第65話 帝国軍

 もたらされたたった一つの報告が、停滞していた空気を一気に斬り裂く。

 

「その情報は確かなのか? 確度はどの程度なのだ?」


 将校の一人が険しい表情を浮かべ、重苦しい声音で確認する。

 情報を信じられないのではない、ただその情報のあまりの重大性ゆえに、ただ鵜呑うのみにするわけにはいかないのだ。

 だがその確認に、情報をもたらした将校は一切その深刻な表情を変えず、 


「敵海軍が重要通信に使う光種暗号を、情報部が解読し得た情報です。敵陸軍の暗号は解読出来ていませんが、両砦が陥落したと思われる時刻に通信量が一気に増えたのを確認。また複数の偵察兵が両砦の位置から上がる煙、あるいは火の手を目撃。さらに光神国兵の上げる勝鬨かちどきを耳にしております。光神国軍に物資を販売する人間の商人からも、それらしい情報を得ております。

 現在さらなる情報を得るべく、偵察兵の数を増員しておりますが、敵も我が方の偵察兵の掃討に躍起になっている様子。また敵海軍はつい先ほど、暗号乱数表を更新したため、解読には時間を要するとのことです」


 そう冷静に、確信をもって告げる。

 どうやら情報の確度は相当高いらしい。

 

「……間に合わなかったか」


 一人が漏らしたその言葉に、唇をかみ押し黙る将校達。

 今回の築城作戦の裏には、敵軍主力を南に誘引する事で、北で包囲されている味方の三つの砦から敵を引き離し、砦の守備隊の負担を軽減するという意図もあった。

 作戦は一部成功したが、一方で敵の焦りを生み、砦への強行攻撃につながってしまったのかもしれない。

 

「――まだ陥落したと決まったわけではないけれど、可能性は高い。陥落した砦の守備兵の安否と、残るハラツ砦の状況も含め、早急に確認する必要がある。偵察機は使える? 多少の犠牲を覚悟しても、今は情報が欲しい」


 ティアさんが険しい表情を浮かべながらも、冷静に告げる。 


「クワネガスキの壕に3機、99型襲撃機が伏せてあります。急ぎ装備を偵察用に換装させ、黎明より低空強行偵察を行わせましょう。敵極東艦隊に対する偵察は、海軍に依頼します」


 こちらも冷静に答えるゲウツニー。

 その間にも、将校達はもたらされた情報が正しいと仮定し、机の地図に並べられた駒をせわしなく動かしていく。

 今日の戦闘により、丘の周辺から敵の白い駒は無くなった。

 反面北では味方の砦の黒い駒が二つ減り、その包囲にあたっていた多数の白い駒が自由となった。

 

「増援が約1万というのは正しいのか? 来援する敵極東の戦力に関して、情報は無いのか?」


 将校の一人が問う。


「敵の増援の兵力に関しては暗号解読の結果とのことですが、情報が錯綜さくそうしており確証はつかめておりません。敵極東艦隊の戦力にしても状況は同じですが、これまでに得た情報を総合すると、正規空母2~4、軽空母3~5、戦艦3~5を中核とした大小40~60隻の軍船、それに陸兵と物資を乗せた輸送艦を加えた、艦載機数100機以上からなる大艦隊との事です」


 もたらされる報告に、北方に追加される兵力1万に相当する白い駒。

 さらにクワネガスキ南東の海上に、大量の白い駒が追加される。

 

「ヨシュルノ川北岸の現敵軍主力1万強に、両砦を陥落させた敵軍約1万、増援の約1万を加え、計3万強、と言ったところでしょうか。敵海軍の上陸兵力がどの程度かはわかりませんが、5千は超えるでしょう。我が方は本日の戦闘での損害を差し引けば6千強程度。陸兵だけでも少なくとも5倍以上の戦力差。クワネガスキに集まっている民間人の避難や物資の輸送を考えれば、陸兵の増援の見込みはほとんどなし。後は味方海軍が敵極東艦隊を抑えることができるか否か、それと航空戦力の動きですが――」


 感情を隠すような淡々とした口調で解説する将校。

 さらにここで海軍関係者と思しき別の将校が話を引き継ぎ、


「我が海軍主力の第一、第二艦隊は現在主力艦の多くが損傷修理、もしくは人的損害により内地で訓練中。入れ替わりで補充された艦艇は実戦経験が無い、あっても少ない艦ばかり。それも本国防衛や輸送船の護衛、西方への備えを考えれば、出撃できる戦力は相当少ない。となると残りは基地航空隊ですが、敵艦隊は我が軍の基地の空襲圏を極力迂回し、かつ敵基地航空隊の援護を受けやすい沿岸部を侵攻してくると考えられます。優勢な敵航空戦力の勢力圏下で無理な航空攻撃を行えば、大きな損害は避けられないでしょう。

 敵の基地航空戦力に関しては、現在この城の周辺を空襲圏に収める基地は2つ。現時点ですでに100機程の戦力が展開しており、今後さらに増強がなされるはず。これまでは城の上空に霧を展開して空襲の効果を極力抑えてきましたが、今日の戦闘を考えれば、霧を展開していても安全とは言い切れません。味方基地航空隊の増援も、大きくは期待できません。戦闘機2、30機が限界ではないかと」


 そう、戦力差をさらに強調する。

 陸、海、空、全てにおいて圧倒的に不利。

 瞬間、身がすくむのに似た感覚が、僕を襲う。

 帝国軍に不利な戦況は理解していたつもりだった。

 だが実際に当事者となり、これに立ち向かわなければならないとなった時、湧き上がる勇気などわずかもなく、冷たい何かが背中を走るのみだ。

 

 集った将校達は、揃って感情の読み取れない平坦な表情を浮かべたまま、黙して語らない。

 エイミーも、緑さんも、ゲウツニー中将も同様。

 ティアさんも同様だが、こちらはその表情に、明らかな疲労と焦燥がにじみ出ている。

 病み上がりの体に、今日までの激務、勝利しても一向に良くならず、かえって絶望的となっていく戦況、疲労しない方がおかしい。

 本当は休んでもらわなければならないのだろう。

 だがこの絶望的戦況で、それは無理な相談だ。

 この絶望を打破する希望と期待、その全てが、総帥たるティアさんの、その小さな肩にかかってしまっている。

 このままでは、ティアさんは潰れてしまう。

 僕に何か、できることはないだろうか?

