3-2 魔導技師の事情
次の事件の一報がもたらされたとき、ステラ・イルフォードは、連隊長とともに指令室にいた。情報を伝えくれたブレンダ軍曹に今度は隊士への指示を託す。彼女がかしこまって部屋から出ていき、足音が遠ざかると、残された二人は顔を見合わせる。
「次から次へと、せわしないな」
「前の不審者の件もまだ片付いていないのに……」
面倒くさそうにため息をついたアーサーに対し、ステラは顔をしかめていた。
二人とも、実行犯が複数いることには驚かない。むしろ、一人ずつしか表だって出てこないことの方がぶきみだった。表情を変えない連隊長は、ステラの苦々しい嘆きに深くうなずいて同意する。天を仰ぐ彼の顔には、さすがに疲労がにじんでいた。しかし、姿勢を戻したときには、いつもの公爵兼連隊長に戻ったように見える。
「どうせ状況が分かるのに時間がかかる。とりあえずは、あの老紳士どのの件からだな。情報を整理しよう」
彼の言葉に、ステラは顎を少し動かした。
「警察の者いわく、自殺に使える道具はいっさい持ちこませなかったそうだ。刃物、ひも類、ネクタイ、スカーフ、薬物……その他もろもろ、な。だが、あの者は首をかき切って死んでいる。刃物は見つかっていない」
「とすると……」
ステラは唇をかんだ。嫌な想像が頭をよぎる。が、それとは別のことを口に出した。
「魔導術、という可能性はありませんか」
「あり得ない。術を封じる枷を手足につけていたそうだからな。あれをどうこうできるのは、今となってはおぬしの夫くらいのものだろう」
「誤解を招く発言は控えていただきたいのですが」
「おっと、失礼」
ステラが無表情で切り返すと、アーサーは肩をすくめる。しかし彼は、まったく悪びれていなかった。口もとに浮かぶ意地悪な笑みが、何よりの証拠だ。
今は立場がある、と己に言い聞かせてため息をのみこんだステラは、そのまま息を吸った。本当は口にしたくなかった、もう一つの可能性を舌にのせる。
「となると、誰かが持ちこんだ……ということでしょうか」
瞬間、晴れた空の瞳に、剣光に似た光が走った。
「私もそれを考えている。だが、独房の見張りいわく、独房に近づく者は、引き渡し担当の警官以外いなかったらしい」
「では」
「分からんぞ。壁や地面に穴を掘って入りこんだかもしれない。今のところ、その痕跡は見当たらないそうだが」
連隊長は冗談めかして言った。今度こそ、ステラは咎める口調で名前を呼ぶ。アーサーは「本当の冗談、というわけでもないのだけれどなあ」とぼやきつつ、顔の前で指を組んだ。
「せめて、凶器のひとつでも残っていればよかったが、ない物ねだりをしても仕方あるまい。いっそのこと魔導・砲兵中隊の魔導士に調査協力を要請するか」
「難しいでしょうね。魔導士が必要だ、と断言できる証拠がありません」
「……そうだな」
第一連隊の中の中隊であるから、アーサーから直接命令を下せば動かすことはできる。だが、それで魔導術と自害の関連性が見つからなかった場合、当の中隊から批判を受けることは確実だ。重い現実が、二人の上にのしかかる。
アーサーが独り言をこぼしはじめたので、ステラもひとりで考えこみはじめた。
ディーリア中隊には魔導士がいない。単に人が足りないというのもあるが、この中隊の『特異性』も大きく影響している。半端な魔導士を招き入れれば、かえって足手まといになりかねないのだ。
ステラは垂れてきた髪を払いながら、情報をひとつずつ整理してゆく。首を切って出血多量で死亡。ただし凶器は発見できず。魔導術ではない。独房の見張りは担当の警官以外、誰の接近も確認していない……本当に?
