フリーターでも現実世界に戻りたい~チートを使うにゃ努力も必要~

@origami063

第1章:異世界来訪編

第1話:白い棺桶

長く続くその廊下を、僕はゆっくりと歩いていた。


床も壁も天井も、一面白無垢だった。天井から吊るされた蛍光灯の灯りもまっ白で、僕はその光に消毒されている気分になった。社会の隙間に落ち込んだ僕のような屑には、きっと数多の雑菌がこびりついていることだろう。


どうしてこうも、卑屈になったかな。


顔に出かけた苦笑を押しとどめ、僕は足を動かし続ける。


「急いで。時間がないの」


前を歩く白衣の女が振り返った。顔立ちは整っているが、どこか冷たい印象が拭えない。八の字に吊り上がった眉尻がナイフのように尖っている。


「すいません」


別に、謝る必要なんてないだろ。

そんな心の声は、空気に触れることなく僕の内側に溜め込まれた。今まで幾度もこうして言葉を飲み込んできた。そろそろ、一年前の言葉など腐り始めている頃かもしれない。


足早に引率する女に合わせて歩きながら、僕はそれとなく壁に沿って並ぶいくつものドアに視線を走らせた。

ドアは両脇の壁に等間隔で並んでいた。それぞれのドアの間隔はほとんどない。恐らく、僕の住んでいる家賃4万3千円のボロアパートよりも狭い。

まるで刑務所だ。いや、広さだけで言えばそれ以下かも。

ドアには表札が取り付けられている。アルファベットと数字の並びらしい。右側に並んでいるドアに目を凝らすと、白地のプレートに黒く印字された文字が読み取れた。

M-34、M-35、M-36...

左側のプレートも確認しようと一度顔を正面に持っていくと、いつの間にか振り返っていた白衣の女と目が合った。


「急いでとさっきお願いしたはずだけど」


言葉の裏にこれ以上の詮索はするなという意思を読み取り、僕は目を逸らすと小さく頷いた。


それからどれほど歩いただろうか。どこまでも続く廊下に僕の遠近官が麻痺し始めた頃、女は漸く立ち止まった。その脇にある右側のドアを開けると、彼女は僕に入るよう促した。


案の定、部屋の中はひどく狭かった。

シングルベッドが一脚に、その脇に見たこともないような電子機器が据え付けられている。それだけの部屋だった。

これじゃ刑務所というより、棺桶に近い。

女に指示されるままにベッドに横たわると、意外なことに寝心地はひどく良かった。低反発素材と言うのだろうか。試しに手で押してみると、くっきりと手形の跡が残った。


そんな他愛ないことで緊張を紛らわせている間に、女は手際よく準備を進めていく。僕の体に様々なチューブやら何やらを取り付けて、時折モニタに映し出された数字やらグラフやらを確認している。


「怖い?」


思いがけず優しい言葉が降ってきて、僕は女を見上げた。彼女は先ほどとは打って変わって柔和な笑みを浮かべていた。


「...正直、不安です」

「でしょうね。でも大丈夫。事前に説明があった通りよ。安全だから」

「頭では分かってるつもりなんですが、身体が言うことを聞かないんです。今だって、ほら、こんなにも心臓がばくばくいってる」

「大丈夫。リラックスして。緊張してると、上手くいくものもいかなくなってしまう」


女は何度も大丈夫と囁いたが、結局僕の心臓は最後まで鳴り止まなかった。


そして、遂にその時がきた。


「じゃあ、いくわよ。目を閉じて、リラックスして」


女がキーボードで何か打ち込むと、電子機器が静かに唸り始めた。僕は目を閉じて、大きく深呼吸をした。

大丈夫だ。大丈夫。

リラックスできる。落ち着いて。

1ヶ月間、楽しい世界で遊ぶだけさ。


「それじゃ、良い旅を」


その言葉は、果たして本当に女が漏らしたものだったのか。それとも、僕の頭が作り出した幻聴だったのか。

判然としないままに、僕の意識はふつりと途切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る