第94話 僕とエイミーと彼女の関係
「今回の作戦の最大の功労者は間違いなくハンナさんだ。本当にありがとう。何かお礼がしたいのだけど、要望はある? 僕にできることなら、何でもするつもりだよ」
軍議からしばらくの後、僕は独房のハンナさんのもとを訪れていた。
今回の作戦が成功したのは、間違いなく彼女のおかげ。
その戦功を考えれば、彼女がスパイだった分など帳消しにしてもいいくらいだと僕は思っているが、そうもいかない。
そこでせめて僕に何かできることはないかと思い、訪ねたのだ。
だがそんな僕の言葉に、彼女は独房の中で静かに首を横に振り、
「お礼なんていりません。そんなもの頂けるような立場じゃないことは、私が一番分かってますから。それよりも、バーム様は大丈夫なのですか? 作戦のためとはいえ、私を独房から出すなんて、帝国の者達は決して快く思っていないんじゃないですか?」
そう、むしろ僕のことを心配するように尋ねてくる。
ハンナさんの言うとおり、あれから帝国の者達が僕に向ける目は、必ずしも快いものではなくなっていた。
新参者がティア総帥に気に入られていることをいいことに、好き放題やっている。
結果を出している事やティアさんがかばってくれていることもあり、実際に口に出して批判する者はいない。
だが内心では快く思っていない者が多くいることなど明らかだ。
しかし僕は後悔していないし、むしろ正しいことをしたと思っている。
だから僕はあえて笑顔を浮かべて、
「大丈夫。僕たちは結果を出したし、それがハンナさんのおかげであることは、内心では皆分かっていることだから。それに君がスパイになったのも、やむを得ない事情があったから。勿論、今すぐに全員に納得してもらうのは難しい。けれどこうして時間をかけて結果を積み重ねていけば、きっと帝国の皆も理解してくれる。だからその日まで、一緒に頑張ろう」
そう前向きに答えてみせる。
僕のその言葉にハンナさんは、浮かべた心配げな表情を幾分か和らげ、代わりにわずかに笑みを浮かべ、
「――バーム様はいつも前向きですね。本当に……心配になっちゃうくらいに。本当はお礼がしたいのは私の方。私が今こうしていられるのは、バーム様のおかげ。でも今の私にできることと言えば、全力で兵器の開発、改良案を考えて、それを提案する事だけ。そしてそれすらも――、でも、私は全力を尽くします。それ以外、私にできることはありませんから」
そう言って、新たな紙束を僕に手渡してくれる。
紙に書かれているのは、魚雷の図面。
ただしそこには、追加した木製尾翼の他にも、新たな装置が追加されている。
「これは?」
尋ねると、彼女は浮かべた笑みを強くし、
「今回の作戦で、想定より高速で発射された魚雷数門が、あらぬ方向へ航走したという報告を聞きました。やはり木製尾翼だけでは、高速発射時に魚雷が回転しコントロールを失う問題を、完全に解決することはできない。そこで回転を舵によって制御する装置を、以前から大まかにですが考えていたんです。勿論、細かい部分はまだまだですし、実験や研究も必要です。でも、独房の中で私一人では、これ以上は難しいし、他にもっと優先すべきものもあります。だからバーム様、これの続きは、お願いします」
そう言って、頭を下げる。
高速発射時に魚雷に発生する回転を、舵によって制御する装置。
その必要性は、木製尾翼を考案したころから理解はしていた。
だがその機構を短期間で開発する事の難しさから、僕は決戦に間に合わせることは不可能と、半ば諦めていた。
だが彼女はそれを諦めず、たった一人でこの短期間のうちに、大まかにとはいえ装置を考案して見せたのだ。
「これだけの機構を、この短期間で? すごい、すごいよ。僕なんかほとんど諦めていたのに。この装置を実用化できれば、今よりさらに高速で、荒れた海面でも魚雷を使用することができるようになる。そうなれば、雷撃時に母機がさらされる危険を大幅に減らすことができる。分かった、これの研究、実用化は航空魚雷の開発チームで引き継いで行うよ。
でもこれだけで革命と言ってもいいくらいの機構なのに、これよりも優先すべきものって、やっぱりあの戦闘機?」
僕が賞賛しつつ尋ねると、彼女は頷き、
「はい、私がここに来たのは、あの異世界の戦闘機を翔空機として再現、実用化して、この大空を飛ばすため。それに強大な光神国に帝国が対抗するためには、航空戦での優位を維持する必要がある。そのためにも一刻も早く、あの戦闘機を実用化しなければならない。よそ見している暇なんてありません」
そう毅然と答えてみせる。
その言葉に、僕は頷き、
「ハンナさんの言うとおり、強大な光神国に帝国が対抗するためには、航空戦での優位の維持が絶対に不可欠だ。でも僕は翔空機に関してはほとんど素人。いくら陸や海の分野でがんばっても、空で不利になった分を補うことは難しい。帝国の未来は、ハンナさんの双肩にかかっているといっても過言じゃない。よろしく頼みます」
そう期待の言葉を向ける。
するとその言葉に、彼女は自信と誇りを持って大きく頷きを返し、
「必ず。皆の、私の、そしてバーム様のために」
そう答えてみせる。
彼女なら、必ず結果を出してくれる。
返される彼女の言葉と態度に、僕はそれを確信する。
