第77話 争奪戦 ~ The Hatter IV


『ロリスってなんだよ!』


 目が覚めた。視界に映るのは見慣れた天井。カーテンの隙間から零れる朝日が少し眩しい。


「孝允さんどうしたの? ロリスって何?」


 同時に目覚めた有里朱からは、当たり前のような質問が飛んでくる。

 だが、それは逆に俺が聞きたいくらいだった。


『夢を見たんだ。その中である少女と会った。その子がロリスと名乗ってたんだ』

「女の子? 誰なの?」

『わからない……けど、知っているような気がした』

「どんな感じの子?」

『顔ははっきりと思い出せないんだ』

「まあ、夢の中だからね。よくあるよ」


 そうじゃない。夢の中のことはついさっき会ったばかりのように鮮明に記憶している。だけど、俺は彼女の顔を認識できなかった。


 その髪型も、顔の形でさえ俺は見えていたというのに。


『ロリスって名前に覚えはないか?』

「うーん……あんまりピンとこないかな。孝允さんがかなめちゃんたちに名乗った“ロリーナ”の方がまだ馴染みはあるよ」


 そりゃそうだ。アレは世界的に有名な児童小説に関連したものだからな。まあ、夢の中のことでこれ以上悩んでいても仕方がない。


 まずは目の前の脅威をなんとかする。それが俺の仕事だからな。


 有里朱は着替えると、すぐに学校に向かう。昨日から身体の制御は彼女に戻ったからな。精神だけの存在というのもなんだか妙な感覚だ。それでいて、五感は共有しているという。


 ちょっと前まで、有里朱はこんな状態だったのか。たしかに自分から身体を動かさなくていいのは楽ではあるが、やっぱりいろいろともどかしい。


 部室に着くと、ミドリーを除く全員が来ていた。


「おはよう」

「やあ、アリス」

「あっちゃんおはよう」

「おはようアリス!」

「お、おはようございます。アリスセンパイ」


 央佳ちゃんはちょっと緊張気味にそう挨拶をしてくる。やはり、中の人が変わってしまったことに戸惑いを感じているのだろう。


「みどりちゃんは?」


 有里朱がそう聞くと、プレさんが「例のモノを仕掛けに行ってもらったよ」と言う。一昨日製作を依頼しておいた、あの装置のことだろう。


「サイトの反響はどう?」


 今度はプレさんに向かって有里朱が問いかける。


「宅女の生徒たちには評判がいいよ。カラクリも知らずに、占いがよく当たるって何人かがSNSで宣伝してくれたからな」


 ヒーリング研究会が作られた目的だけはわかっている。部員を増やすことだ。最終的には全生徒まで拡大すると、俺もプレさんも分析している。


 もし、何か大事を起こすのなら、部員にさせて洗脳するのが手っ取り早いからな。そして、集団自殺なんか起こされた日には、寝覚めが悪いどころの騒ぎじゃない。


 けど、そんなことはさせない。やつらの部員獲得の邪魔をしまくって、ヒーリング研究会を解散に追い込む。。


 とはいえ、ただ入部の邪魔をするだけでは校内の騒動は解決しない。俺らも自ら、校内の騒動を鎮静化するために動く。そのためにも、文芸部の部員を増やすことが重要だ。つまり、洗脳を解きつつ、味方を獲得するということ。


 そのための布石として、文芸部をヒーリング同好会と同様に、生徒たちの精神的な傷を癒す場として開放する。開放といっても、部室の出入りを自由にするのではなく、よく当たる占いの部屋として宣伝して生徒達を呼び込むのだ。


