第9話 望み

――いた。

 

 そこは城門前の広場。 

 数千の聴衆と槍で武装した多数の警備兵に囲まれた式典会場、その中央に、いつぶりか彼女の姿を確認する。

 訪れたばかりなので詳しい状況は不明だが、どうやら凱旋式が終わり、聖剣授与式もいよいよ終盤に差し掛かるところのようだ。

 それにしても式典会場の中央付近にいるなんて、やはり彼女の身分は相当に高いようだ。

 そして今から自分がしようとしていることを考えると、身がすくんでしまう。

 だがやらなければならない。


 クリアしなければならない壁は大きく二つ。

 一つは多数の警備兵。

 一つは僕を見張っている誰か。

 

――バーム、あなたは見張られている。それもかなり前から。きっと半年前からね。でもそれが逆にファルデウスの油断につながった。奴自身がいないなら勝機はある。


 そう女性は言って、その場で小声で計画を説明した。

 それはかなり荒っぽいもので、しかも二人の身にかなりの危険が及ぶもの。

 もっと穏便な策はと考えたが、時間的余裕がないため断念した。

 あまりに申し訳ないため、せめてお礼がしたいというと、


――ならいつか、私たちの仲間になって。そしてあの槍と同じくらい、いや、あの槍以上の武器を私たちにも鍛えて。


 そう言った。

 僕はもう仲間だと答えて、二人の名前を聞いた。


――ならこれがうまく行ったら、私たちの方から連絡する。名前はその時に。


 そう言って、二人は笑顔と共に持ち場に向かった。 




 

 もし彼女の姿が確認できない、あるいは人違いだった場合等、計画を中止する場合、赤い帽子をかぶる。

 そうでないなら青色だ。

 僕は懐にしまったその帽子を見、迷わず青をかぶる。

 そして槍をぐっと抱きしめる。


――その槍は目立ちすぎるし、誰かの命を狙っていると思われるのはまずい。最低でも封印の布を厳重に巻いて、直ぐには絶対に使用できない状態にすること。あとハーフだとばれてしまわないように、顔には一応覆面をしておくこと。彼女に渡す槍を除いて、武器となるものはもちろん、疑いをかけられないよう、衣服以外余計なものは身に着けないこと。最低限それだけは必要よ。


 女性の言葉に従い、僕は準備を済ませた。

 後は待つのみ。


 そう思うのと、決行を知らせる爆音が街はずれから響き渡るのは同時だった。


――な、なんだ、何が起こった?

――ばっ、爆発!? いっ、一体どこで?

――皆伏せろ!


 どこからともなく湧き上がる声に、会場を取り囲む聴衆は悲鳴と共に頭を下げる。

 それと同時、僕は駆けだす。

 全力で、彼女に向かって。


 そんな混乱のさ中、僕の動きを追うように動き始める、フードをかぶった二つの人影。

 あれが見張りか。

 そう思いながら、僕は足を止めない。

 すると程なく、会場正面から彼女のいる広場中央に向かって真っ直ぐ、どす黒い染みが地面に現れる。


――なんだこれは!? 気味悪い。

――呪いかもしれん、離れろ!

 

 誰かの発したその言葉に、どす黒い染みの上にいた聴衆は我先にと黒い地面から離れる。

 そうして聴衆が左右へと分れ生じる黒い染みの道を、僕だけが気にせず駆け抜ける。

 すると僕が踏んだところから、黒い地面が虹色に色を変え、輝き始める。

 そんな女性の粋な計らいに感謝しながら走っていると、背後から追手の足音が猛スピードで迫ってくる。

 だが僕は走る速度を緩めない。

 二人と事前に決めていた、何があっても完璧にサポートするから、決して足を止めるなと。

 果たして直後、背後から数度鈍い打撃音が響いたかと思うと、迫る足音は止む。

 あの男性に感謝しながら、僕は警備の兵が槍を向け待ち構える正面へひたすら駆ける。

   

