう切り出すのか。哲郎って朝比奈さんイジメてんの? なんて直接聞ける訳ないし。
哲郎がイジメか……。
改めて考えても信じられない。イジメなんてする人間じゃないことは長い付き合いで分かっている。
それにもし本当に誰かをイジメているとしても朝比奈さんをイジメるとは思えない。辻さんならあり得るかもしれないが。
そんなことを考えていると哲郎が思わぬことを口にし始めた。
「俺、そろそろ告白しようと思っているんだ」
「は? 誰に?」
「誰って知ってるだろ? 朝比奈さんだよ」
「あ、ああ。……そりゃそうだよな。前から朝比奈さんのこと好きだって言ってたもんな」
「そうだよ。忘れたのかと思ってビックリしたぞ」
そう言って哲郎は笑っていた。
哲郎が朝比奈さんをイジメているとは思えない理由。それは哲郎が朝比奈さんのことを好きだからだ。
俺はそのことを知っているので、もし哲郎がイジメなんてことをしているとしても朝比奈さんをイジメるとは思えなかった。特殊なアピールで好きな人をイジメちゃう、なんて人もいるかもしれないが、哲郎はそうじゃないと願う。
今までは哲郎が朝比奈さんと会話しているのを気恥ずかしくて見ないようにしていた。友達の恋愛事情なんて聞く分にはいいが、見たいものではないからな。
とは言っても、イジメだと相手に思われている以上、哲郎がどんな接触の仕方をしているのか確認する必要があるな。
まずは哲郎の告白を止めないと。断られるのは目に見えているし、告白自体が嫌がらせと思われる可能性すらある。
「告白かあ。勝算はどんな感じなんだ?」
いきなり告白は止めとけなんて言ったら不審に思われるので、様子を見で探りを入れて行こう。
そもそも何で告白しようとなんて思っているんだよ。相手には嫌われているのに。
「どうだろうな。七割は言い過ぎだと思うけど、六割は成功するんじゃないか」
いやいや、絶対に無理だぞ。負け戦だって思っているなら玉砕覚悟でって応援出来たけど、勝つ気でいるぞ。
自信がある時の失敗ほどトラウマになったりするんだ。
その自信は何処から生まれているんだ?
「ほとんど成功するって感じなのか。俺は恋愛とか良く分からないから教えて欲しいんだけど、その根拠は?」
「根拠? 難しいこと言うな。なんだろう、上手く行きそうな直感かなあ。最近は気楽に話せるし、朝日奈さんの笑顔も増えた気がするんだよ」
「笑顔かあ。それが本当なら確かに上手く行きそうな気がするな」
多分その笑顔、苦笑いなんだろうなあ。
哲郎が不憫でならない。このまま自信満々に告白して、しかもイジメられていると勘違いしていることが哲郎に知れたら、トラウマで恋愛出来なくなってしまうかもしれない。少なくとも俺ならトラウマになるぞ……。
俺の少ない友人である哲郎を悲惨な未来から救えるのは俺しかいない。
ここが正念場だ……。
どうにかして哲郎の告白を阻止しなくては。
「六割の勝算で告白するのは気が早くないか?」
「まあそうかもしれないが、六割ってのは謙遜が入ってるけど、俺の気持ち的には七割だぞ」
「六割でも七割でも変わらねえだろ。十割の確信が自分の中にないのに告白するってどうなんだ?」
自分で言っておいてなんだが、適当な割には良いこと言った気がする。
「絶対に成功するって自信が持ててから告白するものなのか?」
いや、俺も告白したことないから知らん。
良いこと言ったと思った瞬間、当たり前の質問を返され動揺する。
でもここは哲郎を止める為にそれっぽいこと言い並べるしかない!
