第12話:修行④~共闘~
目と鼻の先に、ライプラスの顔がある。血肉を求める魔獣の顔は、仮想世界のものとは思えぬほど禍々しく、大きく開いた口からは吐き気を催すような腐臭が漂ってくる。
数秒の後、その姿は塵のように消えた。
倒したのだ。この手で、神の猟犬を屠った。
それも、一撃で。
ライプラスは体力が低いとはいえ、ゲーム内ではレベル20相当の魔物だ。序盤に闘った蟲の魔物がレベル3相当、キュクロプスがレベル30相当であることを考えれば、僕にとっては大きな一歩だ。
安堵の溜息が漏れそうになったが、すんでのところで耐えた。こんなことでいちいち気を緩めていたら、命が幾つあっても足りない。
何しろ僕の残機数は、残り1つしかないのだから。
その後も、僕の行く手には様々な魔物が休むことなく現れた。序盤の蟲の魔物に加え、蛇やトカゲといった爬虫類に似た魔物が、群れをなして襲い掛かってくる。
だが今や、そんな低級な魔物は僕の敵ではない。手の中にある木剣には、一条に借りた「大隊長の斬魔剣」のイメージを投影している。ライプラスでさえ、急所に当てれば一撃で沈めることができる業物だ。一太刀で、粗方の魔物は骨も残さず消し飛ばすことができる。
それに加えて、空き時間に彼から学んだお遊びの剣術が、なかなかどうして役に立っている。
「そんな地味な修行ばっかじゃつまらんだろ。ほれ」
一条は度々そうして木剣を僕に手渡しては、剣戟の相手になってくれた。どれだけ本気で打ち込んでも、痛みもなければ怪我もない。PK禁止のルールの有難味を改めて実感したが、そもそもそんなことで強くなれるのは、僕たち“サンプル”だけだ。
普通のゲームなら、思わず舞い上がってしまいそうになる状況。
だが、油断はしない。
僕の力は万能じゃないし、まだまだ粗削りな部分ばかりだ。
背後から襲い掛かってくる蛇の魔物の攻撃を盾で受ける。出来るだけイメージ投影の時間が少なくて済むように、ぎりぎりまで敵の攻撃は引き付ける。
僕の力はまだ未熟で、五分と投影を維持することができない。だから、イメージを投影するのは一瞬だ。剣ならば、敵に攻撃を食らわせる時。盾ならば、敵の攻撃を受け止める時。
それに、投影を維持するためには、対象物に触れ続けることが必要だ。いずれは視認するだけで投影ができるようになるだろうと流王は言ったが、それはまだまだ先の話だ。
勢いを殺されて地面に落ちた蛇の頭蓋に木剣を突き立てると、その細長い体躯は瞬く間に魔窟の地へと吸い込まれていった。
******
「ねぇ」
「どうしたの、さっきからリスみたいなほっぺたして」
「つまんない。つまらんつまらんつまらん~~~」
魔窟の中に、阿羅の叫び声がこだまする。
彼女はゆさゆさと宇羅の肩を揺するが、宇羅の方はにこやかな表情を崩さない。
「暇なことは良いことだよ!丈嗣君が頑張ってる証拠なんだから」
「何そのポジティブ思考。
それにしても、あいつ、意外に動けんじゃないの。チート能力だけじゃなくて、剣術のけの字くらいは知ってるみたいだし」
「時々、一条さんが相手してたからねぇ」
「ふん、ここに来る前は散々怖いとか駄々こねてたくせに、いざ魔物と相対したら立派なもんじゃないのよ。だったら最初から泣き言いわずに黙って来いっての」
「泣いてるとこ見られちゃったしねぇ」
「やめて?皆にばらしたらマジ燃やすから」
阿羅は仁王のような形相になったが、尚も微笑みを絶やさない宇羅を見て、毒気を抜かれたように溜息をつく。
彼女はいつだってこうだ。怒りを知らぬ天女のように、目の前の全てを受け入れる。
宇羅を見ていると、いちいち感情を爆発させるこちらが馬鹿みたいだ。
「力を使ってる時とはまるで別人ね」
口まで出かかった皮肉を喉に押しとどめ、阿羅は再び魔窟を進みゆく丈嗣へと視線を移した。
******
進めば進むほど、現れる魔物の数と頻度はどんどん増えていく。
この「始まりの魔窟」に強力な魔物はいない。ライプラスが最上位クラスだろう。
その代わり、低級の魔物が一群をなして襲い掛かってくる。死角から突然奇襲されることもある。常に気を張っていないと、あっという間に体力バーが真っ赤に、何てことにもなり兼ねない。
僕は頭上から迫りくる2体の大蜘蛛をまとめて盾で弾き返し、間髪いれず木剣で薙いだ。
休む間もなく、今度は洞窟のあちこちに空いた穴から、巨大なトカゲがのそのそと這い出てきてきた。
動きが遅いと思って舐めてかかってはいけない。こいつらの口から放たれる舌の弾丸は、一撃喰らえば致命傷を負う。盾での防御も間に合わないから、動きを予測して躱す他ない。
大丈夫。狙いを定めるまでの動きは緩慢だ。
落ち着いて頭の向きを確認し、口が開いた瞬間に――避けるッ。
そうは言っても、魔物の舌が唸りながら耳元を通り過ぎていく度、僕の心臓は高く跳ね上がった。
時に屈み、時に身体を捻り、時にジャンプで、僕は迫りくるトカゲの舌をかいくぐり、鋼で染め上げた木剣を振るい続けた。
漸く最後の1体に剣を突き立てたところで、僕は開けた場所に出ていることに気づいた。ドーム型球場のようにだだっ広く、中心部には壁面の篝火の灯りも届いていない。これなら、松明でも持って来ておくべきだった。