「止まれ! さもなくば――」


 警備の兵が叫ぶのと、僕の体を浮遊感が襲うのは同時。

 直後、それまで地面を蹴っていた僕の足が地面を離れ空転したかと思うと、体は瞬く間に地面を離れ高度を上げる。

 足元に僕を見上げる兵や聴衆の唖然とした表情が見える。

 僕は飛んでいた。

 いや、魔法で吹き飛ばされたといった方が近い。

 そうして高度6、7メートルまで飛び上がった、いや、吹き飛ばされた僕は、無様に足をばたつかせながらも警備兵の槍の穂先のさらに上を飛び越える。

 

――これで突破した! あとは着地して彼女の元に――


 誰もいない着地地点を見てそう思ったその時、鎧姿の女性が着地地点に駆け込んでくる。

 黒塗りの豪奢な鎧、美しい金髪、冷徹な表情、あの日武器を突き返しに来た騎士だ。


「私が成敗する!」 

  

 剣を抜き放ち上段に掲げ、刀身に赤い魔法の光をまとわせる。

 完全に真っ二つにする気だ。

 空中を浮遊する僕は無様に足をばたつかせることしかできない。


――終わった。


 今度こそそう思うのと、僕を見上げていた女騎士が何かに気づき、はっと視線を下げるのは同時。

 次の一瞬、慌てながらも魔法で赤い光の盾を形成し防御姿勢をとる女騎士を、会場正面方向から飛来し、僕の足の下を潜りぬけたレーザーのような蒼い炎の熱線が襲う。

 刹那、蒼い熱線が赤い光の盾をガラス同然に粉々に砕いて貫き、その先の騎士の握る剣の根元に直撃する。

 衝撃に備え防御姿勢を取っていた騎士だったが、圧力に耐え切れず弾き飛ばされ地面を転がる。

 

 そうして誰もいなくなった地面に落下する僕。

 だが足をばたつかせるうち体勢を崩し、尻餅をつくような姿勢になってしまった僕が、6、7メートルもの高さから無事に着地などできるわけがない。

 空中ではどうしようもなく、思わず恐怖に目を閉じる。

 だが次の一瞬、最初に吹き飛ばされた時のそれに似た、しかしその時より弱い浮遊感が僕の体を襲ったかと思うと、落下の速度が急激に弱まるのを感じる。

 そうして数秒後、ゆっくり地面に尻餅をつくようにして着地する感触が伝わると、僕は彼女の元に向かわねばと、慌てて体勢を立て直しつつ目蓋を開く。

 

 果たして次の一瞬、僕の視界に映し出されたのは、見事な剣を抜き放ち、必死の表情で僕に向かってくる彼女の姿。

 そして槍の穂先を僕に向け、あらゆる方向から迫ってくる警備兵。

 立ち上がろうと姿勢を整えた僕だったが、もはや立ち上がる間すらなかった。

 ただ両手で頭を覆い、地面に身を伏せることしかできなかった。

 そうして恐怖のあまり再び目蓋を閉じた僕の耳に、あらゆる方向から迫る警備兵の足音だけが鳴り響いた。


「待って!」


 いつぶりかの心地よいその声が頭上から響き渡るのと、僕の体を暖かい肌の感触が覆うのは同時だった。

 誰かに抱きしめてもらう。

 10年の長きにわたりそんな温もりから遠ざかっていた僕に、その肌の感触は、いつぶりか両親の、自分を愛してくれる誰かの暖かさを思い出させてくれた。

 

――姫様!?

――姫様、危険です!

