第63話 拒絶 ~ Eaglet I
思いっきり作り笑顔で、俺は一年生の集団に向かって問いかけた。
「なにしてるのかな?」
顔が引きつっていないかどうか心配になり、同時に後輩たちに舐められていないかを憂慮する。
「なんでもないです」
「先輩たちには関係のないことです」
「別に、いじめとかじゃないし」
皆、一様に「自分たちは何も悪くない」と言いたげな表情でこちらを見る。彼女たちにとってみれば異物を排除……いや、自分たちのルールに従わないものを糾弾しているだけなのだろう。
事情は聞く気になれない。彼女たちが掲げるルールがどんなものかなど、知りたくもなかった。
だが、そうも言っていられない。状況を把握することは何よりも優先度は高い。表面的なものから読み取れる事だけでも、すぐに分析しなければならないだろう。
「そう? わたしにとっても「いじめ」かどうかは関係ないけどね。でもさ、犯罪行為であれば見逃せないよ」
釘を刺しておく。多勢で誰か一人を糾弾する場合、大人でさえ法律に触れることをする者も出てくるのだ。ましてや相手は子供だ。基本的な法律さえ頭に入っていない子も多いだろう。
とりあえず、生徒たちを観察。全員一年生……さすがにクラスまではわからないか。取り囲んでいる女子が六人。中心にいるのが糾弾されているいじめられっ子だと判断する。いや、まだいじめと判断するのは早いか。
「犯罪って……」
一人が何かに気付いたかのように、はっと我に返って口を押さえる。
「集団心理って怖いよね。誰も止める人がいないから、平気で誰かを殺しちゃうこともあるんだよ。ほら、よくニュースでも聞くでしょ?」
やっている行為を咎めるのではなく、一般論を言うだけだ。この場においては、彼女たちを冷静にさせることこそ問題解決の糸口となる。状況を把握していない時点で彼女たちを「やっつける」なんて行為は愚の骨頂であるからだ。
しかしまあ、なんだかんだ言いながら俺は、結局いじめられている子を助ける方向で動いてしまっている。お人好しすぎると隙を突かれるというのに。
それは、有里朱を守るという重要な使命に、致命的なミスを誘い込むことになる。気をつけないと、いつか足元を掬われるだろう。
「わたしたちはそんなことはしません!」
「その子の身体に触れてない? ちょっとしたことでも暴力事件として騒がれることになるよ」
確認をしつつ、牽制。喧嘩をしに来たわけではない。自分の行為に正当性がないことを気付かせることの方が大切だ。特にこちらが優位の場合は、強制的に従わせることの方がリスクがある。
「ちょっと肩を押しただけですよ」
「押した? もし押されて転倒してケガでもしたら、れっきとした傷害事件だよ。今は世間の目が厳しいからね。ちょっとしたことでもネットで流されちゃうよ」
こういう時はテレビよりネットを引き合いに出す方がいいだろう。そして、彼女たちに引き際を作ってやることも重要。というわけで、後押しの言葉を付け足す。
「あとさ、廊下だと先生も通るし、あんまり集団で固まると文句言われるから注意したほうがいいよ」
窓からちらりと、顔見知りの教師が見える。中庭の渡り廊下を、数学の担当教諭である勝浦先生が通るところだ。ダメ押しにこれも利用させてもらおうか。
「あ、勝浦先生だ。あの先生、性格ネチっこいし、些細な事でも覚えてるから気をつけた方がいいかも。ほら、散った散った」
軽く払うように右手を一年生たちへと向ける。上級生だからこそできる戦法であった。こんな作戦は同級生には通用しない。
「やっべー。あのセンセー、厳しいって部活の先輩に聞いたことある」
「わたしも」
「まずいね。今日はこれくらいにしておこうか」
「うん。あたしたちが怒られるのって、なんか違う気がするし」
そこでようやく、取り囲んでいた生徒たちがこぞって離脱していく。彼女らにとって自分たちは正義なのだから、その自分が教師に咎められるのは避けたいと思ったのだろう。
取り囲んでいた生徒たちがいなくなったことで、いじめられていたと思われる少女の姿がはっきり見える。
「大丈夫?」
わりと地味だけど、そこそこかわいい子と言っていいだろうか。かなめの下位互換のような容姿……って、有里朱に似た感じの子だなぁ。背の高さも同じくらいだし、髪型もおかっぱ。ただし、襟足が見えるショートなので、もう少し髪が伸びれば有里朱と姉妹と言ってもいいくらい雰囲気は似ていた。
「……ょ」
そんな彼女の口元が僅かに動く。
「ん?」
「助けてなんて言ってないでしょ!」
「……」
思いっきり睨み付けられる。有里朱みたいにおとなしい子を想定していただけに、虚を突かれて一瞬言葉が出てこない。
