第24話 兆し ~ Humpty Dumpty II


 何か作業をしている時は良かったのだが、少しでも気を抜くと倦怠感が強くなる。そんな状態が三日くらい続いた。


 だから集中力が途切れていたのだろう、重要な情報を見逃してしまっていた。


 警察からの不審者情報である。宅南女子高というキーワードばかりに囚われていて、その付近の住所を失念していた。


 警察署の公式サイトでは、この学校のある住所の近辺で何回か不審者情報があがっている。


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 発生日時 十一月六日 午後五時三十分


 年齢層 三十一歳から四十歳くらい


 性別 男


 身長 百七十から百七十五センチ


 体格 肥満気味


 共犯 単独


 使用車両 自転車


 特徴 短髪、黒縁眼鏡にハンチング帽を被っている


 服装 黒色のシャツ 茶色のカーゴパンツ


 状況 下校する女子高生たちをじっと見つめていた。


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 校内でのいじめばかりに注視していたから、校外での不審者対策などは考えていなかった。これは俺のミスである。


『怖いね』

「まあ、相手は単独だ。集団のいじめよりは対処はしやすい」

『そうだね。秘密道具がいっぱいあるしね』


 有里朱をひとまず安心させる。Konozamaで購入した防犯グッズは常に身につけていた。よほど油断していない限り大丈夫だろう。ただ、彼女の体力の無さはネックではある。


 とはいえ学校と違って即、警察に相談できるのも安心要素だろう。いちいち教師との駆け引きを行わなくていいのが楽だった。


 いちおう予備の防犯ベルをかなめとナナリーにも渡しておこう。狙われるのが自分だけとは限らないからな。それと逃げるための時間稼ぎに、スプレー式鎮痛消炎剤【エアーハロンパス】も渡しておくつもりだ。


『ハロンパス? 逃げるときに捻挫したら困るから?』


 理解できてないのか有里朱がそんな疑問を投げかけてくる。


「これは催涙スプレーの代わり。催涙スプレーとか、あの手の防犯グッズはむやみに持ち歩くと軽犯罪法に触れる。こいつなら、目に吹きかければ相手は怯むだろ? メントールとかああいう刺激物は目や粘膜に入るとヤバイからな。しかも、法に触れることもない」

『それでこのスプレーなのね。ふーん、手軽な日用品が防犯グッズになるんだ』



**



 朝の登校時、周りを警戒しながら歩く。鈍い痛みもだいぶ治まってきて。集中力も回復してきたようだ。


「怖いよねぇ、変質者なんて。あっちゃんから貰ったこれ、ありがたいけど、本当は役立たないほうが平和でいいんだけどね」


 隣を歩くかなめも、キョロキョロと辺りを見回している。今のところ不審者は見かけていない。


「変質者にあったら下手に騒がないで、すぐにその場から立ち去ること。近くに助けを求められる人がいればすぐに助けてもらうこと」


 俺はかなめに対してそんなアドバイスをする。


「わかってるよ。下手に刺激しちゃいけないんでしょ?」

「うん、わたしは一人でも大丈夫だけど、かなめちゃんは心配だからなぁ」

「もう! わたしだってあっちゃんのことは心配だよ」

「かなめちゃんよりは対処法は頭に入ってるからね」

「……あっちゃんってさ、いつからそんなに強くなったの? ネットの知り合いに影響されたっていうけど……もしかして、その人、カレシさんなの?」


 急激に有里朱の心が熱くなる。これは恥ずかしいという感情だ。わかってるって、誤解はすぐに解くよ。


「違うよぉ。会ったことないって言ったじゃん」

「でも、ネットで知り合ってそのまま付き合うって話、聞いたことあるよ」

「そんなの希だって。実際は付き合おうとして相手の本性に気付いて事件に巻き込まれるってパターンがほとんどだよ」

「そうなの?」

「うん、だからかなめちゃんも、ネットでの出会いには気をつけてね。たいてい、何かを偽って語る人が多いから」


 ネットリテラシーの基本だろう。中高生はこういうところが情報弱者だからな。お年寄りのオレオレ詐欺と一緒ですぐ騙される。あ、今はオレオレじゃないんだっけ? たしか「母さん助けて詐欺」か……全然普及してねえ。