「そりゃそうだろ。実際の勝算は置いておいても、自分の中で十割じゃないと相手にも失礼だろ」
相手に失礼だ、とか言えば堅物の哲郎は躊躇うだろうな。
何年お前の友達をやってると思っているんだ。
「それはそうかもしれんな」
「そうだろ? 軽い奴なら一割、いや自信なんて無くても告白するかもな。成功したらラッキーみたいな」
自信無いのに告白するのは悪だ、軽率だ! という印象を与え続ける。
「俺は違うぞ! かなり重めに好きだ」
それはそれでどうなんだ、と思うが本気って意味だろうな。
言葉選びとか哲郎の態度から不器用さを感じる。その不器用さが誤解を与えているのかもしれないな。
「それならまだ早いと俺は思う。それにもし断られたら、また普通に話しかけられるのか?」
「気まずくて俺には無理かもしれん……」
「だろ? 急いで告白して、もう会話出来ないなんて事態になってみろ。お前、毎日死にそうな顔になるのが目に見えてるぞ」
「う、ううむ」
「好きな気持ちは十分分かったが焦るな。相手のことを想うなら、もっと時間を掛けるべきだ」
「確かに雄介の言う通りかもしれないな」
哲郎は腕を組んで悩み出した。
この調子なら近々告白するなんてことは止められそうだ。
「一つ心配なんだが。俺が悩んでいる内に朝比奈さんが別の人に告白されて付き合うってことはないか?」
な、なるほど。その可能性もある訳か。
だがそれについては問題ない。昨日のファミレスで話した様子では絶対に有り得ない。
朝比奈さんがそんな軽い相手の告白を了承するとは思えないし、まず何より辻さんという守護者がいるからな。
哲郎程の度胸や覚悟の無い相手は辻さんの恐怖で近付くことも出来ないだろう。
だが、俺が昨日ファミレスに行ったことは伏せておくべきだろう。
なんせ哲郎のイジメを止めてくれと頼まれたなんて言える訳ないからな。
「朝比奈さんは出会って間もない人に告白されて付き合ってしまうような尻軽な女子なのか?」
「そんなことはない!」
「だったらそんな心配する必要ないだろ。哲郎から見て、他に仲の良い男子でもいるのか?」
「い、いや。いないと思うが。だけど、人目惚れとかもあるだろう?」
「その可能性はあるかもしれないが、そんなの付き合っていても有り得るだろ。そんなのまで心配し出したら監禁するしかなくなるぞ」
「それもそうか……。すまん、色恋沙汰には疎くてな」
「色んな心配が出て来る程に好きってことだろ? まあ気にするな」
哲郎の背中を叩き笑って見せる。
こんな弱気な哲郎は初めてだな。こんな女々しい程に弱気な哲郎がイジメなんてするだろうか。
「告白はもう少し自信が持ててからだな」
「そうする。雄介が居てくれて助かった」
「よせやい、照れるだろ!」
再び背中を叩いて誤魔化す。長い付き合いの友達の恋愛相談なんて気恥ずかしい。
とりあえず哲郎の告白を延期することには成功したようだな。
そもそもイジメられていると勘違いされてなければ、告白を止める必要も無いんだがなあ。
普通にフラれるだけなら傷は浅くはないが致命傷にはならない。話しかけにくくなるとはいえ、時間が経てばまた話せるようになると思うしな。
だが、イジメられていると勘違いされていることで断られたら致命傷になりかねん。
学校に解禁の哲郎が寝込むか引きこもりになる可能性すらある。
念の為、イジメることがアピールだとか変な思ってないか確認しておこう。
「そういえば話しは変わるけど、ちょっと哲郎の変な噂を聞いたんだよ」
「噂? どんな噂だ?」
「それが笑っちゃうんだけど、哲郎が誰かをイジメてるって噂なんだよ」
「なんだそれ。そんな暇があるなら俺は朝比奈さんにアプローチするぞ」
哲郎は俺の話しを聞き表情を硬くしていた。
そんな噂が立つこと自体が心外なのだろう。
本当はそれ噂じゃなくて直接被害者から聞いたんだけどな。
だが、哲郎にはそんな意志は無いようで安心した。
「哲郎がイジメなんてな。中学ではイジメを止めてるような奴でもそんな噂が出るのかって驚いたぜ。普段から怖い顔してるからじゃないか?」
「怖い顔ってなんだ。普通だぞ普通」
「その普通の顔が周りから見たら怖いんじゃないか? 仏頂面ってやつ。中身はそうでもないんだけど、面識ない奴は怖いって思うんじゃないか?」
その顔からは俺に恋愛相談なんてしているなんて思われないだろう。
自分で言いながら気付いたが、哲郎の顔が怖くて話しかけるだけでイジメられていると勘違いされてる可能性が?