 向こうが予言を神聖なものとして掲げるのであれば、こちらも似たような予言を行い、占い研がやったものとは逆のポジティブな方向に修正する。


 つまり、「世界は終わらない」と。


「ただいま。例の場所に例のモノを仕掛けておいたよ」


 ミドリーが汗だくになりながら部室に帰ってきた。汗だけではなく顔や腕には埃や汚れがついている。


「みどりちゃんご苦労様。すっごい汗だね。水分補給しておいた方がいいよ」


 有里朱が冷蔵庫からペットボトルのスポーツドリンクを取り出して彼女へと渡すと、タオルで顔をぬぐっていた彼女がそれを受け取った。


「ありがと。なんか、今年は暑いよね。ちょっと動いただけでも汗だくだよ」


 ミドリーが仕掛けを行ったのは、ヒーリング研究会が活動場所として選んだ視聴覚室に通じる天井裏。ちょうど視聴覚室の前にある廊下の天井の一部を開けたのだ。


 仕掛けたものは掌サイズほどの小型ドローン。


「これって、そんなに効果あるの?」


 と、机の上にあった予備のドローンを弄るナナリー。


「まあ、効果はあると思うよ。あたしも動画のネタとしてやったことがあるんだけどさ。自分へのダメージのわりに、反応が薄くて、わりと凹んだし」

「へぇー、そのダメージって、再生数上がらなくてじゃなくて?」


 ナナリーのニヤニヤしたその応えに、ミドリーはつかつかと彼女の近くに行くと、ドローンを取り上げて、内蔵されたスイッチを押す。


 すると、蚊の羽音のようなキーンという不快な音が部屋の中に響き渡る。


「なにこれ?」


 途端にナナリーが顔をしかめる。


「いわゆるモスキート音と呼ばれる、十七キロヘルツ前後の高周波音のことだよ」


 プレさんが、腕組みしながらそう解説した。それと同時にミドリーは電源をオフにする。彼女も近距離でその音を聞くのはつらかったのだろう。


「たしか、今日の十五時からヒーリング研究会で集会があったよね。そこで流すんだ」


 かなめが思い出したようにそう呟く。


「現在のヒーリング研究会の部員は、ボクの調べでは二十三人。新規部員獲得のために説明会と称して今日十六時から集会を行う。そこで、予言の言葉を深く広めていくはずだ」

「その集会の邪魔をするってことね」


 かなめがすぐに理解してそう返答する。


「でもさ、そんな不快な音がしたら、先生とか呼ばれて大事になっちゃうんじゃないの?」


 それまで静かにしていた央佳ちゃんが、ぽつりと言った。


「それは大丈夫なんだ。チバタカヨシの考案で、二つの安全策をとっている」


 そうプレさんが答えたところで、予備のドローンを持ったミドリーがそれを前に掲げて央佳ちゃんに説明する。


「モスキート音は大人には聞こえない。子供でも一部の者には聞こえにくい。だから、先生方に訴えても、何が起きているのか理解するのに時間がかかる」

「そうだったんだ。だから、ミドリーの動画も反応悪かったのね」


 ナナリーが関心したように頷いていた。


「もう一つはドローンに装置を積んでいるということ。つまり音源は移動可能だ。天井裏を開けられて音源を探すことになっても、けして見つけることはできない」


 プレさんが不適な笑みを浮かべる。本当は俺が説明して、その不敵な笑みを浮かべたかったのだが、残念ではあった。喋れないってもどかしいな。


「すごいね。けど、ある意味、嫌がらせでもあるのかな」


 かなめが苦笑する。そりゃそうだ。大義名分がなければ、単なる意地悪にしかならないだろう。


「ヒーリング研の部員は、ほとんどが二年一組だ。我孫子陽菜が中心にいるから、これは避けられない展開だったが、ここからさらに拡大させることは、なんとしても食い止めなければならないだろう」