彼女は、薄く目を開く。ほんの一瞬、『ある人物』の姿が脳裏をよぎった。
「オルディアン連隊長」
静かに、名を呼ぶ。アーサーが顔をあげた。
「ひとつ、提案がございます」
「何? ……申してみよ」
眉を跳ねあげたアーサーに、ステラは思いついたことを短く説明した。ひきしまっていたアーサーの顔は、みるみるうちに驚きに染まってゆく。
「それは、可能なのか。試したことは?」
「ありません。ですから、本人に確認してみないことにはなんとも言えませんが……試す価値はあります」
アーサーは、顎に指をかけて、つかのま考えこんだ。すぐにステラを見上げると、うなずく。
「よし、試してみよう」
「――ありがとうございます」
手を打った連隊長に、ステラ・イルフォードは敬礼する。『氷の女王』と呼ぶにふさわしい、感情の読めない容貌の下で――説明してから謝ろう、と、声に出さずに呟いた。
※
「今日の演習はここまでとする。各人、迅速に撤収するように」
鉛色の分厚い雲がかかる空の下。太鼓を打つような上官の号令が響き渡る。兵士たちはすぐさま応じて、動き出した。今日、演習を監督したがたいのいい大尉も、すぐさま仕事のため走り出したようだ。彼の仕事の中には、演習の片づけだけでなく、兵士たちの尻叩きも含まれている。さっそく叱声を飛ばす大尉をちらりと見たキリクは、すぐに視線をそらして駆けだした。自分が尻を叩かれる側になりたくはない。
先日の衛兵交代式――キリクが同期の少年たちと街へ出た、あの日だ――を区切りに、キリクはいったん宮殿警備の任務から外された。しかし、隊長いわく、またすぐに着任する可能性は高いという。そのあたりの判断は上の人たちにゆだねるとして、ひとまずキリクは、宮殿警備以前の日常に戻っていた。
撤収を済ませて、衣服の汚れを落とした後。疲れた体を引きずって本部内を歩いていると、細い廊下の先から見覚えのある二人が駆けてきた。クリストファーと、茶髪のロベールである。同じディーリア中隊に所属する二人は、キリクの前で靴底を鳴らして立ち止まった。
「どうしたんだよ、そんなに焦って」
「いや。ついさっき、隊長から仕事を任されてな」
「俺も?」
「おまえも」
キリクが顔を指さして問えば、二人分の声が返ってくる。
「魔導具工房のヴィナードさんが商品を届けにくるから、受け取ってほしいんだって」
しばらくぶりに聞く名前は、新鮮味を帯びていた。それはともかく、意外な案件だ。クリストファーの言葉に、キリクは少し首をかしげる。
「いつもは隊長が対応してるよな。手があいてないのか」
「そうなんじゃないか? ま、なんにせよ、言われたからにはやるだけだ。大事な仕事だぜ」
ロベールのさっぱりした言葉に、少年二人はうなずく。兵士たちに、命令の意味を考える頭はいらないのだ。そう思いなおせば疑念も薄らぎ、三人は白昼の光さしこむ廊下を駆けだした。
本部の正面入り口に向かっている途中、通りがかりの下士官に「ヴィナードが来ていた」と知らされた三人は、少しばかり焦りをにじませて駆けた。上官に怒られやしないかと内心ひやひやしつつ、廊下を抜けて開けた空間に出る。
中隊の紋章が描かれた布が垂らされた壁の前で立ち止まり、正面入り口を振り返れば、魔導技師の青年はすでにいた。キリクは、呼びかけようとして思いとどまる。ヴィナード以外の人影に気づいたのだ。
「大丈夫ですか?」
彼は、黒い制服を着た男に手をさしだしていた。短く切った金髪に茶色い目。帝都周辺ではありふれた風貌の人だが、こけた頬と血の気のない顔のせいで、生気がないように見える。実際、彼は、少しふらついたところをヴィナードに助けられていた。
「あ、ああ……申し訳ない……」
力なく謝った彼は、すなおにヴィナードの手を借りて姿勢を立て直す。その瞬間、ヴィナードがわずかに目を細めたが、すぐにいつもの優しい表情になった。
