ぼくたちのリメイク 大学生活日常パート編(読んだことがない人もOK)

木緒なち

登場人物紹介編

 僕の名前は橋場恭也という。

 年齢は28歳。埼玉にあるしがないエロゲメーカーで働いていたけれど、ある日、社長が黒塗りの高級車だかワゴンだかに乗せられてどこかへ行ってしまい、それで無職になってしまった。

 落胆して戻った実家でふて寝していたら、ひょんなことから10年前の世界にタイムスリップしてしまい、身体も18歳当時に戻ってしまった。

 不思議な現象に慌てたけれど、これはチャンスかもしれないと思い、あの当時、受験して合格しつつも行くことはなかった芸術大学に進路を変えて入学した。

 あわよくば、同世代で憧れのトップクリエイターたちといっしょに、物作りができるかもしれないと思って。そんな僕を待っていたのは、男子2人女子2人という天国のようなシェアハウスでの生活と、何もかもが変わったことだらけの、芸大での生活だった――。


「恭也! おい恭也! 起きてるか?? いや、起きろ!」


 部屋のドアが乱雑にノックされている。


「なんだよ、もう……」


 昨日の大宴会がまだ身体にこたえていて眠気が半端ない。お酒を飲んだわけでもないのにこの疲れは、宴会が相当ヤバかったことを物語っていた。

 時計を見るとまだ7時。

 大学生にとっては夜中に相当する時間だ。

 とりあえず何からのアクションをするまでノックが終わりそうもなかったので、起き上がってドアを開ける。


「なんなんだよ貫之……ってわあっ!」


 ドアを開けた瞬間にしっかりと肩をつかまれて、何度か前後にゆさぶられた。


「寝ぼけてる場合じゃないぞ恭也、目覚ませ! バイトだよバイト! 今度こそ超大当たりだ!」


 起き抜けの脳を揺さぶられながら、僕は「またか」という思いでいっぱいだった。

 目の前にいる男の名は映像学科1回生・鹿苑寺貫之。仰々しい名字に古式ゆかしい名前をもつなかなかのイケメンだ。シェアハウスの1階に住んでいるこの兄ちゃんは、シナリオを書くことと、とんでもないクソバイトを見つけてくるのが得意だった。


「今度はなに? 風邪薬を飲んで冷水を浴びるだけで15万とか? そういう実験系のはちょっと僕には」

「そういうのじゃないって! おまえが身体に何か入れる系がダメだって言ったから、ちゃんとした肉体労働系のを選んだんだよ」


 貫之は胸を張り、そして、


「なんと、指定された場所で5時間立ってるだけで時給4000円だ! マジでヤバくないか? 立ってるだけで2万円だぞ!?」


 彼曰く「超大当たり」のバイトについて披露した。まあたしかにマジでヤバい。彼とはヤバいの使い方が違うけれど。


「場所と雇用主は確かめた? 絶対まっとうじゃないと思うんだけどそれ」

「んー、あんまちゃんと見てないけど、別にどうにかなるだろそんなもん」


 見ろよ考えろよ! 町中で車を使ってキャンプファイヤーやったり、屋台で串揚げ買ったら法に触れるオマケがついてくるような地域だぞ、ここは。


「ま、そういうわけでこれから行ってくるけど、お前も行かねえか? すぐ紹介できるぞ」


 貫之は変なバイトも普通のバイトもやたらと受けまくっていた。でもそのせいもあって、みんなと夕飯をいっしょにすることは少なめだった。昨日も夕方からの深夜バイトに行ってたせいで、せっかくの鍋だったのに囲めなかったし。


