本線

ep.40 掃除くらいできます


 レコンキスタ・メンバーズの拠点都市は端正な街づくりが売りだ。目抜き通りが駅舎から伸びていき、レコンキスタ・メンバーズの庁舎フラッグハウスまでに行き着く。順に繁華街、オフィス街、官舎と言った具合に整備され、住宅は目抜き通りから同心円上に広がったストリートに整然と建てられている。

 住宅区画の区切りにショッピングモールが建設されており、利便性を考慮している。商業地帯は背の高い建物がそびえるが、住宅街はアパートでさえ、三階以上の建物がなかった。厳しく制限された。

 この街はなにしろ、鉄道をつかった都市計画で一気にのし上がった財団のモデル都市でもある。

 カートはそうした説明を受けた。

 暗い色のチェック柄のシャツとうす汚れたジーンズを履き、いかにも出稼ぎにきたとばかりの服装に見えるのはカートだけだった。しっかりとスーツ姿のリュミエールは逆にこの街で働く最先端の実業家か銀行マン。極端な二人の組み合わせで先頭を案内するのは、駅で落ち合ったカートの旧友。つまりはトランスポーターなのだが、現在は旅客列車の車掌を務めているらしい。これから帰りだというので、付き合ってもらった。

 彼は帽子を脇で抱え、マントを羽織って、駅員の制服を隠した。カートたちを案内するのに、駅員であることをアピールするにはまずいようだ。

 舗装された道路に等間隔でガス灯が整備されている。

 十字路に設置されている案内看板には組織を盛り上げるためだろう、『帝都を取り戻せ』『賊軍をやっつけろ』といったスローガンの書かれた幕がはためいている。掲示板には革命政府を倒すための勢いのよい言葉が踊り、イラストも兵隊のものが多かった。

 リュミエールはこうした風景に馴染んでいないせいか、少し顔をしかめる。世論の構築にメリーがつかわれているというのが、納得がいっていないようだ。

 カートとしては、思わず吹き出しそうになったくらいに既視感、というより懐かしい感覚だ。


「こういうの、帝国側はやらなかったが、当時の革命派レジスタンスはよくやってたな。シエロなんて、ポスター貼りやビラまきで警察に追い回されていたよ。それが、逆に帝国を擁護する側が同じ手を使ってくるとはな」


 しかも、自分たちの城下街でまるごと宣伝するのだから、情報のない庶民はそれが正しいことだと思うだろう。


「カートさん、こっちです」


 旧友に案内されて、アパートの一室に入った。

 リビングに大きな机があり、その上には地図が広げられていた。

 だが、よく見ると、それは地図ではなかった。

 建物の見取り図だ。


「これは……」

「ええ。殿下が仮住まいをしている館です」


 ヒュウと口笛を鳴らす。


「それで、俺たちはどこから?」

「ここの……勝手口から、清掃業者の格好で」


 ここまで案内してくれて青年が解説した。指で進入ルートを指し示す。


「手引きは?」

「ある、予定です」


 もしも、話が噛み合わなければ中庭から無理矢理侵入しろとフィンが言っていたが、どうやらその線はなくなりそうだと、一安心する。


「念のため、ルートはもうひとつ用意してあります」

「助かる」


 それで、と肝心の玉はどこかと訪ねると、さすがに首をひねる。


「……おそらく、こちらでしょう」


 しばらく黙っていたリュミエールがある一室を指し示した。

 部屋の格と、導線を考えると、だいたい絞られるそうだ。

 そして、リュミエールが結論を出したのは、三階の南の部屋。確かに広々としたゲストルームだ。主が居座るのも悪くない。


「ここに、他の幹部がいる可能性は?」

「あるとすれば、ウィリアム卿」

「いや、あいつの性格なら、広い部屋を譲る」

「そうですね」


 カートとウィリアムの意見が一致した。

 第一候補が決まり、第二、第三候補まで決まったところで、逃走ルートの話だ。


「よし、これで決まりだな」


 話はすぐにまとまった。


「……このような作戦はあまり気がのりませんが」


 最初はリュミエールが難色を示していた。なにしろ、真正面から堂々と会いに行っても、許可が下りる可能性がある人物である。その自信の現れか、裏口からコソコソというのは性に合わないらしい。