 その後、無事に学校に到着。不審者はいなかった。ウェブ上にあがっている警察の不審者情報にもまだ更新されていない。


 そんなわけで放課後は、ゆるーい部活動。


 初日のようにずっと本を読んでいるのではなく、雑談混じりの読書になりつつあった。お茶菓子として、Konozamaに頼んでおいた九花亭のバターサンドを持ってくる。


 ビスケットにホワイトチョコレートとレーズンと、北海道産バターを合わせたクリームをサンドしたものだ。程よい甘さとバターの香り、さらに贅沢なクリーム感。スーパーの安っぽい菓子では表現できないような濃厚な味は、女の子三人に大好評だった。


 有里朱もまた食べたいと言っている。味覚も共有しているからな。


 五時前には、大した活動もしていない部活動を終え帰宅する。


 ナナリーは校門の所で別れるので、特に注意を促した。


「気をつけてよね」

「わかってる。七璃、走るのは結構早いんだよ」


 それでも男の足には敵わないだろう。だからといって、これ以上不安にさせるような事を言ってもかわいそうだ。


「じゃ、本当に気をつけて、ナナリー」

「うん」

「バイバイ、ななりさん」

「じゃあね、アリス、かなめさん」


 そうして二人で下校する。登校時と同じようにキョロキョロと辺りを見回しながらだ。


「毎日これだと疲れそうだね」とかなめが言ってくる。


 たしかにずっと気を張っているのは精神的につらい。


「いざとなったらこっちから仕掛けて変質者を炙り出すって手もあるよ」

「あっちゃん、それ危険だよ」

「大丈夫だって」


 油断は禁物だが、気を張りすぎているのも危険だ。そうやって張り詰めた緊張が途切れたときが一番ミスを起こしやすい。それに攻撃こそ最大の防御と言うではないか。


「じゃあね。あっちゃん」


 分かれ道で、かなめが手を振る。


「かなめちゃんも気をつけてね」


 一人になったところで気が緩む。自分一人なら守るのは容易いが、親しい人間がいるとその子まで守らなければならないので難易度が上がる。だから、一番危険なはずの一人でいるときに気が緩んでしまう。


『孝允さん、お疲れさま。少し気を抜いていいよ。わたしがあなたの視界の中で見張ってるから』


 視覚情報は共有しているので、たしかに俺が視界のすべてに注視する必要は無い。ありがたいので、少し考え事をする。


 クラスの状況を変えるにはどうすればいいか。松戸はこのまま大人しく退場するのか。そして、自分の身体のこと。考えれば考えるほど、出口のない迷路に填まっていく。


『孝允さん!』


 ふいに有里朱の緊迫した声があがる。


「どうした?」

『視界内には不審な人はいないんだけど、誰か後ろから付いてきている気がする』


 それは有里朱にしかわからない感覚だろう。俺たちが共有しているのは五感までだ。


「わかった。この先のコンビニに入ろう。そこで様子を見る。危険だったら店員に助けを求めればいい」

『うん、わかった』


 何事もなかったかのように歩いて、自然とコンビニに入るコースをとる。店内なら監視カメラもあるし、下手なことはできない。何かあったとき、警察に提出できる証拠の一つとなる。


 店内へと入る。青い看板のお馴染みのコンビニだ。


「どうせだから食後のデザートでも買ってく?」


 渡されているお小遣いは五千円。昼の食費としても毎日五百円もらっており、それを全部使い切っていないので、わりと手元に残っているお金はある。コンビニのスイーツくらいなら余裕で買えるのだ。


