メメントモリオ！！！！

077→【おかえり】

　　　　　《２２》

　――水面に浮かび、星を見ている。

　雲の無い夏の夜空。手を伸ばせば掴めそうな、満天の輝き。

　深く、息を吸い込んで、深く、吐き出した。

　ああ、

　生きている。

「おかえり、がらくん」

　隣を向くと、そこには、俺と同じように、仰向けに揺らめいている彼女の姿がある。

「さっき、見たわ。あなたが顔を出す前に、光にくるまれた【靄】が飛び出してきた」

　水中で握られていた手を、一際強く、確かに、祝うように、指を絡めて、握り直す。

「祓い落とすことが出来た――克服したのね、“あれ”を。あなたの中に巣食っていた、“願望”と一体化してしまっていた、【死の宿命】を」

「――そんな御大層なことした実感、全然無えんだけどなあ」

　俺はただ、ようやく、自覚しただけだ。

　落とされる前に、メメ子が言っていた、【どれだけ思い込んでいようと確かに存在する、自分の中心にあるもの】を。

　十七年間、生きてきて――既に、俺にはもう、どうやったって切り離せない【因果】が、結ばれていたということを。

「俺の中には、俺が関わってきた人たちがいて、そんで、俺が勝手に諦めるってことは、そいつらのことも一緒に蔑ろにするってことだった」

　うん。そんなのは到底無理だし、絶対嫌だし、とんでもないし、それだけじゃなく。

「逆にさ。俺が楽しむってことは、幸せになるってことは、俺だけの為でも、なかったんだな」

　人と、人は、繋がっている。健やかに、美しく、賑やかに、晴れがましく――胸を張って立つことは、その幸せは、隣人にも伝わっていく。

　ほら。辛気臭い顔をして、溜息付きながら過ごすよりも、明るい話題のひとつでも、楽しいネタのひとつでも振ったほうが、愉快な気分になれるだろ？

「責任っていえば、いかにも重苦しいけどさ。多分、そういうんじゃないんだ。こりゃあ、単に、自分を大切にすることが、周りを大事にすることになるって、それだけのことなんだから」

　そうだ。怖がっててもしょうがない、遠慮ばかりじゃつまらない。

　先を行くのを見送るのじゃなく、遠くから見守るのじゃなく。

「隣を一緒に、歩いていくんだ。辛いことも、楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも――笑って話せる相手がいるなら、そりゃあもう、どう転んでも、幸せになるしかないってことだろう」

　目が覚めて。

　今は、自分が感じている、色々なものが、愛おしい。

　数えきれない夏の星座。全身を包む水の温度。初恋の相手と繋いだ手。

　ここに今、いることの意味。

「なんか、すっげぇすっきりしてるんだ。無性に生きたくて、何が起こるか楽しみで、しょうがねえかんじ」

「――――うん。わたしも、おんなじ」

　それはそれは、こちらこそ惚れ直しそうな会心の笑み。

　思えば、初めて見るような――氷雨芽々子の、“ほっとした”ような顔。

「では、いよいよ、ここからが佳境ね」

　滝壺から上がったところで、メメ子が言う。

「がらくん。元来【宿命】は、その下位機能たる【運命】に干渉――即ち、【なるべく不自然ではない因果】によってしか、その本人を殺せないというのは、今まで十一回の死因を体験したあなたなら実感しているわね？」

「……そりゃあもう。行動をどんなに変えても、バリエーション豊かに死んできましたとも」

「ここで肝心なのは、がらくんの行動次第で、実は死をとことんまで遅らせる――回避することが出来た、ということ。最長生存が六回目の十一時十一分、助けた野良犬が急に凶暴化、襲いかかられた場面から逃走し、その最中ペット・アレルギーを原因とする喘息で死亡したけれど、では、もう少し慎重に行動すれば、あなたは七月十九日を越えられたのか？」

　実際あの一件の理不尽さで、【こりゃあどうあがいても無理っぽいな】と判断したわけで、そんなのは決まっている。

「それで越えられてりゃあ、メメ子も苦労はしてねえよなあ」

「いい読みね。そうよがらくん、答えはノー。生命の内部に取り憑いている状態ならば、最終的に【宿命】は、【原因不明の心臓麻痺】ぐらい突拍子も無い過程であなたを死なせることが出来てしまう。けれど、霊峰水汲山の龍脈と、私が八年蓄えた霊力と、がらくん本人の強い生への意志で、【死の宿命】を引き剥がすことには成功した今ならば、そういう強制終了、盤上が劣勢だからと言って、テーブルごとひっくり返すような真似は行えない、というわけ」

