第15話「ハッピーエンド」

「リューネっ!」

 僕は最後の力を振り絞って、その名を口にした。

 ……周囲が明るくなり、騒がしくなった。近づく足音、僕の名を呼ぶ声、優しい光、暖かな雫……体のだるさ、痛みが嘘のように消え、意識がはっきりとしていく。

 またたきの向こう側で、僕を見詰めるのは深紅の瞳。

「ソーマっ! 気がついたかっ!」

「……あれ? 僕、確か撃たれて……」

「運が良かったのぉ。助かったのは、こいつのお陰じゃ」

 リューネが見上げたのは、僕の命の恩人……ユニコーン。治癒をつかさどる幻獣だ。

「お陰で、僕も助かりましたよ!」

 ミケが姿を見せる。眼鏡は曲がり、服もボロボロだったけど、元気そうだ。僕はほっと胸を撫で下ろす。……クロやタマだって、きっと無事に違いない。

「良かった……」

「じゃが、奴らはちーっとばかし、やり過ぎたのぉ」

 ……その声音に、僕は不穏な響きを感じた。

「あの、リューネ?」

ソーマにこれだけのことを……そうじゃ、たっぷりと礼をしてやらんとな!」

「えっ、儂のって、その、リューネ? 僕はもう大丈夫だから、その穏便に――」

「い・や・じゃっ!」

 ――リューネは怒っていた。僕のために……と思うと嬉しいけれど、これからの事態を考えると、そう言ってばかりもいられない。リューネをなだめようと手を伸ばす僕を、ミケはひょいと担ぎ上げ、その場から素早く離れた。……それでも、リューネの姿が小さく見えることはなく、むしろ、どんどん大きく膨らんでいく。

 リューネは別次元に格納している本当の身体を、こちら側に呼び出そうとしているのだ。一種の召喚魔法じゃと、リュ―ネが言っていたことを思い出す。

 ――やがて、白竜の咆哮が、マジック・キングダムを揺るがした。


 

 七福神は地面を踏みにじっていた。何度も、何度も、何度も。口元に笑みを浮かべながら、じゃりじゃりと靴底が削れるのも構わず、何度も、何度も、何度も。

「……ゴキブリを踏み潰すのが、そんなに楽しい?」

 七福神が振り向く。その表情は、本物の驚きに満ちていた。

「お前、どうして……」

 七福神は私に手を伸ばした。でも、何も起こらない。七福神は手の平と私を見比べ、あらゆる手捌てさばきを披露したが、何も起こらなかった。

「なんで……」

「私にはね、守り神がついているのよ。可愛い可愛い、女神様がね」

「……僕はもう、必要ないということか!」

「私もあんたも作られたもの……身の丈以上のものを、求めるべきじゃないのよ」

「うるさいっ! 黙れっ!」

 私は一歩ずつ、七福神に近づいていった。七福神は後退あとずさりしたが、どこかに消えたり、飛んでいくことはなかった。こんな展開、許されるわけがない。でも、ね。

「……智久ともひさっ! あんたは神様なんかじゃないっ!」

 七福神……山口智久は目を見開いた。自分にそんな名前が与えられていたことすら、忘れてしまっていたのだろう。私だって、今の今まで知らなかった。でも、本当の名前を呼んであげたい……そう思ったら、自然に頭の中に出てきたのだ。

 ――ぺち。私は智久の頬を軽く叩いた。それで何が起こるというわけでもない。私は智久の両肩に手を置いた。小さな、子供の両肩に。

「もう帰ろう? こんなこと止めてさ。私達の、世界へ」

「……うん」

 素直に頷く智久を、私は膝を屈めて抱き寄せた。私は泣いていた。智久も泣いていた。……結局、誰も勝つことはできないのだ。私だって、智久だって、ただ足掻いて、もがいて、苦しんでいただけ……それが、分かったから。

 ――雨が降って来た。暖かい雨が。きっと、あなたも泣いてくれているのね。



 ――いくら拭っても、涙が止まらなかった。一体、私達は何なのだろう? 誰かに作られて、だけど心はちゃんとあって……自由が不自由の中にしかない、存在。

「なるほど、こういう結末ですか」

 帽子男さんが呟く。私は知ってしまった。この世界の秘密を。知るべきではなかった、真実を。それはとても辛くて、悲しくて、だけど……。

「君達には辛い思いをさせてしまったね。だけど、安心して――」

「きっと」

 私はすすり上げながら、帽子男さんに顔を向けた。

「……あなたは、私達の記憶を消すつもりなんでしょう? まるで何事もなかったかのように、元の世界に戻すつもりでなんでしょう?」

「そうだとしたら、何だい?」

「ずるいっ! そんなの、ずるいよっ!」

 帽子男さんは目をぱちくりし、顎先に手をやった。

「……驚いたな。感謝こそされ、ののしられるとは思わなかったよ。だが、こんな記憶が残っていたところで、辛い思いをするだけだろう?」

「分かってるっ! そんなの分かってるよっ! ……だけど、だけどね、もう嫌なの! これ以上、勝手なことをしないで! 私だって、私達だって、一生懸命、生きているんだから! だから消さないで、私達の思い出を、冒険を、物語をっ!」

 私はそこで堪らなくなり、子供みたいに声を上げて泣き出した。おやつ買って、おもちゃ買って……こんな風に泣いてしまったら、まるで駄々っ子だ。そんな私を前にした帽子男さんも、まるであの頃のお父さんやお母さんみたいな顔をして……。

「……仕方がない。麻耶も同じことを望むだろうしね」

「本当に? ……うわ~ん、良かった~っ!」

「だから、もう泣き止んでくれないかな?」

 弱り顔の帽子男さん……その顔がもう少し見たくて、私はエンエンと泣き真似を続けることにした。ぺろりと、心の中で舌を出しながら。

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