第79話 迫るその時

「はぁ、眠い。疲れた」


 思わず呟きながら僕がクワネガスキ城を麓から見上げたのは、輸送船団が敵の空襲圏を脱出した翌日の夜明け前の事だった。

 決戦初日の夜、探知装置の修理のために丘の城に向かって以降、僕は何とか夜明けまでに探知装置と無線装置の修理に成功し、その後も様々な装備の修理に追われた。

 なんとか修理がひと段落したのはその日の深夜のこと。

 やっと眠れる。

 そう思うのと、空襲再開の恐れがある夜明けまでにクワネガスキに戻るよう指示が飛んだのは同時。

 結果、僕は護衛の駆る草食恐竜の背に相乗りし、2日連続の徹夜同然で夜道を駆け、今に至ったわけである。


「ティアさんのためなら何でもするつもりだけど、せめて今は眠らせてほしい」


 周りに付き従う護衛に聞こえないように、一人僕は呟く。

 だが中型の草食恐竜に騎乗した5騎と、その背に相乗りした魔道士4名、計9名の護衛は、移動する僕を守るためだけにさかれた精鋭だ。

 それを考えると、自分がいかに優遇されているのかを否応なく再認識させられ、ボヤキは自然と引っ込む。

 とはいえ、眠気にはどうしてもあらがえない。

 そう恐竜の背にあってウトウトする僕に、


「着きましたよ、バーム殿」


 草食恐竜を駆る護衛からかけられた言葉に、僕は慌てて目をこする。

 その直後、


「バーム殿です、バーム殿が戻られました!」


 どこからか上がる兵の叫び。

 すると数秒の内、


――バーム殿が戻られたぞ。

――総帥を呼べ。

――英雄の凱旋だ!


 城内から次々と上がる叫び。

 程なく、周りに大挙して集まってくる兵士たちの姿に、僕はようやく目を覚ます。

 2日前まで、僕を見る周りの兵士たちの視線の多くは冷ややかなものだった。

 だが今は、たくさんの兵士たちが僕の乗る恐竜の周りに集まって来たかと思うと、


「胴上げだ、それっ!」


 誰かの言葉と共に、僕は恐竜に乗ったままの状態から半ば無理やり担ぎ上げられ、そのまま地面に下されることなく宙を舞う。

 1回、2回、3回、計5回宙を舞って、ようやく地面に下される僕。

 そして周りを包む拍手と喝采の渦。

 だがその時になっても、僕は何が起こっているのか、事態を呑み込むことができなかった。

 と、その時、


「総帥だ、総帥が来られたぞ」


 どこからかそんな声が上がると共に、僕の周りを囲む兵士達が道を開け、その先に3つの人影が現れる。

 ティアさんにゲウツニーさん、緑さんだ。


「バーム」


 笑顔を浮かべ、先頭を切って駆け寄ってくるティアさんに、僕は、


「あの、これはどういう?」


 そう事態を呑み込めないまま尋ねる。

 ティアさんはそんな僕の手を固く握り、


「港を脱出した輸送船は、一隻の損害もなく空襲圏を離脱することができた。あなたのおかげよ。たった一週間でよくやってくれた」


 そう、総帥という立場に立って告げる。

 だが僕は、


「え、いや、往路で一隻撃沈されたはず……ですよね?」     


 そう疑念をぶつける。

 だがその疑問に、ゲウツニーさんは首を横に振りながら口を開き、


「いや、往路での撃沈はさほど重要ではない。勿論物資の輸送も大切なことだが、この作戦の最大の目的は、トウルバ港に集まっていた避難民を出来るだけ犠牲を出さずに脱出させる事だ。復路での艦船の損害は護衛の駆逐艦一隻の大破のみ。輸送船7隻に護衛の艦船にも一部乗船させ、女、子供を中心に避難民の大部分を無傷で脱出させることに成功した。これだけでも、十分な戦果だ。

 加えて輸送物資に関しても、撃沈された1隻に積んであった分を含めても、約5割の回収に成功した。少ないように聞こえるかもしれないが、現在このトウルバ港周辺のおかれた状況と戦力差、さらに空母の出撃を温存したうえでの戦果と考えれば十分なものだ。

 さらに航空隊と地上の対空部隊は圧倒的戦力差を跳ね返し、大量の敵機の撃墜に成功した。詳しい戦果はまだ明らかではないが、撃墜した敵のパイロットから得た情報や暗号解読でも、少なくとも我が方の数倍の損害をあたえたことは間違いない」


 そう、感情を表にこそ出さないが、明らかに軟らかい口調で告げる。

 そのゲウツニーさんの言葉に、僕はようやく、決戦になんとか勝利したらしいことを知る。

 さらにティアさんは僕の背中に手を回すと、


「分らない? あなたはトウルバ港にいた何千人というの避難民の命を救ったのよ。それだけじゃない。回収に成功した物資で、当面の食糧、軍需品は確保できた。それが誰のおかげなのかって? これまでよりはるかに読み取りやすくなった上に、高度まで割り出せるようになった探知装置。雑音が極端に減って、近距離なら空中の機体同士ですら会話できるようになった無線装置。8割を超える戦闘機の稼働率。それもたったの1週間でよ。

