第5話:仇討ち

 目を開けると、天井の白さが目に突き刺さった。白いことは分かるのに、細部は不思議とぼやけている。どうやら、ベッドのようなものに寝かされているらしかった。

 にしても、いやに近代的な内装だ。TCKには似つかわくない。


 そもそも、ここはどこだろう。確か僕は、鳳凰騎士団の男と決闘をして――


「起きたか、修」


 声のした方に顔を向けると、スーツ姿の男が立っていた。歳の頃は30代後半だろうか。髪をオールバックに撫で付けて、ネクタイを首元まできっちり締めている。一見勤め人のようにも見えるが、それにしてもこの浮世離れした雰囲気はなんだろう。


「気分はどうだ」

「僕、大丈夫だよ」


 勝手にそう口が動く。まだ変声期も訪れていない、幼子の声だった。


 これは、何だ。

 誰かの記憶――?


「続けてやれるんだね」


 男は優し気に微笑むと、ベッドの脇に据え付けてある巨大な箱に近づいていった。その黒い箱からは何本もの管が伸びており、それはそのまま僕の身体へと繋がっていた。男は操作盤らしきものを何やらいじっていたが、暫くすると僕の脇へと戻ってきた。


「本当に、修は凄い子だな」

「こんなの、全然平気だよ!


 そんなことはないはずだ。

 現に今、僕は凄まじい悪寒と闘っていた。体内の臓物という臓物が悲鳴を上げ、脳の中ではパチンコ玉があちこちに飛び回っている。胃の中身も腸の中身もまとめて全て吐き出してしまいたいと言ったら、この男はどんな顔をするのだろう。


 しかし男はただ満足気に頷くと、僕の傍から遠ざかっていった。コツコツと地面を打つ革靴の音が小さくなっていく。靴音と反比例するように、形のない不安が胸の内で膨らむ。


「大丈夫。僕は、強いんだから」


 自分に言って聞かせるように、幼子は呟いた。

 小さな手を握りしめ、唇を嚙み、僕はゆっくりと目蓋を閉じた。

 暗闇の中、電子機器が吐き出す蜂の羽音のような機械音が徐々に大きくなる。


 意識が途切れる直前、その声は頭の奥に直接届いた。


 怖いよ。

 父さんの世界に――食べられたくない。


 その声は、いつまでも身体の芯に響き続けた。


******


「……け……ぐ……たけつぐ!」


 肩を揺すられて目を覚ますと、目と鼻の先に茜の顔があった。

 彼女は今にも泣きだしそうだったが、僕が目を開けると思い切り飛びついてきた。


「よかったぁ!生きてたぁ!」

「ちょ……布施さん?!」


 僕の胸の内で、茜は肩を震わせていた。そっとその背中を抱くと、橙色の温もりが、彼女から僕へと流れ込んでくる。そこで漸く、後悔と安堵がない交ぜになって、身体の内側から湧き出した。