普段はあんまり笑わないし、好きな人の前だと緊張して更に表情硬くしてそうだ。
食べる気の無いライオンが仔馬に近付くようなものだろう。
「その点で言うなら雄介は怖いなんて思われないだろうな」
「なんだ、アホっぽいって言いたいのか?」
「そこは捉え方次第と言ったところかな」
そう言いながら哲郎が小さく笑った。もっと顔を崩して笑えばいいのに口元だけで笑うから怖いんだよなあ。
何もしてなくても黙って座ってるだけで怒っていると思われることも少なくない。普段からもっと表情を柔らかくするように言うべきか? いや、哲郎の不器用さからすると不気味な笑みを浮かべ続けるのが目に見えているな。
現状維持の方がまだましか……。
哲郎のことについて思案していると予鈴が鳴り出した。
「そう言えば次の英語は小テストがあるって言ってたな。雄介、勉強したか?」
「……やべ、忘れてた」
昨日のことで頭がいっぱいで完全に忘れていた。
間違いなく悲惨な結果になるぞ……。
「俺はちゃんと勉強して来たぞ。なんせ朝比奈さん、かなり勉強出来るんだよ。テストの結果とかで話題作りしたいから、最近は隣のクラスの山田君とかに聞いたりして真面目に勉強してるんだ」
「マジか。スポーツ馬鹿だと思ってたのに勉強にまで手を出し始めたのか。というか山田君って学年で一番の成績じゃなかったか? 顔に似合わず友達の幅広いな」
「誰がスポーツ馬鹿だ。いいから早く戻ろう。ちょっとでも復習しておいた方がいいぞ」
哲郎は片づけを既に終えていて、もう戻ろうとしていた。
「あ、おい。ちょっと待ってくれよ」
対する俺は考え事をしながら昼食を取っていたので、食べ終えたまま散らかしていた。
誰のせいでこんな状況になっているんだ、と文句を言いたい気持ちを抑えつつ急いで片づける。
片づけを終えて、哲郎を追いかけていると辻さんの話しを思い出した。
イジメを止めて欲しいと頼まれていたが、哲郎は朝比奈さんをイジメてはいない。
していないものは止めようがないよな、と自分を納得させて教室へと向かった。
教室に到着した時には復習する時間は無かった……。
悲惨な結果となった英語のことは忘れ、休み時間の哲郎の様子を確認中。
哲郎が席を立ち何処かに行く時は、朝比奈さんの所に向かっていることが多い。
何か用事が無い時は俺と喋っているが。
どういう基準で話しに行くのか不明だったが、昼休みの話から察するに話題があれば話しに行くといった感じだろう。
哲郎の様子から察するに、イジメというのは哲郎の意志では無い。
それなのに二人からイジメだと勘違いされているのは何が原因なのか。
やっぱり、哲郎の雰囲気だろうか。親しい相手に対しても仏頂面だし、好きな相手に対してはより硬い表情になるだろうし。
あんな見た目の割に心配性というか細かいことを気にして悩んでいるようだったが。
度胸や根性はあるが、色恋沙汰は俺よりも鈍そうだ。
俺の適当な話に共感して納得していたからなあ。俺が恋なんてしたことないのに。
確かに哲郎の浮いた話は高校に入るまで聞いたことが無かったから、イジメではないが不用意にボディタッチとか変なアピールをしているという可能性もある。俺の話に納得していたし、頭を撫でると女子は喜ぶとか怪しい情報を鵜呑みにしているとかも有りえそうだ。
正直な気持ちは親友の異性へのアプローチを見るのは気まずいというか、ぶっちゃけ気持ち悪い。でも事情が事情だから我慢しよう……。哲郎だって俺に見られるのは不本意だろうからなあ。
哲郎が席を立ったタイミングで、いつものように腕を枕にして突っ伏す。そして、そっと腕の隙間から哲郎の様子をうかがう。
先程のテストを手に取って朝比奈さんの元へと向かって行った。今回のテストはどうだった、みたいな会話をするつもりなのだろう。
まあ、それならイジメとは思われなさそうだが。
朝比奈さんの元には辻さんも来ていた。その状況に昨日のことを思い出し胃が痛くなって来た。
哲郎は朝比奈さんと話す時、いつも辻さんとも対面している。しかも辻さんは昨日の様子からすると敵意剥き出しのはずだ。
何という強靭な心を持っているんだ……。辻さんを守護者と思ったのはあながち間違いでもないな。
もしかしたら哲郎が鈍感なだけかもしれないが。
俺なら辻さんの結界だけで朝比奈さんと付き合うことを諦める。流石、重めに好きと豪語するだけのことはある。
辻さんには哲郎を止めろと言われていたので、こうして話しをするだけでも気に障る可能性がある。それくらいは許してあげて欲しい。
イジメを受けていると思っているのなら話し掛けられるだけでもストレスになるか。哲郎の恋はままならないなあ……。
近くには居ないので声は聞こえないから哲郎の様子で推測することしか出来ない。哲郎はテスト手に取り会話をしている。
その状況なら点数どうだった? とかそういう話をしているんだろうな。
朝比奈さんのテストを見て何か言っているな。
うん、普通の会話に見えるな。
嫌われているという前提を知らなければ仲の良い二人が会話しているようにしか見えないな。
あ、哲郎がちょっと笑っている。客観的に見るとニヤっと笑っている感じだから嫌味に見えると言えば見えるか……? 流石にそれは曲解し過ぎだな。
朝比奈さんは哲郎の言う通り笑顔を浮かべているが、なるほど。あれは苦笑いだな。
あれを笑顔と勘違いするってのは恋愛経験の無さが招いているのだろうか。客観的に見ていることと、二人が嫌がっているという前情報があるから気付けるが、俺が哲郎の立場でも同じ勘違いをしそうだな……。
しばらく様子を見ているが、特に変なことはしていない。
やはり哲郎は仲良くしているつもりでも、何故か朝日奈さんは嫌な思いをしているというのが現状か。
何か嫌われるきっかけがあったのだろうか?