「ごめん、とりあえず僕はパスしとくから、貫之だけで行ってきて。そんなおいしいバイト、もったいなくて行けないよ」


 命がね。


「かーっ、お前ほんと用心深いな、まあいいや、じゃあ儲かったらなんかメシでも行こうぜ」

「で、今日夕飯どうするの? 食べる?」

「たぶん間に合わねえから、適当に食っておいてくれ、じゃあな!」


 貫之は上機嫌のまま、1階に降りていって出かけたようだった。バイクのエンジン音が響いて、どこかへ走り去った様子がうかがえた。


「無事でいてくれよ、貫之……」


 とりあえず手を合わせて祈ることにした。



「ふぁぁ……あれ? 貫之くんどっかに出かけたん?」


 階段のところでたたずんでいると、後ろから寝ぼけた感じのふわふわした声がかけられた。


「うん、また『すごくいいバイト』に出かけたみたいだよ」

「そうなんや~」


 ふわふわした声の主は、まだパジャマ姿のままで「ふわぁー」とあくびをした。

 このかわいさの塊みたいな子は、志野亜貴という。志野が名字で、亜貴が名前。漢字でも仮名でも四文字というなかなか特徴のある氏名を持つ彼女は、みんなからはシノアキというフルネームかつ愛称で呼ばれていた。僕や貫之と同じ映像学科の1回生。シェアハウスでは、2階の2部屋のうちの片方に暮らしている。

 九州は福岡、西の端にある糸島市の出身で、18年間培った博多弁なのか九州弁なのか、とにかく方言が抜けきらないしゃべり方がなんともかわいらしかった。


「またお好み焼きの粉を持って帰ってきてくれんかな。あれおいしかったね~」


 ああ、日給3万円のはずがだまされて現物支給になった時のことか。


「今回は夜店のバイトじゃないから、ご飯にはならないかもね」

「そっかー、ちょっと残念やね」


 にこっと笑うシノアキ。背の低さもあって、こうしてるとまったく大学生には見えない。下手すると中学生ぐらいに見える。


「今日もええ天気やね。太陽がめっちゃこんにちはしとるよ」

「そうだね、あとで部屋干ししてる洗濯物移しとかなきゃ」


 シェアハウスのような共同生活を送っていると、どうしても話題が所帯じみたものになる。ちなみに、残り3人の家事周りのスキルがあまり芳しくないこともあってか、僕は炊事洗濯関連について自然とメインの役割を担うことが多かった。


「今日は朝ご飯は何にすると?」


 早速、シノアキが目をキラキラさせて尋ねてきた。


「うーん、昨日のお鍋の残りがまだあったと思うから、卵入れておじやにしようか。あとナナコの実家からスイカ届いてたから、あれ切っちゃおう」

「わー、おじやいいね、楽しみにしと……ふぁぁ、昨日ずっと起きとったから、まだ眠かね……」


 シノアキは朝食に期待を寄せつつあくびをすると、トタトタと僕の方に近づき、そして、


「くー……」


 僕に寄りかかって、寝た。

 彼女は朝も昼も夜も、睡眠を多めにとりたがる傾向があった。


「あーもう、シノアキまたそうやって寝ぼける……」


 苦笑交じりにシノアキを見る。


「寝ぼ……うっ……」


 そして一瞬息が止まる。

 彼女のパジャマは、少しばかり胸元に余裕のある作りで、それはシノアキの、小さな身体に似合わず結構なボリュームのある胸を存分に示していた。

 彼女は寝る時にブラを外して寝ることが多い。大きいからこその対応なのだろうけど、ゆえにその大きさを危なっかしく見せつけてしまうことにもつながるわけで。

 今まさに、その谷間とふくらみが僕の目の前にさらけだされていた。


(み、見ないように、見ないように!)


