第22話 日常に潜む罠 ~ Humpty Dumpty I

■日常に潜む罠 ~ Humpty Dumpty I



 一晩寝たら落ち着いた。


 昨日は有里朱に余計な心配をかけてしまったようだ。俺の方が大人なんだから、もう少し冷静にならんとな。いつまでもグチグチと悩む年齢でもないのだから。


『おはようございます』

「やあ、おはよう」

『気分がよろしいようですね』

「ああ、昨日はどうかしていた」

『わたしは気にしていませんよ。何か気がかりがあるなら、一緒に考えましょう。わたしじゃ、ヒントくらいしか言えないかもしれませんが』


 その言葉だけで救われたような気がした。まったく……助けが必要なのは有里朱の方だというのに。


 ベッドから起き上がると、すぐに着替える。パジャマのまま朝食を摂るのを咎められたわけではないが、もう少し余裕を持って食いたいからな。


 俺は手慣れたようにセーラー服へと袖を通す。


『リボンの結び方が、もうちょっっと丁寧だといいんですけどね』

「ネクタイとは勝手が違うんだ。慣れるまでもう少しかかるぞ」


 そんな感じで、いつもの朝を迎えた。母親とはあまりコミュニケーションをとっていない。あまり干渉されても困るけどな。


 そして登校。かなめからLINFのメッセージが来る。


@かなめ【おはよう! いつものとこで】


 松戸からかなめを救出して以来、朝は彼女と一緒に登校するようにしている。


 当初は守る為であったが、その脅威もなくなった。だからといって、せっかく和解したかなめと有里朱を別々に登校させることもない。


 コンビニの前でスマホを見ながらかなめが待っている。背筋がピンと伸びていて、優等生っぽい雰囲気を醸し出していた。実際、成績も良いようである。


「おはよう! かなめちゃん」


 俺は元気よく挨拶する。この時、有里朱も『おはよう! かなめちゃん』と言っているのだが、聞こえてはいないだろう。


「おはよう。あっちゃん。あ、タイが曲がってるよ」


 かなめが近寄ってきて、胸元のタイを直してくれる。ほんのりと漂うシャンプーの香り。鼓動が高鳴る。もういっそのこと「お姉さま」と呼ばせて……。


『孝允さん! どうしたんですか、ぼーっとして」

「あ、悪い。百合の国にトリップしていたわ」


「あっちゃん?」


 かなめも不思議そうな顔でこちらの顔を見ていた。


「昨日ね、ちょっと用事で浦安まで行ってきたの。お土産持ってきたよ」


 誤魔化す意味も含めて、昨日の話題を出す。これで立て直せるだろう。


「浦安? ネズミーリゾートいったの?」

「違うって、下町の方。後で楽しみにしててよ」


 そんな会話をしながら女の子同士での和やかな雰囲気を楽しむ。男の俺でも悪くはないと思えるありふれた日常。


『あれ?』


 有里朱が何かに反応した。俺にはわからない。何かを見たのか、それとも何かを聞いたのか。


 感覚を共有していても、注視する場所は違うのだ。こういうことはたまにある。


「どうした有里朱?」

『なんか……誰かに見られているような』


 俺は周りを確認する。すると、不思議に思ったのか、かなめが反応した。


「どうしたの? あっちゃん」

「ん? 誰かに見られているような」って有里朱が言ってたんだけどな。

「気のせいじゃない?」

「そうだね。気のせいかも」


 気にしないフリをした。何者かが俺たちを監視しているのだろうか?


 もし、誰かが何かを仕掛けてくるにしても、相手とその動機を確認しないことには動くこともできない。


 ドローンは今飛ばしてないからなぁ。


 飛ばしていたとしても、追尾モードだから、有里朱を中心にしか撮影できない。隠れた監視者を探すことは難しいだろう。


 さて、どう対策するかだな。俺は右手で額を触りながら思考する。


「どうしたの?」

「ちょっと頭痛がね」


 これは思考する時の癖だけど、有里朱はこんなことはやらんだろう。まあ、少しだけ頭痛がするのは本当だが。


「大丈夫?」

「ただの偏頭痛だよ」


 会話しながら思考する。情報を入力しながらの方が、思いもよらないアイデアが浮かぶことがあるのだ。ここのところ集中力が途切れ気味なので、昔のルーティンを使って思考を活性化させている。


 今のところの脅威は、クラスでのピリピリとした雰囲気だけだ。


 かなめ以外とのクラスメイトとは口も聞かない。ほとんど無視されるか、近づくだけで嫌な顔をされる。直接いじめてくれたら対処も楽なのだが、こればかりはどうにもならない。