 何も思い浮かばない。

 どうしてよいかわからず、ただただ辺りを見回す。

 だが誰も、どうすることも出来ず、ただ無力感が生み出す沈黙が、軍議の場を包み込んだ。






「――そう言えば、以前にも似たような事がありましたな」


 しばらくの後切り出したのは、一人の老将校だった。


「あれは各部族、各勢力ごとに分かれていた我々が、帝国としてまとまる直前の事。光神国軍の電撃的侵攻を受けた我々は、重要都市と拠点のほとんどを占領され、絶望的戦況に立たされた。その時の軍議も、丁度今のような、まるで自身の葬式に臨んでいるような状況でしたな」


 そう懐かしげに語る将校の言葉に、その時その場に居合わせていたらしいゲウツニー中将と、他の将校数人も、ふと微笑みを浮かべる。

 そしてその内の一人の中年の将校が、


「いや、あの時は今よりもっとひどかったですよ。自分自身だけじゃなく、家族も含め、全てを失うんだと、皆本気で思っていましたからね」


 そう、話している内容と裏腹に、快活に突っ込む。

 そしてその言葉に、将校らは浮かべた笑顔を、一層強くする。


「俺なんか、どのタイミングでどうやって逃げ出すかばっかり考えていましたよ」


 さらに一人の口にした言葉に、他の将校は、ひでー奴だと一応の非難の言葉を発するが、やはりそこに浮かぶ笑顔は変わらない。

 僕も含めその時その場に居合わせなかった者達は、話の意図を理解できず、ただきょとんと、将校達の会話に聞き入る。

 それからしばらく、将校達はひとしきり当時の話をして笑ったのち、


「たった一つ違うのは、あの時、総帥が底ぬけて明るく元気に、我々を励ましてくれた事」


 そう暖かな声で言う。

 瞬間、焦燥と疲労に沈んでいたティアさんの瞳が、小さく、だがはっと見開かれる。

 さらに別の将校が続けて、  

 

「あの時はまだ総帥じゃなく、光神国の脅威に対抗するため各部族の連合を呼びかけていた、一人の生意気な小娘にすぎなかった。光神国という共通の脅威を目の前にしてさえまとまりきれず、敵の謀略にいいようにかき乱され、忠言も聞かず、敵の侵攻をゆるし、滅亡寸前まで追い込まれた。そんな我々を見捨てず、希望を捨てずに戦い、遂には勝利に導いてくださった。あの時の事を考えれば、この程度の戦力差で絶望するのは、いささか贅沢というもの」


 そう言ってまた笑って見せる。

 事ここに至って、ようやく周りの者達も話の意図に気付き、項垂うなだれていた顔を、決意の表情と共に上げる。


「なんでも一人で頑張りすぎるのは総帥の悪いクセです。ここは我々にお任せください。皆、今度は我々が総帥を励まし、救う時。我々の底力、総帥に見せつけるぞ!」

 

 言葉と共に、全将校が立ち上がり、雄たけびを上げる。

 

 これが、帝国軍。

 決してティアさんに負んぶにだっこの組織ではない。

 もちろん、こうして気を吐いたところで、戦況が良くなるわけではない。

 だがそれでも、最も必要で大切なものが、ここにはある。

 僕も負けてはいられない。

 必ず、ここの一員にならなくてはならない、なって見せる。

 そう思い、僕も一緒になって立ち上がろうとしたその時、 


「――ちょっと、勝手に置いてかないで!」


 突如立ち上がったティアさんの叫びが、将校たちの雄たけびを切り裂く。


「何勝手に私を戦力外扱いしているの!? ちょっと疲れていただけよ。絶望なんかしてない。ちょと一休みさえすれば、私はまだまだ戦える!」


 そう、声がかすれ裏返るほどに叫んで、ティアさんは肩を上下させ、激しく息をつく。

 そんなティアさんを見、将校達はしばらくの間は目を丸くして、しかし数秒の後には、どっと声を上げて笑い始める。


――さすがは総帥。

――消沈なんて似合いませんよ。

――総帥はやはりこうでなくては。

――よっ、男前!

 

 そう口々に告げる将校。

 その言葉に、ティアさんは頬を赤く染めつつ、拳を握り震わせ、


「――最後に言った奴、覚えておきなさい」


 そう恐い声で言ったのち、一度息を吐く。

 そして数秒の後、今度こそ落ち着きを取り戻すと、ティアさん本来の、真っ直ぐ、凛とした表情を浮かべ、言ってのけるのだ。


「確かに戦況はかんばしくない。だからこそここを乗り切るには、皆の力を出しきる必要がある。私一人じゃ勝てない。みんなで一緒に、勝ちましょう!」

 

 放たれる、帝国軍総帥としての一声。

 その言葉に、今度こそこの場の全員の心が一つとなる。

 絶望的戦況、だが今この時、敗北や死を覚悟する者など、この場には誰一人としていなかった。

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