第8話 オレンジ色のピアニスト




 翌日。

 おばあちゃんは日の出前から友人と日帰り旅行に出かけていった。

 生花の水揚げがあるし、早めに出勤しなければ。

 業務の流れを考えつつ朝食を食べていると、三毛猫姿のあけび様がテーブルに飛び乗った。


「ぬか漬け娘。今日はわしも店にゆくからの」

「どうしたんですか。突然」

「ふん。常子もおらんし特別用事もないでな。それに虎鉄の奴がもうじきだらけてくる頃じゃ。儂が締めてやらねばならん」

「あけび様、虎鉄と仲良しなんですね」

「あれは儂の忠実な僕じゃ」

「……もしかして、虎鉄も化け犬とかじゃないですよね?」

「たわけ。正真正銘図体がでかいだけの犬っころじゃ」

「よかったぁ」


 虎鉄までいきなり人の姿をとられたら私の癒しがなくなってしまう。

 あのもふもふは、もふもふのままでいてほしい。


「犬っころにしては小賢しいがの。じゃから千秋と共におるのじゃ」

「小賢しいって……」


 部下への評価が小賢しいって。

 おばあちゃん、あけび様がこんなだって知ったらショックだろうなぁ。


「お主もたまには見張らぬと、酒を買い忘れるかもしれんしのう。おぉ、忙しい忙しい。息つく暇もないわ」

「絶対忘れませんー」


 要は暇つぶしでついてくるだけなのに、この態度。

 清々しさすら感じる。

 こうして私は横取りされながら純和風の朝食を食べ、自転車カゴにあけび様を乗せてウィルオウィスプへと向かった。



 *****



 ひんやりとした空気を切って走ること数分。

 駐車場にママチャリをとめ、店のドアを押す。


「――だよね。あの、あぁすみれちゃん。おはよう」

「おはようございます」


 あれ、今……まあいいか。

 千秋さんはレジカウンターに背を預けながら私を迎えてくれた。

 虎鉄の姿はない。


わっぱ。虎鉄はどうした」


 あけび様は、するりと店内に滑り込む。


「え? 二階で寝てますよ」


 と言ったそばから、階段を駆け下りてくる音が聞こえた。


「うわん!」

「おぉ、虎鉄。お主、相変わらず犬じゃなぁ」


 尻尾を振って現れた虎鉄は、あけび様のまわりをぐるぐると回る。


「あけび様、ストーブの前でいいです?」

「儂の睡眠を邪魔する輩は許さんからの」

「心得ておりますよ」

「ほれ、虎鉄。儂は眠いのじゃ」


 興奮気味の虎鉄は「わふ」と鳴いて、ストーブの前に横たわった。

 さらにその上にあけび様が横になり、二段重ね毛玉の完成である。


「水揚げの時、くれぐれもあけび様を濡らさないように」


 小声で忠告する千秋さんはにやりとしながら「猫パンチ、痛いよ」と付け加えた。



 エプロンをつけて開店作業をしていると、すぐに仕入れ分の生花が届く。

 手分けして水揚げし、拓斗用の花は別のバケツに入れて確保しておいた。

 普段はお墓にお供えするような花が多いが、今日はバラやガーベラ、カスミソウにアルストロメリアなど艶やかな顔ぶれが揃う。

 ちなみに、アルストロメリアなんて初めて聞く名前だった。

 まるで水彩絵の具を滲ませたようなグラデーションをしたオレンジの花びらは、誕生日にぴったりだと思う。

 朝の作業を終えたらパソコンを起動していざ、私の本業だ。

 昨日アップした植物の画像に反応はあるだろうか。とドキドキしながらチェックする。

 結果はびっくり。

 注文メールは想像以上に届いているし、SNSもダイレクトメッセージが送られてきていた。

 ヤナギなる人から届いたダイレクトメッセージは『やっと新しい人雇えたんだな。更新待ってたぞ。また店に行くからよろしく!』という親し気な文面だった。

 それらを千秋さんに伝えると次の指示が飛ぶ。

 ヤナギさんへの返信につていは、ほぼタメ口で書かれたメモを渡された。

 恐る恐るその通りに返信しておく。

 多分、友達なんだろう。


 その間、あけび様は自由気ままに店と二階を闊歩し「冷蔵庫漁らないでくださーい!」と四度千秋さんに叱られたのだった。

 油断ならない泥棒猫である。

 私は私でちょっとだけうわつきながら、仕事を片付けていく。

 何たって今日は一大イベントが待ち構えているのだ。

 ほら、もうすぐあの元気印が……。


「こってつー! 散歩行、お? あけびまでいるじゃん!」


 ほら、いらっしゃった。

 ちょうど空が橙色に染まり始める時刻。

 拓斗は乱暴にガラス戸を開け放つ。


「拓斗、ドア壊さないでね」

「今日は新人研修は謹んでお断りしますー」

「あっけびー!」


 拓斗は脇目も振らずストーブ前で丸くなるあけび様を揉みくちゃにした。

 尻尾を振りながら散歩を待ち侘びる虎鉄もぎゅうっと抱き締められる。