 あなたの活躍は、戦術を駆使し数倍する敵を打ち破った古の名将にだって引けを取らない。だからそんなとぼけた顔してないで、もっと胸を張って!」


 そう言って、勢いよく叩く。

 その言葉と背中に走る痛み、何より周りの兵士たちの変化に、僕は自分のしたことの意味を知る。

 具体的実感はまだわかない。

 だがそれでも、僕のしたことに意味はあったらしい。   


「そうですか、ならよかった。でも……」


 僕はそう言って、しかし襲い来る猛烈な疲労と眠気には敵わず、足元をふらつかせる。

 そんな僕の体を受け止めてくれるティアさん。

 

「すいません、今は、眠らせてください」


 そう言って僕は目蓋を閉じる。

 それと同時、周りからどっと沸き上がる笑い声。

 それを耳にしながら僕は、そういえば、エイミーは今頃何をしているのだろう? と疑問をもつ。

 ティアさんもいいけど、やっぱりエイミーの笑顔が見たかったなぁ。

 そんな贅沢なことを思いながら、僕の意識は途切れるのだった。




 同時刻、ヨシュルノ川南岸にて、


「伏兵、今よ!」


 響き渡るエイルミナの一声。

 それと同時、鳴り響く合図の鐘の音。

 直後、土塁の後方に身を伏せ隠れていた帝国兵が一斉に立ち上がって長槍を突き出し、土塁を登りきろうとしていた光神国兵は一気に打倒される。

 さらに続けて放たれる帝国軍の矢の雨。

 この猛攻に光神国軍は瞬く間に崩れ、兵力に勝るにもかかわらず川を渡って敗走を始める。

 

「追撃を仕掛けて。ただし川岸までで引き上げるように。北岸の主力が救援に出てきたら、今の兵力では勝ち目は無い」


 エイルミナはそう言って采配を振るい、将兵はそれに従って土塁を越え、追撃を始める。

 数日前、エイルミナはティアから500の兵を預かり、ヨシュルノ川南岸に進出していた。

 北岸の光神国軍の隙を伺い、奇襲をしかけることが目的だったが、敵は警戒を厳重にし、隙を見せなかった。

 そこでエイルミナは光神国軍の偵察を掃討しつつ、兵を隠すための低い土塁を築かせた。

 そして連日連夜、大量のかがり火をたき、大声を上げて敵兵の睡眠を妨害した。

 さらに霧や夜陰に乗じて敵陣地近くまで進出し、一斉に矢を射掛けては引き上げるという挑発行為を繰り返した。

 そうして敵のいら立ちが頂点に達したのを見て取ったエイルミナは、一部の兵を連れて日中、正面から敵陣を攻撃した。

 当然敵は反撃に出、兵力に劣るエイルミナの隊はわざと敗走し、南岸へと引き上げた。

 それを追撃してきた敵を土塁へと誘導し、土塁の裏に隠れていた伏兵で反撃し、今に至っていた。

 

「バームは今頃、何をしているかしら? きっと私よりもっと大きな戦果を挙げて、皆を見返しているのでしょうね」


 将兵を率い、巧みな戦術を用いて戦果を挙げることほど華々しいものはない。

 だが彼女は知っている、そういった前線で戦う花形の将兵の活躍と同じくらい、後方で支える者達もまた大切な働きをしてくれているということを。

 そしてバームのそれに至っては、それこそ前線で戦う数千の将兵、あるいは戦術を用いて数倍の敵兵と渡り合う名将にすら匹敵するほどのものであるということを。

 そんな彼の隣にいられることを、彼女は最大の誇りに思う。

 そして願わくは、


「彼の実力と活躍が、皆にももっと認めてもらえますように」


 笑顔と共に、そう呟く。

 だがその直後、 


「それは違うわ」


 不意に背後からかけられる言葉。

 しかしエイルミナは慌てることなく背後を振り返り、声の主を見る。


「違うってどういう事? シェミナ」


 エイルミナの落ち着いた反応に、しかしシェミナもまた落ち着いた態度で、


「その反応、私の気配に気が付いていたようね。だから追撃に参加せず一人この陣地に残った」


 そう状況を分析する。


「ええ、あなたを見つけるのは簡単ではないけれど、同じ轍を踏みはしないわ。それで?」


 続きを促すエイルミナ。


「分らない? あなたは今、彼の実力と活躍が、皆にももっと認めてもらえますように、と言った。きっとあなたは、それでバームが幸せになると思っている」

 

 その言葉に、エイルミナはわずかに目を細め、


「違うというの?」


 鋭く、そう問いかける。

 だがシェミナもまたそれ以上に鋭い声で、間髪入れず、


「あえて言うわ。それで幸せになるのはあなたであって、バームではない。あなたはあなたの幸せのために、バームの活躍を願っているだけよ」


 そう冷たく断言する。

 その言葉に、エイルミナは眉をひそめ、


「どうして? 実力を持つ人がそれに見合った活躍をして、何より誰かに、正しくそれを認めてもらえる。人にもよるかもしれないけど、それは普通、喜ぶべきことでしょう? 現に彼は――」