 あまり物事に熱くなれないプレさんが、珍しくそう言った。


 少なからず俺が影響を及ぼしたと思いたい。


「あっちゃん。そろそろ十一時になるから、用意したほうがいいよ」


 といって、かなめが黒い布きれをスポーツバッグから取り出す。これはたぶん、占い師のコスプレ用に用意したものだ。


「なんか暑そうだよね。っていうか、わたしじゃなきゃダメなんだっけ?」


 有里朱が物怖じする。前と違って、俺は彼女の身体を動かせない。その点で躊躇しているのだろう。


「コールド・リーディングはチバタカヨシの得意技なんだろう? だったらアリス以外に適役はいないぞ」


 プレさんがちょっと嫌味がかった言葉を有里朱に向けた。有里朱の中には千葉孝允が存在していると彼女自身がいっているのだから、発案者がやるべきだということだろう。


 とはいえ、由来する悪知恵は信頼しているのだろう。


「わかったよ。着替えるよ」


 そう言って、かなめに手伝ってもらいながら占い師のコスプレ衣装に着替えた。


 着替えると言っても、制服の上からすっぽりと被るだけ。それに加え帽子も被る。


 姿見に映るのは、異世界ファンタジーにでも出てきそうな魔法使い。黒いローブに、つばの広い黒の三角帽子。


ほうきとか持った方がいいんじゃないの?」


 とミドリーが面白おかしく揶揄する。


「えー?! 杖だよ」


 とそれに対抗するかのように呟くナナリー。


「うふふ……アリスセンパイ、占い師っていうより魔女っぽいね」


 央佳ちゃんにまで笑われてしまった。


「多目的教室の十六時までの許可は取ってある。サポートはするから早く行くといい」


 そう言ってプレさんから、耳に嵌めるワイヤレスイヤホンマイクを渡される。これ一つで、部室との交信は可能だ。


 かなめと共に、二階の多目的教室に向かう。これからそこで、SNSの方から予約された生徒たちとの面談があるのだ。


 面談といっても、有里朱がコスプレしたように、相手にとってみれば占い師へのお悩み相談なのだ。


 今回の予言で早急に手を打たなければならないのが、央佳ちゃんを虐めた一年一組の生徒たちである。


 彼女たちは一週間後に天罰を受けると予言されていた。


 混乱、恐怖、そして何かそれを回避するために縋るものを彼女たちは必要としている。


 さらに、そこにちょうど「ヒーリング研究会」という癒やしの場が用意されているのだ。この状況は非常に危険だ。簡単に洗脳されてしまう。


 それに対応する策は一つ。


 先手必勝。こちらが先に洗脳してやればいい。向こうに取りこまれる前にだ。


 集会はこちらは妨害工作で中止に追い込まれるだろう。時間稼ぎの用意はできているのだ。その間に一人でも多くの、こちら側の信者を増やすべきである。


 面談は一対一ではない。グループでの面談も受け付けていた。その方が回転も早く効率的である。


 なおかつ、鍵を握るのは実は、俺のコールド・リーディングではなく央佳ちゃんだったりもする。


 彼女の存在自体が、状況を打破する鍵となり得るのだった。



**



 多目的教室は普段、有里朱たちが使っている一般的な教室の半分だ。もちろん、広めの教室も用意されているが、今回使用許可をもらったのは狭い方。


 部屋の中は、扉の近くにかなめが立つことになっている。有里朱はコスプレのまま部屋の奥に座り、その前には小さなテーブルと、小細工を施したタロットカードが載っていた。


 加えてテーブルの前には倚子が二つ並べてある。これは相談者用だ。予約人数によっては、この数は増減する。


 各人が配置についたところで、多目的教室の扉がノックされた。


「どうぞ」


 かなめがそう言うと、扉が開かれて女生徒が二人入ってくる。丸眼鏡をかけたぽっちゃりした子と、ポニーテールで結び目に淡いピンクのリボンの付いている子だ。


――「眼鏡の子が藤原冴子、ポニーテールが丸山里莉だ」


 イヤホンからはプレさんの声が聞こえてくる。この部屋は監視カメラも仕掛けてあるので、中の映像は文芸部へと送られていた。


「そちらへおかけ下さい」


 かなめが有里朱が座っている前の倚子へと、二人の生徒を案内する。


 少しオドオドした感じの二人は、周りをキョロキョロと見ながら倚子へと座った。何か落ち着かない感じなのだろう。


「お悩みがあるとのことですね。DMで概要は伺いましたが、具体的なことを教えて頂けないでしょうか?」


 有里朱が演技モードに入る。こいつ、俺自身がやらなくても、なんとかなりそうだな。事前に俺が作った台本も記憶しているみたいだし。


「そ、それより、本当なんですか? あたしたちが助かるって」


 藤原冴子が震えた声でそう問いかけてきた。


「そうですね。世界は終わりませんし、あなたたちへの天罰を回避することも可能でしょう。天罰という神の意志が介在するならば、尚のことあなたには救われる道があるのです」


 イヤホンから、ミドリーの「うさんくせー」という声が聞こえてくる。冷静に聞けばそうだが、彼女たちは精神的にかなり追い詰められているのだ。


 きっかけは央佳ちゃんへのいじめだが、その後の校内での一組自体の孤立、マスコミに追いかけられる毎日、さらに追い討ちをかけるように自殺した生徒が自分たちに天罰が下ると予言した。常人なら精神的に追い込まれている状態である。


「どうすればいいんですか?」


 縋るような目つきで丸山里莉が、そう問いかけてくる。


「まずはあなたたちの状況を詳しく占いましょう。対応策はそれからお教えいたします」


 さあ、文芸部の茶番劇場の始まりだ!

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