「いや、まだ居場所は公表されていないからな。受付で知らんと追い返されて、関の山さ。逆に目をつけられて、動きにくくなる」


 だったら、最初から割り切ってコソコソすればいいということだった。

 リュミエールは仕方なしにうなずく。


「よし、俺たち以外にサポートはない作戦だからな。なんとかして成功させよう!」


 気合いを入れるよう、カートは少し声を張った。


「カートさん、大きな声は」


 ダメだと口の前で×の印を作られる。

 バツの悪そうな顔で、「決まればすぐに行動だ」と着替えを受け取り、リュミエールの背中を叩いた。




 思っていた以上にあっけなく成功した。

 その屋敷は庶民用のアパートの裏にあった。

 敷地はすべて、人の高さの二倍ほどある鉄製の柵で囲われている。緑色の葉をつけた木々が柵の内側に等間隔で並び、屋敷を取り囲んでいる。屋敷自体は中庭を中心としてロの字型をしていた。

 門から正面玄関には車寄せを用意し、馬車でも乗り付けることが出来た。

 門や玄関にはライフル銃を背負い、剣を腰に携えた警備員が並んでいた。

 こういった屋敷はこの一角によくあった。庶民の住むアパートのすぐ裏だが、いくつも似たような屋敷がある。

 これはレコンキスタ・メンバーズの幹部の屋敷であったり、ゲストハウスだったりするらしい。

 誰がどこに住んでいるか、よく変更になり、また、主人のいない建物を管理する従者だけの屋敷もあるとか。

 一般的な認識では、メンバーズのお偉いさんが住んでいる屋敷。

 ただ、それが誰なのかは、庶民は知らない。


「木を隠すのは森……か」


 皇女が住む格の屋敷ではないだろうが、誰かわからないけれど、きっと幹部が住んでいるだろうと思われている屋敷にいれば、仮の住まいとしてはなかなか発見されにくいので上出来だろう。

 カートからしてみれば、今回、どんな情報網があって、どこからもたらされた情報かどうかはわからない。もう、動き出したことであって、すべて信頼するしかない。どこかで裏切りが出たら、と独自の逃走ルートなんて考えられるわけがなかった。


「スパイの真似事なんてガラじゃないんだけどな」


 リュミエールの顔を見ながら、わざとらしく言う。

 カート以上にスパイらしくないリュミエールは均整な顔立ちながら、口をヘの字に曲げる。


「人生経験が豊かになります」


 軽口をたたく二人は、裏の勝手口から協力者の手引きで侵入していた。

 緑色の帽子に同じ色のベスト、寒色系でまとまったチェック柄のシャツさ作業用の少々土に汚れたズボン。庭師という設定でお揃いの服で並んで歩く。カートはハシゴを、リュミエールはロープと道具袋を担いでいた。

 まるでこれから、枝木の剪定をするがごとく、外柵に隣接した樹木にハシゴをかける。

 ハシゴを登り切り、幹の太い枝木に足をかけ、少し揺する。男一人が乗っても、問題ないことを確認し、柵の向こうのアパートに目を移す。

 アパートの三階の窓から、昨日のトランスポーター仲間の男性が手を振っている。準備よしというわけだ。それを確認して、樹木から降りる。

 今度はハシゴを屋敷の二階の窓にかける。鍵は手はず通り開いていた。両開きタイプの窓を半分くらいに開けると部屋に風が流れ込み、カーテンが勢いよく揺れた。

 どきっとしながらも、部屋の中をのぞき込むと、部屋には誰もいないようだ。調度品も片づいているし、寝室のベッドにはシーツも敷いていなかった。使っていない部屋なのだろうが、片づいているところを見ると、ここの使用人は働き者なのだろうと適当にアタリをつける。

 カートは経験則上、仕事熱心な人は時間に正確だという気持ちがある。だいたい毎日同じ仕事をするなら、同じ時間に同じタイミングで動くであろう。先ほどからこの窓を覗いていたが、人は現れていない。だとすると、そろそろ掃除の使用人が現れる頃合いだ。遠巻きから下見に来ていた者のレポートだと、だいたい今の時間くらいだという報告もある。

 リュミエールも問題なく、ハシゴを登ってやってきた。肩にはロープと道具袋。


「その道具はなんだ?」

「着替えです」


 そう言うと、袋の中からおもむろに服をとりだした。白地に金糸銀糸のロイヤルガードの制服だった。


「奥で着替えてきます」


 断りをいれて、寝室へ入り、ドアを閉めた。

 カートは頭を抱えた。こんな作戦内容だったか?