 僕のせいで、豪や茜に心配をかけたのだ。ベットした金だって、流王をはじめとした皆で稼いだものだ。それを、こんなつまらない諍いで……。


「ごめんなさい……僕のせいで……」

「だから言っただろうが、この間抜け。茜も、良い加減離れろよ。見てるこっちが恥ずかしいぜ」


 豪の突っ込みに、茜は顔全体を苺色に染めた。


「あっ、ご、ごめんなさいっ。つい、吃驚したというか、その」

「い、良いんですよ。気にしないでください」

「はっ、大袈裟だなぁ。感動の再開ってかい?死ぬわけでもあるめぇし」


 小馬鹿にしたような嗤い声が頭上から降ってくる。見上げると、唇を醜く吊り上げたミルゲと視線がかち合った。


「チーターの癖して負けるとかないわぁ」

「でも、やっぱ大したことないんじゃないですか?後半、本気出したミルゲさんに手も足も出てなかったですし」

「馬鹿、あんなんまだ本気じゃねーよ」

「チートさえなきゃ、姿も捉えられなかったんだろ」

「惨めだなあ。大見得切っといてあのやられ方はねぇわなぁ」


 ミルゲに追従していた騎士たちも、我先にと野次を飛ばしてくる。その瞳には、自分より目下の人間への侮蔑と嘲笑が込められていた。

 腹は立つものの、彼らの言葉に偽りはない。僕は声高らかに挑み、惨めに負けた。

 恥ずかしさと情けなさで、頭は自然と下を向いた。


「ちょっと!もうやめて下さい。それに、言うほど吉田さんが劣勢だったとは思えませんっ」


 顔を上げた茜が反論したが、男たちはまるで意に介していない。


「ま、好きなだけ遠吠えしとけよ。そんじゃさっさと失せろ。俺たちは、さっきお前から巻き上げたはした金で遅めのランチをするからよ」

「便所蠅から巻き上げた金だ。臭くてかなわんかもしれんな」

「ハハッ」

「……あなたたち、良い加減に――」


 激情のあまり声を震わせる茜の肩を、がっしりした男の手が掴む。


「良い加減にするのはお前だよ、茜」

「……豪君」

「こいつが調子に乗ってたのは事実だ。決闘するって言った時、俺は何度も止めたよな?ミルゲのことは前から知ってた。小賢しい野郎だが、この阿呆じゃ相手にならん」

「でも……それにしたって、あんな言い方ないじゃない。それに、お金だって取られちゃったし」

「稼ぐしかねぇだろ。2、3日は、そこらで魔物狩りのクエストでも受注するんだな。ったく、すぐ隣街にエムワンがいるかもしれねぇのに、とんだお荷物だぜ」


 豪はしゃがみ込むと、こうべを垂れる僕の首をがっしり掴んだ。顔を上げずとも、彼がどんな顔をしているのかは分かる。


「PK禁止ルールなんてもんがなきゃ、今すぐにお前を縊り殺してやりたいよ」

「すまない」

「2度と勝手な真似するんじゃねぇぞ。分かったか」

「……」

「返事は」

「……分かった」

「その言葉、忘れないように額にでも彫っとけよ」


 何も反論できない。彼の言葉の一つ一つが、心に空いた穴を抉る。

 慢心しないと決めていたはずなのに。それが、少し自分の力が通用するからといって、柄にもなく浮かれた。下手をすれば命を落とすような危険な挑戦に、ゲーム感覚で乗った。その上皆に心配をかけ、託してもらったお金まで毟り取られたのだ。


 調子に乗ると足をすくわれると、豪は常々忠告していた。それなのに自分は、安い全能感に浸って、信頼を不意にした。


 力なく立ち上がると、僕は黙って店を出ようとした。ところが、すぐ側にいたはずの豪の姿が見えない。

 その時、背後から信じられない言葉が聞こえてきた。


「良いわ!なら、私が相手します」

「何言ってるんだ、茜!」

「だって、これじゃ……これじゃあんまりじゃない!こいつらを倒して、お金を取り戻すのよ!」

「感情に流されるなって言ってるだろうが!聞きたくないなら耳塞げ!金は諦めろ!」


 振り向くと、茜が鳳凰騎士団の連中に突っかかっているところだった。珍しく激している彼女に、豪も少なからず驚いているようだった。どうにか諫めようとしているが、彼女はまるで聞く耳をもっていない。

 まさか、あの茜が?人見知りで引っ込み思案の彼女が、どうして――


「嫌だよ。もう飽きたし」


 ミルゲは欠伸混じりにそう言ったが、引く気配のない茜を見て面倒そうに溜息をついた。


「良いよ。仕方ねぇ。乗ってやろうじゃないの」

「決まりですね!それじゃ早速、決闘の申し込みを――」

「ただ、条件がある」

「?」

「俺は温いの嫌いなんだ。50%ルールなんて温室縛りは捨てて、純粋なデスマッチなら受けてやる」

「……!」


 茜の顔が恐怖に歪む。それを見たミルゲは鼻で笑うと、再びテーブルに向き直った。恐らく、彼女を追い払うための方便だったのだろう。用は済んだとばかりに、しっしっと手を振った。


「茜、もうやめとけ。リスクが高すぎる」


 豪は諭すように茜を正面から見据えたが、彼女は視線を逸らさない。目の前にいる豪を透かして、高笑いするミルゲを睨み続けている。

 そんな彼女が、唐突に口を開いた。


「豪君にとって、譲れないものって何」

「何だよ、急に」

「良いから答えて」

「……約束を守ることだ」


 そう答えた豪の顔に、一瞬陰が落ちる。


「もし、約束を守れないとしたら、豪君はどうする」

「有り得ないな」

「答えになってないわ。守れなかったら、どうするの」

「そんな後ろ向きな考え頭に溜め込んで唸ってる暇あったら、自分を曲げないで済む方法を捻りだせよ」

「そうよね。豪君ならきっと、そう言うと思ってた……私にだって、譲れないものはあるの」

「何だよ」

「自分に、噓をつかないことよ」


 豪がはっと息を呑む音が聞こえた。


「豪君は凄いと思う。私より歳下なのに、いつだって冷静で、ちょっと口は悪いけど、でも何だかんだ面倒見は良くて。でも……時々無理してる気がするの。周りのために自分に噓をついて、騙し騙ししているように見える時がある」