「お加減が優れないのですか? 途中まで一緒に行きましょうか」
「い、いや。大丈夫だ。市民にそこまで面倒をかけるわけにはいかないから。ありがとう」
弱々しい声で、けれど口早に言いきった男は、逃げるようにヴィナードから離れる。そのままキリクたちの前をすり抜けて、廊下の奥へ消えていった。
「あれ、警察の制服じゃん。なんで警官が軍部にいるんだ」
「この前の、通り魔事件の会議とかじゃない?」
疑問を呈するロベールに、クリストファーが答えを返す。首をひねって男を見送っていたヴィナードが、そのやり取りで気づいたのか、キリクたちの方を見た。
「ああ、こんにちは。……ひょっとして、商品の受け取りですか」
魔導技師の青年は、目ざめたばかりのような表情で小首をかしげる。キリクたちは、うなずいた。
「隊長の代わりに対応させていただきます」
「なるほど。じゃあ、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
愛想よくほほ笑むヴィナードに、キリクはとっさに作った笑顔を向けた。直後、つい目をそらしそうになって、慌てて「じゃあ、確認しますね」と言葉を継ぎ足す。細められた緑の瞳が、にらむようにこちらを見た気がしたのだ。だが、改めて見つめても、そこにはやわらかな笑顔しかない。釈然としないながらも、キリクはひとまず、仕事に集中することにした。
ヴィナードが持ってきたのは、やたら大きな木箱だった。少年たちはふたを開けて、感嘆の声を漏らす。木箱には、一言では説明できない不思議な物たちが詰め込まれていた。
それらの数量と品目を確認するのが今日の仕事だ。隊長の代役として遣わされた三人は、まじめに仕事をしつつも、心がそわそわするのを抑えきれない。見た目も中身も不思議な魔導具に、心を奪われていたのだった。確認作業の途中、ロベールが手に取った魔導具をしげしげとながめる。キリクも、つい釣られてそちらを見やった。
彼の手から少しはみ出すくらいの、黒い直方体。そこに丸い穴があいていて、穴には細かい格子が張り巡らされているように見えた。
とうとうロベールが、好奇心に満ちた目でヴィナードを仰ぎ見る。
「これ、いったいなんなんですか?」
「通信機です。通話機の小型版みたいなものですよ。それを持っている人どうしなら、離れていても会話ができます」
「へえー。どういう仕組みなんです?」
クリストファーが顔を輝かせる。ヴィナードは、もったいぶったふうに視線を動かしたあと、ほほ笑んだ。
「そうですね……『
耳慣れない言葉に首をかしげたのは、キリクとロベールだった。クリストファーは、視線を宙にさまよわせた後、ヴィナードの方に戻す。
「ええっと。あっちこっちに散らばってる、見えない力のかたまりだって聞いたことがありますけど」
「大体合ってますよ。正確に言えば、あらゆる物を――植物、鉱物はもちろん、我々人間の体もですよ――形作っている小さな小さな粒です。魔導術を使う際に生じる力を『魔力』と呼ぶのですが、この魔力のもとが、
三人の間で感心の声が漏れる。キリクも、思わず前のめりになっていた。そんな彼らを前にして話すヴィナードは、どこか楽しげである。黒い直方体を持ちあげた彼は、言葉を続けた。
「この網目に向かって話しかけると、声の震動が空気中の
頬をかくヴィナードに、ロベールが苦笑する。
「うーん。俺には難しいっすね。キリクとノーマンは分かったんじゃないの」
「いや……微妙」
キリクは頭を振ったが、隣のクリストファーはすっかり感心している様子だった。魔導具講義に夢中になっている友人をはたいて目ざめさせたキリクは、再び箱の中の通信機を手に取ったのである。