「となれば研究と実験のための資料と道具、部品が必要だね、独房に持ち込める量は限られているけど、可能な限り手配するよ。他に必要なものがあれば言って」
僕がそう申し出ると、
「何から何まで、ありがとうございますバーム様」
彼女はそう、笑顔で感謝の言葉を口にした後、
「ところで、話は変わるのですけど……」
そう言ってそこで一旦言葉を止め、視線を地面へと落す。
そして何事か考えるかのように沈黙すると、しばらくの後再び視線を上げ、意を決したように、
「あの……バーム様とエイルミナ様は、どういったご関係なのですか? 以前城の者達は、恋人同士なのだとか、光神国から駆け落ちしてきたのだとか噂していましたけど」
そう尋ねてくる。
それまでの会話の内容と打って変わって、唐突に飛び出したその言葉に、
「……えっ、ぼ、僕とエイミーが恋人? 駆け落ち!?」
僕は驚愕のあまり何度も舌をかみ、声は完全に裏返ってしまう。
「え、違うのですか?」
僕のその反応に、意外そうに尋ねてくるハンナさん。
その言葉に、僕は心の中で落ち着けと何度も唱え、しばらくの間思考した後、
「いや、違わなくもないというか、周りから見ればそういうことになるのか。冷静に考えてみればそういう見方もできなくはない? でも恋人というのはさすがに言いすぎなような……。勿論、僕はエイミーのこと……、でもエイミーが僕のことをどう思っているのかは分からないし……、少なくとも嫌われてはいないと思うけど、それが恋愛感情かどうかは微妙なような……。駆け落ちというのも間違ってはいないような、でもそうとも言い切れないような、でも……」
そう、返答というより自問自答の言葉を口にしてしまう。
そんな僕の様子を、キョトンとした様子で眺める彼女。
僕はしばらくの間思考した後、
「えっと、なんていうか、説明が難しいから、僕がエイミーと出会ってから光神国に来るまでの経緯を、かいつまんで説明するよ。ちょっと長くなるかもしれないけど……」
そう前置きしたうえで、これまでの経緯を説明する。
前半生からエイミーに出会うまで。
エイミーと定期市での交流、関係が絶たれるまでのこと。
ティアさん、緑さんとの出会い、聖剣授与式での出来事。
大決闘祭での死闘、ファルデウスとの戦い。
光神国を脱出し、帝国にたどり着いたこと。
記憶封印の件など、ややこしい部分は省き、話を短くまとめるため相当にかいつまんだが、それでも15分ほどかかってしまった。
「そういう経緯で、僕とエイミーはこの帝国に来たんだ。だからその、恋人かと聞かれると、まだはっきりとは答えられないけれど、でも僕にとって彼女は、間違いなく特別な存在なんだ」
そう話をまとめる僕。
自分で言っていて体が火照ってしまうが、他に説明のしようがない。
そんな僕の話を聞いて、ハンナさんは、
「――そう、ですか」
そう聞いて、なぜだか一度、視線を地面に落とす。
その時彼女がどんな表情を浮かべていたのか、身長の関係上、上から見下ろしていた僕には、とらえることができなかった。
それから数秒の後、彼女は再び顔を上げると、さっぱりとした笑顔を浮かべ、
「素敵な出会いですね。私、バーム様の恋が実るよう、応援します」
はっきりとそう言って見せる。
そう真正面からぶつけられた言葉に、僕は、
「え、こ、恋!? 」
慣れない単語に、思わず再びたじろいでしまう。
だがそんな僕に、彼女は、
「こら、とぼけても無駄ですよ。バーム様もそれなりの年なのですから、自分の思いから逃げちゃダメです。それにここは戦場、いつ何があっても、おかしくないのですから」
そう冷静に、真剣に言葉をぶつけてくる。
その言葉に、思わず僕ははっとする。
ここは戦場、エイミーはその最前線で、毎日命を懸けて戦っている。
命は儚いもの、だからこそ今この一瞬を、精一杯生きなければならない。
次の一瞬、失ったものを前に後悔しないようにするために。
「……確かに、ハンナさんの言う通りだ」
呟くと、小さく頷くハンナさん。
僕は拳を握りしめ、立ち上がり、エイミーのいるだろう方向に視線を向ける。
だがなぜだか次の数秒のうち、心のうちで燃え上がった熱い思いは、なぜだか急速に弱まってしまう。
理由は自分で分かっていた。
「でも……やっぱりもうちょっと、エイミーにふさわしい男になってからにするよ」
僕は再びそう呟いて、そそくさと独房を後にする。
「――え、ちょ、ちょっとバーム様!?」
そんな僕の背中にハンナさんが声をかけてくるが、それ以上背中を押されるのが怖くて、僕は振り向かないまま、その場を逃げ去ることにしたのだった。
「――全く、あれだけのことをしておいて、まだ自信がつかないなんて。行動力があるんだかないんだか。……でも、私は応援するだけ」
バームの背中を見送り、呟くハンナ。
だが数泊の後、彼女は胸を押さえると、
「……どうして? これは祝福すべきことよ」
そう一人また呟いて唇をかむと、何かを振り払うように首を横に振る。
そして椅子に座り、筆を手に図面に向かう。
独房で一人図面に向かう彼女が、これまでにない表情を浮かべていることに、この時気づいた者は誰もいなかった。
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