このスレ違いは流石に哲郎が不憫になって来る。
確かに哲郎の表情は硬いし、笑い方も薄ら笑いみたいになっているので勘違いされる要因が無いとは言い切れない。
様子を見るに、これは朝比奈さん達の勘違いだろう。
そう判断した所で辻さんの顔が視界に入って来た。
険しい表情を浮かべているが、哲郎は朝比奈さんとの会話に夢中で気付いていないようだ。
辻さんの立場からすると哲郎の存在は邪魔というか害悪にしか感じていないのだろう。
そんな辻さんの冷ややかな目に気付かないのは、やはり鈍感だからか……。
辻さんの気持ちも分かる。自分の友人が嫌な思いをしているなら助けてあげたいと思うだろう。俺でも辻さんと同じようなことをするだろう。
それでも俺は哲郎の友達で、哲郎の味方なんだ。
俺が哲郎を止めることは期待しないでくれ。
そう申し訳ない気持ちで三人の様子を見ていると、辻さんがこっちを見ていることに気付いた。しかも笑顔で……。
うわ、めっちゃ怖い! 絶対に怒ってるじゃん!
昨日、止めると言ったのにお前は何をしていのかな? と言わんばかりの表情である。
しかも今は哲郎の様子を隠れて確認する為に寝たフリをしている。
辻さんから見ると哲郎を止めることもせずに寝ているようにしか映らない。
しかも哲郎は変わらず話し掛けてに来ているからな。
辻さんの怒りももっともである。
だけど違うんだ。これでもちゃんと動いているんだって。
ああ、でもそれは哲郎の為か。
どっちにしろ辻さんの怒りを買うのは避けられなそうだな。
俺は弁解する気持ちを捨て、次の授業が始まるまで寝たフリを続けることにした。
辻さんの厳しい視線を受けながらも放課後まで哲郎の様子を見ていたが、やはりイジメと思える行動はなかった。気付かれないように確認していたから、今日はほとんど寝ているみたいになって辻さんの評価が怖いが……。
結局、哲郎が話しかけたりすること自体がイジメと思われているようなので、接触すること自体を止めろと言っているのと変わらない。
そのことで朝日奈さんが嫌な思いをするのは可哀想だが、俺は哲郎の味方だ。どんな状況でも俺は親友の恋路を見守らせてもらうぞ。
「今日はよく寝てたな」
ホームルームが終わり、部活に行く前の哲郎が声を掛けて来た。
「ちょっと寝不足でね」
まさか寝たフリをして哲郎を観察してたなんて言えないからな。まあ哲郎のイジメ疑惑について考えていたから寝不足といえば寝不足なのは嘘ではないか。
「夜更かしするなら少しは勉強しろよ? 今日の小テストは酷い結果だったんだろう?」
「あー聞きたくない聞きたくない」
寝不足で実力が出なかったなら言い訳のしようもあるが、俺が普段から勉強していないツケが回って来ているのが現実だからな。
好きな人と話したいという不純な動機だが、俺よりも数倍勉強している哲郎のお説教は聞くつもりはない。
俺ももう少し勉強すれば平均点くらいは取れるはずなのだ。……やる気は無いけど……。
「俺のことはどうでもいいだろう。哲郎の点数はどうだったんだ? 朝比奈さんも成績良いんだろう?」
これ以上、俺の学業について話しても不毛なので、哲郎のことに話題を逸らす。