――その者からお離れ下さい、あとは我々が。


 次々に聞こえてくる警備の兵のものと思われる言葉。

 すぐ近くから感じる、突きつけられた槍の穂先の圧迫感とわずかな金属音。


「大丈夫。いいんです、大丈夫です。だから離れて。お願いだから、下がって。下がって!」


 再び聞こえてくる彼女の声。

 それは最初は穏やかに、だが徐々に強く、最後には叫び声になっていた。

 そんな彼女の剣幕に押されてか、突きつけられた槍の穂先の圧迫感と金属音が離れていくのを感じる。

 そしてそれを確認してか、体を覆っていた温もりが離れ、その人が立ち上がるのを感じ、僕は目蓋を開き恐る々る顔を上げる。

 果たしてそこにあったのは、抜き放った剣を片手に、僕を見下ろす彼女の姿。

 その表情にいつかの笑顔はない。

 だがそれでも、僕の手の届く所に彼女がいる、それだけで僕の胸は一杯だった。


「なりません姫様」


 かけられる鋼のように冷たく重い声に、彼女は背後を振り返る。

 そこにいたのは、先ほどの金髪の女騎士。


「お父様、ファルデウス様の言いつけをお忘れですか」

 

 騎士はそう、押しつぶすように重い声音で告げる。

 そんな騎士の言葉に、彼女はしばらくの間沈黙し、だがやがて口を開く。


「いいの」


 つむがれるのはそんな静かな、しかし確かな意志を秘めた言の葉。

 

「いい訳がない。そんなこと許され――」


 そんな噛みつくような騎士の言葉を、


「いいから黙って!」

 

 逆に彼女の叫びが遮り、食いちぎる。


「これは私が決めたこと。あなたにとやかく言われる筋合いはない」


 そう彼女は獣のように言い放って、僕の方に向き直る。


「――ただではすみませんよ……!」


 その背中にさらに噛みつく騎士だが、彼女は見向きもしなかった。

 そして彼女は僕を見下ろし、ゆっくり両手を広げ、


「さあ、突くなら突いて……」


 そう穏やかに告げ、瞳を閉じる。

 だが僕には、その言葉の意味が理解できず、瞬きして戸惑うことしかできない。

 そうしていると、彼女はさらに続ける。


「あなたに殺されるなら、私はそれで構わない。腹でも、胸でも、何か所でもいい。でもきっと周りの兵が止めに入る。狙うなら首、頸動脈よ……」


 そう穏やかに、とんでもないことを言う。

 どうやら彼女は勘違いしているらしい。

 僕が彼女を殺す? そんなこと、あるはずがない。


「さあ!」

「これを!」

 

 周りに響くような声で強く、彼女が促すのと、僕が槍を両手で持ち、彼女に捧げるのはほぼ同時だった。

 わずかな沈黙が辺りを包む。

 それから数秒、彼女は状況を確かめるためか、ゆっくり、細く目蓋を開く。

 そして僕と、捧げられた槍を見て、その目蓋を今度こそ大きく見開く。


「これを、あなた様に!」


 僕は彼女を見上げ、力の限り、叫ぶ。


「あなた様のために、あなた様だけのために、全力で鍛えました! 下賤な私の作ですが、どうかっ、お受け取り頂けないでしょうか!」


 そう、言いたいことを一方的に言って、槍を捧げたまま頭を下げる。

 

――貴様! 姫様になんと無礼な!

――身の程をわきまえろ!


 そんな言葉と共に、警備兵の足音が再び迫る。


「控えよ!」


 再び響き渡る彼女の声。

 その強く、揺るぎのない言葉に、再び足音がとまる。


「下がりなさい」


 他ならぬ彼女自身の言葉に、周りは従わざるを得ないのだろう、程なく、足音がゆっくりと遠ざかる。

 そうして再びの沈黙が辺りを包む。

 聴衆も、兵も、式典に出席していた他の身分の高い者達も、誰も、何も言葉を発しない。

 頭を下げている僕には、周りの様子も、彼女の表情も分らない。

 

「――武器屋さん。顔を……上げて」


 頭上から彼女の、震える声が響いたのは、それから数秒後の事だった。

 

――姫様? 


 かけられる誰かの、戸惑う声。 

 巻き起こるざわめき。

 震える彼女のその声に、僕は恐る々る、顔を上げようとする。

 だが完全に視線を上げるより早く、彼女は僕の前にひざを折る。


――姫様!?