個数と品目が注文どおりだと確かめられると、箱は正式にキリクたちの手に渡った。ついでに請求書を受け取って、彼らの仕事はひとまず終わりだ。だが、ヴィナードはすぐには帰らず、三人にこんなことを言い出した。
「ところで、お三方はなにか質問がありますか?」
「へ?」
少年たちが素っ頓狂な声を出すと、ヴィナードは心底おかしそうに笑う。爽やかな笑声を収めてから、彼は言葉を付け足した。
「ディーリア中隊とは数年のお付き合いなんですけど、新入りの兵士さんから質問を受けるのが、恒例行事になっているんです。みなさん、私に興味がおありのようで」
「そりゃ興味もわきますよ。隊長とのか――」
キリクは、余計なことを口走りそうだったロベールの口を慌ててふさいだ。そのまま、クリストファーと顔を見合わせる。しばらく無言のままでいたが、クリストファーが「今回はキリクが何か訊きなよ」などと言い出した。ヴィナードに目を配っても、相変わらずにこにこしているだけだ。しばらく考えたキリクは、ひとつの問いをしぼりだす。
「『
ロベールとクリストファーがきょとんとした。ヴィナード本人も、目を瞬いている。
「あの、話したくなければ、無理にとは……」
「ああ、いえ。そういうことではなく。名前について訊かれたのが久しぶりだったもので、意表を突かれたといいますか」
慌ててキリクが付け足せば、ヴィナードも言い足した。彼は、端からこぼれた黒髪を軽く手で払ったあと、そうですね、と呟いた。右耳の上あたりで、銀色の髪留めが光っていることに気づいたキリクは、目をみはる。髪留めを使う男性を見るのは、初めてだ。
小さなその驚きは、すぐに別の驚きに上書きされる。
「実は、ヴィナードっていうのは偽名なんです」
「……は?」
少年たちの口から、間抜けな声がこぼれる。『イルフォード隊長が既婚者だ』と聞かされたときのことを思い出した。
「ぎ、偽名っ!? いいんですか、それ言っちゃって!」
驚きのあまり力を抜いたキリクから解放されたロベールが、身を乗り出した。一方、ヴィナード本人はあっけらかんとしている。
「大丈夫ですよ。職場で推奨されていることですから」
「偽名を推奨……?」
どんな職場だ、と、茶髪の少年は呟いた。それにはキリクも心から同意する。本人は、新兵たちをおもしろそうにながめた。
「軍部御用達、なんて言われているのもそうなのですが。うちの工房は、なんというか、少し変わった方々と取引をすることがありまして。大手の商会や軍隊、帝国貴族などですが。その過程で、『危ない人たち』と関わりを持ってしまうこともまれにあるのです」
「たとえば……」
「秘密結社に裏社会の売人、犯罪組織と繋がっている商人、特殊暗殺部隊等々」
好青年の口から飛び出した物騒な言葉の数々に、少年たちは悲鳴を上げる。それでも、若い魔導技師は変わらず穏やかだ。
「そういう人たちと関わったあと、揉め事に発展しないよう、個人情報の多くを伏せて動いているんです。本名は個人情報の筆頭ですからね。職人のほとんどが、仕事中は偽名――『仕事名』を使っているんですよ」
キリクは、軽い口調で露呈された事実におののきつつ、一方で納得してもいた。偽名なら少々変わった名前でもしかたがない。それが、公然と使われている呼び名ならば、なおのこと。
冷静なキリクの横で、赤い髪の少年が顔を突きだした。
「え、じゃあ、ヴィナードさんの本名は」
「申し訳ないのですが、さすがに教えられません」
丁寧な口調でばっさりと断られていた。クリストファーは、そうですよね、と軽く笑う。少年たちも、つられて明るい声をこぼしていた。
「……本名かあ……」
隊長はこの人の本名を知っているのだろうか。
キリクはなんとなく、そんなことを思ったが、口には出さずにおいた。なんでも尋ねればいい、ということでもないのだ。
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