「おお、そりゃあでっかい前進、」

　って、あれ？　今、気になる単語が聞こえたね？

「ちょい待ちメメ子。引き剥がした、ってことはつまり、」

「まだ滅びてはいない、ということね。というより、滅ぼす方法は無い。あれは一種の概念で、世界を動かす法則、原理、約束事みたいなモノだから、この世にある限り、機能し続ける。その辻褄を合わせる為に、その内側にいなかろうと、依然がらくんを殺そうと、予定外を修正しようとして来るわ」

「わぁあい……」

　それじゃ何か、俺はこれから永遠に、メメ子に守られなきゃいかんのか――という不安が顔に出たのか、察したように首を振られる。

「それもそれで魅力的なおはなしだけれど。残念というべきかしら安心というべきかしら、滅ぼす方法は無くとも、突破の手段はあるのよ、がらくん」

「滅ぼせなくても、突破出来る……？」

　ええ、と頷く。

「あの【宿命】は、【十七歳の七月十九日に相楽杜夫は死亡する】という事実の記述。それは絶対に揺らがず、誤作動せず、書き換わることはありえない。ならば――」

「――あ、」

　――ぴん、と来た。

「“相楽杜夫が生きて十七歳の七月十九日を通過した時、矛盾が生まれて動作が止まる”」

　正解だと、氷雨芽々子は態度で示す。

「それが、三つ目――最後の段階。私と出会えた。【靄】を出せた。あとは、七月十九日を生き延びることで、あなたの命は、救われる」

　行きましょう、と先導し、歩き出す。

「あの【宿命】とかが、何故存在するものなのかなんて知らないけれど――もしも、どこぞの神様とかが作ったものだとしたら、お偉いってのは、何処も彼処もお堅い役所仕事のようね」

　故に、型に嵌らぬ異分子こそが天敵で、横紙破りの反則が覿面に効果を発揮する。

「そちらの準備も整えてあるの。納得のいかないことなんて、素直にやらされなくたっていい。それよりもっと気持ちいいこと、一緒に、悪いことをしましょうね」

「……メメ子」

「ん？」

「おまえ、不良になったなあ」

　ニヤリ、と笑えば、うふふ、と不敵に返される。

「私から見たあなたがそうで、それがとっても楽しそうで、ずっとずっと憧れてたの。好きな人に近づきたいという、健気な乙女心でしょう？」

　整備された山道を、今度は禊の滝に来るまでとは逆に登りながら、メメ子はどんな不測の事態からも俺を庇う為か、身体をぴったりとくっつけてくる。

　――その行動は、さっきまでと、同じ意味ではない。

「ちょい、離れてくれないか、メメ子」

「あら。どうしたのかしら、急に。あら。目まで逸らして。ねえねえ、つれないことを言わないでよがらくん。本堂からここに来るまでだって、落雷から守っていた時だって、もっとくっついていたでしょう？」

「……………………その」

　視線をよそに向けたまま、出来るだけ迂遠に、言葉を振り絞る。

「……………………滝、落ちて、ほら、濡れたから」

　夢の中で、プールに現れたのとは違う。

　メメ子は、姿かたちこそ九歳で成長が止まっているが、初恋の相手で、全身がびしょぬれで、記事の薄い巫女服が、襦袢が、肌にぴったりと張り付いていて、さっきから、遠慮なく身体を、ぐいぐいと押し付けられていて、感触とか、柔らかさとかが、ああ、その、本当に何もかもこんな場合じゃないんだが、し、し、仕方ないでしょだって俺だってたとえ死ぬか生きるかの間際でも十七歳の男子高校生なんだからさあ！

「がらくん」

「…………何さ」

「まずこちらとしては大歓迎だし実際狙ってやったところもあってしめしめな具合だというのを念頭に入れた上で聞いて欲しいクイズなのだけれど、一般的に生物が死の危険を強く感じた時、疼きだし止められない野生の本能があるのですが、さてそれは一体何でしょーうかー？」

「うん、死んでも答えねえからね？」

　割とガチにマジなトーンでね？

　八年間を修行で過ごした御山とかの事情はともかく、ここんとこ地上だと、そういう事情マキシマムデリケートですからね？

　　　　　●○◎○●