第76話 十八歳 5
その日は朝からクリューの様子が変だった。
そわそわしている。いつもならクリューは私の肩の上から離れることはないのに、部屋の中をウロウロしていた。トムも気になるのか時々、目で追っている。
『どうかしたの?』
心の声で問いかける。
『何が?』
『何がって…、今日のクリューは変だよ』
『ええっ? いつもと同じだよ』
クリューは大袈裟なくらい驚いて見せた。
絶対におかしい。何か隠している。
胡乱な目でクリューを見たけど、目を逸らされてしまう。
こうなると何をしてもクリューは白状しないだろう。
「どうしたのかしら。今日のトムは落ち着かない様子だわ」
「あぶぶ~」
ベラが心配そうにトムを見ている。
庶民の子供の三歳までの生存率は低い。話すことのできない赤ん坊のうちはとにかく気を付けて見守っていくしかない。様子のおかしいトムを見て、ベラがオロオロするのも無理のない話だ。
とはいうもののトムが落ち着かないのはクリューのせいだとは言えないので黙っているしかない。
クリューのことを家族の中で唯一知っているフリッツが私の方を窺ってきたけど、肩をすくめて見せた。
今日なにか起こることは間違いなさそうだけど、内容についてはその時が来るまでわかりそうにない。クリューを見ている限り、悪いことではなさそうだから待つしかなさそう。
「今日のうどんは俺が作るから」
店に着くとフリッツが腕まくりをしながら厨房に入っていく。
「最近はずっとフリッツが作っているから、わざわざ言わなくてもいいのにね」
マリーはそんなフリッツを眺めながら笑っている。
「料理の腕は私より上になりそうね。研究熱心だし、良い旦那になりそうね」
「ふふふ、本当にそう思う?」
そんな嬉しそうな顔をされると頷きたく無くなっちゃうけどね。
私とマリーは店の掃除をする。魔法を使うから手間はあまりかからない。
床もテーブルもピカピカになった。
『カランコロン』
店のドアが開く音がする。
「すみません。まだ開店していない…って、エド!」
エドが立っていた。
前に見た姿より、痩せている。
「アンナ、久しぶり。今日は話したいことがあるんだ」
「えっと、でも店が開店するから…」
アネットと結婚売る話なら聞きたくないと思って断ろうとしたけど、
「少しくらい大丈夫よ」
とマリーに言われて店から追い出されてしまった。
このくらいの時間は人通りも多く、話しながら歩くのは無理だったので近くの喫茶店に入る。最近できたフルーツジュースの店だ。新鮮なフルーツを絞ったジュースが人気だ。
「私はミックスジュースにするわ。エドはどれにする?」
「私は桃のジュースにするよ」
「この時期でも桃のジュースが飲めるなんて不思議ね」
「きっと保存の魔法を使っているのだろう」
「でもあの魔法はとても珍しい魔法なのでしょう?」
保存の魔法があるのは知っているけど、とても珍しい魔法だと聞いたことがある。
クリューが使える空間魔法のようなもので、そこに入れておけば時間が止まっているからいつまでも新鮮なままだ。
「保存の魔法を使える人はこの国に二、三人しかいないと聞いている」
「そんなに珍しい魔法を使える人が、こんなとこで店を開くかしら」
保存の魔法を使えるだけで国やギルドがほおっておくと思えないんだけど。
運ばれてきたジュースは最高の味だった。そして新鮮な果物の匂いがした。
「美味しい~」
「桃はやっぱりいいなぁ」
エドの桃好きは変わっていない。この店にして良かった。
「それで? 今日はどうしたの?」
桃のジュースのお代わりを頼み終わったのを見計らって、エドに尋ねる。
「先日学院の卒業した」
「えっ? まだ卒業には早いでしょう?」
「スキップしたんだ」
学業の成績次第で早く卒業できるらしい。もしかしてアネットもすでに卒業している?
「もしかしてアネットも卒業しているの?」
「ああ、あいつは結婚準備があるからって私より早く卒業したよ」
そうだったのね。知らなかった。私に会いにきたあの時はもう卒業してたのね。
「そうなの。それで私に何の話があるの?」
「それは…、この間あった時のこと覚えているか?」
「……ええ、覚えているわよ」
忘れるなんてできるわけない。
「あの日は何も言い返せなかった。確かに君に甘えていた。いつまでも待っててくれるように思っていた」
「……」
私はただ黙ってエドの話を聞いていた。
「庶民の結婚適齢期とか全然考えていなかったんだ。あの後アネットに聞いて、自分の考えの甘さを指摘されたよ」
本当にエドとアネットは仲が良い。そんな話までしているのね。
この話の結末はどうなるのかな。最後まで聞かないといけないのかしら。
ため息をつきたいのを我慢しているとクリューが肩の上でニコニコしているのが見えてちょっとだけイラっとした。
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