「ほっといてよ!」
そう捨て台詞を吐いて、彼女は走り去ってしまった。
まあ、そういう子もいるよなぁ。
『なんか、あの子の気持ちわかるかも』
有里朱がしみじみとそう呟く。
「わかる? 助けは必要ないってこと?」
『そういうわけじゃないよ。自分の気持ちを理解してないのに、軽々しく干渉して欲しくないってこと』
「おまえはそういうタイプじゃないだろ?」
『うん、ちょっと違うけど、根っこの部分は同じだよ。わたしたちはね。誰かに理解して欲しいんだよ。だから、それ以外の優しさは押し付けでしかないの』
「まあ、俺もわからないでもないんだけどさ……面倒だわなぁ」
それ以上の言葉は出てこない。あの子の感情はトレースできても、今の段階では彼女の気持ちは理解できない。情報が全くない状態でそれが出来たらエスパーか何かだろう。
ふと、何かの視線を感じて振り返ると、そこには見知った顔があった。
「あっ」
ショートカットで前髪を横分けにして、やや細いメガネをかけた女生徒。
「えっと……誰だっけなぁ?」
『同じクラスの田中さんだよ。ほんと、人の顔を覚えるのはダメなんだから』
有里朱にツッコまれる。
田中さんは、こちらに何か言葉を投げかけることもなく、冷たい視線を向けたまま通り過ぎていく。一年生とのやりとりの一部始終でも見ていたのだろうか?
そういや、もともと彼女はクラスでもあまり喋らないタイプだったな。有里朱へのいじめにも積極的に参加してくることはなく、ただ無視をするだけ。
クラスメイトとは必要があれば話をするが、有里朱に至っては必要があっても喋らないことを徹底している。まあ「無視」というタイプのいじめではあるので、いい気はしない。
だが、彼女の行動はいじめとは別のものにも感じた。
なぜなら、俺の分類するいじめの型に当てはまらないからである。もちろん「その他」として特殊型に分類することもできるのだろうが、少し違和感があった。
例えるなら、彼女の行動は「いじめ」ではなく「観察」だ。
シュールストレミングスで松戸美園に仕返しをしたあたりから、たまに視線を感じることもあった。
「無視」自体はそれほどダメージは受けない。
去年のように、有里朱一人が教室で孤立しているのなら「無視」は有効だ。間接的に精神が削られていくだろう。だが、今は俺がいるし、かなめもいる。一人に無視されたところで、大した事はなかった。
そんなことを考えながら教室に戻る。昼休みということもあって、室内は騒がしい。なかでもカースト上位の我孫子陽菜のグループは後ろの方を陣取ってお喋りに花を咲かせている。
次にうるさいのが窓際の二人組。
流山と青田のコンビだ。
「でさー、あたしそん時言ったのよね。全然違うって、なのになのに、その子どうしたと思う」
ぺちゃくちゃ喋るマシンガントークが流山の特徴だ。それを漫才の相方のように、青田がツッコミをいれたりして対応する。
「それよりも、なんでわざわざ、その子に注意してやってるねん!」
「しかたないじゃん、あたし、言いたくて言いたくて堪らなかったんだもん。そんなもん溜め込んだらストレスであたし死んじゃうよ」
結局、流山には松戸の中学の時の話は聞けなかった。タイミングも悪かったし、なにより実の妹が自殺したという事で、下手に話を振れないというのもある。
松戸の友達である紙敷香織から話は聞けたし、裏も取れたので必要がなくなったというのもあった。松戸が絡んでいないのであれば、無理に流山の過去をほじくり出しても意味はないだろう。
そういや紙敷香織の件は、事件直後には大々的に報道されたが、加害者が未成年ということもあり、新たな情報もないということでメディアではだんだんと取り上げなくなってきている。
動機はいじめの復讐という単純明快なもの。テレビ的にもそれ以上は掘り下げる気はなかったのだろう。
ネットでも被害者より加害者を擁護する書き込みが多かった。「殺されて当然」「よかったね」「スッキリしました!」なんて言う輩もいる。
だけど、復讐をしたところで誰も幸せになんかなれない。
いじめた者たちは死ぬことによって「逃げて」しまうだけだ。反省という思考すら持てなくなるどころか、その罪の意識すら霧散してしまう。つまり、本人の死亡によっていじめた事実さえ無かったことになるのだ。
一方、いじめられた者は、復讐によって人を殺すという罪を犯し、幸せに生きる権利すら放棄してしまった。
こんな結末がスッキリするわけがない。
俺が求めるのは目先の勝利ではなく、本当に心からの安寧と幸せなのだ。
だからこそ有里朱には、ハッピーエンドしか認めない!