 リュミエールだけ特別な任務でもあるのか。

 まさかメリーの前だから、ひどい服装ではいけないってことかと勝手に結論づけて、ため息をつく。

 しばらく待つと、金髪の男は美しい衣装に身を包み、現れた。


「鏡がないのでわかりませんが、なにか不備はないですか。あ、いや、いろいろ道具が足りませんので、完璧ではありませんから、指摘はけっこうです」


 自ら問いかけて、断るという自己完結した主張に、あえてカートは口をつぐんだ。

 というより、廊下から若い女の声が聞こえて、逆に耳をすませた。

 身振りで身を隠せとリュミエールに指示する。

 とはいえ、身を隠すほど、この部屋にはモノがない。扉の影と、暖炉の影。ちょうど扉から死角になるので、そこしかないと判断し、カートは扉の影。リュミエールは暖炉の脇に膝をついた。部屋に誰か入ってきたら、瞬時に行動するぞと、ノックをするアクションと扉を開ける仕草と走る身振りで説明する。リュミエールには通じたようで、うんとうなずかれる。

 話し声が続きながら、がちゃりと戸が開く。

 アイコンタクトさながら、リュミエールと連携をとろうとすると、馴染みのある声が聞こえてきた。


「いいから、わたしにも掃除をさせなさいよ」

「いえ、これはわたくしどもの役目ですから」

「じゃあなに、わたしは部屋でじっとしてろっていうの? どうせなんにもできないんだから、邪魔しないでってことでしょ」

「まさかそのようなことは」

「じゃあ、少しくらい任せてもいいじゃない? この部屋、どうせ使ってないんでしょ? だったら、あなたたちのようなプロフェッショナルではなくても、一通りのことは出来るわ。はいはい、細かいことは言わないの。自分の仕事に戻って。あとでチェックしてくれればいいから」


 そう言って、年上のメイドを追い返し、水を張ったバケツと掃除用具を乗せた台車を転がしながら、扉を足だけで閉める。

 扉を締め切って、メイドを追い出してたところで、ふう、と一息つけて、エプロンと三角巾を締め直す。

 やるぞ、と意気込んだのよいものの、台車にロックされているモップの外し方がわからず、無理矢理引っ張った。

 無理矢理引っ張り、体重をかけるとばちんと大きな音がして、ロックしていた金具ごとはずれて、勢い余って尻餅をつく。その反動で台車は逆の方向に倒れていく。

 その後ろ姿に思わずカートは頭を抱えた。

 青空を写し取ったみたいに鮮やかなロイヤルブルー。

 どこかで見た光景だった。

 バケツをひっくりかえしてしまい、またしても水浸し。

 三角巾をおもむろに外し、床に投げつける。八つ当たりのようだが、三角巾は濡れている床に落ちていくだけだ。

 カートとしても、出るに出られず、リュミエールと顔を見合わせた。

 さすがのリュミエールも頭を抱えていた。仕方なしと肩をすくめながら、カートは一歩踏み出す。

 一方で、メリーは失敗にしょげて、冷たい床に座り込み、ついに膝を抱えてしくしくと泣き出してしまった。


「……なんで、わたしはいっつもこうなのよ……!」


 泣きながら、ひとりごとをつぶやく。

 そんなメリーの背中にリュミエールよりも早く、声をかけた。


「なにやってんだ」


 ぶっきらぼうなセリフにメリーの体の震えが止まった。

 涙を流した顔で振り向き、すぐさまきょとんとした表情になる。


「……え、なんで……」


 状況がつかめていないのがありありとわかる。

 リュミエールがそっと歩み寄り、手を差しのべる。

 しっかりと握り返し、メリーは立ち上がった。その際にリュミエールはメリーの頬を伝う涙をそっとハンカチで拭き取る。途中でハンカチはメリーにもぎ取られ、自分で目頭を押さえていた。


「なんで、あんたたちがここにいるのよ、わたしは幻を見てるの?」


 まだ信じられないとばかりに、少し大きめの声をあげる。


「……あんまり声を張りあげないでくれ。俺たちはこれでも忍び込んでる身だ」

「なにしに?」

「姫様のご様子をうかがうためです」

「助けに来てくれたんじゃないの?」

「違いはないですが、その段取りを説明するためです」

「なにそれ、今じゃダメなの?」

「俺たちだけならいいんだが、一緒は難しい」

「わたしは足手まといだってこと?」


 ぎりっとにらみつけてくる。


「そうやって、荷物扱いするのね、いつだって。でも、もういまさら、逃げることなんて出来ない」


 逃げることは出来ない?

