五つの精霊の石~はじまりのものがたり

ありま氷炎

序章 魔王と化した兄

火の精霊

「よし!」


 アイルは弓を引いた。

 矢は一直線に飛んでいき、ウサギを射抜く。

 側にいた仲間のウサギは、一瞬だけ、死んでしまった同胞を見たが、すぐに逃げ出した。


「……姉さんを困らせるかな」


 動物の解体は好きではない義姉のことを思い、アイルは手に持ったウサギに視線を落とす。でも今更、置いていくことはできない。殺してしまったのはアイルだ。


「兄さんに頼もう」


 頼りがいのある兄の顔を浮かべ、アイルは村に戻った。


 彼女の村は人口五十人ほどの小さい村。

 両親が早くに亡くなったが、村の人達の助けもあり、兄妹でなんとか暮らしてきた。 

 兄が十八、アイルは十二になったある日、兄が隣の村に用事で行き、姉を連れて戻ってきた。

一目惚れしてしまい、そのまま連れてきてしまったと兄は、照れることもなく語った。人さらいのようなことを、とアイルは兄に言いかけたが、姉がとても嬉しそうだったので、何も言えなくなってしまった。



 兄の名はバルー。

 茶色の髪に緑色の瞳、アイルと同じ色彩だ。畑仕事や狩りで肌は焼けていたが、全体的にほっそりしていて華奢に見えた。けれどもそれは大きな間違いで、兄は村一番の力持ちで、喧嘩をすれば彼を負かす者が誰もいなかった。


 兄のそういう部分も影響したのか、姉を隣の村から連れてきた時も村の者は誰一人反対しなかった。そうしてバルーはすんなりティマと結婚した。


 義姉のティマ。

 夕陽を思わせる髪色に、茶色の瞳。一見勝気な印象だが、中身は大違いでとても優しい女性だった。

 アイルはティマの優しさに甘えることが多く、よく兄に叱られていた。



「アイル!」


 家に戻ると、兄が険しい顔をして出迎える。


「何度言ったらわかるんだ。お前は女の子だ。狩りに出かけるなんて、駄目だと言っているだろう」

「ごめんなさい」


 兄からは何度も注意されていた。

 けれども、アイルはそれを聞かず、今日も兄がいない隙を狙って森に入った。


「バルー。それくらいにしてあげたら?ほら、見てよ。アイルがウサギをとってきてくれたわ」

「ティマ」

「バルー。私、解体は苦手だから、よろしくね」


 ティマに微笑えまれ、彼は参ったとばかり、首を横に振る。


「アイル。これが最後だぞ。わかったな」

「はい」


 兄の怒りが解けたことにほっとして、アイルは感謝とばかり姉を見た。ティマはそんな彼女に微笑みを返した。


 小さな村の穏やかな家族。

 それがアイルの家だった。

 数年すれば姉のようにお嫁に行くことは理解していたが、アイルはその日がずっと先であることを願っていた。


 そんな幸せに影が落ちたのは、ティマが突然病気になったことだ。

 発熱して、熱が下がらず、バルーは隣の村に走った。薬師がいると話を聞いており、連れてくるためだった。


 隣の村に出かけた割には長く、彼が薬師と戻ってきたのは、半日後だった。

 その頃すでにティマの容体は悪化しており、隣の村の薬師は首を横に振った。

 

 翌日ティマは命を引き取った。

 バルーが薬師を殴りつけ、隣の村に追い返した。兄は無意味に暴力を振るう人物ではなく、アイルは違和感を覚えた。

 その違和感は続き、ティマを埋葬し、バルーはおかしくなった。

 食事を一切とらず、ティマが亡くなったベッドにずっと座っていた。何も言わず、ぼんやりと宙を見ている。村人も訪ねてきたが、誰も彼も首を横に振って、家を出て行く。

 兄は誰の話も聞かず、話さず、ただ屍のように過ごしていた。

 

 そうして二週間ほどが過ぎ、兄はとうとうベッドから体を起こすこともやめた。

 兄がこのまま姉を追って死んでしまうかもしれないと、アイルが思い始めた時、奇跡が起きた。


 神の啓示があったと言い、兄は異常に目を輝かせていた。体に気力をみなぎらせ、興奮ぎみにその啓示の内容を語る。


 ーー五つの精霊の石というものを集め、姉を生き返らせる。


 そんな夢のような話であったが、兄が持っていた地図は魔法の地図で、嘘には思えなかった。

 石の名をつぶやくと、なにも書かれていないはずの羊皮紙の上に地図が浮かび上がる。

 そんな現象をアイルは見たことがなかった。


 ーー石を見つける旅に出かける。


 兄の旅に同行するのを決めたのはアイルだ。村に一人に残るのは嫌だったし、何か手助けできればと思ったのだ。


 


「兄さん!どうして!」

「だって、邪魔だろう?」


 人が変わったようににやりと笑い、バルーはアイルに答えた。

 アイルは震えが止まらなかった。


 バルーとアイルはティマを生き返らせるために旅を続け、最初の石を見つけた。

 しかし、それは魔性の石だった。

 血色のような赤い石にバルーが呼びかけると、真っ赤な光を宿した女性が現れた。

人を小馬鹿にするような態度で、アイルは好きじゃなかった。けれども好き嫌いはこの際関係なかった。

 兄も同様で、ただ火の精霊に請われるまま、彼女に名をつけた。


「ティマ」


 バルーは姉を早く生き返らせたいという願いを込めて、その名を口にしたはずだった。けれども、それは名となり、火の精霊に影響をもたらした。

 彼女はティマという名が発せられた瞬間、姿を変えた。


 現れた姿は姉そっくりで、声まで一緒だった。

 バルーは、食い入るように火の精霊を眺め、抱きしめた。


 ーーそれが悪夢の始まりだった。


「バルー。もうこの辺は全て燃やしちゃった。どうする?」


 火の精霊はバルーの首に纏わりつき、甘えた声を出す。義姉とそっくりな顔、けれども浮かぶのは邪悪な笑み。アイルは吐き気を覚えた。


「じゃあ、ティマ。別の町に行こう。君が行きたいところに行こう」

「ふふふ。そう?じゃあ。アタシ、ジャランという町に行きたいわ。いいでしょ?」

「ああ、当然だ」


 完全におかしくなってしまった兄は愛おしそうに精霊の髪を撫でる。


「じゃ、行きましょ」


 火の精霊ティマはパチンと指を鳴らす。すると、精霊の体が一気に炎の姿になり、兄を包んだ。


「に、兄さん!」


 アイルは炎の塊に駆け寄る。しかし、彼女が手を触れようとした瞬間、それは四散して消えた。


 アイルは魔法の地図を使い、火の精霊の痕跡を追って、兄を見つけた。けれども、彼女が見たのは惨劇で、焼き殺される人々、焼かれる家々で、アイルは呆然とするしかなかった。


(兄は変わってしまった。火の精霊の石を手に入れ、変わってしまった)


「あらあ。子ねずみがきてるわね。何の用かしら?バルー、こいつ邪魔だから殺していい?」

「……だめだよ。とりあえず今は。アイル。私は幸せなんだ。お前は村に帰るといい。邪魔をするんじゃないぞ。私はこれからティマと二人で世界を支配するんだから」


 変わってしまった兄はそう言い、火の精霊の肩を抱くとアイルに背を向けた。


「兄さん!」


 そう叫ぶが彼は振り向くことはなかった。

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