 そう反論するエイルミナ。

 だがシェミナはそれを遮るように、


「ええ、きっと喜んでいる事でしょう。そしてそれは私もそう。バームのそばではなく、あのゾルデンの妃として光神国側にいることを、ずっと口惜しく思ってきた。でも光神国側に立って、光神国側にどれほどの損害が出ているのか、そしてバームがどれほどの脅威になっているのかを耳にして、私初めて、光神国側にいるのも悪い事ばかりじゃないって思えた。だってそんな話、光神国側にいないと聞けないでしょう? あえて言うわ。こんなにうれしくて、心が躍ったのは久しぶりよ。それは認めるわ」


 そう答える。

 その言葉に、シェミナの真意をくみ取ることができず、さらに眉をひそめるエイルミナ。

 だがシェミナは続けて、寂しげに言う。 


「でもそれは今だけの事。直に彼は思い悩むことになる。自身が活躍し、それをみんなに認められ、自覚すればするほどに、それはどんどん大きく膨らんで、彼の首を絞めることになる」


 その言葉に、ようやくはっとするエイルミナ。

 そんな彼女に、シェミナは憐れむような眼差しを向けて言う。


「やっと気づいた? 彼は違うの。戦争とはいえ、何人も人を殺して英雄と呼ばれた男の娘であるあなたや、彼のためにと言って色々な兵器や戦術を考案し、戦略を立て、卑劣な謀略の限りを尽くし、何千、何万という命を奪って、それでも平気でいられる私とは。

 言っておくけど私、あなたの事嫌いじゃないし、今回の事も責める気はないの。だって昔の私がそうだったから。むしろ感謝しているくらいよ。あなたは外見や種族の壁を越え、彼の実力を見出し、正当に評価した。そんな人が彼の前に現れることを一番に願ったのは、他ならぬ私よ。

 でもあなたは彼を表舞台に導いてしまった。それも血染めの舞台に。私たちはその舞台で踊っても平気でいられるし、彼がそこに立って人に称えられることを、誇らしく思える。けど彼がその舞台が血染めであることに気付くのに、そう時間はかからないわ。そしてそうなった時、あなたはどうするの?」


 刃のように突き刺さる言葉。

 エイルミナはその頬に冷たい汗を伝わせ、しかし青ざめた表情を浮かべながらも、  


「だったらあなたはあのまま、彼が埋もれていればよかったというの!?」


 そう食って掛かる。

 その反論に、シェミナはわずかに目を細めながらも、どこか悟ったように、


「私もあなたくらいの齢の時に、あなたと同じ立場に立っていたなら、きっと同じ道を歩んだと思う。でも私は彼に身を挺して教えてもらったの。能力や実力に見合った活躍をして誰かに認められることが、必ずしもその人に幸せをもたらすとは限らない事を。だから今私がこうしていることを知ったら、彼はきっと悲しむと思う。でもそれでもいい、私は決めたから、彼のためならどんなことでもする。この血染めの舞台で返り血に身を染めて、平気で笑顔を浮かべて踊って見せるわ。この命が燃え尽きるその瞬間まで」


 そう言って、今にも消えてなくなってしまいそうな儚げな笑顔を浮かべ、くるりとその場で一回転して見せる。

 そんなシェミナに、ついに言葉を失ってその場に立ち尽くすエイルミナ。

 シェミナはそれを見、姉が妹を諭すように、


「大丈夫、心配いらない。私が用意してあげるから。あなたとバームがしっかり納得したうえで、この血染めの舞台から自分の意志で降りることができる道を。その時が来れば、それは自然と分る。だからその時が来たら、絶対に躊躇したらダメよ。そしてあなたが彼の手を引いて、舞台の下へと導いてあげて。でないと彼はきっと、血に染まった自分の手を見てもがき苦しみながら、それでも、舞台に立ち続けようとするでしょうから。

 きっとあなたにとっては生涯で一番苦しい決断になると思う。でも彼の事を本当に思っているのなら、自分ではなく彼の幸せを一番に願うのなら、必ずできるはずよ。もしそこで躊躇してしまったなら、きっと私と同じ破滅の道を歩むことになってしまう。それだけはダメ。あなたは私と同じ轍を踏んではならないわ」


 そう言って、踵を返す。


「――あなたとバームに、一体何があったというの!?」


 その背中に向かって叫ぶエイルミナ。

 だがシェミナは振り返らないまま、


「あなたは知らなくても良い事よ。いや、あなただけじゃない、これは私だけの宝物。だから私一人が大事に抱えて、墓の中まで持っていくわ。私の行先は間違いなく地獄だろうけど、それさえあれば、どんな苦しみにだって耐えることができる。だから私の唯一の宝物を、奪わないで」


 そう言って、突如表れた黒い霧の向こうへと去っていくシェミナ。

 程なく霧は晴れ、辺りをそれまでとなんら変わらない景色が包む。

 その中にあってただ一人、冷たい汗を滝のように流し、肩で息をするエイルミナ。

 その時は彼女が考えるよりはるかに早く、容赦なく迫っていたのだった。 

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