第68話 笑顔 ~ Eaglet VI

「うふふ……賭け? なんだったっけ? 忘れちゃったなぁ。けど、あなたを殺せば賭けなんて成立しなくなるよね。んふふふ……んはははははははは」


 狂ったように笑う市原央佳。やはり、薬物で正常な思考できなくなっている可能性が高い。そんな状態で真っ向勝負なんてやってられなかった。


 そのままくるりと背を向け、全力で走り出す。そして扉を開け、舞台袖へと降りていき、メインフロアに出ると出口へ向けて疾走した。


 後ろから市原央佳の気配がある。あちらも全速力で追いかけてきているのだろう。


 出口の扉の前で一旦止まると、再び彼女の方に振り返り、腰に装着していた信号弾のような銃を取り出す。


 そして躊躇せずに撃った。


「うわっ! なにこれ?!」


 こちらが発射したのは、この間の盗難事件で使った投下網だ。相手の自由を奪うにはちょうどいい。俺がロボットなら、この右腕を発射して、彼女に鉄拳制裁を喰らわすところだが、そんなチート技はない!


『なに言ってるの?!』


 市原央佳の動きが止まったところで、彼女の背後に立つナナリーに指示を出す。


「ナナリー、ファイエル!!」


 彼女の手に持つテーザー銃が、市原央佳に撃ち込まれた。


 ちなみにテーザー銃は、離れた位置から導線付の針を発射して、対象を電流により無力化する武器である。電流で相手を無力化するという意味ではスタンガンと一緒。


 スタンガンとの違いは、非致死性武器とはいえ、肌に直接針をぶっ刺すような野蛮な道具だ。できれば言葉で説得して穏便に済ませたかったが、仕方がない。


 あとはこの子をどこか話の出来るようなところに連れて行って――。


 ふいに後ろの扉が開いた。こんな時間に誰が?


「……ぅか」


 女の子の声だ。教師でないことが、まだマシか。


 俺は振り返ってその声の主を確認する。


「た、田中さん……」


 咄嗟に身構えて、もう弾はないはずの銃を向けた。そういや、電波遮断機のせいで、かなめからの連絡も途絶えたままである。田中さんがクラスにいないことを、事前に察知できなかったのはマズいな。


 彼女が協力者なら、これだけじゃ終わらないはず。


 高まる緊張感。嫌な汗が背中を流れていった。


「そ、その人、前にかなめさんが言ってた央佳ちゃんの協力者?」


 ナナリーの震えた声が聞こえてくる。予想外の事態に、恐怖を感じているのだろう。


「……ん?」


 だが、相手にはまったくの敵意が見られない。それどころか彼女はこう告げる。


「待って、ボクは敵じゃない。それよりもキミは何者だ?」

「何者って……二年一組の美浜有里朱だよ。あなたと同じクラスの」


 質問の意味がわからない。だから、そう答えるしかなかった。


「そういうことじゃない」

「じゃあ、どういうこと?」


 こちらの質問返しに対して、彼女はわずかに目線を逸らすと、独り言のようにこう呟いた。


「……偶然? いや、違うよね。央佳の事で動いていたのって、あなたたちだけだ。それともあなたはラシーに頼まれたってこと?」


 彼女が発した【ラシー】が【Lacie】であるならば、その名を知る者はそうそういない。いや、aliceのアナグラムであることは有名ではあるのだから、たまたまその名が出たという可能性も否定できないか。


「ラシーって何?」


 いちおう、すっとぼけてみる。相手が敵である可能性も高いのだ。むやみに情報を与えない方がいいだろう。


「ふふふ……そういや、あなたの名前はアリスだったね。なるほど、そう考えれば納得もいく。二人は繋がっていたのか」

「あなた、何を一人で納得してるの?」

「今回の件はきみがラシーに頼んだのかい? いや、松戸美園の件あたりから彼に相談していたのかな?」

「彼?」

「ボクは直接会ったことはないけど、二十代いや、三十代くらいのオッサンだと聞いている」

「……」


 ドキリと鼓動が高まり、喉がカラカラになる。声を出そうとしても出なかった。


「昔、迷子になった妹を探してもらったことがあってね。ボクも自分の事を詐称していたから、妹ではなく姪がいなくなったと嘘を吐いていたけど」


 記録にはある。いや記憶にある。相変わらす声が出せない。


「Tvvitterで助けを求めていたら、ちょうどネトゲの知り合いが同じ会場にいたんだよ。それがラシーだ。彼はボクが書き込んだ特徴から、すぐに妹を見つけ出してくれたよ。そして迷子センターまで連れて行ってくれた」


 そのエピソードを知っていた。それが事実なら俺は彼女の正体に気付いているはず。


「直接お礼を言いたかったけど、ボクがセンターに着いた時にはもう彼の姿はなかったんだ。スタッフから聞いた話だと、妹を探してくれたのは二十代くらいのサラリーマン風の男だという。それがボクの知っているラシーさ。綴りはL・A・C・I・E。美浜さん、あなたは彼の身内か何かなのかい?」

「プレザンスさん?」


 ようやく声が出た。それでも擦れたような小さな声。いやいや、こっちとしてもプレザンスさんはおっさんだと思っていたから、かなり頭が混乱している


「そうだよ。キミたちには二度助けられたことになるね。一度目は五年前のイベント会場で。そして、二度目は今さっき。あ……ショッピングセンターの件も入れれば三度目か」

 あれ? ちょっと待て。どういうことだ? 思考が珍しく鈍っていく。


『ねぇ、田中さんと市原さんって姉妹じゃないの? わたし、ずっと引っかかってたんだよね。二人の顔が似ていることに』


 なんだよ! 有里朱が気になってたのってそっちかい!


