トランスポーター
みすてー
#1 Transporter
本線
ep.01 出発
――個人行商の時代は終わりを迎えた!
――大量輸送による新たな流通で、すべての都市に豊かさを!
駅に颯爽と降り立つ、
いずれの言葉も彼らの標語であり、新人時代、もっとも始めにその意義を教え込まれる。
革命によって帝国が倒れ、帝国陸運から鉄道公社となった今でも変わらない彼らの方針だ。
そう、彼らの先駆的な取り組みは新たな時代を切り拓き、物流から世界を支え、鉄道輸送という新たな物流で世界の趨勢を変えていった。
そして、輸送管理官に限らず、鉄道輸送を支えた者たちは総じて、トランスポーターと呼ばれる。
駅構内には蒸気が立ちこめていた。黒光りする巨躯が蒸気の合間から顔を出す。
最先端の技術の粋を集めた高速の移動手段、蒸気機関車。
プラットホームには背筋を伸ばし、姿勢良く立つ輸送管理官の黒の制服、制帽に身を包んだ青年がいた。
その青年の目に、熱気こもる機関室の窓から身を乗り出した、汗まみれのまま初老の機関士が映った。
機関士は腹から声を出し、なにかを伝えようとしている。まるで怒鳴り声だ。活舌が悪く何を言ってるのか定かではない。
黒髪の青年は腕をしっかりと延ばし、白手袋を掴んで、旗代わりに振った。いつものハンドシグナルだ。
了解とばかりに機関士は額の上で手のひらを見せる帝国式敬礼で返し、機関室に戻った。
――時間は? 積み残しはないか?
青年は反射的に確認をする。
機関士からの出発準備完了の報告を受けたのが今、そして出発までの残り時間。柱時計の針を見つめ、上着のポケットから懐中時計を取り出す。
漆黒の双眸が、磨かれた銀の蓋に映りこんだ。底に刻まれた二つの紋章が目に留まる。帝国の紋章に、帝国陸上運送部、通称「帝国陸運」の車輪とペンの紋章。
輸送管理官に任命された際に、この二つの紋章が刻まれた銀の懐中時計を賜る。
輸送管理官にとって時間は特別なもの。時刻通り、適量の荷を届けてこそ、その真価がある。名前の通り、輸送管理官は貨物輸送を管理する役職だ。だが、それは文字通りの意味ではない。鉄道という最先端のインフラを駆使し、経済、軍事、政治に新たな時代を築いた。
しかし。
輸送管理官カート=シーリアスは柱時計と懐中時計の時間が正しいことを秒針単位で確認し、その上に設置されていたものを見上げた。
帝国の紋章を刻んだレリーフ、であったものだ。
今は破壊され、見るも無惨だ。
民衆の熱狂によって、帝国は打倒された。
紋章の破壊は、その一つの象徴ともいえた。
しばらく見上げていたが、人の気配に気づいて振り向いた。
汚れたシャツを汗まみれにして、ヒゲは伸び放題の中年の男が手のひらを隠した敬礼で挨拶してきた。革命政府が新たに指定した新式の敬礼。
対して、若い輸送管理官は当たり前のように、手のひらを見せた敬礼で返礼する。
「若旦那、作業は順調です。ただ、一件、予定にない誤着のコンテナがあります」
見た目のだらしなさとはうってかわった、はっきりした声で作業状況を報告してきた。
「ああ、そのまま積んでくれていい。そうだな、六両目の床にまだ余裕があるはずだ。カーゴに積まずに直置きにしてくれ。タグと中身の確認は出発後に俺がやる。今は積み込みを急ごう」
荷役の男は了解、と今度はカートと同じ敬礼をした。
コンテナとは小さな荷物を詰め込んでおく箱であり、中身は外付けのタグで管理する。そのコンテナを積み込むカーゴは、さらに大きな箱でコンテナ四つ分を積み込むこともできる。また、単独で巨大なものを積めることも可能だ。輸送管理官が定めた輸送物の規格である。さらにその上のサイズのビッグカーゴなるものもあるが今回は出番がない。
「今回は大物がないようですねえ」
柔らかな青年の声がカートの耳に届いた。
舌打ちしたくなる。
声の主へ振り向くと、荷役の男と同じように汚れたシャツと吊りズボン。鳥打帽を深くかぶって、目元を隠しているのが特徴的だ。
「変装までして、こんなところになんのようだ、シエロ特務大尉殿」
青年の口元がゆるやかにカーブを描く。
「さっきの荷役の男は、俺に釣られて帝国式敬礼をした。けっして反政府的ではないさ、どっちかというと上官に従ったまでだ」
シエロと呼ばれた青年はその言葉に異を唱えた。
「では君が、反政府的ということになるよ、我らの革命を妨害する帝国主義の犬だとね」
「ああ、そのつもりだよ」
カートは軽く返す。
その様子に、シエロはやれやれと肩をすくめた。
「まったく、君は困った人だ。君のように優秀な勤労青年が反政府的だとは言えないよ。もしそうであれば僕の仕事は増える一方だ」