**
日曜日に久々にレイクタウンのジャスコへと来ている。
ミドリーとナナリーは来るのが初めてだったらしく、二人からは感嘆の声が上がる。
「おー、すごいね。一日で回れないじゃん」とミドリー。
「うわー、もしかして、ネズミーランドより広い?」
ナナリーは目をキラキラさせながら、アホな事を言ったので思わずツッコミを入れる。
「んなわきゃないって、ネズミーはリゾート全体じゃなくてランドだけでもここの1.5倍はあるっての」
とはいえ、日本最大のショッピングセンターだ。テンションが上がるのも無理はないだろう。
「あ、あまーい匂いが」
俺の話を聞かずにナナリーがよろよろと匂いにつられて歩いて行く。甘く、ほんのりバターの香りが混じったものだ。これは某有名なパパのシュークリーム専門店からの匂いだろう。
まだお昼前だというのに、なんだか小腹が空いてきた。
『わたしも食べたーい』
予想通り有里朱が反応する。
「シュークリーム一個で約二百キロカロリーっていう話だぞ」
『あとで運動すればいいじゃん』
身体を動かすのは俺なので、有里朱は人ごとのように言う。というか、牛丼大盛りで文句言ってた奴がどの口でそれを告げるか。
「余計な筋肉つくぞ。ムッキムキになってもいいなら構わないが」
『え?』
「ボディビルダーでも目指すか?」
『そ、それは勘弁してほしいなぁ』
そんな有里朱とのやりとりの間にミドリーがナナリーの首根っこを捕まえる。
「おやつは後だよナナリン。まずは一通り観て回ろう」
「えー? これはおやつじゃなくて、栄養補給だよ」
「そんな食ってばかりいると太る……いや、なんでもない」
ミドリーが言葉を途中で止める。ナナリーは食べる量に対して、それほど太っているわけではない。たしかにちょっとぽっちゃりしているが、それはかわいらしさの範囲内でのものだ。
だから、そんなアドバイスに意味はないと悟ってしまったのだろう。
ミドリーが手を離すと、ナナリーはシュークリーム専門店まで駆け出していき、テイクアウトで一つ買って戻ってくる。
「うーん、甘いいい匂い」
ナナリーは甘い香りを吸い込むと、かわいい小さな口でぱくりぱくりと何口かシュークリームを囓る。
美味しそうにそれを頬張るナナリーの顔はとても幸せそうだった。
守りたい! この笑顔も。
『やっぱりわたしも食べたい!』
「おまえは少し自重しろ」
何かを買う目的があるわけではなかった。男の買い物とは違って、ウインドーショッピングそれ自体が目的なのだ。
購買欲は満たされないが、不思議と心は満たされる感じだった。それは有里朱とも共有されていた。
「これかなめさんに似合うんじゃない?」
ナナリーがロリータファッションっぽいワンピースをかなめの身体にあてがう。
「そうかなぁ?」
「カナリンって大人っぽい服でも、こういうかわいい系でもなんでもイケるよね」
たしかにかなめの適応性には感心するものがある。服だけじゃなくて、人間関係もそうだ。一時期、あの松戸のグループの中でもやっていけたのだからな。
女の子同士の甘々な雰囲気の中にいると、なんだか毒気を抜かれた感じで時々呆けてしまう。このまま甘い雰囲気の中で砂糖菓子のように溶けていきたいとさえ、思えてくる。
そんな気が抜けた状態の時に、どこからか悲鳴のような声が聞こえてきた。
「返して!」
明らかに何か異常事態が起こったような感じだ。瞬時に気持ちを切り替えて、頭をフル回転させる。
まずは状況把握。
周りも見回し、異常がないかの確認。
視界の片隅にこちらへ走ってくる中年の男が見える。さらに観察すると奥の方では、女の子が倒れて叫んでいた。
男の手に持つのは明らかに女物のバッグ。ひったくりの類だろうか?