――どうなってる? 何が起こっている?


 周囲のざわめきが一層大きく、強くなる。

 だがそんなもの、耳に入らない。

 彼女の顔が、目と鼻の先にある。

 彼女の息が、僕の頬を撫でる。

 自然と鼓動が速くなり、体が熱くなる。


「――どうして?」


 目を潤ませながら、震える声で、彼女は問いかける。


「私、あなたに、あんなにひどいこと……あなたは私のために、精一杯、武器を鍛えてくれたのに、私それを……そうでなくたって、私はあなたの仲間を、あんなに殺してきたのに……なのに、どうして?」


 彼女の瞳に、今にもあふれだしそうなほど、清らかな液体がたまっていく。

 彼女はずっと、苦しんできたのだ。

 今頃になってそんな彼女の優しさに気づく。

 すると僕の口は自然と開き、言葉をつむぎだす。


「僕は……ハーフです。人間でも、オークでもない。どちらからも仲間外れ。でも――」

  

 言って、僕は彼女の瞳を真っ直ぐ見つめる。


「あなたは種族なんて関係なく、僕を真っ直ぐ見つめてくださいました。僕の外見でなく、僕の仕事を、鍛えた武器を真っ直ぐ見つめて、それを評価してくださいました」


 言っているうちに目じりが熱くなって、声が震え出したけど、最後まで、僕は言い切った。

 そんな僕の言葉を聞いて、彼女はまた目を見開く。

 そしてそれから目元を抑えて、首を垂れる。


「私……あなたが思っているほど立派な人間じゃない。あなたは、どこまでも真っ直ぐな人。誠実で、なにより真摯な……私に、そんなあなたの鍛えた武器を受け取る資格なんて――」


 そう言って首を横に振る彼女。

 だが僕はそんな彼女に、再び槍を差し出す。


「これは、あなた様のためだけに鍛えた、あなた様のためだけの槍。この世で扱いこなせるのは、この槍を振るうのにふさわしい存在は、あなた様しかおりません。ですから、下賤なこの私のことを思って頂けるのでしたら、どうか、お受け取りください。それが、それだけが、今の私の望みです」


 そう告げて、再び頭を下げる。

 流れる沈黙。

 ただ囁きあう聴衆の声だけが、耳を撫でる。

 それから数秒、先ず聞こえてくる、剣を鞘に納める音。

 そしてわずかの後、誰かが僕の捧げる槍を握り、ゆっくり引く。

 その感触に、僕は槍を握る指を開き、そのままその人に槍をゆだねる。


――姫様?

――姫様!?


 周りから次々聞こえてくる驚愕の声。

 僕はまた恐る々る目蓋を開き、彼女を見る。

 彼女は僕の槍を、まるで神様から与えられた物を扱うかのように両手で捧げ持ち、膝を折ったその姿勢のままゆっくり数歩下がる。

 そして槍に巻かれた封印の布に指をかけ、それを丹念に引きはがす。

 そうして穂先から露わになっていく槍の全容。

 薄い青のオーラをまとい、根元に小さな無色透明の、だが中心に白い光を宿した魔法石のはめ込まれた、白銀に輝く穂先。

 見事な光沢のある青白い色を放つ柄。

 そして全体に走る、珊瑚の赤の血管を思わせる紋様。


 誰も、何も言葉にしなかった。

 ただ息と、つばを飲む音だけが響いた。

 彼女はそんな僕の槍を再び両手で捧げ持ち、先ずその優しい眼差しで全体を眺める。

 そしてその出来に頷いて、次に紋様の赤に視線を向ける。


「――きれい」


 埋め込まれた赤い珊瑚を、彼女は愛おしげに撫で、呟く。

 それから彼女は僕の槍を胸にぐっと抱き寄せ、柄に耳を当て、ゆっくり瞳を閉じる。


「――聞こえる。鋼と魔力の鼓動。この紋様を通して、槍全体に、そして私の中に入って、流れ出て、回ってる。私と一緒に息を吸って、吐いて、長い時は長く、短い時は短く、力を込めれば絞り出すように、私と呼吸を合わせてくれる」