反乱分子の取り締まりが彼の仕事であることをカートは充分に知っている。
帝国が革命で倒される以前から、スパイを続けてきた彼の姿と全く変わっていない。やり方を知っているからこそ、逆に包み隠さずカートはシエロに向かって、自分の意見を口にする。
不満を堂々と述べるのは、本来ならば拘束に値するが、カートとの議論はなかなか面白い余興だとシエロは言い張る。
お互いを知りすぎて、友人の皮をかぶっているだけというのがカートの評価だ。
「それに、君は亡命を安請負いするタイプには見えない。考え方が少し頑固だからな。我々の闘いの理由を少しは」
「くどいな、その話は断ったはずだ」
「ローズは僕らと行動したことにより、変わったよ。勇気を得た」
女の名前を出されて、カートはむっつりと黙った。
「まあ、また考えてくれたまえ。君の居場所はいつでも用意してある」
笑顔で手を振って、去っていった。
「……なにしにきたんだ、あいつ」
変装までしてやってきて、世間話を口にしただけで帰って行った。
意味もなく、彼が訪ねてくるわけがない。
とすると、厄介な荷物について、情報を持っているのかもしれない。だが、あっさり引き下がったのはどうしてだろう。
ふと後ろをみると、片眼鏡で白髪交じり、老齢車掌がカートに向かって歩いてきた。
なるほど、さすがの引き際だと苦笑する。
名の知れた方で、シエロとも顔見知りだ。潜入捜査であるなら、顔を知られるのはよくないと踏んだのだろう。
その割に、堂々とカートと接触してくるということはよほどの自信があるか、それとも、手がかりだと思われているのか。
「カート君、作業は順調かね」
返答の代わりに、黙って、相手に手のひらを見せる帝国式敬礼をおこなう。
しわ混じりの頬が緩み、この老年車掌は笑っていた。
キャプテン=オーグリーと呼ばれる車掌はカートの肩を叩く。
「ところで、例の荷物は?」
キャプテンが肩越しにつぶやく。
シエロの一件があり、思わず、生唾を飲み込む。
「わかりません、キャプテン。なぜ、あのような荷物が我々のところへ?」
「質問に質問で答えてはいけないな。もっとも、その君への答えは、成功しても、失敗しても厄介払いになる、とでも言うべきかな」
はぐらした答えはカートの求めているものではなかった。
「俺は革命政府が嫌いです」
ずばりと口にする。
「うむ、私見はそれでも良いが、あまり公言するのは感心しない。さて、そろそろ時間だ。ここで立ち話をしている余裕はない。出発の準備をしたまえ。私も眼鏡を調整しなければならんので、先に乗っているぞ。出発は定刻通りだ」
相変わらずの帝国式敬礼でカートは応える。
キャプテンは返礼をせずに列車に向かった。
この場で軽々しく帝国式をするほど、キャプテンは軽率ではない。キャプテンは車掌であるが、兼務で輸送管理官の管理職でもあった。船でいうところの船長であり、鉄道のキャプテンとはそういう意味であった。
例えば先ほどのシエロなどが見つけたら、面倒なことになる。上官が率先して反政府的な行為を推奨したとみなされる。下っ端の生意気な反抗ではすまされない。
逆に革命政府式の敬礼をされてしまえば、カートはそれに従わざるを得ない。
返事をしない雑な上官を装っているのだ。
――そうだ、すべて順調にいけばいい。俺の居場所はここなんだから。
革命が起きて三か月。
鉄道輸送は変わることなく順調である。帝国が革命政府に代わろうが、この仕事があれば、それでいい。そう信じていた。この仕事こそ、生きる道であった。
手はず通り、機関室に顔を出し、定刻の出発だと伝える。
初老の機関士は無精ひげをさすりながら、カートの顔を間近にのぞきこみ、オヤジの若い頃にそっくりだなと笑っていた。
「おまえのオヤジとはガキのころからの仲だ。その息子と組めるとはな。死んだあいつもびっくりしているだろうよ」
「オヤジの知り合い?」
父の話が唐突に出て、機関士の男をまじまじと見つめる。
「おっかねえ顔すんな、聞いてるよ、おまえさんはオヤジの遺志を継いでトランスポーターになったんだろ。立派だよ、そういうの、たまんねえな」
「あんた、名前は」
「ボストンだ、さあ出発すんぞ!」
汽笛一声。
時計を見れば、出発時刻だ。
機関士に出発を言い渡されるとは――未熟であると反省するしかない。
父親と友人であろうが思い出話に付き合っている暇はなかった。それこそ目の前の仕事をこなさねば、オヤジに叱られる。
恒例行事を忘れていた。
荷役のリーダーにチップの入った袋を投げた。袋をしっかり握りしめ、その太い腕を振って、彼らは列車に向かって感謝の意を伝えてくる。
