第64話 勝鬨の裏で

「えい、えい」  


 城内に集った数百の将兵の視線が一身に注がれる中、総帥たるティアさんは見張り台の頂に立ち、夕日を背に掛け声をかける。

 次の一瞬湧き上がる、割れんばかりの大歓声。

 それは震えとなって、城を、大地を、血を、心を、奮わせる。

 勝鬨。

 それは決戦に敗れて以来、長く遠ざかってきた勝利を、帝国軍将兵は勿論、光神国軍にまで明確に示す。

 

――総帥万歳!

――帝国万歳!


 口々に叫ぶ将兵。

 その喜びと期待を一身に受け、笑顔で応えるティアさん。

 こうして帝国軍の反撃が始まる。

 例え誰が、どれほどの大軍が相手だろうと、二度と敗れはしない。

 そんな思いがこの瞬間、帝国軍将兵を一つにしていた。





「……皆は私が戻ってきて、これからも勝利が続くと思っているようだけど、情勢はかんばしくないわ」

 

 その夜の軍議の席、ティアさんは開口一番告げる。

 総帥という立場、全軍の士気の要である彼女のその発言がどれほど重く、危険なものか、それを理解した上での、その発言。

 明確な勝利の夜にもかかわらず、軍議は開始早々、重苦しい雰囲気に包まれる。 

 

「――総帥、その発言は皆の士気にかかわります。それに、この場でそれを言っても仕方がありません」


 そんな彼女をたしなめるように告げるゲウツニー。

 弱音一つ吐く事すら許されない、そんな言葉に、ティアさんは険しい表情を崩さないままながらも頷き、


「そうね、先ずは報告を」


 そう前向きに話を進め始める。

 ティアさんのその言葉に、前線で指揮を執っていた将校の一人が口を開く。


「はっ、本日の戦闘の結果、丘の北面に布陣していた敵軍は丘の麓の陣を放棄し、ヨシュルノ川北岸まで後退。南下した敵軍主力と合流し、体勢の立て直しを図っている模様。現在、諜報兵が監視、警戒に当たっておりますが、ヨシュルノ川を渡る気配は今のところみられておりません。

 戦果としましては、敵鉄砲、弓、騎兵隊に大きな損害を与え、歩兵にもある程度の損害を与える事に成功。また捕虜多数を確保しております。さらに丘の麓の敵陣を破壊。その際、物資、兵糧の奪取に成功しております。また敵鉄砲隊を撃破した際、敵の鉄砲数十挺も得ることに成功しました。

 我が方の損害としましては、スオママウ城を出撃した隊が敵の騎兵の突撃により甚大な損害を受けたほか、この城および南の平城の守備兵に損害が出ております。クワネガスキを出撃した隊に関しては、損害は軽微。またこの城、及び南の平城に関しては、主に城壁などの木製の防御設備の損壊が激しく、目下修復を急がせております」


 そう、今日一日の戦闘を総括する将校。

 戦術的には勿論、戦略的にも大きな意味のある勝利。

 その内容に、それまで場を包んでいた重苦しい雰囲気はひとまず和らぎ、将校達は胸をなでおろす。


「特に兵糧と鉄砲を得られたのは大きな収穫でした。これで兵糧の不足問題も大分ましになるでしょうし、懸案だった鉄砲の尾部構造の解明も早まるはず。上手くすればクワネガスキの鍛冶場で生産を開始できるかもしれない」


 そう将校の一人が言い、他の将校達も笑顔でうなずく。

 ティアさんもその点には微笑と共に頷きつつ、


「捕虜に関しては身代金と引き換えで、早々に返還してしまいましょう。兵糧調達に苦慮している相手に兵糧を要求しても仕方がないし、返還交渉に時間をかければ、その分彼らに兵糧を与えねばならなくなる。得られた金は裏ルートで人間の商人との交渉に使ってもいいし、いくらでも使いどころはあるしね」


 そう軽い口調で告げる。

 ここまでは良い話ばかりだ、重苦しい雰囲気に包まれる要素などほとんどないようにすら思われる。

 だが、その空気を切り裂くように、


「城内にブルゴスとシェミナの侵入を許した件についてですが――」

   

 エイミーが自ら話を切り出す。

 その言葉に、和みつつあった雰囲気は再び元に戻る。

 ティアさんもまた表情を引き締めて、


「すでに報告は受けているわ。魔術を用いない迷彩と高度かつ必要最小限の光学魔術の組み合わせ、現状の警戒体勢でこれを捉えることは難しい。逆探にしてもいざ戦闘が始まり魔術反応が多数発生すれば、個々を判別するのは困難になってしまう。大型の探知装置の配備を最優先に進め、目視の警戒も強化しましょう。