『やっぱロールケーキかなぁ』


 ここのコンビニでは定番のスイーツ「プレシャスロールケーキ」がご所望のようだ。


「五十キロの壁にこだわるわりには高カロリーのものを選ぶなぁ」

『孝允さんが買っていいっていったんでしょ?』

「まあ、いいけどさ」


 俺はデザートの棚を見ながら、店内に新たに入ってきた客をちらりと見る。


 年齢は三十歳から四十歳くらいの間、身長は百七十センチ以上はあるだろう。かなり肥満気味の体型で、短髪に黒眼鏡にハンチング帽、黒色のシャツにカーゴパンツ。


 見事に不審者情報に一致した。だた、この手の体型や服装は、わりとどこにでもいるようなおっさんでもある。


 一概に不審者と決めつけるのはある意味失礼ではあった。


 すぐにロールケーキを手に取り、会計を素早く済ませて外に出る。


 男もすぐに出れば目的は俺たちであることは間違いない。コンビニに入って商品もあまり見ずに出るのは不自然だ。


 出てこないことを祈りながら、家へと足を速める。が、男はすぐに出てきた。この場合の選択肢は二つ。


 すぐに家に戻るか、追跡者を振り切るか。


 家まではあと五分程度で到着する。相手がすでに自分の家を知っていたら尾行をまくような行動は無意味だ。


 それともう一つ。気付いたのが今日であって、それ前から尾行されていた可能性も捨てきれない。


 だとしたら、一刻も早く家に帰ることが重要だ。


 幸い家はコンシェルジュのいる高級マンションだ。オートロックエントランスがあるので、不審者はロビーまで入れない。


 不自然に早足にならないよう帰路につく。対策は帰ってから考えよう。



**



『ストーカーだよね』


 有里朱の言葉は対策の難しさをそのまま表していた。


「そうだな。ただ、今のところ危害は加えられていない」

『でも、怖いよ……気持ち悪いよ』


 その気持ちはわかる。だが、今は何もできないのだ。


 ストーカー規制法が施行されたとはいえ、実害や証拠がなければ警察は動かない。ある意味いじめとはベクトルの違う厄介さだ。


「様子を見るしかないな。相手を刺激しなきゃ、それほどエスカレートはしないだろう。今のところ、尾行されているだけで直接言い寄られているわけではない」


 事件性がある場合は大抵、被害者と加害者の直接の接触がある。


『大丈夫だよね?』


 不安そうな有里朱の声。いじめだけではなく、ストーカーの恐怖にさらされるとは、どれだけ運がない子なのだろう。


 ただ、こういう場合の被害者の対応はわかっている。


「安心しろ。俺が守ってやる!」


 自分の身体だけどな。


『ありがと。孝允さん。そうだよね、今までずっと助けてくれたもんね』


 有里朱の声が落ち着いてくる。必要なのは信頼関係だ。


 俺はPCを立ち上げ、情報収集を始める。警察の公式ページにTvvitter、画像検索まで駆使する。


 試しに宅南女子高の公式サイトにある校内の画像から、類似する画像がないか検索をかけてみる。文字検索のように文章での検索でないため精度は低くなるが、お目当てのものがあれば一発でわかるだろう。


 ついでに制服からも画像検索してみるか。


 その結果、類似画像の中に見覚えのある画像が見つかる。


『なにこれ?』


 リンクを辿ると、今では廃れきったブログ。いやホームページと呼ぶべきが相応しいだろうか。

 HTMLで静的に作られた個人のWebページ。その中にある日記だ。


 黒い背景に、色数が少ない蛍光色のGIF画像ロゴ。それには「KIRK将軍の秘密基地」と記してある。西暦二千年代に作られた遺物のようなサイトである。


 その日記の一部に一つの画像が貼り付けられていた。通学路を歩く有里朱の姿であった。


 日記のその日のタイトルは「マイエンジェル」。日付は昨日だ。


 文章センスもねえな、こいつ。


『隠し撮り?』

「この風景は、マンションの手前にある丁字路だな」

『いつ撮られてたんだろ』

「これで変質者が有里朱にご執着なさっていることがわかったわけだ」

『もう! 茶化さないでよ』

「有里朱には悪いがほっとしてるよ。これがナナリーやかなめじゃなくてよかったって」『……そうだね。あの二人だったら心配』

「言ったろ。俺が守ってやるって」


 有言実行。そうやって地道に信頼関係を築く。それしか彼女を安心させるものはない。


『頼もしいけど、結局自分の身を自分で守るってことだよね』

「そういうこと。有里朱は大船に乗ったつもりでどんと構えていろ……違うな、映画館で特等席にいるような感じでポップコーン片手にスクリーンでも観てる気持ちでいろ」

『うん、そうさせてもらう』



**



 翌日、再びストーカーらしき人影を発見。ドローンを飛ばして撮影という手もあったが、ストーカー自体が映らない可能性もあるし、何より不審な物が飛んでいることに気付かれてしまう。


 いじめっ子に対しては、撮影をしていること自体が抑止力となった。録画データを取引に使うことで、彼女たちはそれ以上の愚行を犯さないだろう。だが、ストーカーに同じことは通用しない。


 彼らは警察に注意されたとしても止めるのは八割くらいで、残りの二割は犯罪者として立件されない限り、その欲望を止めるすべがないのだ。


 だからこそ、下手に挑発するようなマネは危険だ。


 ストーカーには気付かないふりをして、再びコンビニへ行き、さらに確認をとる。


 昨日と同じ人物であった。しかも服装も同じ。洗濯してないのかよ!