 そう穏やかに、どこかうっとりとした表情で呟いて、彼女は再び、ゆっくり目蓋を開く。

 そして再び僕を真っ直ぐ見つめる。


「――これを……私に?」


 その問いかけに、僕は出来るだけ大きく、はっきりと頷く。


「――私のために? 私なんかのために?」


 再びかけられる声は震えて、その瞳からあふれ出した清らかな滴が、その美しい頬を伝い落ち、一粒、また一粒、石畳の地面にこぼれ染みを作る。

 僕の武器のために、涙を流してくれる。

 そんな彼女のために、僕は今まで、武器を鍛えてきたのだ。

 僕はそう、また精一杯頷く。


「私、そんなあなたの一生懸命を――今までだって、一生懸命鍛えてくれていたのに、あんなにひどいことして――それなのに――」 

「僕は!」

 

 そうして優しすぎるがゆえに、自分を責めてしまう彼女を止めたくて、僕はただ、思いの丈を叫ぶ。


「僕は、そうして僕の武器のために涙を流して下さる、そんなあなた様のために武器を鍛えてきたのです。そしてできるなら、これからも――」


 そう口にして、初めて自分の思いに気付く。

 そう、それが今の僕の、本当の望み。

 それはきっと、ハーフの僕には過ぎたるもの。

 今こうして彼女のそばにいられる、もし槍を受け取っていただけたなら、それだけでも十分、贅沢なことなのに。

 これ以上は分不相応、神様の罰が当たる。

 自分でもそう思う。

 だが気づいてしまった、一度口に出しかけてしまった思いは、もうとどめることはできない。

 いや、したくない。

 その一瞬、彼女が呼び起こしてくれた強い自分が、それまでの弱い自分を押しのけて口を開く。


「ですからどうか、どうかこの僕を、あなた様専属の武器職人に取り立ててはいただけないでしょうか?」


 瞬間、時が止まったかのようにすら感じた。

 彼女の表情が固まる。

 周りの空気が凍りつく。

 体が心の底から、溶けるように熱くなる。

 それと反するように頭からは血の気が引いて、視界は急速に暗転する。

 なんてことを言ってしまったのだろう。

 だがもう口にしてしまった言葉はかえってはこない。

 やがて真っ暗となる世界。

 それなのになぜだか、僕の心は妙に静かで、その感触は眠るように、心地よいものだった。


「――はい」


 暗闇の底に落ちていった僕の心に、突如響き渡る彼女の声。

 瞬間、暗闇の世界に差し込む一条の光。

 あまりに眩しすぎるそれに目がくらみながら、それでも僕はそれを見上げる。

 果たしてそこにあったのは、頬にいくつも水滴の粒を伝わせながら、それでも浮かぶ彼女の笑顔。

 初めて出会ったあの日の彼女のそれにも負けない、陽の光のように眩しく、美しいそれに、僕は自然と手を伸ばす。

 その瞬間、世界を包んでいた暗闇が瞬く間に晴れ、僕は現実の世界へと舞い戻る。


 再び聞こえ始める周囲のざわめき。

 

――姫様、今なんと!?

――姫様、なりませぬ!