 シェミナの件については情報部に調査を指示。それとバームに関しては、今後護衛を3名常に付けることにします。バーム、それでいいわね?」


 そう感情を感じさせない平坦な声で告げる。

 護衛とはいうが、半分は敵との接触を断つための監視だろう。

 いらぬ疑いをかけられないようにするためにも、僕は即座に頷く。

 ティアさんはそれを確認したうえで、続けて、


「それと今回、ガウギヌスとシェミナを取り逃がした件について、ガウギヌスに関しては私の判断もあったし、今後のエイルミナの働きで挽回してもらうことにします。でもシェミナを見逃した緑に関しては、処罰を検討しているわ」


 そう変わらない平坦な口調で告げる。

 だがその言葉に、驚愕の表情を浮かべる将校達。

   

「お、お待ちください、緑殿は今回の戦で大きな働きをされております。シェミナの件に関しても、当時の味方の損害、疲労状態を鑑みれば、戦闘を回避したのも間違った判断とは言いきれません」


 そう将校の一人が反対の意見を述べ、他の多くの将校もこれに同調するようにうなずく。

 僕もその当時は、緑さんがシェミナを見逃したことを不思議に思っていた。

 だが今になって冷静に当時の状況を振り返れば、戦闘を回避したのは賢明な判断だったようにも思える。

 だがティアさんは首を横に振り、


「緑は個人の感情で敵を見逃した、どれほど戦功をあげていても、これは処罰しなければならないわ」


 そう冷たく言い放つ。

 本来かばうべき仲間のはずの緑さんを、最も近しい仲のはずのティアさんが処罰しようとしている。

 身内びいきと思われるのを避けるためなのかもしれないが、他の将校達が止めている以上、そこまでしなくても良いのではないかと思う。

 当の緑さん本人は、ただ無表情を浮かべ沈黙を守るのみだ。

 その後も数人の将校が反対の意見を述べるが、ティアさんは決定を覆さない。

 そんな中で最後に口を開いたのはゲウツニー中将だった。


「確かにその場の感情で敵を見逃したことに関しては、本来なら何らかの処罰があってしかるべき所でしょう。しかし今回の件に関する限り、常識の範疇はんちゅうで判断すべきではないかと」


 そう、他の将校達とは違う形で反論するゲウツニーに、ティアさんは怪訝な表情を向ける。

 心を射抜くようなそのまなざしに、しかしゲウツニーは動じず続けて、


「私自身、これまで何度も失敗を重ねてきました。しかしその度、本来なら処罰されるべきところを、総帥の常識に囚われない判断に救われてきました。そのおかげで今の私があるのです。私だけではありません。この場にいる多くの将兵、さらにいえばこの帝国そのものが、これまで幾度も総帥に救われてきました。

 軍規を忠実に守り、適切な処罰を与える事も必要でしょう。しかし今回の件に関しては、性急な判断は避けるべきではないかと思うのです。何より、今彼という戦力を失うことは、損失があまりに大きい」


 そう反論する。

 

「――その私が、処罰するのが適当と判断したの」


 変わらず冷たく切り返すティアさん。

 これ以上の問答は無用、そう反論を押さえつけるようなその言葉に、


「恐れながら、その判断は誤りだと私は考えます。今感情に囚われ、本来の勘と判断力を失っているのは総帥、あなたです」


 しかしゲウツニーもまた一歩も譲らない。


「シェミナを見逃すという判断が、将来帝国に利をもたらすとでも言いたいの?」


 さらに踏み込むティアさん。

 そこを突かれては、緑さんを弁護するのは難しい。

 だがゲウツニーは譲らず、


「――いささか苦しいようですが、遠い将来、我々に利をもたらす可能性が全くないとも言い切れないのではないかと。それに何より――」


 そこでわざと言葉を切ると、ゲウツニーはティアさんの瞳を正面から見つめ、押しの一言を告げるのだ。


「緑殿は総帥の心の刃を抑えることができる、唯一の鞘。決して手放してはなりません」


 次の一瞬、続けて何事か言い放とうとしていたティアさんが、しかし何も発する事ができず、開きかけていた口をつぐむ。

 不思議な沈黙が、場を包む。 

 このままでは軍議が進まない。

 誰もがそう思ったその時、停滞していた空気を切り裂くように、一人の将校が飛び込んでくる。

 そうしてもたらされた報告が、新たな戦いの始まりを告げるのだった。


「ブラウニ砦とムホウシ砦が落ちました。さらに敵の援軍約1万が来援。両砦を陥落させた敵軍と合わせ、都合約二万の大軍が、ヨシュルノ川北岸の敵軍主力との合流を計っております。さらに東部諸島の警戒艇が、敵極東艦隊の来援を確認。敵は陸海から、我が軍に迫りつつあります」

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