今大事なのは俺の点数ではなく、哲郎の状況なのだ。
「それは問題無い。さっきも点数を比べて来たが、俺の方が点数良かったぞ。好きな相手より点数が低いなんて格好悪いからな」
「マジかよ。朝比奈さんの成績って学年でも上位じゃなかったか?」
成績上位者の一覧で名前を見たことがあった。小テストとはいえ、その朝比奈さんよりも点数が良いって凄いな。そんなに俺と成績の変わらなかった哲郎がどれだけ勉強しているのかが分かる。
部活もサボってないみたいだし、寝る間を惜しんで勉強しているんだろう。
それなのにイジメられていると勘違いされている状況は不憫でならない。
「まあ俺も頑張ってるってことだ。雄介もやれば出来るんだから頑張れよ」
「考えておくよ。それよりも話した時の感じはどうだったんだ?」
「どうって言われてもな。点数を見せ合って間違えた所を教え合ったって感じか? 朝比奈さんが間違えてた所は全部正解してたから、教えられて良かったよ」
「へえ、哲郎が朝比奈さんに教えるなんて信じられない光景だな」
「哲郎の話しだけで判断するなら、確かに良い感じに聞こえるな」
実際は最悪なんだけど。
恋愛ってのは難しいな。
分からない所を教えてくれる男子に女子はイジメられていると感じるんだもんなあ。
もしかしたら見てない所では、おかなし行動を取っているのかもしれないが、今日の様子からは想像出来ない。
他の要因か、きっかけがあったのだろうか。
具体的に何をされているのか聞いてないから、何をもってイジメと判断しているのかも分からない。
「おっと、つい話し込んでしまったな」
時計を見ると哲郎の部活開始まで後数分になっていた。
「ああ、もうそんな時間か。部活頑張れよ」
おう、と手を上げ哲郎は急いで教室を後にした。
哲郎は部活も学業も頑張っている学生の鏡だな。俺も少しは見習うべきかと思うが、直ぐに面倒だという気持ちが高ぶって来た。
人は人。それぞれ個性があっていいじゃないか。
少なくとも部活だけは頑張るかと重い腰を上げる。なんせ俺も帰宅部は皆勤だからな。
帰り支度を終えて席を立った時だった。
「ちょっといいかしら?」
誰かから声を掛けらた。
昨日に続いて哲郎以外の人から声を掛けられるとは俺も人気者になったものだな。
「あ」
振り返り声の主を確認した時、思わず声が漏れた。
数秒前の調子に乗った自分を殴りたい。昨日の今日で俺に用がある人物なんて考えれば直ぐに分かるものだ。
「今日も付き合って貰えるわよね?」
相変わらず怖い笑顔の辻さんと気まずそうな朝比奈さんが立っていた。
辻さんの笑顔が断ることを許してはいなかった。
いや、何もしてない訳じゃないです、と言いたい所だが傍から見ると今日の俺は何もしてないのと変わらない。
でも俺が行動しなくても自分でどうにかすればいいのに、という文句も浮かんで来る。
「…………喜んで付き合わさせて貰います」
だが、俺の口から出たのは情けない言葉だった。
仕方ないじゃないか! 怒っている女子を目の前にして無視して帰るなんて出来る程、肝の据わった男じゃないんだよ!