カートは動き出した列車のステップに足をかけて乗り込み、そこからプラットホームで見送るすべての人々に帝国式敬礼でしばしの別れを告げた。
カートを乗せた列車が走り去ったあとのプラットホーム。柱の影で、青年が連れの男たちに指示をする。
「ローズに電報を送れ。例の男を連れて、予定通りに事を進めろ。手続きはこっちでする、とな」
影の中でうごめく男たちは荷役の格好をしているが、仕事終わりの酒を楽しみにしている顔つきではなかった。
「僕の本命は君なんだよ、カート」
柔和な笑顔は消え、目つきが鋭く変わる。荷役がかぶる鳥打帽を脱ぎ捨て、青年は革命軍の象徴である赤帽をかぶった。
ついこの前まで帝都と呼ばれていた都市を出発して半刻。
郊外の工場群の屋根が夕日を眩しく反射している。屋外の労働者が地響きをたてながら駆ける鉄道の姿を見つけ、帽子を振ってくる。機関車は蒸気を吐き出し、汽笛を響かせ、返事をする。汽笛の合図でカートも連結部分まで外に出て、輸送管理官の制帽を振った。
為政者が変わり、街の名前を革命都市フロントラインと改めたが、そこで働いている貧しい人々はそう簡単には変わらない。黙っていても、食事が出てくるような身分にいるのは、革命が起きたところで一握り程度はいたが、日々汗を流して、賃金を得るのに必死な人々が大多数を占めていた。
懸命に働く姿が頼もしいと、カートはいつも思う。彼らのつくったものが地方へ、そして彼らのために地方から食料が送られてくる。彼らなくして輸送はない。 地方と都市を繋ぐという魅力的な仕事だ。この光景にはいつも頬がゆるむ。
労働者の姿が見えなくなったタイミングで、カートは表情を仕事用に戻した。
輸送管理官の寝台車から、貨物用車両に移動する。特に小さなコンテナを積んでいるこの車両は窓の少ない旅客用車両と外見は変わりない。鍵束からこの車両のものを取り出し、鍵穴にかけようとして、手が止まる。
汚い窓にカートのシルエットが映り込む。純度の高いガラスではなく、しかも煤に汚れているから、ぼんやりした姿しか映さない。
身支度を確認するには、その程度で十分だった。
制服に制帽、乱れはないか。上着のボタンがゆるんでいた。
しっかり留め直し、襟も美しくする。真黒な瞳が鋭く自身の顔を睨む。
――おかしいところはないか。
しかし、すぐに手が止まった。
「ばかばかしい」
そう自分に言い聞かせて、荒々しく鍵を差し入れ、取っ手をひねる。鈍い音がして、扉は開く。
車両の中は静かだったが、少し蒸した。
コンテナ同士が鉄道の振動で揺れる中、目的のものが車両の奥に置かれていることに気づいた。
軽いコンテナから重いコンテナまで順々に持ち上げられるものは持ち上げ、別の場所に移動させ、道を開ける。重量のあるものは押してスライドさせた。そうして、目的地まで辿り着いた。
ふう、と汗を拭う。
――荷役時代を思い出すな。
昔――と言っても、たかだか二年前、カートは荷役だった。その才気と真面目さを買われての異例の出世である。憧れのトランスポーターになれたことを一緒に喜んでくれた柔らかな横顔を思い出す。だが、その笑顔は順に厳しくなり、カートを叱責するようになる。
――やめろ、今は仕事中だ。
浮かんでいた横顔を打ち消し、目の前のコンテナに気持ちを切り替える。
誤着という、イレギュラーな対応扱いにした厄介な荷物と向き合わなくてはならない。
錠前が掛かっていた。根本には、金属の棒で閂がしてある。無理矢理こじ開けるのは至難の業だ。
この箱の鍵はない。
鍵穴の構造をのぞきこみ、単純だなと笑った。次に、鍵束から細い金具を取り出し、おもむろに穴に突っ込んだ。指の感覚だけでも、慣れた手つきで、あっという間に開錠した。金属の閂をゆっくりと外す。
蓋を開ける前に、躊躇する。
しかし、ここまできて、ジタバタしても仕方ない。覚悟を決めて、蓋を開けた。
人の形をした麻袋が横たわっている。いや、どう見ても人が麻袋に入っていた。
肩であろうところから抱えて起こした。柔らかな感触。細身で小柄。女であろうことは明白だった。わずかな息遣いも感じられる。
丁寧に結ばれた紐を一つずつ解いて、麻袋の口を広げる。
ぶはっ。
おおげさな呼吸音とともに、青空を映したような色の髪が広がった。
顔をぶるぶると震わせながら、愛くるしい空色の眼がぱっちりとカートを捉えていた。
瞬間、鬼の形相に変わる。
「おっそい!」
怒気を含んだ高い声。
「あっついし、もうサイテー!」
カートを指さして、場にそぐわない悪態をついたのは、まだ幼い少女だった。
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