 教室に着くとクラスメイトを一通り見回して観察。誰も俺たちに視線を向けてこない。神崎でさえ、もう興味を失いつつあるようだ。


 高木たちは前よりも生き生きと仲間達と話しているような気がする。松戸という上から命令してくる奴がいなくなったのだから、当然といえば当然だが。


 授業は滞りなく終わり、なにやら腰のあたりが重いような鈍い痛みを感じる。なぜか下腹部も痛くなってきた。心当たりはありすぎる。部室の清掃作業やら、模様替えやら、日曜日は実家付近を歩き回ったせいか。俺も年だからなぁ……。


『あ、孝允さん。アレ持ってきてないでしょう?』


 急に有里朱の声が脳内に響く。


「アレ? アレってなんぞや?」

『花柄のポーチ』

「花柄? ああ、部屋のタンスの上にあったやつか。なんか大事なもんが入ってるのか?」

『大事なものだけど。間に合わなかったらマズいから、かなめちゃんに借りて! もしくは、ななりちゃんに』

「何を借りるんだ?」

『……もう、わかってよ!』


 突然いらだち始める有里朱。訳がわからないよ。



**



 有里朱が恥ずかしそうに、それでも言わなくちゃマズいと思ったのか、めちゃくちゃ早口で説明してくれた。


 さらにかなめに事情を説明したら簡単に貸してくれたので、トイレで装着。危機一髪でスプラッター映画にはならずに済んだ。


 なんか怠いし痛いしつらいわー。と某地獄のミっちゃんの台詞を言いたくなる。


 そんな状態で授業を受けていたが、さすがに身体の調子が悪いので体育も休んで見学した。


『つらい? でも、今回のはわりと軽い方だよ』

「有里朱も身体を共有してるんだから痛みは伝わるんだろ? わりと平気そうに喋ってるけど……」

『うん、このくらいなら。なんか気が紛れることがあれば、それでなんとかなるし』

「今日は部活出ないで帰った方がいいかな?」

『かなめちゃんからカイロももらったでしょ? 冷やさないようにして安静にしてれば、どこに居たって同じだよ。部室の方が気が紛れるから、部活は出ようよ』

「そうだな。有里朱の指示に従うよ」


 こればかりは専門外。というか、有里朱の身体なのだから、自分の事は自分がよく知っているのだろう。


 放課後、かなめと一緒に文芸部の部室へと向かった。そういえば、正式な部活動は今日が初めてだったかもしれない。


 部室にはすでにナナリーが来ていて、部長席で文庫本を読んでいる。小さな身体でちょこんと倚子に座っている姿はまるでお人形さんだ。


 入ってきた俺たちに気付いて声をあげた。


「いらっしゃい、お二人さん。適当に座って、適当に読みながら、適当にだべってよう」

「ずいぶん適当な部活だね」


 と俺は苦笑いする。


「こういうアットホームでゆるーい部活に憧れてたのよ。物語の中でもよくあるじゃない」


 そうだな、日常系のアニメとかはほとんどそんな感じだ。俺も憧れたことはある。有里朱はどうだろうと、いちおう聞いてみた。


『うん、いいよねぇ。そういう和やかな雰囲気は』


 と彼女も同意した。なんだか楽しそうな感情が僅かに伝わってくる。


「うん、ななりさんの気持ちわかるよ。私もそういうの憧れてた」


 かなめも同じ気持ちのようだ。いじめの元凶である松戸たちと一緒にいたのだから、友情というものに飢えていたのだろう。


 三人とも高校に入った当時は、そういう穏やかな学生生活を夢見ていたのだろう。そして、すぐにそれは壊されてしまったと。


 まあ、取り戻せたのだからいいじゃないか。後はその空白の半年をどう埋めていくかだ。


「あ、そうだ。お土産あるよ」

「お土産? どこ行ったの?」


 ナナリーの目が再びキラキラしている。


「浦安だよ」

「浦安!? ネズミーリゾート行ったの?」


 かなめと同じ事を聞いてくる。面倒なので、机の真ん中辺りにドンと紙に包まれたフードパックを置く。


「開けていい?」とナナリーが聞いてきたので「いいよ」と言う。


 包装紙を丁寧に開ける彼女だが、ネズミー商品じゃないんだから、そこまでありがたがらなくてもいいのだが。


「わぁー、なにこれ?」


 かなめがナナリーが持つフードパックの中身を不思議そうに眺めている。


「もしかして貝?」


 ナナリーの答えは惜しい。


「アサリの串焼きだよ」


 浦安の名物だ。一粒ずつ串に刺して炭火でじっくり焼き、伝統のタレをつけて仕上げたもの。蛤を焼いたやつも有名だけど。


「一本貰っていい?」

「うん、一本と言わずいくらでも」