明日の教室での立場や、自分の度胸を考えた結果の最適解だと俺は俺を褒めてやりたい。
「そう。逃げないところは褒めてあげるわ」
作られた笑顔を浮かべる辻さんはそれだけ言うと教室から出て行った。
朝比奈さんも距離を開けず辻さんについて行く。
何処で何をするかを聞いていないが、とりあえず今は辻さんについて行くしかないようだ。
二人が教室を出た所で俺も歩き出す。
こっちも二人に聞きたいことがある。これは俺が敢えて辻さんの呼び出しに乗ったのだ。
決して辻さんの迫力に飲まれたのではない。
そう自分に言い聞かせ、重い足を進める。
絶対に酷い目に遭うのは目に見えているからなあ……。
昨日と同じファミレスで同じように座る三人。四人掛けのテーブルで俺の正面に辻さん、その奥隣に朝比奈さんの位置。
辻さんは今日も冷やかな目を俺に向けている。ただ昨日と違うのは朝比奈さんは表情こそ硬いが顔を上げていることだ。
少しは気を許してくれたのかな、と思うが心当たりが無かった。
哲郎はこの状況を見て羨ましがるかもしれないが、俺は針のむしろに座らせられている気分である。
昨日と変わらず俺から声を掛けることはせず様子を見る。爆発寸前の爆弾を前にして、迂闊な発言は起爆スイッチになりかねない。
…………だが非常に気まずい。相変わらず気まずい。
用事があるのは辻さん達なのだからさっさと切り出してくれればいいのに、黙ったまま不機嫌さを前面に表している。
そんな辻さんを直視するなんて度胸は俺には無いので視線を逸らすが、どこを見ていればいいのか悩む。
景色を見ていると『二人のことなんて気にしてませんよ?』という感じが強く出過ぎてしまうし、店内を見るというのも注文した品が早く来ないかと待ちわびているように見えそうだ。
携帯を弄るのも辻さんの機嫌を損ねそう……。となると消去法で何もないテーブルを見ることになる。
ちゃんと掃除が行き届いていて汚れ一つ無い。
ここの店員のプロ意識は素晴らしいなと一人関心していた。
……しばらくの間、沈黙が流れる。
痺れを切らしたのか辻さんがついに口を開いた。
「滝口君の記憶は一日も持たないのかしら?」
来ました、嫌味の先制パンチ。
辻さんは机を指先で叩いている。
「いやいや、そんな特殊な症状は抱えてないよ」
「あら、そうなの? そうじゃなければ今日のあなたは説明出来ないわ」
他にも色々な理由があるだろと言いたいが、それを口にする勇気は無いので飲み込む。
まずは状況を整理する必要がありそうだ。
「そもそも俺が昨日約束したのは哲郎がイジメをしているなら止める、って内容だっただろ?」
「そうね。それなのにあなたが今日していたのは居眠りだけね」
「寝てない寝てない。ジロジロ見る訳にもいかないから、寝たフリをして哲郎の様子を見てたんだよ。それに昼休みにはさりげなく話しもした」
「あらそうだったの。鳥さんみたいに記憶を無くしてしまったのかと思ったわ」
…………どういう意味だ? 鳥頭って言いたいのだろうか。
よく分からないので触れないでおこう。
「お待たせ致しました」
ナイスタイミング。
辻さんの変な例えで固まってしまった間を店員さんが埋めてくれた。
あ、昨日の綺麗な店員さんだ、と思っているとパフェが俺の前に並べられ、女子二人の前にケーキが並べられた。
昨日、俺がパフェを食べたのを見ていたのか。何というプロ意識。机が綺麗なのもこの綺麗な店員さんが拭いてくれたからに違いない。名は体を表すだけでなく、行動も表すのか……。
少し心がときめくのを感じつつも、鋭い視線を感じて現実に戻る。
そうだ、浮かれている場合じゃない。俺は今、断罪されるかどうかの瀬戸際なのだ。
気を引き締めて意識を会話に集中する。
まずは俺の考えを話すべきだろう。
「哲郎の話と一日の様子を見て思ったのが、哲郎はイジメをしているとは感じなかった、というのが素直な感想だ」
「……滝口君はアタシ達が嘘を吐いていると言いたいのね?」
「そんなことは一言も言っていない。俺が言いたいのは、哲郎がイジメをしているっていうのは二人の勘違いじゃないかってことだ」
「勘違い? 上田君は今まで響子に話しかけて来たことも無かったのに、自分の成績が響子より良くなった途端に話しかけて来て自慢するようになったのよ? 今日も自分のテストの結果が良いと分かると嫌味っぽくニヤって笑ってね。しかも響子が間違えた所をご丁寧に指摘してね。これが嫌がらせや嫌味じゃないなら何なのかしら?」
それは俺も見ていた。確かに緊張もあるのか哲郎の笑顔は薄ら笑いみたいになっていたな。元々哲郎の表情が硬いってのも誤解を受ける理由だろう。