 さっと目をそらしつつ、彼女の身体をかつぐようにして部屋まで連れて行く。


「シノアキ、ご飯できたらまた呼ぶから、それまで寝てて、ね?」

「うん……? ふわ……」


 頼りない返事をするシノアキは、そこでまた小さなあくびをすると、


「恭也くんもいっしょに寝ていかんね?」


 繰り返すことになるが、僕は28歳だ。身体は18歳だけど精神はもうおっさんの手前だ。

 そんな男が、こんなどう見ても中学生にしか見えない、かわいいかわいい子からこんなことを言われてみたとしよう。死ぬほど狼狽するしかないのはご理解いただけるかと思う。


「あ、ああああああああああの、シノアキさすがにそれはちょっと」


 まずいのではと言いかけるその手前で、


「冗談やよ~ほんじゃ、ちょっと寝とるね」


 シノアキはあっさりと言い残して、部屋の中へと消えていった。

 閉じられたドアを前に、僕は一人取り残された。


「えっ……」


 一旦うろたえたりせずに、そのまま部屋の中へと入ればよかった。


「……あれ、本気なのか天然なのか、ほんとどっちなんだろ」


 知り合ってからしばらくたつものの、未だにシノアキには謎が多かった。



 朝ご飯の準備をするために1階へと降りた。

 鍋の残りに火を入れていると、居間のすぐ隣にあるドアが開いた。


「おはよ。天気よかったから、洗濯物外に移しといたよ」


 実家からスイカが届けられた女子、小暮奈々子。通称ナナコ。

 茶髪をポニーテールにしてシュシュで留めている、一見すると派手目な感じの子。

 彼女もまた、シェアハウスの一員だった。


「ナナコありがと、助かる。やろうと思ってたんだ」

「恭也にはいっつも家事やってもらってるし、これぐらいはね」


 にまっ、と朗らかな笑顔をこちらに向ける。


「お、今日は朝ご飯おじやかー。いいね、鍋の後のおじや大好き」


 ナナコは見た目こそかなりギャルっぽい感じなのに、その中身はシノアキ以上に純朴な田舎の女の子だ。鍋の後のおじやにニコニコ反応し、下ネタには顔を真っ赤にし、色恋沙汰にもとんと縁のない生活を送っている。

 もちろん、明るくて容姿も良いので、ナナコは基本的にモテる。しかし、本人にさっぱりその気がないのか、告白めいたものが本人に持ち込まれても、バッサリ即座に断っている様子だった。

 好きな人でもいるのかもしれない。なんて果報者だ、と思う。


「今日は夕飯どうしよ、もう冷蔵庫空っぽだよね」

「全部鍋に入れちゃったからね。貫之も帰ってこないみたいだし、夕方になる前に一度メールするよ」


 うっかり、ラインするとかいうのも言わなくなった。

 こういうところ、10年前の作法を思い出すのに最初は苦労したっけ。


「鍋以外かなあ。ここんとこ続いちゃったし」


 ナナコは苦笑して、


「大学生になったとたん、鍋料理の頻度増えちゃうよね。あたし実家にいるときはこんなに鍋食べなかったのにな」


 すごくわかる。大学生の鍋料理率、特に秋冬に限ればきっとすごく高いはずだ。


「カーテン、開けるよ?」

「うん」


 台所脇の窓から、一気に朝日が差し込んできた。


「んーっ、いい天気だと気持ちがいいね」


 思いっきり身体を伸ばすナナコ。当然のように大きな胸も強調される。


「そ、そうだね」


 自分でもほんっとにクソだなと思いつつも、視線は完全に胸の方へ向いていた。

 ナナコの特徴としてもうひとつ、めちゃくちゃ胸がでかいというのがある。シノアキも身体の割に相当な成長を遂げているが、ナナコのそれはプラス3ぐらい強化されてる感じだ。実家から届いたスイカ並みのインパクトがある。