こちらへと駆けてくる男の足首辺りを狙って、回し蹴りのようにローファーの踵を叩きつける。サッカーのように前から蹴り上げると、足首やスネに傷を負うことになるだろう。すね当てなんてものは付けてないので、有里朱のような華奢な女の子の身体でも負担にならない攻撃方法だ。
「うげぇっ!!!!」
男がすっ転ぶ。
すぐに男の元へと駆けだし、その右腕をねじ上げて無力化した。そこからぽろりと落ちる女物のバッグ。
「これは誰のですか?」
バッグを片手で掲げる。周りには野次馬が集まりつつ合った。
「あ、それボクの」
俺の前に出てきた女の子は、見覚えのある顔だ。
「誰だっけ?」
『田中さんでしょ。もう、覚えなさいよ!」
その後すぐに警備員が駆けつけ、俺たちは事情を聞かれるためにバックヤードまで連れて行かれる。もちろん、店員からも通報を受けてやってきた警官からも「よくやりましたね」と賞賛された。
被害者である田中さんはぶっきらぼう「ありがとう」とだけ言った。中性的な透明感のある声だ。メガネ属性でボクっ娘(こ)ってのもめずらしいよな。
ギャルゲで不人気属性が二つも入ってるよ。大きなお世話だけど。
とはいえ、メガネとればそこそこかわいいんじゃないかと思える容姿ではあった。
事情説明の後は、みんなと合流。ちょっと遅めのお昼を食べて午後からもウインドーショッピングを楽しんだ。
日曜日ということもあって、子供連れも多いが、小学生が保護者なしで遊びに来ていることもある。
実際、小学二、三年生らしき男の子たちが、ショッピングセンター内を走り回っている。
「危ない!」
かなめが声を上げると同時にミドリーに男の子がぶつかってくる。
「なにしてんの! このクソガキ! ケツの穴から指突っ込んで奥歯をガタガタ言わせるわよ!」
本気でお怒りモードのミドリー。というか、おっさん臭いな、そのスラング
「ごめんなさい、ごめんなさい」
男の子は平謝りしている。今どきの子にしては珍しく自分の非を認めていた。いや、今どきなんて言葉はおっさんくさいな。いつの時代だって、そういう子はいるはずだ。
「それくらいにしてやりなよ。謝ってるんだからさ」
俺は男の子に助け船を出す。ミドリーの口の悪さにまともに付き合うには、まだ彼は幼すぎる。
「みどりさん、許してあげなよ」
かなめはみどりに一言告げると、男の子の方へと向き直り、かがんで彼に目線を合わせる。
「ほら、大丈夫、きみ」
「う……うん」
「もう走っちゃだめだよ」
「わかった」
かなめとの心温まるやりとりを見て、ミドリーも冷静になってきたようだ。何か言いたそうだったが、それを飲み込むように口を閉じる。
ふと、床に落ちている一枚のカードに目がいった。これはトレーディングカードかな。
拾い上げると、何かの海外モノのトレカのようで表面には怪物のような絵柄と英語の長文の題名が書かれていた。
「これキミの?」
俺は男の子にそれを見せる。
「ううん。違うよ」
彼は首を傾げる。まあ、英語表記だから、小学生が遊ぶようなトレカじゃないもんな。
「どこも痛くない? ケガはないよね?」
かなめが念入りに男の子身体を見ている。
「だいじょうぶ」
「じゃあ、もう走らないでね。あぶないから」
「うん」
「行っていいよ」
「ありがとう。おねえちゃん」
そう行って彼は駆け出していった。おい!
「走ってったぞ」
「しょうがないなぁ」
かなめが苦笑する。
「あいつ反省してないだろ」
と、ミドリー。
「ね、そういえばアリス。何拾ったの?」
ナナリーが俺が拾ったカードを覗いてくる。
「ん? たぶんトレカじゃない?」
「The jaws that bite, the claws that catch……意味は、食らいつくその顎、かきむしるその爪かぁ。これってジャバウォックだね」
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