上を見上げると、鍾乳石の大家族がこちらを見下ろしている。まるで怪物の胃袋のようだ。
――いよいよ、この魔窟の終わりも近いのかもしれない。
進んでいくと、タールで塗りつぶしたような暗黒の中で、何かが動き回っている。
目を凝らすと、光が届かないはずの中心部がうっすら青白んでおり、その周りで複数の影が舞っている。
淀んだ闇の中を、流れ星が目にもとまらぬ速さで駆け巡る。それがライプラスの黄色く濡れた瞳だと悟った時、僕は背筋が凍る思いを味わった。
8つの殺気立った煌きが同時に僕に注がれる。次の瞬間、瞬くことのない凶星が眼前に迫っていた。行き遅れた風が、やっとのことで死臭を鼻腔に運んでくる。
「クソッ」
カウンターは間に合わない。左手にもっていた盾に「大隊長の抗魔盾」のイメージを投影しようとした時、
「オラァ!」
野太い咆哮が地を揺らしたかと思うと、仔牛ほどもある魔犬の身体が紙細工のように吹き飛んだ。直後の低い風切り音が、ビリビリと鼓膜を震わせる。
「相手は俺だろうがァ、ワン公」
眼前に、巌のような大男が立っていた。いや、見た目では性別は分からない。判断の基準は直前に発した叫び声と、この巨大な体躯。
それもそのはず、男は頭のてっぺんから足の先まで、白銀の板金鎧プレートアーマーに身を包んでいる。防御力に優れる反面、その重量のせいで自由には動けない玄人向けの装備だ。
プレイヤーだ――街の外で出会うなんて初めてかもしれない。
物珍しさに目を見開いたが、集中の糸は切らさない。今は目の前の闘いを切り抜けることが先決。
死んだら終わりだ。
吹き飛ばされたライプラスは、鋭く砥がれた岸壁に叩き付けられる前に空中で身体を捻り、勢いを殺した。今の一撃で沈んだかと思ったが、そう甘くはないらしい。
「ん、あれで倒れんか……にしても、少し数が多すぎるな」
大男はそう呟くと、3本の角が生えた兜ヘルムをこちらに向けた。
「おい、あんた」
「はい」
「1人か。珍しいな」
「まあ……チームプレーが苦手なだけです」
物陰から凄腕の仲間が2人見守ってくれています、とは流石に言えない。
「ハッ、俺もそんなとこだ。ところでどうだ、ちょっくら共闘せんか」
正直、願ってもない申し出だった。1人でライプラス4体を同時に相手にするのは、幾ら何でもリスクが高すぎる。
「僕も丁度、お願いしようと思ってました」
「よし。ごちゃごちゃしたことは後だ。
あんたには左のやつを任せる。俺は真ん中の1体と右の2体だ」
「分かりました」
「何だ、控え目だな。経験値が欲しくないのか」
「死にたくないんです。僕、怖がりだから」
鉄仮面の向こうで、男がにやりと笑った気がした。
「そんなやつが何でこんなとこ来たのか聞いてやりたいが、それも後でゆっくり訊いてやる。……さぁ、魔獣狩りだ!」
「はい!」
僕は地面を蹴る。
盾を前面に構え突進すると、ライプラスも僕目掛けて突っ込んできた。縦横無尽に駆け巡り、僕に狙いを絞らせない。
「んっ」
剣を振ったが、魔獣は嘲笑うようにそれを躱し、強靭な前脚を突き出してくる。瞬時に盾にイメージを投影し、攻撃を受け止める。腕が痺れ、思わず手を緩めそうになるが、肚に力を入れて踏みとどまった。
ライプラスは好機とばかりに猛攻を続けた。引っ掻きと咬みつきに加え、俊敏な動きにともすれば後れを取りそうになる。
一撃で決めようとは思うな。少しずつ、削り取るんだ。
はやる気持ちを抑え、僕は防御に徹しながらも、少しずつ魔獣に攻撃を当てていった。狙うべきは、やはりその動きの要になっている脚だ。前脚を潰せば、ブレーキが利かなくなるから素早さは落ち、攻撃手段も1つ減らせる。
地道な一撃離脱が功を奏し、徐々にライプラスの動きは緩慢になっていった。前脚を使った攻撃も少なくなり、心なしかその黄色い瞳からは光が失われている。
――ここだ。
ライプラスが振るった前脚を躱し、僕は剣を握る掌に力を込めた。僕の方も、ここまで力を使い過ぎたせいでイメージ投影の精度が落ちている。
だが、ここで踏ん張らなければどうなる。
死にたくない。
歯を食いしばり、掌に意識を集中する。目の裏側で、微かに火花が散った。
懐に入り込むと、握りしめた剣を思い切りライプラスの喉元に突き立てた。
確かな感触とともに、神の猟犬の巨躯がぴたりと動きを止める。僕はそのまま腕を引いて、魔犬の身体を内側から切り裂いた。
ライプラスはふらふらと2、3歩ほどよろめいた後、力なく地面に崩れ落ちた。瞬く間にその亡骸は砂塵と化し、魔窟へと還っていく。
止まっていた汗が、どっと噴き出してきた。何度も深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。身体が震えていることに気づき、苦笑した。
いくら慣れても、この緊張感が消えることはないだろう。
これで1体は片付けた。そういえば、あの大男は大丈夫だろうか。
背後を振り返った僕は、予想外の光景に口をあんぐりと開けた。
全身鋼に包まれた大男は、とうに3体の魔獣を始末して、悠々と煙草をふかしていた。
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