「おいあけび。お前も一緒に散歩行こうぜ!」


 まさかまさかだが、あのあけび様に命令だ。

 猫パンチが飛ぶんじゃないかとヒヤヒヤしたが、あけび様は一声鳴いて抵抗しない。

 ちゃんと猫をしていらっしゃる。

 私は殴ったくせに拓斗は許すんだ。納得がいかない。

 でも、乗り気じゃなさそうにみえる。

 どうもルンルンで尻尾を振る虎鉄に負けた様子だった。


「拓斗、一時間ちょうだい。とびっきりの花束を作ってみせるよ」

「おっしゃ。姉ちゃんはオレンジ好きだって前言ったよな? オレンジの花束だぞ! 忘れんなよ!」

「任せて」

「おらぁー、行くぞ虎鉄、あけび!」


 二匹と一人は忙しなく姿を消した。


「毎日が台風直撃ですね、まるで」

「物を壊されないだけマシだよ。元気が有り余っているだけで根はやさしい子なんだけど」

「お姉ちゃん思いの立派な弟ですもんね。騒がしさが一級品なだけで」

「一周回って尊敬するレベルだよ」


 千秋さんは軽くため息をついて腰を伸ばす。


「さてと。花束つくらなきゃ」


 千秋さんは私がいつも使っているカウンター内のデスクを移動させ、その上で作業を開始した。


「和音ちゃんね、さっき拓斗が言った通りオレンジが大大大好きでさ。特にオレンジのバラがお気に入りなんだ。だから今日はバラ多めでまとめるよ」

「オレンジかぁ。活発で瑞々しくて拓斗のお姉さん、って感じです」


 千秋さんは花の茎を切り落としながらあはは、と笑う。


「ピアニストを目指してるって、この前拓斗が楽しそうに教えてくれました」

「うん。和音ちゃんさ、コンクールの全国大会で入賞する実力の持ち主でね。指が別の生き物みたいに動いてびっくりするよ」

「姉弟なのに正反対ですね」

「ん? 拓斗もピアノ習ってるよ。お姉ちゃんに負けず劣らずの腕前。この前の県大会も一等だったって自慢されたし」

「えっ!? あの拓斗が!?」

「人は見かけによらない、ってね。今は和音ちゃんを追い越せ追い抜けで猛特訓中みたい」

「はぇ……」


 楽譜もろくに読めない私とは大反対だ。

 拓斗はサッカーや野球などの方面で活躍している子だと勘違いしていた。


「すみれちゃんはピアノとか習ってた?」

「いえ、音楽はからっきしで。発表会の合奏でもトライアングル担当! みたいな感じです」

「僕と一緒だ。太鼓と笛くらいしかできないんだよねぇ。ピアノ弾けたら楽しそうなのに難しくて」

「左手と右手で別の動きをするの、わけがわからなくないですか?」

「わかんないよねぇ。無理無理」


 デスク上では着々と花束が形になりつつある。

 私たちは小一時間音楽できないトークで盛り上がった。

 千秋さんは談笑しながら花をまとめ、ラッピングし、リボンを結ぶ。

 淡いオレンジ色のバラを中心にガーベラ、カスミソウ、アルストロメリア。

 榧野さん直伝のフラワーアレンジメントは、誕生日にぴったりの可憐さを醸し出していた。


「とっうちゃーく!」


 再び豪快にドアが開けられたのは、花束が出来上がってすぐのこと。

 走ってきたのだろうか。虎鉄は舌を出して口呼吸。

 あけび様もどことなく気怠そうだ。

 心なしか虎鉄に寄りかかっている気がする。

 立ってるだけでも面倒くさそうな雰囲気だ。


「おかえりなさい」

「花束、完成したよ。こんな感じでどう?」

「お! いいんじゃね? 姉ちゃんこんな感じの好きそうだし!」


 拓斗はレジカウンターに置かれた花束に目を輝かせる。


「喜んでくれるといいね」

「オレがあげたプレゼントはな、姉ちゃん全部喜んでくれたかんな! これも絶対ありがとうって言ってくれるぜ!」

「作った甲斐がありました」


 千秋さんはポイントカードに最後の肉球スタンプを押した。


「やっぱ菊よりバラだよな! 千秋たまにはやるじゃん!」


 拓斗は虎鉄のリードを外して、花束を両手で抱える。


「そおっと静かに、だよ。少しでも乱暴に扱ったら傷んじゃうからね」

「頑張る」

「お姉ちゃんのために頑張って」


 無性に応援したくなる頑張る、だった。


「じゃ、ありがとな! ロホホラは明日迎えに行く! 待ってろよ!」


 言いつけ通り花を労わりつつ、拓斗は店を出て行った。

 あんなにドアを乱雑に開ける拓斗がゆっくりゆっくりドアを開閉し、そっとマウンテンバイクのカゴに花束を入れ、安全運転でいなくなったのだ。

 微笑ましさが振り切れて、しばらく千秋さんとにやにやしていた。

 



 しかし、事件は翌日の朝に起こる。

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