第23話ー愚策

 和人はいきなり志郎を蹴りつけた。予見できた志郎は腕で防ぐものの、大人と子供の体格差ではそれほど効果はなく地に叩きつけられる。

 志郎に駆け寄った香歩に、和人は拳銃を向けたまま唾を吐いた。


「志郎、その女を拘束しろ」

「え?」

「え、やないわボケ。早よしろや」


 志郎が硬直していると、和人は彼に向かって石を投げた。すぐさま香歩は彼らの間に入り、志郎を庇う。


「やめて、何で子供に向かってこんなこと……」

「はあ? 関係ないやろ。何様やねんお前」


 和人は香歩の足元に発砲した。


「親子の関係に口挟むなや。そもそも、ルールでこいつを殴るように言われてるんやからしゃーないやろ。まあ、そんなん気にせえへんけど。お前、端末と武器を地面に置け」


 香歩は大人しく和人の命令に従った。武器を取る間に、相手は間違いなく撃ってくる。

 そう思わせる恐怖があった。


「それでどうすればいいんですか?」

「物分りがいいやんけ。服を脱げ」


 香歩が服に手をかけると和人が待てと言った。


「やっぱええわ」


 香歩は思わず安堵の息をついた。やはりこの人にも良心が――。


「亜紀と同じように制服を引き裂いたほうが興奮するわ」


 和人は香歩に跨って、彼女の両腕を上にし右手で握り、左手で強引にワイシャツを引っ張った。

 ボタンが弾け飛び、香歩は小さく悲鳴をあげる。それが和人の劣情を刺激した。

 ワイシャツは丈夫な作りだったのか完全に外れず、和人は腰に携帯していたナイフで残った生地を切り裂いた。

 ブラジャーもホックを外さずに、勿体振るようにゆっくりとナイフで切った。

 香歩は振りほどこうと抵抗もしない。しかし、涙を流さず毅然と和人を見つめていた。その瞳は諦念に曇っていない。これから彼女の身を襲う痛みを想像できるのに、痛みを訴えない。この状況でも罪を憎んで人を憎まず、などと言いそうである。

 和人はその超然的な態度に一瞬、怖気づいた。が、意識を取り戻した彼は、香歩の肌に触れようと手を伸ばす。


「どけ。香歩ちゃんが汚れるだろ」


 場を制す黒い声。それは志郎から発されたものだった。

 彼は和人の背後から右側頭部に物資の入ったケースをぶつけた。

 そこで終わらない。香歩から離れた和人に向けて、容赦なく銃弾を浴びせる。執拗なまでに何発も何発も。

 弾が切れ、ようやく志郎は拳銃を投げ捨てることが出来た。彼はぐちゃぐちゃになっても和人が動かないか何度も確認して、荒い息のまま香歩に近づいた。


「怪我はない?」


 香歩は答えなかった。強く唇を閉じ、志郎を見つめている。私のせいで少年にとんでもないことをさせてしまった。自分の覚悟のなさが招いた過ちだと、瞳で語っていた。人を殺さずに、という甘さが志郎を穢してしまった。

 志郎はそれを受け、どうしようもない気持ちに囚われた。

 彼女の様は母にあまりにも似ていたのだ。父の虐待から庇ってくれた時の目と同じだった。成長した今考えれば、もっと手段はあっただろうと彼は思う。母の選択は愚策だったという人間の方が多いに違いない。それでも、暖かかった。確かに、救われた。

 だから、今すぐ香歩に謝りたかった。彼女を安心させてあげたかった。自分を抱きしめて欲しかった。志郎は大人であり、子供であった。

 が、体は動かない。荒れ狂う感情はそのままにじっと耐える。触れようとしても触れられない。なぜなら、彼は罪を重ねてしまった。そんな自分が救いを求めていいのだろうか、と思ってしまうのだ。

 志郎は声を震わせることもなく、静かに涙を流していた。


「終わった。終わったんだ……」


 志郎は咎を重ねた罪人の末路を今更、思い出した。彼もルールに縛られた存在なのだ。自分の個別ルールは父の生存。

 そのことに気づいても後悔はない。仮に行動に移す前から、父を殺さないという個人ルールを破ることになるとわかっていても、香歩を救っただろう。

 今度こそ、守れたのだから。

 そう心で呟き、殺人を犯した痛みを誤魔化した。




 香歩たちが和人と遭遇する映像を見せられて、すぐ雅は拳銃で男を殺した。

 男の言う通り、本気になれば造作もない。死体も確認せず、香歩の元に駆けつける。

 が、いくら速い彼でも間に合わない。

 ついたときには和人の死体を埋葬するためなのか、穴を掘る香歩と志郎がいた。

 誰も口を開かない。喚き散らすようなこともない。

 だからこそ、沈黙が重く雅を押し潰していた。誰にも責められないから、力があったのに、救えなかったことを悔やむ。傲慢などではなく、正確無比な判別だ。

 そうでなくても、和人を見逃したのは雅だ。しかし、そのことを口に出すほど子供でもなかった。

 小松雅は決して、救いを求めない。

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