第74話「選択」

「座っても、いいかのう」

「うん。そんなこと聞くなんて変なお爺様」

「ほほ、確かにそうじゃな」


 先ほどまでアーゲンが座っていた椅子に腰かけ、ヴェレンはミシェルと向き合った。

 目の前の姿は、10年以上前に別れてしまった孫娘そのままで、ヴェレンは懐かしい日々を思い出してつい目を細めてしまう。


「本当に、あの頃のままなんじゃなミシェル」

「……うん。気が付いたら、変な星に居てビックリしちゃった」

「大変、だったか?」

「……うん。でも、アーゲンさんもニーナさんも良くしてくれて。何とか、なったよ?」

「そうか、そうか。本当に、すまんことをした」


「私は、大丈夫だから。気にしないでお爺様。私のためにしてくれたことなんだし。それより、私はお爺様の方が心配」

「お前は、昔から優しい子じゃったなミシェル。わしのことは良い。良いんじゃ……。こんなことを引き起こした老いぼれを、気にすることはない」


 申し訳なさそうに頭を垂れる自分の祖父へ、ミシェルはそっと手を伸ばす。自分が知っている頃よりも随分と老け込んで、もう少しで第二の人生に行ってしまうのだ。心から、間に合って良かったとミシェルは思う。


「そんなことより、私の話を聞かせて。もう一人の、私のことを」

「大人のミシェルのことをか?」

「うん。お爺様と私の日々を聞かせて」


 自分が過ごすことが出来なかった日々を、もう一人の自分が過ごした日々を、少しでも聞いておきたかった。

 これからどうなるのだとしても、今までの生活とは違う形となるのだから。そういう幸せがあったのだと、そう思って家を離れようと、ミシェルは密かに思っていた。


「あの子は、わしの我儘で無理に目覚めさせてしまった。記憶もなく日常生活も覚束ず。……酷い苦労を背負いこませてしもうた」

「それでも、お爺様のおかげで今は幸せに暮らせているんでしょう? 私は」

「……うむ。そうじゃ、今度結婚するんじゃよあの子は」

「え、私結婚するんですか!?」


 この報告にはミシェルもびっくりである。なにせ自分が結婚するというのだから、一体どんな相手とそんな話になったのか。未だ恋愛らしい恋愛も経験していない身としては興味津々な話題だった。


「え、え。お相手はどんな方なのお爺様!」

「お、おおう。わしもまだ紹介はされておらんのでな。一緒に楽しみにしておこうかの」

「うん! へぇ。一体どんな人なんだろう。私が好きになる人だから、将来の参考になるよね」

「うむ。うむ。是非祝ってやっておくれ」

「私のことだもの。もちろん!」

「……ミシェルは、本当に良い子じゃのう」


 ヴェレンは左手をミシェルの頭へ乗せ、優しく愛おしそうに撫でていた。それは何十年ぶりかの行為で。ミシェルとしては目覚めてから最も求めていたもののひとつだった。


 嬉しそうに満面の笑みをつくって少しだけ照れくさそうに、ミシェルは目をつぶってされるがままとなっている。だから、ヴェレンが上げたもう片方の手に気付かなかった。


「そこまでよヴェレン・シュバーゲン。その手を降ろしなさい」

「え?」


 唐突に聞こえたニーナの声に、ミシェルは目を開けた。目の前には驚くヴェレンの顔があり、その持ち上げられた右手には白いアンプルが握られているのが見える。四角いスティックのような小さなアンプルには何やら黄色の液体が揺れていた。


「お爺様?」

「ち、違うんだミシェル」

「離れなさい」


 ヴェレンの後ろ側の空間がぐにゃりと歪んだ。そう思ったのも束の間、そこから伸びた手にヴェレンの左手は引き上げられる。やがて歪んでいた景色から、見慣れぬマントを羽織ったニーナが現れた。


「えっと、ニーナさん? 何が。お、お爺様を離してください」

「ダメよミシェル。これは、緊急停止キーよね。あなたが持っていたなんて」

「緊急停止キー?」

「知らなくて良いわよミシェル。それと、ごめんね。盗み聞きなんてして」

「えっと私何がなんだか……」


 言いながら、ミシェルは検索してしまっていた。緊急停止キー。それは何かの目的で生産された機体を停止し、完全にリセットするためのもの。あ、と思った時には意識せずとも関連情報が引き出されていた。


 身体が機体である以上、たとえ主人格を移し人権が認められている存在だとしても、一発でなかったことにしてしまう代物。

 正規の手段なら用意されることもなかったが、己の我欲のため生み出された違法機体にはよく安全策として用意されていたらしい。20年前の運動はこうした違法行為も要因の一つで、それが今目の前で揺れている。