 繰り替えすことになるが、僕は28歳だ。つまり18歳の大きな胸を2つも見せつけられて、正気でいられる方がおかしいということになる。


「お、おじやできたからシノアキ起こしてきてもらっていい?」

「りょーかいっ。おーいシノアキー、朝ご飯できたってー」


 鼻歌交じりでナナコは2階へとシノアキを呼びに行った。

 歩く度に、大きな胸がゆさゆさと揺れるのを確認した。2回ぐらい。



「はい、これが先週のシナリオ創作論のノート。これが照明実習、こっちがグラフィック実習」


 芸大の中にある喫茶店『スペード』。窓際にある席で、僕は向かい合っている女子にペコペコと頭を下げつつそのノートを受け取った。


「ほんと、助かるよ。うっかり聞き逃してた分も、河瀬川なら絶対に聞いてると思ってた」

「あのね、こういうのはちゃんと先生の話を聞いてこそわかるものなのよ? ノートに書かれたものを読んでる時点で、内容の価値は半分以下になってると理解しなさいよね」

「……は、はい……」

「まったくもう、橋場はしっかりしてるのかしてないのか、ホントよくわかんないんだから」


 ツンとそっぽを向いたこのわかりやすい感じの女子は、河瀬川英子という。

 映像学科の同学年における成績トップの座を、常に貫之と争っている超優等生。入学して最初の自己紹介でも、映像作品に関する知識は群を抜いていた。

 そんな彼女だったが、何の縁か僕と知り合うことになり、こうしてノートの貸し借り(僕が借りてばかりだけど)をする間柄になったのだった。


「河瀬川はまじめだよなあ、僕なんかと全然違うよ」


 言うと、河瀬川はジロッと横目で僕をにらんで、


「そうね、全然違うわね。あんたみたいに器用で頭も良い人間と違うから、毎日朝9時から懸命になって授業を受けるしかないってだけ」


 河瀬川の特徴。ひねくれ屋で素直じゃなくて、いつも何かに絶望してて、かわいいのに美人にすぐ嫉妬して、能力のある人間にも嫉妬して、完璧主義者で完璧にやり遂げる割にはすぐに頭を抱えて悩んでて周りに理解されない。

 結論を言うと、とってもかわいい。言うと殺されるから言わないけど。仮に口にしたが最後、複数の縦ロールがドリルと化し、僕を穴だらけにするに違いない。


「まだその話、続ける?」

「しないわよ、バカ」


 自分で卑下しすぎたことに気づいたのか、さっさと話題から引き下がった。


「じゃ、僕はこの辺で。ここはお礼におごるよ。それじゃ」

「あ、橋場……」


 立ち上がったところで、河瀬川は声をかけてきた。


「今日その……ヒマかしら?」

「あ、これから僕サークルに行って、ちょっと用事があるんだ。なにか」

「いいっ! 聞かなかったことにして!」


 河瀬川は急に顔を赤くして立ち上がると、僕をおいてさっさと外へ出て行ってしまった。足音をガツガツと響かせながら。


「……わからん。何で怒ってるのか全然わからん」


 よくわからないけれど、どうも押しちゃいけないボタンを押してしまったらしい。



「ハハッ、そうか、河瀬川はまた怒ってたのか!」


 部室棟へ向かう道の途中、同級生の火川元気郎と偶然出会った。

 名前のイメージ通りの体育会系で、空手の有段者。まさに豪快そのものという気持ちのいいやつなんだけど、


「あいつ、●画のゲームだったら2番目に攻略されそうなやつだよな!」


 クソオタでしかもエロゲオタなのがあまりにも残念だった。


「やめとけよ火川、河瀬川に聞かれたら殺されるよ」

「んー、そっか? まあ、あいつはエロゲとか箱ごと燃やしそうな感じだもんな、ガハハハ!」


 豪快に笑いながら、火川は部室棟の途中にある畳敷きの部室へと入っていった。


「橋場、じゃあまたな!」

「ああ」


 火川の入っていた部室には、『忍術研究会』という看板が掲げられていた。日本では唯一、世界的にもロシアに一つだけあるという貴重な忍者専門サークルだそうだ。忍者の格好をして寸劇や殺陣を行うなど、どちらかというと体育会系なサークルとのことだった。

 彼はその体力を活かしてこのサークルに入っていたが、ある理由を聞いて以来、半分ぐらいは邪な思いがあるのではと疑うようになった。

 火川は退●忍シリーズの大ファンだったのだ。



「どうだハッシー、さらなる部員勧誘のために考えた作戦を聞いてくれないか」

「いや、その作戦はないです」

「聞く前に言うなよお! これでも昨日からずっと考えてたんだぞ!!」


 敷かれた万年畳の上でジタバタと暴れているのは、写真学科5回生の桐生孝文さんだ。彼は芸大の(一応)公認サークル、美術研究会、通称美研の部長を3年もやっていた。3年もやっているのは部員数が少ないからで、ゆえに毎年、新入部員の確保のためにあれこれと策を練っていたのだった。

