第92話 世界の涯へと続く旅路〜リカルド ②

 ヴィクトルに荷物を乗せ替えた後、夜の空に向かって飛び立ったリカルドは、二頭の馬を連れたフェルナンドの姿を闇に紛れて見えなくなるまで見下ろしていた。先代お目付役だったパヴェル・バニュエラスに連れられて竜騎士団に初めて来たとき、ドラゴンを間近に見て泣きだした幼いフェルナンドをふいに思い出す。残念ながら竜騎士にはなれなかったフェルナンドが、文官としてリカルドを公私にわたり支えるようになるなど、パヴェルもリカルドも予想すらしていなかったというのに。自分の息子と言っても過言ではない年齢差だったが、随分と頼り甲斐のある男に成長したものだ。


『ありがとう、フェルナンド。次にここに戻るときには、華子も一緒だ』


 リカルドの残した伝言に、地上に残されたフェルナンドは、静かに涙した。


 見慣れた王都の夜景に別れを告げたリカルドは、機嫌の治ったヴィクトルの針路を北に取る。スルバラン警務隊総司令によれば、リカルドが追う男が所属する組織はハルヴァスト帝国領内にあるということだ。スルバランの暗号符には、ハルヴァスト帝国に入ったら必ず大使館に立ち寄りフロールシア王国の情勢を聞くように、と書いてあった。始末屋の男についても、現地大使館と連携を取りながら会う算段をつけなければならない。

 朝日が昇り、キラキラと水面を輝かせる海に見惚れたリカルドは、大きく息を吸い込んだ。リカルドにとって大陸を出て海を越えるのは四十七年振りのことで、そのときは東の大陸の同盟国ヴェルトラント皇国までの行程を海路で向かった。

 今回は空路で、しかも一人旅だ。

 ヴィクトルは自分で獲物を狩ってくるとはいえ、体格の大きな珍しい四枚羽のドラゴンは目立つのであまり宿場町には入れない。運良く獲物の豊富な森を見つけても、今度は宿場町がないなどざらで、リカルドは度々野宿を強いられた。竜騎士団での訓練で野宿は苦にならないが、魔獣や野盗に襲われないように結界を貼らなければならない。ヴィクトルの魔力を借りるも、疲労は蓄積されていくばかりだ。

 北の大陸にたどり着いたときには既に冬になっており、あまりの寒さに風邪を引いて三、四日寝込む羽目になってしまった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「リカルド様、もうお加減はよろしいのですか? 」

「すっかり良くなりました。ニコラオ殿、世話になり申し訳ない」


 ハルヴァスト帝国に着き、フェルナンドに言われた通りにフロールシア大使館を訪れたリカルドは、そのまま熱を出して療養していた。外交官として駐留しているニコラオ・トーレスがあれこれと世話を買って出てくれたお陰で、何とか体調が回復したリカルドは、早々に旅を再開させることにする。というのも、遠路はるばる一連の事件を暗躍していた男を探しに来たものの、とき既に遅く、男の死体がフロールシア王国警務隊本部に送りつけられてきた、という一報を受けたからだ。どこかでこちらの動きを察知されたようで、ジェームズと名乗っていた始末屋は組織からチェインワームのように切られてしまい、真相は闇の中だ。

 アリステアの運び屋から華子を買ったレイヴァースは、取り調べにおいて洗いざらい吐いたが、始末屋の男はレイヴァースとしか繋がっていなかったようで、フェランディエーレの真意までは知らなかったようだ。さらにフェランディエーレは気が触れてしまったのかフリをしているだけなのか、何一つ話そうとしない。その状況から、華子の誘拐に噛んではいるが、当の華子の行方が分からず、生命身体を害する魔法術を使用したとは言えない、という結論が出たために殺人未遂では罪を問えそうになかった。結局、始末屋の男の死体から記憶を引き出す術はなく、リカルドがハルヴァスト帝国にやって来た意味もなくなってしまったというわけだ。


 とんだ無駄足だな。

 いっそ、それならば、あのときに自分の手で殺しておけばよかった。


 リカルドは空回りしていく物騒な感情のやり場を失い、ギリリと奥歯を噛み締めた。やはり、フェランディエーレもあのときに始末しておけばよかったのだ。学士連や魔法術庁の研究員によれば、華子が消える直前に放たれた魔法術は、周囲に居る者の魔力を吸い取るように構築されていたようだ。しかし、旅立つ者との因果関係までは突き止めることができず、これではフェランディエーレの思うツボである。物思いに耽っていたリカルドは、目の前に差し出されたカフェカップに気づき、沈黙したまま事務的に受け取る。