 言葉を反芻し、警備が厳しいのか? とカートは窓の外を見渡すが、警備兵が常時うろついている様子はない。


「そうじゃないわ。わたしは皇女たる生き方をするってことよ」

「そうすればいいじゃないか、なにを言ってるんだ?」

「わかってないわね。逃げ回ったり、箱の中に入ったりするのはもうありえないって言いたいのよ」


 得意げに。


「その割によくバケツはひっくり返すな、どうすんだこれ」


 カートは水たまりを指摘する。

 癇に障ったようで、真っ赤になって、うるさい! と怒鳴られる。


「そうやって、バカにして!!」


 もう決めたのよ、決まっちゃったのよ……!

 拳を握りしめ、力一杯ふりしぼる。


「わたしは帝国を復古させるの……させなくちゃいけないのよ、だから、そのために……そのために……」


 言葉が続かない。


「本当にそんなことしたいのか」

「ウソは言ってないわ。叛徒たちからわたしたちのすべてを取り戻したい」

「なあ、それってウィリアムの受け売りじゃないのか。本当に皇女に戻りたいのか。ミストは二人で静かに暮らしたいって言ってたぞ」

「……! ……おねえさまは、関係ない……!」

「おまえのこと、だれより考えてるのにな」

「……知ったような口きかないでよ、誰に向かって口きいてるの! リュミエール、この男を追い出して!」


 まずい、とカートは悔やむが、もう遅かった。踏んではいけないものを踏んでしまったようだ。


「出てってよ、人を呼ぶわよ!」

「おい、ちょっと待て、って……」


 後ろからリュミエールに腕を捕まれて、窓まで引っ張られる。


「あとは任せてください、あなたは先に脱出を。作戦は予定通り進めてください」


 ひそひそ声で耳打ちしながら、ハシゴまで追い出された。

 あわてて、ハシゴを降りる。リュミエールが降りてこないことを身振りで確認して、ハシゴを外す。

 そのハシゴをかついで、外柵の脇にある樹木にかけて、一気に登る。

 時間まで少しあるが、窓に向かって合図をする。そうすると、向かいの窓があいた。ロープを投げこむ。そろそろ時間だ。

 柵と向かいのアパートとの間には道がある。そこを踏みならす馬の蹄音が響いた。


「よし、きたか」


 ロープから滑車が流れてきた。それに捕まって、ハンドルを回してロープを流れていく。道をやってきたのは貨車つきの馬車だ。

 御者が手綱を引き、すこしスピードを緩める、空中にいるカートの真下を馬が通りすぎた頃、滑車から手を離して、落ちた。

 カートの体は回転しながら、貨車に見事落下した。貨車に載せられていたクッション代わりの藁が舞った。


「いてえっ」


 頭をあげると、御者は腕をあげて帰還を喜んでいた。




 闖入者の騒ぎが一段落したころに、玄関エントランスに豪奢な馬車が止まった。

 従者がドアを開ける間もなく、飛び出してきたのは羽根付き帽子をかぶったウィリアムだった。険しい表情で、迎える執事に問いただす。


「状況は?」

「男一名が侵入し、逃亡しました。殿下にお怪我はありません」

「一名だと? 二名という報告を聞いているぞ」

「殿下のお言葉では、もう一人は侵入者ではないと」

「なんだと」


 執事を押し退けて、せっせとエントランスから階段を上り、メリーの寝泊まりする部屋の前まで足早にたどり着く。

 ノックをしようと腕を上げた時、部屋の中から声が聞こえてくる。


「いまさら、そんなことを言っても遅いのよ。もう、決まってしまった。わたしが皇女として歩むには、この方法しかない。いいえ、人並みの幸せっていうのは、わたしには通用しない。だって、わたしは帝国皇女。ただひとり残ったロイヤルブルーなのよ。ロイヤルブルーとして、権威を保ち、子孫を残していくには、わたしたちを認めてくれる組織に頼る他ないじゃない。どうせ、わたしは皇女として嫁にいくしかないのよ。だから、最大勢力と縁を持つのよ」


