Dragon-Jack Co. 天使がくれた相聞歌(ラブソング)
千葉 琉
第1章 天使のZ
(おことわり:本編は携帯電話や、セルフ式ガソリンスタンドがまだ普及してないころのお話です)
「律ちゃん、納車、今日だよね?」
同僚の森元が聞いてきた。律子は汚れたタオルを洗濯機に放り込みながらうなずいた。
「うん。来るのが待遠しいよ」
「超二枚目男が?」
「違うわよ。天使の車」
数日前、律子は勤めているガソリンスタンドの常連客、竹中孝志に頼んで、愛車のボンネットに絵を描いてもらうことにした。孝志は板金塗装屋兼カスタムペインターで、森元が先にイルカを描いてもらっていたのだが、自分も頼もうと思ったのは、水飛沫までリアルなイルカに感動しただけではなかった。
森本は“超二枚目”と言ったが、律子に言わせれば随分控えめな表現だ。口開けて見惚れちゃうような男なんてそうそういないわ。
3か月ほど前に失恋して、当分恋などしないと思っていた律子だったが、孝志を初めて見た時は心臓が痛いほど高鳴って釣銭を渡すのが精一杯だった。二度目にポイントカードで名前を知った。最近では目が合っただけで顔が熱くなる。同僚たちからは孝志の時だけフロントガラスを拭く時間が長いとからかわれていた。
スタンドの従業員と客では話す会話も限られるし、飲食店や小売店と違って、連日やって来ることはない。しかもいくら会員カードを作っていても、次の給油を律子の店でするとは限らないのだ。二度と会えない可能性だってある。惚れ込んだら後が辛い。自分でも分かっていたが、最近では孝志のことを想わない日はなかった。あくまで客と店員としてしか関われないのだろうか。残念に思っていたところに、森元のイルカを見たのだった。
竹中孝志はその風貌もさることながら、乗っている車も尋常ではなかった。仕事柄乗っているという水色のライトバンには、車体いっぱいに天を翔ける龍が描いてある。スタンドの従業員は全員度胆を抜かれた。その車を見て、イルカの絵を即決で依頼した森元は勇気と見る目があると思った。
孝志は愉快な男で、客であるのはお互い様だからと、森元とはいつの間にか軽口をたたき合うような仲になっていた。人懐っこい性格らしく、律子も塗装の契約をする頃にはすっかり打ち解けた雰囲気になっていた。自分の名前を覚えてもらったことがすごく嬉しかったし、孝志の名刺とデザイン決定までのスケッチは律子の宝物になった。
孝志について知っているのは、名前と職業、煙草を吸わないこと(灰皿の掃除は必要ないと言っていた)。左手を見る限りでは独身。それくらいだ。年齢は、少し前に聞いてみたがはぐらかされた。律子予想では、25歳の自分より少し上、だと思う。
「森ちゃん、竹中さんていくつか知ってる?」
尋ねると、森元はいや、と笑いながら手を振った。
「なんか、つかみどころがないっつうか、不思議な人だからさ、見当付きにくいよね」
前に一回聞いたんだけど、と森元が言った。
「いつもの調子で、かわされたまんま」
「やっぱり」
残念そうに言うと、律子の気持ちを見透かしたように森元がいった。
「律ちゃんとしては、知りたいよなあ」
「え、別に……」
「分かるよ。今話してるだけで、顔がふにゃふにゃになってるもん」
「何よ、それ!」
肩を小突いてやったが、自分でも心が弾んでいるのが分かる。森元は楽しそうだ。
「そうだ、いいこと教えてやるよ。彼女はいない、ってさ」
「うっそ! あの顔で?」
「うん。本人はそう言ってたよ。あの人冗談ばっか言ってるけど、嘘つかないってのがポリシーらしいから」
今はたまたまフリーなんじゃないの? という森元の言葉に飛び上がりたくなった。
私にもチャンスがあるかもしれない?
胸の中だけで言ったつもりだったが、分かりやすいよなあと森元が笑った。
* * *
気を遣ってくれたのか、律子の勤務が終わる頃、孝志が車を届けにきた。
「すげえ!」
先に森元が声をあげた。
「いいじゃん、天使。Zに合うね」
銀色のボンネットの右側に真珠色ベースで描かれた天使は、丸めた体を大きな羽で隠すようにして、少しうつむき気味で微笑んでいる。聖母の微笑だ。涙が出そうになった。
「やっぱりこれにして良かった」
「迷わず、決めたんだもんな」
孝志が満足そうに言った。
「気に入った?」
「ええ、とっても。ありがとう!」
当然だ。だって竹中さんが描いてくれたんだもん。
「でも、よくやろうと思ったっすね」
孝志と一緒に来た板金屋の青年が笑った。金色の髪をしているし、最初に会った時は怖そうなお兄ちゃんだと思ったが、笑顔はなかなか可愛い。
「絵描いた車乗るなんて、かなり勇気いるっすよ。普通」
「何言ってんだよ。せいどー君なんか、死神乗せてんじゃねえかよ」
森元が苦笑した。せいどー君――青田誠道の車には、大鎌をかざした髑髏が描いてあるそうだ。
「あんなの乗ってたら、そのうち事故に遭うぞ」
森元が真面目に言うので、笑ってしまった。確かに死神を乗せて走る車なんて聞いたことがない。
「まあ、律ちゃんの天使も似たようなもんか」
森元が言うと、青田が笑った。
「どっちもあの世にいるんすもんね。オレとお揃いだ」
「ちょっと待ってよ」
せっかく描いてもらったのに縁起でもない。律子が文句を言おうとすると、
「大丈夫、死神も天使も、おれが描いたのは幸運の守り神だから」
孝志が自信たっぷりに親指を立てた。孝志が言うと、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。
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