「そんなこと――」

「決めつけかもしれない。いや、言いたいことはそんなことじゃないの。

 私は、自分に噓はつかない。ずっと前に決めたの。友人が傷つけられた時。仲間が辱められた時。そんな時、悔しいって思わなかったら、それは……それは……」


 茜は息を吸い込むと、店内に轟く大音量で叫んだ。


「それは、絶対に噓よ!」


 僕は呆然としながら、興奮に顔を赤らめた茜を見やった。普段は笹の葉のように頼りない彼女が、その時は大樹のようにどっしりとして見えた。意志の炎が周りの空気を焦がし、ぷんとした臭いが鼻を刺した。


 彼女は荒く息を吐くと、石像のように固まってしまっている豪の横をすり抜け、ミルゲの脇に立った。


「デスマッチ、受けて立ちます」

「おい、マジかよこいつ。とんでもねぇ阿呆だ」


 ゲラゲラと笑うミルゲを物ともせず、彼女は淡々と続ける。


「ベットは手持ちのお金全部と……そうですね、これなんかどうです」

「はっ、下らねぇ。どうせお前もチーターだろ?やってられる――」


 すげなく断ろうとしたミルゲの視線は、茜がベットフィールドに差し出したアイテムに吸い込まれた。彼とともに座っていた男たちも、目を見開いて身体を乗り出してくる。全員が一斉に生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。


「弐角麒麟の角よ」

「……マジかよ。現物初めて見たぜ、おい」

「こんなレアアイテム持ってるとか、何なんだお前ら」

「こいつらの正体なんてどうだって良い。おい、お前の決闘、受けてやろうじゃねぇの」


 ミルゲは立ち上がると、ウインドウを展開して操作をし始めた。決闘のメニューを探しているに違いない。

 

 このままでは、茜はミルゲと闘うことになってしまう。彼女がいつもの冷静さを欠いていることは明らかだった。どう考えたって、こんな勝負は馬鹿げている。

 止めるべきだ。

 ミルゲは強い。最初から本気を出されたら、反撃する間もなくやられてしまうかもしれない。


 もう、やめてくれ。

 僕が負けたことなんて、どうだって良い。

 下手したら、死んでしまうかもしれないんだぞ。


 振り返って彼女を止めようとした僕の眼前に、豪の坊主頭がにゅっと現れた。


「アーったく、どいつもこいつもゴリラみたいにさかりやがって」


 ぼりぼりと頭を搔きながら、ミルゲとの距離を詰めていく。鳳凰騎士団の連中も、近づいてきた豪に胡乱な視線を向けた。ミルゲと真正面から睨みあっていた茜も、彼の気配に気づいて振り返る。


「おい。茜とやる前に、俺が遊んでやろうか」

「んだよチビ。お前なんか誰も呼んでねーよ」

「おいおい、断っちゃって良いのかよ?俺に勝ったら、弐角麒麟の角、人数分やるぜ」

「……本気か、お前」


 訝し気に眉をひそめたミルゲに向かって、豪は不遜に笑った。その人を食った態度が、不思議と彼の身体を大きく見せる。


 ここまで、豪は頑なに力を見せようとしなかった。魔物に襲われた時だって手出しはしなかったし、エリアボス戦だって1度も共闘してくれたことはない。正直、彼がどれほどの力を隠し持っているのかずっと疑問だった。期待しているのも確かだが、それ以上に不安の方が少しだけ大きい。


 そんな僕の気持ちなどどこ吹く風で、豪は余裕しゃくしゃくな態度を崩さない。


「ただし条件がある」

「……何だよ」

「俺はな、弱い者いじめがこの世で1番嫌いなんだ。だから――」


 豪は唇を舐めると、魔神がごとき笑顔で言い放った。


「5人まとめてかかってこい」

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