 そしてなんとも悲しいことに、僕も美研の部員だった。

 だから、こうしてくだらない話にも付き合っているのだ。


「桐生さんの考える作戦って、相手の情につけ込む系のばっかりじゃないですか」


 僕もその作戦に引っかかってあげた内の1人なので、とてもよくわかっている。


「今度は違うぞ、すごいのを考えてきたんだ。だから聞いてくれ」

「そこまで言うなら聞きますけど……」

「まず俺が外国人の扮装をするんだ。ホセ・キリュウ・アッチーノとかそういう」

「もういいです、話さなくて」

「なんだよ! せめてオチまで聞いてくれてもいいじゃないかよ!」


 どうせ新入生に道を聞くとか言葉がわからないフリをするとかで部室まで連れてきて、そこからはひたすらに土下座で説得とかそういうのだろう。成長が見られない。


「橋場くん、申請書類書いた?」

「はい樋山さん。これでいいですか?」


 桐生さんのちょうど反対側にいる、女の先輩に書類を手渡した。


「うん、バッチリ。ここのアホタレと違って橋場くんはちゃんとしてるわやっぱ」

「俺も下腹部にちゃんとしてる部分があグッ!!」


 おそらく品のない冗談を言おうとした桐生さんが、丸めた書類で頭をはたかれた。


「次言ったらその下腹部にたたき込むからね」


 容赦なく言い放った樋山友梨香さんは、工芸学科の3回生だ。陶芸をやっている。ネットスラングではない、本物のろくろを回している人だ。


「部長、そろそろ文化部総会の時間ですけど」


 部室の入口付近で桐生さんに声を掛けたのは、舞台芸術学科の柿原さん。


「おーわかった、すぐ行くから10分ほど待ってて」

「わかりましたー」


 答えるやいなや、入口のところでクルクルとターンを決め始めた。


「……なにしてるんですか、柿原さん」

「ん? 来週テストだからね。空いた時間は常に身体を動かしてないと不安でさ」


 答えて、またクルクルと回り始めた。樋山さんも桐生さんも、その様子をとくにおかしいものと思っていないようだった。

 美研には他にも音楽学科の杉本さんという人もいて、この人は声楽科にいることからしょっちゅう裏庭でオペラを独唱している。

 この大学の広さを知るためには、サークルに入るのが一番いいと思う。ありとあらゆる学科の人が寄り集まるからだ。


「それじゃ、僕はこの辺で」


 書類を書いていたペンを鞄にしまって、先輩たちに軽く会釈した。


「今日はありがとね。あ、来週の頭に飲み会の話決めるから、よろしくね」

「あ、わかりました」


 ……相変わらず、どっちが部長かわからないな。



 それから20分後。映像研究室と書かれたドアの向こうで、僕は来週の撮影予定について説明を始めていた。


「来週の撮影許可申請です。朝から南港に行って5カット、そこから千早赤阪に移動して3カット、終了は夕方の予定です」


 担当の加納先生は、申請書類をチラッと見ただけでポンポンとハンコを押して僕に手渡した。どれも1~2秒程度しか見ておらず、中身までしっかり目を通しているのかと若干不安になった。


「移動、大丈夫か? 南港から南河内まで、車だと2時間ぐらいかかるだろ」


 と思ったら、しっかり見られていた。


「別働隊を作って、そっちは朝から千早赤阪の現場に入って準備してもらいます」

「移動してすぐに撮影できるように、か。さすがそういうのはぬかりないな」


 ニヤッと笑って、マグカップに入ったコーヒーをすすり、「ぬるい」と言って温め直しに席を立った。

 加納美早紀先生は映像学科の准教授で、僕たち1回生の実習担当だった。もう30歳を超えているはずなのだけど、異様に若作りで大学生ぐらいにしか見えない。メガネと長髪と皮肉めいた口調をトレードマークに、今日もうれしそうに学生たちをいじって回っている。