確かに普段から努力している人からしたら、哲郎の行動は嫌味のように感じるのかもしれない。またはライバル視しているとかで、まさか好意を抱いているとは思われないのか。
間違いを教えるというのも見方を変えれば皮肉にも聞こえるかもしれない。
哲郎に原因があると言えばあるが、そこは不器用な男の精一杯の努力だろう。大目に見て欲しいものだ。
俺がここで『哲郎は朝比奈さんが好きなんだ』と言えば問題は解決かもしれないが、それは哲郎の断りも無く俺が伝えて良いことじゃない。人の恋愛に首を突っ込むのは大きなお世話だろし、俺が話して成功する保証もない。
そもそも辻さんは哲郎が悪意を持って接触して来ていると思い込んでいるから、哲郎が好意を抱いていることを伝えても信じてくれないだろう。
もし信じて貰えたとしても『好きな相手に嫌がらせするなんて、変わった趣味を持っているのね』と別の解釈をされかねない。
とは言ってもこのまま誤解されたままでは哲郎の恋は叶わないものになってしまう。
どうすれば誤解を解き、哲郎の好意を真っ直ぐ受け止めて貰えるのだろうか。
独り悩んでいると辻さんは溜め息を吐きながら言葉を続けた。
「まあ勘違いでも何でもいいわ。ただアタシ達に関わらないで欲しいだけ」
辻さん達か。元々辻さんに用は無くて、朝日奈さんだけが目当てなんだけど、そういう話じゃないだろうな。
……関わるな、か。
客観的に見れば悪いのは哲郎かもしれない。
現状、哲郎の行動は朝比奈さんの好感度を下げるだけになっている。
相手が嫌がっているのだから、哲郎にその気が無くても関わらせないようにするのが正しい気もする。
多分、哲郎を止めるべきなんだろうけど、その為には理由を哲郎に話さなければならない。
遠回しに勉強のことを話すのは止めた方がいいと言えば大丈夫だろうか? いや、結局理由を聞かれて嫌がられていることを伝える必要が出て来る。
良かれと思って勉強して、朝日奈さんを上回る成績になったのに逆効果だなんて、やっぱり哲郎が不憫でならない。
「うーん……」
「何を悩んでいるの? ただ関わらないように滝口君から言ってくれるだけでいいのよ?」
簡単でしょう? と言わんばかりの辻さん。それが簡単じゃないから困っているんだよなあ。
そりゃあ言うだけなら簡単かもしれないが、その言葉は確実に哲郎を傷付ける。
哲郎を傷付ないで朝比奈さんと関わるのを止める方法があるのなら、俺もここまで悩まない。
それに俺は哲郎の味方で、二人の味方ではない。
俺が今考えているのは哲郎を傷付けずに止める方法ではなく、二人の誤解を哲郎に気付かれないように解く方法だ。哲郎への誤解が解けて、朝日奈さんとも仲良くなる方法を。
そんな便利な方法が思いつく筈もなく時間だけが過ぎて行く。
パフェのアイスが垂れそうになっていた。そういえば一度も手を付けていなかったな。
糖分補給をしよう。頭が働かないのは糖分か不足しているからに違いない。
「何がそんなに嫌なのかしら? 上田君が怖いの?」
「いやあ、そんなことはないけど……」
俺が肯定も否定もしないので辻さんが責めるように問いかける。
まだ考えがまとまっていないので、お茶を濁すようなことしか言えない。
「それなら関わらない様に話してくれるわよね?」
「うーん、誰が誰に関わるかどうかは本人の自由だからさ」
「響子が困っているのに見捨てると言うのね」
「いや、俺と辻さんは部外者だろ? 外野があれこれ言うのは良くないと思って」
「滝口君は友達が困っていても助けないのかしら?」
おっと痛い所をついてくるな。
ぬらりくらりと追及をかわすのも難しくなって来た。
「うーん……」
「滝口君が上田君に話しても言うこと聞かないのなら諦めるわ。だから伝えるだけ伝えて欲しいのよ。……お願いします」
そう言って辻さんは頭を下げた。
無茶なことは言ってないし、言ってる内容も辻さんが正しい。対象が哲郎じゃないなら、やんわりと伝えることもしただろう。
だけど哲郎が朝比奈さんのことを好きだと知っている以上、辻さんの頼みは聞けない。
二人には申し訳ないけど、俺が大事なのは俺の友達なんだ。
頼みを断ることで二人の俺に対する評価が下落するのは分かり切っている。
哲郎のことを考えると俺まで嫌われる事態は出来るだけ避けるべきだったんだが、それはもう仕方がない。
俺が今出来ることは哲郎に被害が及ばないようにしつつ、俺だけが嫌われるようにすること。
最低な答えを返して、最低野郎に成り下がってやる。
「なんで俺がそんな面倒なことをしないといけないんだ! 嫌だ、断る! 断固拒否」