『気持ち悪いけど、なんにもしてこなさそうだね』

「いろんなタイプがいるからな。今のところは害はなさそうだが、油断は禁物だ」

『わかってるよ』


 そのまま帰宅する。エレベーターホールに行けば、もう相手は入って来られない。


 チラシ投函でさえ追い返されるし、宅配ボックスはここに設置されているので、入れるのは宅配業者くらいか。それでもここまでだ。エレベーターで上がれるのは住人とゲストだけ。


 ほっと一安心したところで、郵便受けの郵便物を取る。ハガキが何枚かと、封書が何通かで、ほとんどが母親宛であろう。


 エレベーターに乗り込み、封書を確認する。そういやKonozamaで頼んだ文庫本はメール便で来るから、封書の中に混ざっている可能性もある。


『なに頼んだの?』

「買い忘れてたラノベの最新刊だよ。おまえみたいなぼっちが主人公だ。死んだ魚の目をした甘ったるい缶コーヒーを愛する男だけどな」


 鍵を開けて玄関で靴を脱ぎ、スリッパを履かずに家に入ろうとして有里朱に注意される。


『もう、めんどくさがりなんだからぁ』


 初めて来た時は注意などされなかったが、あれはそれだけ彼女に余裕がなかったからであろう。次の日からは帰宅ごとに注意され続けている。


 実家じゃそういう習慣がなかったので、また履き忘れてしまったのだ。


 リビングのテーブルに母親宛のハガキと封書を置く。Konozamaからのメール便は来てなかったようだ。


 そしてそのまま自分の部屋に行こうとして、有里朱が何かに気付く。


『待って』

「どうした?」

『わたし宛の郵便物があるよ』


 それは茶封筒の封書。地味なので役所からの郵便物と勘違いしていた。


 【美浜有里朱様】と宛名が書かれている。ミミズの這ったような汚い字で、なんとか判読できた。


 裏を返すと、差出人の名前がない。首を捻りながら部屋に行く。


 帰宅していつもの癖でPCの電源を入れ、鞄を床に置くと、封書を机の上に放り投げた。


 制服を脱ぎ、有里朱に『すぐにハンガーにかけてね』と注意されたので、指示された通りにするとパーカーのついたタオル地の部屋着を着る。小うるさいところは、なんだか小姑のようである。


『なんだろうね?』


 封書の頭をびりびりと破ると、一枚の便せんが出てくる。


 便せんの縁にはかわいらしい絵が描かれていた。何かのアニメのSDキャラか? この真面目で品の良い感じの地味系キャラは見たことあるような気がするが……。あ、そうか。あの大日本帝国海軍の艦船を擬人化したゲームの特型駆逐艦キャラか。


『……ひぇ……』


 先に文字に注目していただろう有里朱から、短い悲鳴のような声が聞こえてくる。


「どうした?」


 そう言って、文章の方に注目する。


【有里朱ちゃんへ】


 文章の書き出しはどうってことなかったが、ひたすら長い文章が続く。読むのが苦痛になるほどの内容だった。


 何を伝えたいのかわからない。ただ有里朱の気に入った箇所を羅列し、自分なりの解説を加えている。その解説も思い込みが強すぎて意味不明の箇所が多数ある。


 そして締めの文章は【早く君を迎えに行きたい】であり、三つ葉のクローバーが押し花として添えられている。四つ葉じゃないのかよ!


『気持ち悪い……』


 有里朱が嫌悪感を表した。今の率直な感想なのだろう。キモイと言わないところが彼女らしくもある。


 俺としても何か他人事のように思えてきて、頭にさっぱり入らない。あまり鏡は見ないようにしているから、時々自分がかわいい少女であるということも忘れそうになるのだ。


「ラブレターかな? それも斜め上を行く内容の」

『……やだ、怖い』


 たしかに最後の文章はホラー的でもある。これはかなりエスカレートしそうな案件だな。さて、どうするか?


「ねえ、どうするの?」


 俺はまだ便せんを見ている。描かれているSDキャラが気になっていた。


『もう! 早くしまってよ。見てるだけで吐きそうだよ』


 そこで、閃く。


 たしかにこのキャラは、外見だけは有里朱に似ているのかもしれない。


 地味系のかわいさで髪の毛を二つで縛っていて、しかも制服はセーラー服だ。カレー作りがうまいかどうかはわからないだろうけど、いろいろ妄想してんのかな?


 まったく、二次元で我慢しておけよな……。


 しかしながら、解決には全く関係ない事柄だった。


 まあ、いいや。明日の用意でもするか。いちおう、日曜日はかなめとデートなのであった。


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