 芸大らしい、一癖ありそうな感じの先生なのだけど、幸か不幸か僕はこの先生に妙に気に入られ、こうして時々研究室へ呼ばれていた。


「で、あれだ。君らのチームはその後順調か?」


 レンジでコーヒーを温め直して、また椅子へと座る。


「ですね、今のところは。まだ始まったばかりなんで、これからだと思いますけど」


 映像学科は同学年の学生同士でチームを組み、映像作品を撮るのが1~2回生の必修となっている。個人制作に移る場合は3回生からで、それまではチームでの制作をひたすら学ぶことになる。

 芸大みたいな場所だから、当然のようにチームでいざこざも起こる。ゆえに、制作進行はまとめ役として胃に穴を開けることになるのだ。

 そして僕の役割は、まさにその制作進行だ。


「ま、胃に穴が開いたらいつでも来るといい。コーヒーでも煎れてやるから」


 傷口に塩を塗り込みたいということだろうか。穴の開いた胃にコーヒーはなかなかに厳しい仕打ちだ。


「そうならないようにがんばっておきます」

「ああ、楽しみにしてるよ」


 会釈をして、研究室を出た。

 映像学科において、チーム間のいざこざは日常茶飯事らしい。うちもいずれそうなるんだろうか。今のところ仲良しだけれど、今後を考えると心配でならない。


「……早く帰ろ」


 急に心配になって、僕はシェアハウスへの道を急いだ。



「ただいま」

「おかえり~」「遅かったね」「お、帰ってきたか」


 帰ってきて早々に、3方向から声が飛んできた。


「聞いてくれよ恭也! バイトのことなんだけどよ!」


 居間に腰を下ろして早々に、貫之の愚痴が始まった。


「言われた通り立ってたんだけどよ、2時間もしないうちになんか黒服の連中がやってきて、悪いが仕事は終わりだ。取引が中止になったからな、これ持って帰れって商品券渡されてよ! さっさと追い出されるしやるんじゃなかったよマジで!」


 追い出されて商品券をもらえただけマシだと思う。

 法に触れてる取引だぞ、きっと。


「貫之のクソバイト伝説、また1つ追加ね、ぷふっ」


 ニヤニヤとうれしそうに、ナナコが笑っている。


「うるせえ、おまえだってこないだ単発のチラシ配りに行ったらスケベな水着渡されたってギャーギャー騒いでたじゃねーか」

「ば、バッカ何言ってるの、あれは未遂で終わったの! 絶対に着てないから!!」


 実は興味本位で一度は着てみたということを僕は知っている。ぐうぜんに写メの画像を見てしまったからで、ナナコからは「貫之にだけは絶対に言わないで」と懇願されている。


「まあ、そういうわけで散々なバイトで得た商品券で食材、買ってきたぞ!」


 スーパーの袋から、ドサドサと野菜と肉がこたつの上に置かれていく。

 白菜、しいたけ、豚肉、鶏肉、マイタケに長ネギ。


「今日は寒いし、良い感じの鍋の具材をそろ……って、なんでみんなそんな渋い顔してんだ?」

「あーあ……」「ま、まあ貫之はここんとこ留守多かったし」「また明日の朝もおじやになりそうやね」



「はい、第一陣もうできたよ」

「おっしゃ、みんな食え食え。俺の消えたバイト代と思って食え」

「もう鶏肉煮えたと?」

「ナナコおまえ、マロニー入れるの早すぎだろ! 後にしろ後に!」

「いいじゃない! マロニーはあたしが食べるの! あんたに食わせるわけじゃないんだから!」



 10年前に戻った僕を待っていたのは、クリエイターの卵として生きる彼らとの日常だった。それは切磋琢磨して創作をする日々でもありながら、こうやってマロニーを入れるタイミングでケンカするような日々でも、あるのだった。


(たぶんつづく)



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ぼくたちのリメイク 大学生活日常パート編(読んだことがない人もOK) 木緒なち @kionachi

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