 恐る恐るその串を取り、焼き鳥を食べるように先っぽのアサリを一つ口に入れる。


「ん! おいしい」


 ナナリーの顔が綻ぶ。


「じゃあ、私も」


 といって、かなめも食べ出す。彼女も一口食べて「おいしい」とお世辞ぬきで言ってくれたようだ。


「ホントにアサリなんだね。甘っ辛いタレと独特の歯触りが癖になりそうだね」


 ナナリーはまるでグルメリポーターのように語り出した。


「お茶入れるね」


 俺はそう言って、部室の隅にある電気ケトルに、入り口付近に置いてあった消費期限ぎりぎりのペットボトルの災害用備蓄水を入れる。


 身体が冷えそうだったので温かい飲み物も飲みたかった。


 ゆるーい部活の中で、みんなでお茶を飲みながら語らい合う。すごく安上がりで他人から見れば大した経験ではないが、彼女たちにとっては輝く青春の一ページになるのだ。


 某ラノベの真似して、今度メイド服でも持ってくるかな。


 ほぼ毎日飲むだろうと、お茶は安めのティーバッグの紅茶にした。ケーキがないのが寂しいが、そのうちお菓子とか持ち寄ることになるだろう。今日はお土産持ってきたし。


 ティーカップをかなめの机に置く。彼女はライトノベルっぽい表紙の本を読んでいた。


 銃の所持が認められた未来で、連続狙撃事件の犯人である女子高生二人の逃避行を描いたものだ。たしかこの作者はスーパーの半額弁当を争う話の方が有名だが、俺としてはこっちの百合百合した話の方が好みである。有里朱が選んだ本じゃないし、これはナナリーに薦められた本かな?


「ありがとう。あっちゃん」


 さらにナナリーの所にもティーカップを置く。彼女が読んでいるのは吉屋信子の「わすれなぐさ」だ。これはかなめが持ってきたものであろう。わがままなお嬢様と生真面目な優等生の女生徒との間で揺れ動く百合心を描いたコミカルで切ないお話である。


 ナナリーは文芸部の部長をやっているわりには、わりとライトな読者なのである。文芸書よりはラノベやコミックを好む傾向にあった。ただ、その分二次創作にかける愛はハンパない。イラストを描いているせいもあるのだろう。


「アリス。ありがとう」


 俺は自分の席にもカップを置くと、本棚から適当にマンガ本を抜く。俺も昔読んだことのある平成七年から十四年にかけての少女漫画だ。


 不思議な出来事が起きる寄宿舎で、少女たちが百合百合する学園ファンタジーである。百合百合ってのはあくまで俺の主観だけど。


 これは誰が持ってきたのだろう? わりといい趣味しているかな。


「有里朱、これ読んだことあるか?」

『ううん。ないよ。面白いの?』

「お前好みだと思うぞ」

『じゃあ、読む』


 自分の席へと座るとPCも起動させ、情報収集ツールをチェック。宅南女子高に関するキーワードに何か引っかかっていないかを確認する。


 めぼしい情報モノが見つからなければTvvitterのサブアカウントをタイムラインに表示させておく。これは、宅南女子高に関係する人物の七割方をフォローしたものだ。表示させておけばツイートが勝手に流れていく。


 ある意味ストーカーっぽい行動でもあるが、まあ、誰か一人を追いかけ回しているわけじゃないからセーフであろう。


 作業が一段落済むと、持ってきたコミックを読み始める。有里朱の読む速度に合わせて少し遅めにページを捲っていった。


 みんな読むことに夢中になっている。話すのも忘れてだ。ま、初日だし集中できたのはいいかな。もともと三人ともそれほどお喋りではない性格だ。慣れるまではこんな感じだろうと思う。


 さすがに暗くなってきて、気付いたかなめが部室内の蛍光灯のスイッチを入れる。


「夢中になっちゃったね。面白かったよ、ななりさん」


 かなめがナナリーに声をかける。それは本心から言っているように思える。


「そうでしょ、そうでしょ。あの作者のは他のもオススメだよ。あ、かなめさんの薦めてくれたこれも面白かった」


 場が和む。優しい世界だ。


 ここはいじめが巣くう学校内だというのに、この部室だけは綿菓子に守られたような甘い自分たちだけの世界を構築している。


 ま、綿菓子だからほとんど防御力はないのだけどね。


 とはいえ、初めての部活動としては幸先の良いスタートでもあった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



二時間後くらいに別視点の短い話を投稿します。



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