「おじい、さま……?」

「すまん。すまないミシェル。ただ、わしはあの子がやっと掴んだ幸せを守りたかったんじゃ」

「随分身勝手な言い分ね。そういう考えで法を破るから、こんなことになるのよヴェレン・シュバーゲン。今、軍を呼んだわ。こんな結果になって私も残念だけど、自分の行いを悔いるのね」

「え、え? そんな。ニーナさん?」


 どんどん進んで行く話に、ミシェルはついていけなかった。いや、本当はヴェレンが何をしようとして、ニーナが何をしているのかわかっているはずだった。それでも、何もかも認めたくなかった。


「そんな顔をしないでミシェル。この人が覚悟を持ってあなたを受け入れるのなら全面バックアップをするつもりだったけど。彼は、自分で選択したわ。そんな性根の人に、ミシェルは任せられない」

「そんなこと。そんなことありません! わた、私……。だって。もう家を出て行こうと。そんな。お爺様、どうなっちゃうんですか!?」


 呻き声をあげるヴェレンを拘束していくニーナに、ミシェルは立ち上がって抗議した。そんなことを言ったって、それだけ追い詰められる事態になったのは何のせいなのか。どうすればいいのか。


 今すぐ力を使えば何とかなる。そうは思う。でもそれが正しいことなのかわからない。この場を凌いで、全ての機関のデータを書き換えて。それでも、ヴェレンのしたことがなくなるわけではない。


「何事だ!」


 扉を開き、廊下からアーゲンが声をあげていた。部屋の中、ニーナに拘束されるヴェレンと、立ち上がっているミシェルを見て突入しようとしていた動きが止まる。

 状況がつかめない。一体何があったのか。そもそもニーナは何時の間に部屋に入ったのか。


「ニーナ? どういうことだ」

「説明はあとよ。悪いけど、あなたも拘束させてもらうわフィル」

「なにを」


 言い終わる前に、廊下に居たアーゲンの左右で空間が歪んだ。伸びて来た手は二つ。片方は咄嗟に回避したアーゲンだったが、もう片方の手に腕を掴まれ、あとはなし崩し的に押さえ込まれてしまった。


 やがて歪んだ風景はおさまり、マントを羽織った二人の兵士が現れる。そのマントはレーダー機能が発達した現代では滅多に見られない特殊装備だ。併用するには限定的で高級品なため、アーゲンも実物を見るのは初めてである。


「くっ、光学迷彩か」

「一瞬で見抜くのね。やっぱり、あなたも一緒に検査を受けてもらうわフィル。ただの運び屋なら問題ないでしょう?」

「どういうつもりだ!」

「あなたの情報も、本当に出てこないのよねフィル。信用できる軍部に筋を通すためにも、一回は検査を受けてもらうわよ?」


 マントを羽織ったニーナはいつもの調子で続ける。一人で軍部に行っている間に、やることを決めて装備の準備や兵士の手配をしていたのだろう。アーゲンは両側から押さえつけられているため身動きがとれず、見ていることしかできない。


 ニーナはマントの中からごそごそと何かを取り出すと、それを事態を前に未だ混乱状態にあったミシェルへと向けていた。


「ごめんねミシェル」

「え?」


 ニーナが持っていたのは黒く小さな円柱である。アーゲンは見ただけで、自動的にデータを引っ張り出していた。短時間の麻酔針。都市部で軽犯罪者相手に使われる拘束用の道具だ。


 アーゲンがそれを理解し何か声をあげるよりも早く、ニーナは行動する。発射された針が首元に刺さり、ミシェルはベッドの上に倒れ込んで眠りに落ちた。


「ディーン、手出ししないで。このまま、ミシェルが本物のミシェルなのか中枢で精密検査を行うことにするから。?」

「なるほど。方法は少々、感心できないが。確かに医療機関にはこちらで生活してきたミシェルのデータがある。今後を考えれば安易に検査を行うわけにはいかない。妥当だろう」

「おいおいおい。こんな方法、納得できるわけないだろ!」


 いつの間にか廊下にやってきていたディーンは踏み込まなかった。戦闘態勢に入った彼のセンサーは光学迷彩を着込んだ他の兵士の存在を感知している。

 ここで暴れたところで無意味だったし、何よりミシェルの中枢での分析という口実は通っていた。


 アーゲンの文句も最もだったし、彼がこのまま中枢で検査されるのを避けたい理由もわかるが、ディーンは沈黙するしかない。それに、自身の事情的にも兵士たちの前で監視役以上の行動をするわけにはいかなかった。

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