 身分の高そうな者達が、口々に彼女に告げる。

 だが彼女はそんな彼らに一切視線も注意も向けることなく、ただ僕だけを見つめて告げるのだ。


「どうか私の、こんな私の、武器職人になってください。そしてこれからも私のために、武器を鍛えてください」


 そう、あの日の彼女に負けないほどの笑顔と共に、彼女は僕の手を握る。

 周囲のざわめきがこれまでで一番強くなる。

 

「――許されない。こんな事、許されていい訳がない……」


 彼女の背後で、女騎士がその白い頬を真っ赤に染め上げ、握り締めた指の間から赤い滴を滴らせながら言い放つ。


「皆、姫様は長い戦いの疲れで乱心された! 今すぐ城へお連れ申し上げよ! そして姫様の心を惑わすその下賤の化け物を今すぐ縛り上げるのだ!」


 響き渡る騎士の怒声。

 警備の兵らはそれを聞き、しかし状況が状況のためどうすべきか逡巡し、直ぐには動くことができない。

 それを見た騎士は会場後方に控えていた、同じ黒塗りの鎧を身に着けた近衛騎士に指示を送る。

 騎士たちは迷いなく腰の剣を抜き放ち、統率された動きで彼女と僕の周りに駆けてくる。 

 すると彼女はそんな動きを察してか、僕の槍を手にゆらりと立ち上がると、背後から駆け込んでくる彼らを振り向き見る。

 そして次の一瞬、瞬間的に体の向きを反転させると、左手を前に、槍を握った右手を高く掲げ、その穂先を女騎士に向け、投槍の構えをとる。

 その瞬間、女騎士はもちろん、その指示に従って駆けていた騎士たちまでもが慌てて足を止め、その場から動かなくなる。

 僕のいる位置からは彼女の表情はうかがい知れない。

 だがその視線の向けられた先にいる女騎士とそれに従っていた騎士たち、警備兵、さらにその先にいた身分の高い者達や聴衆に至るまで全ての者達の浮かべる、その凍りついた表情が、その表情を物語っていた。


「彼を馬鹿にするのは誰? この槍の第一の獲物になりたいの?」


 響き渡る、それまでの彼女の優しく暖かなそれと打って変わった、鋼を思わせる厳しく冷たい言葉。 

 女騎士の表情から急速に血の気が引き、赤く染まっていた表情は一転、蒼白となる。

 精鋭であるはずの他の騎士たちもまた、ある者は腰を抜かし、ある者は四つん這いになってその場を離れ、そうでない者もその場から動くことができず硬直する。

 人々から姫様と呼ばれる彼女が、式典に突然乱入してきた男から槍を受けとり、涙を流し、ついには専属の武器職人にすると認めた。 

 そしてそれを止めようとした味方の騎士達に刃を向け、一触即発の状態で睨みあっている。

 周りの者達は状況が全く理解できず、ただ呆然と事態を見守るばかりだ。

 そしてもはや、それを収められる者などいない。

 そう思われたその時、


「待って、皆矛を収めて」


 燃える様な赤く長い髪が特徴的な、一人の鎧姿の少女が、彼女と騎士達の間に割って入る。


「要するにその者の鍛えた武器が姫様にふさわしいかが問題なのでしょう? だったら私によい考えがあります」


 少女のそんな言葉に、彼女も騎士たちも怪訝な表情を浮かべる。


「――して、その良い考えというのは?」


 そう、怪訝な表情を崩さないまま問いかける女騎士に、しかし少女は自信を持って頷く。


「そもそもこの式典は、姫様のために鍛冶の神ブルゴス様が鍛えてくださった聖剣を授与するためのもの。ならば姫様にふさわしい武器とは、すなわちこの聖剣に匹敵するか、それ以上のものでなくてはならない」


 そんな少女の言葉に、彼女は表情をわずかも変えず、一方の女騎士は一瞬はっとしたのち、ほんのわずか表情を緩め、


「つまり――」


 その先を促す。

 少女はその表情を見、しかし一切感情の読み取れない表情のまま、周りの聴衆にも聞こえる声で、高らかに言い放つのだ。


「その男の槍と、鍛冶の神ブルゴス様の鍛えた聖剣とで勝負をさせればよいのです!」


 その言葉に、僕は当事者でありながら状況を把握しきれず呆然とし、

 彼女は微動だにせず、

 女騎士はゆがむような微笑を浮かべる。

 こうして決戦の舞台は整うのだった。

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