 扉越しに聞こえてくる言葉に耳を澄ませた。


「姫様はあくまで姫様であらせられるのですか」


 聞き覚えのある若い男の声が聞こえてくる。リュミエールだ、それはすぐにわかった。厄介な奴が現れたと気持ちが、ウィリアムにノックをさせた。


「あたりまえじゃない!……ッ、誰……?」


 会話に割り込むように何度も戸を叩く。


「私であります。ご様子を伺いに参りました」


 入って、という言葉と同時に扉を開ける。

 メリーはエプロンに三角巾という謎の出で立ちで壁に寄りかかっていた。立つのも疲れるし、座っていられるほどのんびりしていられないといった雰囲気だ。

 対して、向かい合い、イスに行儀よく座っているリュミエールがいた。白地に金糸銀糸の入った、ロイヤルガードの上着を着ている。ウィリアムの姿を認めると、立ち上がり、礼をする。


「堂々と侵入してくれたな!」


 語気を強めに、言い放ち、リュミエールの前に立つ。


「それだけ情報が漏れているという証拠です」


 対して、リュミエールも負けじと警備が甘いと言い返す。


「それで、もう一人の侵入者は」

「帰しました。彼はもう関係ない。姫様のご意志に反するので、私が追い払いました」


 追い払いました?

 妙な言い方だ。


「侵入者は二人、そのうち、一人は逃亡。そして、もう一人は」

「ウィリアム!」


 メリーが口を挟む。


「彼は、侵入者からわたしを守った。いいわね?」

「はっ、出過ぎたまねをいたしました」


 そう言われてしまえば納得せざるをえない。帽子をとって、メリーの方を向いて、膝をつき、礼をする。


「では引き続き、身辺警護をお願いする」


 ウィリアムは歯噛みしながら、判断を下す。


「ありがとう、ウィル。さすがに話がわかるわね」


 期待していなかったのか、思わず、メリーが礼を口にする。黙って、一礼し、部屋を出ようとする。が、ふと思いつき、踵を返す。


「庁舎にお祝いの花が順次届いております。市民も喜んでおります。この縁談は民にとっても、安心をもたらすものでしょう」

「そう。花を持ち込んだ人にはちゃんとお礼を言うのよ」


 花、という言葉には積極的に反応するのがメリーだ。


「かしこまりました。そこで、ひとつだけ、奇妙な花があったのですが」

「奇妙な花?」

「報告するか迷うところでしたが、隠すのはやめましょう。いわゆる氷漬けの花です。いや、中には花はない。氷そのもので出来た花といえばいいでしょうか。ほのかに香りがするので、負の意味で贈られたものではないと思われますが、会場に飾るのはどうしたものかなと」


 氷の花と聞いて、メリーはすぐにぴんときたようだった。

 リュミエールと一度目配せしながら、ウィリアムに指示をしてくる。


「溶けないように飾り付けて。大事な方からの贈り物よ」

「承知いたしました」


 その意味をウィルアムだけが知らない。舌打ちしそうな気持ちを抑え、今度こそ、部屋から出ようとしたが、逆にはメリーから、呼び止められた。


「ところで、お姉さまを招待したの?」


 もう一人のロイヤルブルーの思い出し、足を止めた。


「いえ。所在不明のため、招待状は出しておりません」

「そう。ならいいわ。でも、あの人のことだから、いきなりやってくるかもしれないわよ」

「祝っていただけるのでしたら、大歓迎でございます」

「そうね、祝ってもらえるのならね」

「失礼します」


 ウィリアムは断ってから、部屋を出た。すぐに執事を呼び、指示を出す。


「会場の警備を三倍に増やす。予算は財団が持つ、早急に手配しろ。それと、殿下のお住まいを移動する。すぐに出られるように用意しろ」


 執事は静かにうなずく。

 ウィリアムは帽子をかぶり、エントランスの車寄せに待機していた馬車に乗り込み、乱暴にドアを閉める。

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