「とにかく、央佳を別の場所へ運ぼう」



**



 一年一組の起爆装置は回収した。


 三時間目の体育の時間にキャリーバッグごと盗み、中の装置を解除したのである。本物のキャリーバッグはどこからか見つかるだろう、市原央佳の協力者がそのまま持っていても意味はないのだから。


 彼女は今、部室のソファーで眠っている。テーザー銃の影響というより、薬物のせいで精神的疲労が激しかったのかもしれない。


「まずはお礼を言うよ。ありがとう、央佳を助けてくれて。ボクは情報を集めるのは得意だけど、誰かを説得したり動かしたりするのは不得意なんだよ。だから、美浜さん、それから稲毛さん、鹿島さん、本当にありがとう」


 彼女は深々と頭を下げる。


「とりあえずLacieの件はおいといていい? ちょっと込み入った話になるから。今は市原さんのことについて教えて」

「ああ、了解した。まずはボクたち姉妹の話をすればいいのかな? ボクの両親は四年前に離婚してね。央佳は母方へ、ボクは父方へと引き取られたんだ。だから名字が違う」


 田中央美と市原央佳。顔だけでなく、よく見れば名前の方にも似た部分はある。年の近い姉妹であれば『名前の一文字が重なる』なんてことはよくあるパターンだ。


「なるほど。それで、彼女が受けていた『いじめ』ってどんなことなの?」

「央佳はあんな性格だからね。高校に入ってからは特に手が付けられなくなってね」

「無駄にプライド高いってタイプ?」

「うん、そうだよ」

「でも、こんな復讐を考えるなんて、何かキッカケがあったんでしょ?」

「そうだね。きっかけはあの子の大切にしていたマスコットだよ」

「マスコット?」

「央佳はね双子だったの。おうじゅ……中央の央に樹木の樹ね。央佳にとって央樹は唯一の理解者だったの。けど、央樹は三年前に事故で亡くなった。その子が大事にしていたマスコットがあってね。クレーンゲームで獲った、どこにでもあるような物なんだけどさ。央佳はすごく大切にしていた。それをクラスの子はバカにしてボロボロにしたらしいの」


 それならばあの子の怒りはわからなくはない。大切な形見を穢されたのだ。だからといって、仕返しにクラスメイト全員を殺そうとは思わないけどな。


「非道いっちゃ非道いけど、クレーンゲームの商品なんでしょ? そこまでバカにする必要があるのもなのかな?」


 田中さんの話には、俺は違和感を覚える。


「ん? どういうことだい?」

「訳のわからないマスコットを持っているJKなんていくらでもいるでしょ? うちのクラスでも鞄にそういうの付けている子はいるよ。けど、誰もそれを気にしてバカにしようなんて思わない」