「ここは魔獣や野盗も居ませんし、寒さだって凌げます……どうか、この国で集めた文献や研究資料を見ていってください。きっと求めるものの手ががりがあると思います」


 リカルドの心情を知ってか知らずか、はたまた怖いもの知らずなだけか。質実剛健そうな外見のニコラオは中身もそうであるようで、小細工には向いていないようだ。橙色の魔力を揺らめかせているリカルドに、そんな提案をしてきた。リカルドの足止めをするために本国からそう指示を受けているのだろうが、そんなことで外交官が務まるのか心配になる。


「ただの旅人のためにそこまでしていただける謂れなどありません」

「貴方様がただの旅人だとは思えません。国外における評価はご自分が思われている以上に高いのです……しばらくご辛抱くださいませ、今出て行かれると帝国貴族に追いかけられますよ」


 ニコラオが夜会のお誘いの一部です、と言い指し示した机の上には、山をなす色とりどりの手紙があった。その多さに絶句するリカルドにニコラオは更なる追い討ちをかける。


「……この国は軍事大国です。冥界の使者とまで呼ばれた元竜騎士団長の話を聴きたいと願う者は、何も貴族だけではありませんので」


 スッと差し出された一枚の手紙にはリカルドもよく知る、ハルヴァスト帝国皇帝の印章がついていた。まだ年若い皇帝とはリカルドも面識があり、国外に出られない事情を抱えていたリカルドが単身で帝国に来たことに興味が唆られたのだろう。好奇心なのかフロールシア側の内情を知りたいだけなのか、今のリカルドにとっては大迷惑である。


 流石に皇帝からの誘いを断れなかったリカルドは延長して滞在し、フリーデの祖父が遺した日記と帝国の文献を読み漁りながら数回だけ夜会に出ることになった。リカルドがアルマ持ちであることは国外でも有名で、まだ独り身だと勘違いした淑女たちに色仕掛けで攻められたりもしたが、リカルドはそれを冷ややかに一蹴する。


 「自分の隣に立てる人は、ただ一人だけです。戯れは遠慮させていただきたい」

「魂の伴侶か……そこまで貫き通せる貴方が、少しだけ羨ましくあるよ」


 徹底して女を寄せ付けないリカルドに好感を通り越して哀れみを覚えた若き皇帝は、リカルドが欲しい情報が載った書物を見せてくれまでした。旅の行程は遅れてしまったが、フロールシアにはない貴重な文献を読むことができたのはよかった。

 リカルドが行こうとしている『世界の涯』と呼ばれる島には、虹色に輝く『古代樹』が根を下ろしているという。その場所は四大陸の中心にあり、深い霧に覆われた小さな小さな島らしい。

 日記にはその島があるだろう場所が書かれてあり、今から強行軍に出れば聖アルマの日までには間に合いそうだった。ハルヴァスト帝国に所蔵されていた他の書物には、その島には世界が虹色に輝く日にその資格を持つ者しか入れないとある。日記にも同じようなことが書いてあることからも、信憑性はあるようだ。

 その資格とはアルマ特有の虹色の印。

 リカルドがまず思いついたのは、コンパネーロ・デル・アルマである自分こそがその資格を持っている、ということであった。世界の涯には神がいるという神話が本当であれば、そこから華子の元に辿り着けるはずだ、とリカルドは信じていた。



 それからの旅路は過酷を極めるものだった。

 広い海には取りつく島すらなく、飛び続けて疲弊したヴィクトルは、酷い匂いのする巨大な海獣の死骸に降り立ち休むことさえあった。ようやく見つけた断崖絶壁の岩が隆起してできた島には、見たこともないような魔獣が住み着いており、リカルドは思わぬ戦いを強いられることになる。

