弔問

爽月柳史

弔問

 ひと月ほど前に友人が死んだので、私は仏前を訪ねることにした。

 「失礼、水城清みずしろきよしさんのお宅ですよね」

 「ええ、貴方は……」

 「セイ……いえ、きよしさんの友人の、樋口聡一ひぐちそういちです」

 私が名乗るとセイの家から出てきた娘は、顔を明るくした。

 「聡一さん、貴方が……清兄さんからよく伺っていました。妹の澄子すみこです。兄がお世話になりまして」

 「いえ、清さんが亡くなられたと聞いて、四十九日は過ぎてしまいましたが、せめて線香をと」

 「きっと兄も喜びます。貴方のことはいつも楽しそうに話していましたから。どうぞ」

 澄子は私を家の中へと招いた。私の服装が今すぐ葬式に出席しそうな喪服であることに気づき澄子は首を傾げた。

 「ああ、これは、友人の仏壇を訪ねる男が普段着じゃあ、恰好がつかないでしょう」

 セイが聞いたら嘲るように鼻を鳴らすだろう台詞を吐いて、澄子に笑いかけると彼女は「なるほど」と微笑み、仏間へと私を案内した。仏壇以外には本当に何もない清潔な部屋で、セイが好みそうだという無意味な感想を抱く。

仏壇にはセイの遺影が当然ながら置いてあり、その遺影は遺族が最良だと判断したであろう、笑うセイが写っていた。

 セイは私といる時は笑顔など欠片も見せたことはなかった。しかし、遺影に写されているような空虚な笑顔よりも、そちらの方が本当の笑顔だと思う。きっと澄子やその他の人間が記憶しているセイは、このような笑みを浮かべているのだろうが、私は彼の険すらも感じられる無表情な笑顔が好きだった。

私は線香に火を点け、鈴を鳴らし、写真の中で空虚に笑うセイに手を合わせた。此処までは、この喪服のようにただ形式をなぞるだけのお遊びだ。

 仏壇にはセイの写真と位牌以外に、藤の絵付けが施され、ヒビ割れた氷のような硝子の猪口が置かれていた。

 「兄が一目で気に入って買ってきたんです。“今度、聡一と呑むのだ”と嬉しそうに話していました。……結局は使わず終いでしたが」

 その翌日、月と星が輝く夜にセイは川に身を投げて命を絶ったという。葬式が大々的に行われ、誰もが「穏やか」で「人当たりの良い」セイの死を嘆いていたことを私は知っている。そういうことだから私は葬式には出なかったし、葬式も知らなかったという振りをした。

 セイのあれは自殺ではない。

 「私は、セ……清さんと最期に呑もうと、酒を持ってきました。ですから、それを叶えてやりましょう」

 思い出したのだろう、澄子は少し涙ぐみながらも「そうしてやってください」と頷いた。

 「グラスは要りません」

 セイが買ったという、藤の猪口を掲げると、澄子はまた少し頷き仏間を後にした。

 「君が気に入るなんて珍しい。……藤が好きだったのかい。それは知らなかったよ」

 私はセイが好んでいた辛口の日本酒を注ぎ仏壇に供えた。澄子が近くにいないことを確認してから、仏間の襖を閉めてセイの前に座り直す。

 「セイ、君は自殺などではないのだろう」

 玉砂利と、溶けかかった氷のような水が美しい、セイが死んだあの川を脳裏に浮かべながら、セイに言った。

 「刺すのではなく、染み込むように身体を貫く冷たい水に柔らかく抱かれ、月と星を立会として、君はあの川と婚姻をしたのだろう」

 猪口を取ると全く減った様子のない酒に、一片、紫色した藤の花弁が浮いていた。

 「全く……君らしい」

 私はそれを一息に呷る。

 「美味いよ」

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