 俺の感性からするとキモイ人形を付けている子もいる。バカにするのであれば、皆が共感できるような、もっと別の箇所を攻めるべきだ。


「あの子はね、クラスで浮いていたから」

「だから粗を探されて、そこを攻撃されたと」

「たぶん、そうだと思う」


 やはり違和感。


「よくある商品って言ったよね?」

「うん、たぶんちょっと前に流行ったアニメキャラかな」

「なら、当然持っていた子もいるはず。今は持っていなくても、家を探せばまだ見つかる子もいるんじゃない? わざわざその商品にターゲットを絞るなんて不自然だよ」


 頭に浮かぶのは胸くそ悪い推測。


「何が言いたいんだ?」

「誘導されてるね」

「誘導?」

「市原さんを虐めるように誰かが仕向けている。それは多分、彼女がウーチューバーを始めた頃から」

「証拠は?」

「確実なのはないけど、疑わしいデータならあるよ。ミドリー、田中さんに説明してあげて」


 ミドリーが田中さんの方へと液晶を向けて、グラフを見せる。そしてこう説明した。


「市原さんがウーチューバーを始めたのは今年の一月。その時はまったく再生数が伸びてなかったわ。けど、二月に入って明らかに変わった。彼女を取り巻く設備も、再生数も」

「なるほど、確かに不自然だね」

「機材、材料、場所と、どう考えても一人じゃ手配できない。事実、彼女は知り合いの土地を借りたと言っている」

「そこは盲点だった。だが、クラスの中にはその首謀者らしきものは見つからない。いじめは同調圧力的に行われている。キミの言うところの蔓延型だ」

「彼女たちは、意図的に誘導された場の空気で動いているだけだよ」

「なるほど、同調圧力をコントロールしている第三者がいるわけか。身内のことで、少し視野が狭くなっていたようだ。これは反省せねば」


 彼女が苦々しく笑う。プレザンスさんこと、田中さんも万能ではないのだからな。仕方の無いことだろう。


「それだけじゃない。コントロールされているのは、あなたの妹もそう。それもえげつない方法で」

「どういうこと?」

「あの子、薬をやっているかも」

「薬?」

「彼女の荷物を調べてもいい?」

「ああ、構わない。だが、どうしてそう思った?」

「さっき対峙したときの異常な興奮状態。それと動画での彼女の度胸とテンションの高さ。いじめられっ子のメンタルじゃないと違和感を抱いたの」


 市原央佳の持っていた鞄を探ると、瓶に入った錠剤のようなものが見つかった。ラベルはない。


 ミドリーがそれを見るとこう呟く。


「医者に処方された薬でも、薬局で売っているようなものでもないね」

「これはもしかして……合成麻薬の類かもしれない」


 田中さんはそう告げると、続けてこう言った。


「成分までは特定できないが、話は聞いたことがある。女子高生の間で流行っているという安価な薬のことを」

「これは、背後にヤクザがいるとか?」


 そのミドリーの言葉を田中さんは否定する。


「この薬に関しては、暴力団の方でも躍起になって販売ルートを探しているみたいだ。自分のところナワバリを荒らされているのだからな」

「けど、麻薬なんて一般人に作れるの?」


 と、ナナリーが質問。


「合成麻薬だとしたら、そこそこの知識があれば作れてしまう。材料さえ揃えばの話だが」


 一気に話が深刻になっていく。これはもう市原央佳だけの問題じゃない。


「ヤクザが絡んでないだけマシなのか。それとも、もっと闇が深いのか」


 俺のその独り言に、田中さんは苦々しく笑いながら反応した。


「藪をつついて蛇が出てこなければいいが」


 ソファーで寝かしていた市原央佳が「ん、どこ?」と声を上げる。どうやら起きたようだ。


「央佳。身体の具合はどう?」


 田中さんが真っ先に彼女のところへ行き、声をかける。


「……頭、いたい」

「あ、冷蔵庫に氷あるよ。冷やす?」


 と、ナナリーが冷蔵庫の扉を開け、ファスナー付きのプラスチック・バッグに氷を入れて田中さんに渡した。


「ありがとう、稲毛さん。央佳、これ頭に当てておくといいよ」


 市原央佳はそれを受け取ると額に当て、周りを見回し再び「ここはどこ?」と聞いてくる。


「ようこそ。文芸部の部室へ」

「あ、あんた……さっきの……いたたたた」


 いちおう記憶は残っているようだ。完全に操られていたってわけでもないのかな? とはいえ、第三者による誘導って線は濃いだろう。


「央佳。ここにいる人たちは全員、あなたの先輩なんだからね。言葉使いに気をつけなさい」

「だからなに? 年なんて関係ないでしょ。しかも、たかが一年程度の違いじゃない……」


 言ってることは正論なので、別にとやかく言う気は無い。というか、声に元気がないのは寝起きだからかな。


「まあ、落ち着いて市原さん。賭けのことは覚えているかな?」

「ところどころは……」


 こめかみを手で抑えながら顔を歪ませて、彼女は返事をする。


「じゃあ、デートしてお話しましょ」

「ちょ、勝手に決めんなよ……」


 言葉使いは相変わらず悪いが、先ほどのような強い口調ではなく、若干テンション低めの声だ。やはりあの高揚感は薬のせいもあったのだろう。


「あなたは約束を破るタイプ? 自分のワガママさえ通せば他人なんかどうでもいいってこと? よくいじめっ子にいるよね。そういうタイプ」

「わ、わたしはいじめなんかしないよ。どちらかというといじめられてたのに……」

「いじめられっ子がいじめっ子に変わるなんて、よくある話だよ。人は力の均衡が崩されると、一方的な力を相手に行使するの」

「じゃあ、あんたはわたしをいじめるってことね」

「違うわ。あなたとは対等になりたい。だからお話しよ、って言ってるの」

「……」


 言い合いでは敵わないと思ったのか、口を噤む彼女。少し拗ねているようにも感じる。


「不満があるんでしょ。その不満を誰かにわかってもらいたいと思わない? それとも、一方的にその不満を抑えつけた方がいい? あなたがMならばそういう感情を持っていても、しかたないと思うけどね」

「なんだよそれ……」


 ちょっと顔を赤くして俯いてしまう彼女。Mの単語の意味を理解しているのだろう。俺としてはエッチな意味で言ったわけじゃないが。


「違うんでしょ? あなたには、わたしに対して『クラスメイトがどれだけ極悪だったのか?!』をプレゼンする権利を与えましょう!」


 やや芝居がかったふざけた言葉。けど、意味は伝わるだろう。


「ふふ、なんだよそれ」


 市原央佳が笑った。うん、やっぱ素材がいいと笑顔が映えるな。


「というわけで、デートしましょ」

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