 頭部はドラゴンにも似て鼻面が長く、大きく裂けたような口は鋭い乱杭歯が何重にも生えている。身体はさながら蛇のように長い胴体で、何本あるか分からないくらいに細く尖がった脚が不気味に蠢いているその生き物は最悪なことに翼を持っていた。飛んで逃げようにも住処を荒らされたと勘違いしたのか、はたまた餌と思っているのか。しつこいくらいに追いかけてくる化け物と五日間に渡り戦った。ミロスレイから譲り受けた魔槍がなければ、流石のリカルドとて命はなかったもしれない。ヴィクトルに封印されているデサストレの魔力を引き出し、自分の身体を媒介として魔槍に魔力を纏わせてやっと貫くことができるようになった化け物の硬い鱗を、何度となく突き、斬りつける。ようやく化け物が地に堕ち、難を逃れたころには、リカルドもヴィクトルもよくわからないまま、おびただしい血を流して横たわる死骸の側で泥のように眠った。

 激闘の末に傷を負い右目が見えづらなくなってしまったが、まだ左目が残っている。起きた後はヴィクトルとその肉を仲良く食し、再び島を目指して飛び立った。

 何日か後、海人族が住処にしている島の入り江に降り立つと、最初こそ警戒されたものの、リカルドがあの気味の悪い化け物を退治したと知るやいなや、大歓迎を受けた。ここに住む海人族はあの化け物の脅威に晒されており、もう何十年と犠牲を払ってきたのだという。誰も倒すことができず、歳を取り動けなくなった者を生贄にして暮らしていた彼らから救世主のように扱われた。


「何と、貴方様は魂を分けし者でございましたか」


 集落の長の娘を差し出され、魂の伴侶がいることを理由に丁重に断ると、益々神様のように崇められ困惑する。海人族の間では、虹色を身に纏う者は古来から『神に連なる者』『神の声を聞く者』と呼ばれており、魂の伴侶でなくとも神に認められた者はその証として虹色を下賜されてきたのだというのだ。

 リカルドが世界の涯にその伴侶を探しに行く途中だと知った長からは、ここから先の海域には近寄ることすらできない深い霧が立ち込めている場所があることを教えて貰った。ある一定の場所から一年中嵐のような風が吹き荒れ、海人族でも入ることができないのだという。傷が癒えるまで逗留するように勧められたものの、旅路を急ぐことにしたリカルドはヴィクトルがお腹いっぱい獲物を食べたところで、海図と羅針盤を譲り受けて再び空に戻った。


「すまんな、お前には昔から無茶ばかりさせてしまう」


 リカルドの言葉が伝わっているのか定かではないが、ヴィクトルはリカルドにとても忠実なドラゴンだ。デサストレの封印を施す際もどれだけ負担をかけたかしれない。その身を変貌させ、慣れない魔力を封じられてもなお、育ての親とも言えるリカルドとの絆が壊れることはなかった。


 クルルルルルル


 久しぶりにゆっくりと休めたのか、ヴィクトルの機嫌はとても良い。おおよそドラゴンとは思えぬような、可愛らしく歌うように喉を鳴らしたヴィクトルはリカルドの指示どおりに空を翔けた。



 海人族の長の言う通り、不思議な霧が立ち込める海域に入ったリカルドは、すぐに嵐に見舞われ、方角すら見失ってしまった。ぐるぐると針を回すだけで一向に方向を指し示さない羅針盤は使い物にならず、一体どれくらい来ただろうか。

 今まで何の反応も示さなかったリカルドの両目が僅かに熱を持ち、一瞬だけ淡く虹色に輝いたのだ。ヴィクトルの赤銅色の鱗に幻の様に映り込んだ己が放つ虹色の印に、リカルドはそれまでとは違う確かな導きを感じ取った。


 華子、そこにいるのか?


 相変わらず海しか見えない視線の上、今よりもさらに上空に何かがある。それが何なのかわからないが、どうしてもそこに行かなければならない気がしてリカルドはヴィクトルの手綱を引いて上空を目指す。上へ、上へと昇りながら、リカルドは張り付く霜を振り払うように焔の魔法術でヴィクトルを覆った。


 真っ青な空、薄くなっていく空気、凍りつく息。


 何もないはずの空に歪みが生じていることに気がついたときには、流石にためらうヴィクトルを宥なだめてそこに飛び込んだ。


「ヴィクトル、もう少しだ……この先に、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 」


 身を切り裂かれるような衝撃にリカルドは絶叫し、ヴィクトルも狂ったように身をよじる。四肢が千切れる程の壮絶な痛みに襲われなお進み続けるのは確信があるからだ。

 まるで雷に打たれている様な衝撃の後に再び目に虹色の印が現れたときには、リカルドは右目の視力を完全に失っていた。



 

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