「…………そう」
俺が気持ち良く言葉を発すると、辻さんは静かに立ち上がったってそう呟いた。
こんな奴に何を話しても無駄だと思って諦めたのだろう。こんな最低野郎ですまない。
申し訳なさで目を閉じると、冷たさが顔を襲った。
驚いて目を開けると辻さんが水をぶっ掛けていた。そしてそのまま辻さんは笑顔を俺に向けてファミレスから出て行ってしまった。
………………冷たい。
少し遅れて自分の状況を把握し始めた。顔だけでなく、制服にも水が掛かっていた。
あー、どうしようかな、これ。
何か拭くものは無いかとポケットを確認するが、ハンカチなんて上等な品物は持ち歩いていない。
いつも手を洗った後はオーケストラの指揮者のように手を振って済ませているからな。
俺が拭くものを探していると、急な出来事に固まっていた朝比奈さんが慌ててハンカチを俺に差し出して来た。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。ありがとう」
女子から借りたハンカチでごしごし拭く訳にもいかないので、トントンと水を染み込ませる。何だか甘い香りがする。
そんなことを考えるのは親切で貸してくれた朝比奈さんに悪いと思い、邪念を振り払う。
まだ髪とかは湿っているが、あらかた拭き取れたのでハンカチを返そうとしたが、そのまま返すのも悪いな。
「洗ってから返すよ」
「ううん、気にしないで下さい」
そう言って笑顔でハンカチを受け折る朝比奈さん。
あんな最低な発言をした相手にも親切にするとは、なんて出来た人なんだ。
哲郎が惚れるのも頷けるな、と独り納得していた。
「由香里ちゃんのことを悪く思わないで下さい」
俺の朝比奈さん株が高騰していると、当の朝比奈さんから声を掛けられた。
朝比奈さんと会話はするのはこれが初めてだな。
「悪いのは俺なんだから、逆恨みなんてことはしないよ」
「普段はもっと優しい子なんだけど、私のことを想ってあんな行動に出ちゃったんだと思います」
「友達想いだよね。分かってるから大丈夫」
どの口が言っているのかと思うだろうが辻さんの気持ちは分かる。
水をぶっ掛けられても辻さんに嫌な感情を抱いてはいない。むしろ掛けられて当然だろうなと自分でも思う。
「滝口君も事情があるんだと思います。だから今日のことは気にしないで下さい。それと本当にごめんなさい」
朝比奈さんは謝罪を口にして頭を下げると、席を立ち出口へと向かって行った。
ああ、良い子だなあ。
理由もなく面倒だからと断ったかもしれないのに、俺のことも気に掛けてくれていた。
勿論理由はあるが、そんな最低野郎じゃなくて良かったと思いながら朝日奈さん目で見送る。
「あ。二人共お金……」
今日は俺の奢りか。
水を掛けられケーキも奢り。うーん、なかなかについていない。
半分は自分が悪いので仕方ないが、それでも悲しい気分になる。
幸いなことにパフェは無事だった。
残りのパフェを食べながら今日までのことを考える。
哲郎は会話のきっかけになればと思い、勉強を頑張っていた。しかも成績上位者である朝比奈さんを上回る程の学力を得た。
だが、会話のきっかけは出来たかもしれないが、それが理由で嫌われる事態に陥っている。
辻さんの言葉だが関わらないで欲しいと思う程に嫌われてしまっている。
テストの点数が朝比奈さんより低ければ良いとかじゃないだろうし、誤解を解かないと嫌われる一方だ。
しかも哲郎は自分のアプローチは成功していると思っていて、このままだと近い内に告白する可能性が高い。
告白をして自分のアプローチが嫌がらせだと思われていたことを知ったら、きっと哲郎は酷く傷付くだろう。
哲郎が自信を持ってしまう前に誤解を解く必要がある。しかもその時間はあまり残されていない。
「困ったなあ」
空の器にスプーンを放って頭の後ろで手を組み、体をソファに投げ出す。
ふと先程の辻さんを思い出す。笑顔だったけど怖かった。めっちゃ怒ってたんだろうなあ……。
最低野郎にはお似合いの仕打ちだな、と自嘲しているとある考えが浮かんだ。
「そうか、最低野郎か…………」
辻さん達には最悪な印象を抱かれているんだから、もう落ちる所まで落ちても問題無い。
これなら哲郎に勘違いを気付かせないまま、辻さん達の誤解を解けるに違いない!
突破口は見えた。もう躊躇っている時間は無い。
最低最悪な男になることを決意し、ゆっくりとレジへ向かった。
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